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尺八工房まつもと 松本浩和

★ 尺八を制作・演奏しております松本浩和の活動情報 ★

★ 玉松会という団体で保育園の訪問演奏もしています ★

茂山千之丞さん

2010年12月10日 | 思うこと
茂山千之丞さんが、12月4日にお亡くなりになったそうです。

能・狂言に詳しくはありませんが、

とても好きなので、余裕のある時は出来るだけ見に行くようにしております。

もちろん私の関わっている『三曲(地歌・箏曲・尺八の合奏)』では能に取材した曲あります。

茂山千之丞さんは、狂言にとどまらず、演劇全般でご活躍になった方ですし、

その全貌は、私などには想像もできませんが、

能楽堂で接した、千之丞さんの声、謡の心地よさは、本当に素晴らしいものでした。

いつまでも聴いていたい、声・謡でした。

高齢とはいえ、大変お元気そうでしたので、もう一度、聴く機会があるものと思っていたのに、

本当に残念です。

なかなか能楽堂にも行けないうちに、どんどん名人が無くなって行きますが、

これも世の定め、如何ともしがたいものです。

その藝を拝見する事が出来たのは、私にとっての財産です。

今後は、その残された著書や芝居、映像をあらためて繙いて行きたく思っております。

伊那谷の人形浄瑠璃

2010年11月04日 | 思うこと
人形浄瑠璃というと、今は大阪の人形浄瑠璃『文楽』が有名です。

「伊那谷の人形浄瑠璃」という言葉を見つけて、調べてみましたら、

例えば、
http://www.iijan.or.jp/oishii/2010/04/post_1298.php
というサイトを見てみると、



何ともシブい専用の舞台があるではないですか!!

この舞台は奥が明き、向こう側が借景になっているそうですが、
近年、そこに住宅が建ってしまったとか!?
何とも無粋な話です。

黒田人形浄瑠璃というものだそうですが、その歴史は古く『本家の淡路島でもやらなくなった「三番叟(さんばそう)」の技・芸をはじめ、独特なものが伝承されています。』
との事。

『発祥の地として知られる淡路にも伝わっていない独特の技もここには残されているという。これは、天保年間における幕府の人形公演禁止令により、大阪などで活躍していた多くの人形遣いたちが各地に流れ、地域の人々によって密かに行われていたこの地に人形遣いたちが定住し技を伝えたから、といわれている。』
こちら参照
なるほど。

別のサイトにある文章ですが、よくまとめられて、大切なことが書かれているので、長文ですが引用します。

『由来・次第
黒田人形は、元禄年間(1688~1703)に正命庵の僧侶正覚真海が村人に人形を教えたのが始まりと伝えられている。寛政年間(1789~1800)には、淡路の吉田重三郎が下黒田(飯田市上郷)に定住し人形を教え、その後天保3年(1832)大坂から桐竹門三郎、続いて吉田亀造が来て同じく下黒田に定住して人形を教えた。こうして人形熱が高まり、天保11年(1840)には旧舞台を取り崩して、四間に八間総二階の人形専用舞台(昭和49年重要有形民俗文化財指定)を再建した。
黒田人形を支えていたのは「明神講」と呼ばれる青年たちであった。その明神講にかわって、明治26年(1893)上郷青年会下黒田支会ができると、15歳から25歳までのすべての青年に人形座に入ることが義務づけられた。昭和26年(1951)には、保存会が結成され、今日に伝承されている。
明治初期までは、春秋の祭典に人形を奉納していたが、現在は4月第2日曜日とその前日に下黒田諏訪神社の境内にある人形専用舞台で春祭りの奉納公演として、土曜日の宵祭りと日曜日の本祭りで上演されている。いずれも最初に三番叟が上演される。淡路から伝わった三番叟の芸や型を伝え、「手」と呼ばれる古風な型を遺すといわれている。』

《手・て》って日本の芸事の在り方を考える上での、かなり重要なキーワードだと思います。
地歌箏曲では『本手・替手』といいますし、
尺八では例えば『山越の手』とか、決まった定型、それがあれば、それになる、というような。
和歌の枕詞のような。

この『黒田人形浄瑠璃の定期奉納上演は、毎年4月の第2土曜日の午後7時からと日曜日午後1時からです。また毎年8月に飯田市でおこなわれる飯田人形劇フェスタでも人形浄瑠璃が演じられる予定です』
との事、ぜひ一度見てみたいです。

この黒田人形座のサイトを見てみますと、
http://www.city.iida.lg.jp/iidasypher/puppet/kuroda/



アジのある頭です。

夏に開催されるいいだ人形劇フェスタというイベントも、
サイトを拝見するに、とてもしっかりできたサイトで、また見やすく、いろんな公演もあり、興味深いです。

今回は新幹線で、

2010年05月09日 | 思うこと
無事、帰宅致しました。

いつもは夜行バスなのですが、今回は新幹線での往復。
大阪、東京間は2時間半と、(物理的にはそのまま、もちろん)時間的には近くなっています。

あの高スピードには、しかし、からだ的、こころ的について行きにくいものを感じないでもありません。
歩行や自転車のような、肉体的な移動感覚の方が本当は性に合っているような気がします。

往復ともにN700系だったのですが、トイレ等、設備もよく、便利で安心できます。

列車を見ていて気がついたのですが、N700系はまだ新しく、内装などは随分ときれいなのですが、
その外面のボディーは結構、塗装の傷みなどが出ていました。

やはりあれだけの猛スピードで走行するので、外側は痛むのですね。
新幹線、ありがとう! と言ってみたくなります。

玉置宏さん、お亡くなりに

2010年02月13日 | 思うこと
またまた訃報です。

司会でおなじみの玉置宏さんがお亡くなりになったそうです。


玉置宏さん、ニュース検索


テレビやラジオでの司会の名調子は誰もがご存知のことだと思います。

私自身はNHKラジオで放送されていた『ラジオ名人寄席』が先ず思い浮かびます。

ご自身のたくさんの演芸鑑賞経験から発せられる言葉に、なるほどと、うならされておりました。

また横浜に出来た寄席『にぎわい座』では館長としても活躍し、夜席の特別興行では必ず、片シャギリで上がり、演目と演者の解説をして、仲入り後も同じように、解説をなさっていたそうです。。←『にぎわい座』にもときどき行っている、たまこに教えてもらいました。

とにかく良い藝(品格のある)を求め、愛していらっしゃったようです。


この2週間程、何故か訃報続きです。

やはり暖かさの後の、冷え込みもあるのでしょうか。

ご冥福をお祈り致します。

笛吹童子

2009年12月06日 | 思うこと
福祉施設での出張演奏のため「笛吹童子」テーマ曲をさらいました。
「笛吹童子」は昭和20年代にラジオドラマで放送されたのが初めで、好評のため何度も映画やテレビドラマにもなったそうです。
その時代を生きてこられた方には懐かしいのでは、と思い取り上げました。

ご存知、福田蘭童先生の作曲ですが、やはり面白い曲ですね。

たまこと話をしていて思わされたのは、蘭童先生は「東洋的仙人」である、という事です。

尺八を始めた頃は熱心に蘭童先生の曲を吹きましたが、その後、違和感を感じて、この10年程、ほとんど吹いていませんでした。
これを機に心機一転、自分なりにもう一度、蘭童先生の曲に取り組んでみたくなりました。

これは今月の市川でのミニライブでも取り上げます。

今月は12月12日(土)です。
ぜひお越し下さい。


笛吹童子


笛吹童子一部二部のダイジェスト


《指揮 福田蘭童 とあります》
少女の歌 黒沢貞子