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この広い世界を。

可愛い歳月。
思ったことの記録。

おひな祭りのねがいごと。

2017-03-03 23:19:34 | ひとしずく。
今日はおひな祭りですね。


写真は、45年くらい前の真多呂のおひな様。
姉が生まれたときに祖母から贈られたものだそうです。
まあるいお顔が可愛らしい木目込みのお人形です。
髪の毛がボサボサなので、いつかきちんとメンテナンスをお願いしたいな。




数年前に、平和とは女の子(年齢問わず)がニコニコと幸せであることだと気がつきました。

言葉にすればとても簡単すぎることだけれど、
それは泣けるほどの気づきでした。

思いわずらうことなく、いや、思いわずらっても、
それはなにかに怯えるようなものではなく、自分の行動を制限することもなく、
ただ泣いて笑って、美味しいものを食べて、恋をして、お仕事をして、
新しいことを知って、たくさんの美しいものや可愛らしいものを見て、
女の子がそんなことを繰り返す毎日が、女の子が女の子を自らの力で楽しめる日常が、
世界の幸せだと気づいたのです。

世界中の女の子が、今この瞬間に、
なにかにときめいていたり、誰かの幸せを願ったりしていますように。





あの犬のこと。

2016-10-01 23:37:03 | ひとしずく。
ご近所にある犬がいました。

細い犬で、ご近所のくせにちっとも顔を覚えてくれず、
走っていたり荷物をガシャガシャ持っていたりいつもと様子が違うと吠えてくるような犬でした。

お散歩にもあまり連れていってはなさそうで、
彼のまわりはあまりいい環境ではありませんでした。

大雨の日も雪の日も痛いくらいの冬の日も冷たいコンクリの上にいました。

それでもずいぶんと長生きをしていていました。

去年の春ごろから一気に老いを見せ、
目ヤニがべったりで身体は曲がってヨタヨタと歩くようになりました。

その姿は力なく、あまりにみすぼらしく、
わたしは、この夏は越せないだろうなと思っていました。

ところが彼は去年の夏の猛暑を越したのです。

わたしはそこを通るたび、彼の姿を確認して、
声をかけるでもなく、一秒ほどただ彼と目を合わせていました。

夏は越したけどこの冬は越せないだろうな、そう思っていました。

ところが彼は冷たいコンクリの上で冬を越しました。

彼は元気になるわけでもなく、目ヤニだらけで、曲がった身体でそれでも生きていました。

相変わらずわたしは彼の姿を確認して、
声をかけるでもなく、目を合わせる作業を繰り返していただけでした。

美しいな、と思っていました。

その生命のたくましさを、とても美しく思っていました。

最期まで見ているよ、と思っていました。

この夏も越した彼は、数日前から昼夜問わず小さな声で鳴くようになり、
そして先日、二度と鳴かなくなりました。


チャッピー、あなたはとても綺麗で、とても美しかったです。





盛暑お見舞い申し上げます。

2016-08-11 15:08:43 | ひとしずく。
さてさて、残暑と呼ばれる季節ですが、
まだまだ暑い暑い毎日がつづきますね。

みなさま、いかがお過ごしですか?


お昼ごはんはみょうがとお茄子のお味噌汁と、
梅干しのおにぎりをいただきました。

そして今は、つめたいアイスコーヒーをいただきながら、これを書いています。

夏のごちそう、夏の幸せのひとつですね。


蝉時雨もいつの間にか、ツクツクボウシが混じるようになりました。

強く照りつける陽射しと、蝉の声と、草木の濃い緑と、しんと静かな感じ。

そのちょっと寂しい感じは、子どものころからなぜだか好きです。


たしか14才のころだったかしら。

夏の企みどおり、暑い夏に、眉間にシワをよせて暑い暑いとしかめ面で過ごす人にはなるまいと、
いつも涼しげな人であろうと、
ほんのわずかな風に涼しさを感じていられる人になろうと、
まだ幼いわたしはそんな大人びたことを決意していたのを思い出すのです。

まったくもって然り、ですね。


なにはともあれ、暑い夏。

この懐かしくて美しい夏を感じながら、くれぐれもご自愛くださいね。










お年玉。

2016-01-02 11:44:10 | ひとしずく。
あれ?と思ったことがある。

わたしがわたしの意識として、おとなりのおじさんに生まれてその人生を送ったら、
はたしてわたしはわたしでいられるかなって。
わたしはわたしという思いこみなのかなって。

テレビで見たお年寄りがとても元気な島で、100歳のおじいちゃんが木登りしちゃうような島で、
この島では昔からお年寄りというものはこういうもので、それ以外に道はないのだとしたら、
加齢の過程でさえ刷り込みではないかなって。

友だち100人できるかなも刷り込みで、外で元気に遊びましょうも刷り込みで、
アンチエイジングも刷り込みで、完全も不完全も刷り込みで、
幸せの定義も刷り込みで、突きつめていえば善悪も刷り込みで、
そういうことに、あれ?って思ったことがある。

わたしは今この瞬間、なにからも被害を受けていないって気づいたことがある。


もしかしたらこうゆうことかなって。

わかりやすい般若心経の現代語訳です。

少しでも光が射しますように。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆
般若心経ロック


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。


もっと力を抜いて楽になるんだ。

苦しみも辛さもすべてはいい加減な幻さ、安心しろよ。


この世は空しいモンだ、

痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。


この世は変わりゆくモンだ。

苦を楽に変えることだって出来る、

全てはお前次第だ。


汚れることもありゃ背負い込む事だってある

だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ

この世がどれだけいい加減か分かったか?


苦しみとか病とか、

そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。

それが『無』ってやつさ。


先の事は誰にも見えねえ。

無理して照らそうとしなくていいのさ。

見えない事を愉しめばいいだろ。

それが生きてる実感ってヤツなんだよ。


正しく生きるのは確かに難しいかもな。

でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、

愉しんで生きる菩薩になれよ。


全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。


夢や空想や慈悲の心を忘れるな、

それができりゃ涅槃は何処にだってある。

生き方は何も変わらねえ、

ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。


この般若を覚えとけ。

短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、

細けぇことはいいんだよ。

苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。


嘘もデタラメもすべて認めちまえば苦しみは無くなる。

そういうモンなのさ。


今までの前置きは全部忘れても良いぜ。

でも、これだけは覚えとけ。

俺達が苦労して見つけたモンをまとめて教えてやるからよ。

耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを超えたものなり。』

『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆



モンスター。

2015-10-15 18:01:31 | ひとしずく。
(数年前の過去記事より再UPです)


以前、わたしはこの胸にモンスターを飼っていました。


モンスターの好物はしらない。

モンスターの名前もしらない。


自分の胸のなかをまじまじと見たことなんてなかったから、
そもそもこの胸の中にモンスターがいるってこともしらなかったんだ。



だけれど、ある日ふとした瞬間に、
自分の胸の中のモンスターの存在に気づき、
気づいたのと同時に、モンスターの名前を知ったのです。



あいつがわるい。

あれがわるい。

これがわるい。

せいじがわるい。

くにがわるい。

しゃかいがわるい。

かいしゃがわるい。

うんがわるい。

じだいがわるい。

きょういくがわるい。

なにもかもがわるい。



そんな心が大好物のモンスターの名前は『被害者意識』



あ、被害者意識。


そう気づいただけでモンスターは砂のように崩れおち、ばったりとたおれた。


モンスターはわたしの表層意識には住めないらしい。


でね、モンスターがたおれたあと、
ぶわっとすごい勢いで浄化の風が世界中にふいたのを確かに感じたんだ。


被害者意識という名のモンスターがたおれたあと、
目をあげてまわりを見わたしてみたら、
この世界は歓喜の声をあげたくなるほど豊かだったんだ。



ずっと目に見えていたのに、気づかなかった。


あの日からわたしの世界は可愛くて美しいのです。