この広い世界を。

可愛い歳月。
思ったことの記録。

青い空が輝く太陽と海のあいだ。

2014-03-20 02:06:00 | ひとしずく。


今日のお昼すぎ。

髪を乱す春風のような、
切ない甘さに似たにおいのするニュースが飛びこんできました。

3月20日のいいとものゲストが!
まさかの小沢健二!
びっくしー!!

テレビ出演はなんと16年ぶりなんだそうです。

90年代、小沢健二がヒット曲を連ねたのはわずかな期間だから、
彼をしっている世代はひとにぎり。

彼の魅力はそのキュートさと生意気さを兼ね備えた人柄と、
木漏れ日のような光の楽曲と美しい日本語、
そして90年代の独特で圧倒的なきらめきと、それを見ていたこの胸のときめき、
あのきらめきとこの胸に確かにあったあのときめきを、彼はもれなく連れてくるところです。


さてさて。

タモさんが「生命の最大の肯定」といったあの歌詞のおはなしです。

以前こんな記事→ をかいたのですけど、
それとはまたちがう方角からのわたしなりのとらえ方を、
覚え書きとしてかいておきたいなと思います。

☆  ☆  ☆  ☆

“僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも”
の部分を知るために、

“左へカーブを曲がると光る海が見えてくる”
の心情をちょっと想像してみる。

とても気持ちよくて心がのびのびしていて、ふわっとやわらぐ感じ。
祝福にも似た優しい気持ち。

もしかしたら日常にはなにかしらの問題を抱えているかもしれないし、
喜びと悲しみがときに訪ね、出会いと別れを繰りかえす日常があるけど、
それでも“この瞬間”は、心がやわらいでとても気持ちよい気分です。

そして思うのです。“この瞬間は続く”と。

しかも“この瞬間は続く”のまえに“僕は思う!”と言っています。


幸せは外からあたえてもらうものではなくて、自分の心が感じるもの。

その自分の幸せを感じる心は、
外からの刺激には揺らがないと知っている。

幸せにアンテナを張りめぐらせ続けてゆくことに、確信を持っている。

自分自身が外の刺激からの被害者ではないのです。


気持ちのよい気分の瞬間が永遠に続くことを知っている。

途切れるときがあるかもしれないけれど、続くと確信している。

なぜなら自分がそれを決めることだと気づいているから。

だから“僕は思う”と断言しているのだと。


これはすごいことだと思うんです。

そして、むずかしいけれど、簡単なこと。


すべて自分の心が決めること。

すべて自分の心が感じること。


それこそが、自分という生命への最大の肯定ではないかなと思うんです。


瞬間は永遠にわたしのもとを訪れつづけるけれど、
瞬間は過ぎ去り、永遠には続いてゆかない。

その永遠に続く瞬間と、それが永遠には続いてゆかないということを、
わたしたちはほんとうは知っているのだ、と思うのです。

それを肯定というのなら、
ひきずっていたいしジタバタしていたいわたしもまた、
そこまでの肯定はできそうもない。


     左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる

     僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも


             「さよならなんて云えないよ(美しさ)」



追記:タモさんのためにオザケンが歌った曲のチョイスのセンスと、
   それをうれしそうに聴くタモさんの感嘆と表情にグッときました。



しみじみと。

2014-03-18 10:34:32 | ひとしずく。

カンヌ(国際広告祭?)でグランプリを受賞したというCM。

180秒で人生観がかわるなんていうから、
「そんなわけ」とおもいながら見てみたらほんとうでした。

お風呂はいって髪あらってるときとか、
スーパーでレジの列にならんでるときとか、
揚げ物を揚げてるときなんかにふと思いだし、
そうかぁ、としみじみ思うのです。


ダヴ リアルビューティー スケッチ



劣等感を自分の人生の重石にして、
それにたよってかくれて生きていた部分があったことに気づいたりもする。



あの黒いの。

2014-03-16 00:31:14 | なごみもの。


車で20分ほどかかる我が家まで、たまに電動自転車でやってくる伯父。

御歳77才の喜寿でございます。

すっかり足腰のよわってしまった10ほど歳のはなれた弟(わたしの父)の様子を見に、
ふらりとやってきてふらりと帰ってゆきます。


そんな伯父。


今日はくまモンのことを「あの黒いの」と言っていました。

正確には、伯父は「あのくれぇの」と発音し、
それを「あの黒いの」と言っているとヒヤリングし、
話の流れからそれがくまモンのことだと理解したのはわたしの母でございます。


どれだけツボなおはなしでございましょう。

わたしは、くまモンの体色は黒だと改めて認識したのでございます。



わたしの想い。

2014-03-11 23:52:32 | 祈り。


ここを読むだけで、小さなことでいいからほんの一瞬でいいから、
ほっこりするような何かがやわらぐような和むような、
そんな素敵なヒーリングがおきたらいいなと思って言葉を綴っています。

心のトゲトゲがじんわり溶けてまあるくなるような、
そんなふわふわや柔らかい光が見えるような言葉をなるべくえらんで綴っています。


日常のほんの一瞬でも、空を見上げたり、風を感じたり、
それで特になにかを感じたりしなくても、そんなことをふと思い出せたらいいなと思っています。



こんな普通すぎるほど普通で、無力で平凡なわたしに何ができるんだろう。

ずっとそう思っていました。


たとえば。

1tの石に感じられるような痛みや苦しみがあったとしたら、
セラピストとしてわたしにできるのは、
それのほんの10gを外す「お手伝い」をすることだけです。


その10gはあまりにささやかで地味でちっとも劇的ではなく、
想像していたものとはちがうかもしれません。


けれど10gで、すり抜けられなかった隙間がすり抜けられるようになるかもしれない。

職人の仕事のようにその10gで、
合致しなかったものがぴたりと合うようになるかもしれない。

小さな針の先がとても痛むように、
そのたった10gが1tもの重さに感じられるような痛みなのかもしれない。

ジェンガのように10gのひとかけらを外すだけで、
保たれていたバランスがくずれ、1tがばらばらと崩れることがあるかもしれない。


その10gを見ることはときにとても怖いけれど、
世界中のお金や宝物を集めたって手にいれることのできなかった、
確かにここに存在し宝石よりも尊い「あるもの」を知る鍵になったりするのです。


わたしがセラピストとして望むことは、
むずかしいことはいらないから、
誰もが自分自身に敬意を払い、ただ楽しく生きることだけです。


まずはわたしから。

そしてまずはあなたから。


それが水紋のようにわんわんわんと広がって、
遠いあの街に住む誰かにもいつか届いたら素敵だなと思っています。