今日のお昼すぎ。
髪を乱す春風のような、
切ない甘さに似たにおいのするニュースが飛びこんできました。
3月20日のいいとものゲストが!
まさかの小沢健二!
びっくしー!!
テレビ出演はなんと16年ぶりなんだそうです。
90年代、小沢健二がヒット曲を連ねたのはわずかな期間だから、
彼をしっている世代はひとにぎり。
彼の魅力はそのキュートさと生意気さを兼ね備えた人柄と、
木漏れ日のような光の楽曲と美しい日本語、
そして90年代の独特で圧倒的なきらめきと、それを見ていたこの胸のときめき、
あのきらめきとこの胸に確かにあったあのときめきを、彼はもれなく連れてくるところです。
さてさて。
タモさんが「生命の最大の肯定」といったあの歌詞のおはなしです。
以前こんな記事→★ をかいたのですけど、
それとはまたちがう方角からのわたしなりのとらえ方を、
覚え書きとしてかいておきたいなと思います。
☆ ☆ ☆ ☆
“僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも”
の部分を知るために、
“左へカーブを曲がると光る海が見えてくる”
の心情をちょっと想像してみる。
とても気持ちよくて心がのびのびしていて、ふわっとやわらぐ感じ。
祝福にも似た優しい気持ち。
もしかしたら日常にはなにかしらの問題を抱えているかもしれないし、
喜びと悲しみがときに訪ね、出会いと別れを繰りかえす日常があるけど、
それでも“この瞬間”は、心がやわらいでとても気持ちよい気分です。
そして思うのです。“この瞬間は続く”と。
しかも“この瞬間は続く”のまえに“僕は思う!”と言っています。
幸せは外からあたえてもらうものではなくて、自分の心が感じるもの。
その自分の幸せを感じる心は、
外からの刺激には揺らがないと知っている。
幸せにアンテナを張りめぐらせ続けてゆくことに、確信を持っている。
自分自身が外の刺激からの被害者ではないのです。
気持ちのよい気分の瞬間が永遠に続くことを知っている。
途切れるときがあるかもしれないけれど、続くと確信している。
なぜなら自分がそれを決めることだと気づいているから。
だから“僕は思う”と断言しているのだと。
これはすごいことだと思うんです。
そして、むずかしいけれど、簡単なこと。
すべて自分の心が決めること。
すべて自分の心が感じること。
それこそが、自分という生命への最大の肯定ではないかなと思うんです。
瞬間は永遠にわたしのもとを訪れつづけるけれど、
瞬間は過ぎ去り、永遠には続いてゆかない。
その永遠に続く瞬間と、それが永遠には続いてゆかないということを、
わたしたちはほんとうは知っているのだ、と思うのです。
それを肯定というのなら、
ひきずっていたいしジタバタしていたいわたしもまた、
そこまでの肯定はできそうもない。
左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも
「さよならなんて云えないよ(美しさ)」
追記:タモさんのためにオザケンが歌った曲のチョイスのセンスと、
それをうれしそうに聴くタモさんの感嘆と表情にグッときました。