この広い世界を。

可愛い歳月。
思ったことの記録。

やっと気づいたこと。

2017-10-29 00:46:08 | ひとりごと。
わたしは、起こるできごとのすべてを信頼しています。

宇宙はわたしを自由にしようと、
ありとあらゆる手をつくし、ことを起こし続けてくれていると信じています。

いつも思っているわけではないけれど、わたしの根底にはそれがあって、
そのことに安心もしているし、だからこそどんなできごとにも光を見出そうとしたりもします。



忙しいバイト先で、今までいた社員さんが辞めて、新しい社員さんが異動してきました。

わたしが働くお店はとっても忙しいのですがそれはかなり特殊なケースで、他の店舗はのんびりとしています。

そして、解消されない人手不足。

Max忙しい時間帯は、ひとりで全力で二役も三役もこなさなければならない、とてもキツい状況が続いています。


そんななかのんびりと年配の社員さんがやってきました。

のんびりとした店舗にいた方なので、
わたしの働くお店の学生のバイトでもふつうにできることができない。

指示が出せない。

オペレーションをまわせない。

そして、メインの焼きをフルでこなせない。


最初は仕方がないとアタマでは分かっていても、ついついイラついてしまう。

ツケツケとモノを言ってしまう。


なんでだろう?なんでだろう?こんなこと嫌なのになんでだろう?と思っていても、
どうしても止まらない。


なんでだろう?なんでだろう?


この状況は嫌いなの。

悪口なんか言いたくないの。


そうして気がついた。

その社員さんに甘えていたことに。


そう。ただの八つ当たりだ。
忙しすぎて、ほんとうはヘトヘトだったのだ。

このヘトヘトをわかってよ、この大変さを理解してよ、ってイラついていたのだ。

忙しいとアドレナリンが出てハイにもなるし、楽しいことは事実なのだけれど、
それを上回るほどヘトヘトなんだよ、わたし。

気づかなかった。いや、気づいていたけどどうしようもできなかったし、
なによりも心のどこかでヘトヘトを楽しんでいた。

ああ、八つ当たりだった。

問題はべつにある。


このことに気づかせてくれたんだ。

申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいです。

明日からは放つエネルギーが変わるので、現実も変わってくるだろうなって思います。


わたしは、わたしを理解することができてよかった。

わたしの放つエネルギーが、わたしの世界を創るのだから。


残酷さと慈悲が一緒にある世界へ。

2017-09-10 01:31:07 | ひとりごと。


やっぱりね、わたしはラッキーだなぁとつくづく思うの。
オザケン好きでラッキーだなぁと。
世界は優しい光に満ち溢れていると、いつだって思い出させてくれる。
わたしがぼんやりしていても、世界はどんどんと素敵なことを生みだしていて、
わたし自身に魅力はなくても世界はほんとうに魅力的で、それを捉えるわたしの感受性をわたしは好き。
オザケンのおかげで、なにがあっても世界は素敵だと思い出せるわたしはラッキーとしか言いようがない。


というわけで、セカオワとコラボしたオザケンの新譜「フクロウの声が聞こえる」が発売になりました。
ジャケ絵は松本大洋です。


オザケン、歌はめっちゃ下手くそだけど、彼の綴るその日本語はほんとうに綺麗で、
その言葉には秋の日のやわらかいキラキラとした木漏れ日のような光を感じられます。


「フクロウの声が聞こえる」はライブで聴いて衝撃的だった曲。


――残酷さと慈悲が一緒にある世界へ――


人は分けたがる。

誰に言われたわけでもないのに対極をつくり、誰に言われたわけでもないのにそれを何代にも渡り、信じこんでいます。
感じることを麻痺させ、それにさえも気づかずに。
そしてそのほとんどが対極の片方に罪悪感をいだく。
それゆえに自分が感じていることさえ否定し、いつしか違和感を生み、その違和感が得体のしれない苦しみを生むこともある。
良い悪いは人が後付けにした思いこみにしかすぎないと思っています。

じつは思いこみでしかないその境界が見えなくなるほどの、
残酷さも慈悲もただ包みこむだけの優しい光のある世界へ。


自分の感覚での好きになること嫌うこと。ちゃんと食べること眠ること、怪獣を恐れずに進むこと。
芽生えて朽ちるこの世界でそれを自分のために用意したら、目の前に置かれた宇宙をただ信用するだけ。


それは、なんかいい世界だと思うのです。

たぶんそんな歌だと思うのです。


砂上の楼閣のようなハッピーには興味ないけど、こんなふうに本気のハッピーの方法をもちゃもちゃと考えるのは大好物。
楽しいっす。笑

自信を持ってわたしをやるということ。

2017-08-27 00:45:50 | ひとりごと。
自信をもって、自信のないわたしをやること。

自信をもって、めんどくさい文章を綴ること。

自信をもって、すぐ拗ねること。

自信をもって、ほどよく元気ない感じを生きること。

自信をもって、無口でいること。

自信をもって、すぐドキマギすること。

自信をもって、下女マインドを炸裂させること。

自信をもって、醜くなること。


たとえば、そうゆうこと。


ビクビクしないで、自信をもって、自信をないをやること!


わたしは生きるに浅はかだったわ。

無視してばかりでごめんね、わたし。



LOVEと絶望の果てに届け。

2017-08-24 12:40:06 | LOVEと絶望の果て。
やっぱりね、わたしはラッキーだなぁとつくづく思うの。
スピッツ好きでラッキーだなぁと。
ここ数日のいろいろな思い、日々舞い降りるあらゆるできごと、
どんなことがあっても、わたしを不幸にも自由にもできるのは、わたししかいないことを知っているし、それを思い出させてくれる。
だからわたしは強くて弱い。
スピッツのおかげでその両極を恐れることなく、いつも携えることを自分に許可できるわたしはラッキーとしかいいようがない。


というわけで、わたしの夏が終わりました。
今年はスピッツ結成30周年のアニバーサリーイヤーで、いつものホールツアーではなく、大規模なアリーナツアーでした。

わたしが行ったのは、
8月11日 さぬき市テアトロン(野外)
17日 武道館
23日 横浜アリーナ(音めっちゃいい!)

どの会場もほんとにキラキラ可愛かったけど、特にステージの向こうが海のテアトロンは行ってよかったなー。

瀬戸内の穏やかな海と潮風とたくさんの雲と暮れてゆく空、蝉の声、スピッツ。

お盆連休初日に埼玉から行くのも、僻地のテアトロンから帰ってくるのも大変だったし、お金かかったし、吐き気がするくらい疲れたけど、ほんと行ってよかった!

どこでも毎回、全肯定をもらうような気がするのです。
全肯定ってあれですよ、いいとこばっかりみて~っいうあれじゃないですよ。
ほんとは何もないこととか、何もしてこなかったこととか、ほんとはダサいこと醜いこと、コミュニュケーション能力が下の下とか、ビビりとか、まともじゃないこと、どうでもいい嘘つくとこ、驚くほどの偽りとか、実はひどく傷ついていることとか、見たくないそれらまるっと含めてですよ。
で、それらがスピッツを楽しむための輪郭だったりします。
誤魔化したいそれらの輪郭を知るって、自分に対する優しさだったりします。
わたしがスピッツの歌になりたいくらい憧れるのはここの部分。
その輪郭そのままで、そこに柔らかくて優しい可愛いヘンテコな光をあててくれるのです。
わたしもそうありたいな、と。


わたしは、わたしを自由にも不幸にもできるのはわたししかいないことを知っています。
だから、ほかの人も自分を自由にできるのも不幸にできるのも、その当人しかできないことをわたしは知っています。
だから、わたしは信じて祈るのです。
どちらを選んでもいいのです。
ただ、自分で決められることを、決めていること、すべてのことを決めてきたことを知ることを、祈るのです。
だってそれは自由だから。




醜いわたし。

2017-08-07 11:23:35 | ひとりごと。
昨日は一日中、なにかを落っことしたり引っくり返したりしていた日だった。

通勤の途中では、カラスを轢きそうになってしまい死ぬほど驚いたし、
帰りには子猫が道の真ん中で遊んでいてなかなかどいてくれなかった。


先日から新しいバイトの男の子が入った。

細くて弱々しく、早口で自分のことをペラペラと喋るような、なんていうかアキバっぽい今までにないタイプの子で、
みんなで「ちょっと無理~」といって影で嘲笑った。

一日目はそれで、よかった。

二日目もそれでよかった。

三日目には、ザラついたものをお腹のなかで感じるようになった。

夜にはいろんなことが重なり、わたしは自分のその行為に完全に傷ついて落ちこんでしまった。


ちがう。と気づいたんだ。

嘲笑うのは、わたしの好きなわたしじゃない。

大事にしてきた想いとはちがう。

わたしがブレてどうする。


昨日、一日中なにかを落っことしたり引っくり返したり、
道の行く手を阻んだりしてくれていたのは、サインだった。

エネルギーバランスを崩したわたしへの、わたしからのサインだった。


人の好き嫌いはあっていいと思う。

もちろんわたしにも嫌いな人はいる。

けど、嫌いになるならきちんと自分の意思でしっかりと嫌いになりたい。

みんなで嘲笑うのとはちがう。

相手がどんな年齢であろうとそれをするのはちがう。



ああ、わたし、醜かった。





ていうか。

2017-07-29 12:58:21 | ひとりごと。
このアクセス数がべらぼうに少ない、コメント欄も閉じてるこのブログで書くの、なんか超楽しい~。

読んでる知り合いとかもいないだろうし(笑)

勝手に書こ~。

さかさまの意味③

2017-07-28 15:05:00 | ひとりごと。
前記事の続き。


さて、わたしという発信を変えると言ったってどうやって?って思いますよね。

わたしも思います。

わたしが世界に刺激を与えているなら、望まない世界はわたしが悪いの...?と。


んとー、たぶんなんですけど、
世界はありとあらゆることがあります。
森羅万象。
世界はすべてをふくんでいます。
良いことも悪いことも。

選ぶのは自分です。


スマホで何かを見ますよね。
たぶん、それとおんなじなんだと思います。

なにかを見ようと操作するのは、自分自身です。

それで興味あることを見せてくれたり、素敵なことを知れたりします。
新しい世界、考え方、たくさんのことを教えてくれます。
知ってしまってがっかりすることもあったりしますが。
それと同時に、好むと好まざるとエロ漫画の広告があったりします。
良い悪いではなく、そこをクリックするのは自分自身です。

たぶんまずはそこからで、そうゆうことなんだと思います。

選べないと思っているのは、そう思いこんでいるだけです。


まずはわたしの今いる場所、現在位置をまっすぐ知ることだと思います。
意外にもわたしにはこれが今でも難しいです。
どうしても幻想や理想がはいってしまう。

けど、例えばパリに行きたいと思っていて、
埼玉のなにもない街に住んでいるのに、代官山に住んでる風にしてたら、空港にさえたどり着けません。

今いる場所より良いとこに住んでる風、悪いとこに住んでる風、
わたしは同時に矛盾した両方のことをしてしまっていたりします。いまだに。

傷があることも恥があることも、健康なことも、幸も不幸もただまっすぐに自分を見る。


思いこみの世界も素敵なのですが、
そうではない世界も優しくて素敵なのでは?と思っています。

世界は、ありとあらゆる手段でわたしをほんとうの意味で自由にしようと回り続けてくれています。



ひとまず終わりー。



さかさまの意味②

2017-07-26 20:50:06 | ひとりごと。
前記事の続きです。


「宇宙は逆さまにできている」

その本のタイトルを見たとき、
それまでちょっとずつ薄い層のように積み重ねたあらゆる情報の意味が、
すとんと腑に落ちたような気がしたんです。


わたしはタイトルを見ただけで本を読んだわけではないので、
本の内容とはちがうことを理解したのかもしれません。

ただ、わたしがそうだと思ったことを、うまく書けるかどうかわからないけど、
ちょっと書いてみようと思います。


人生はあらゆるできごとが起こり、その刺激(できごとなどのこと)に対して反応(主に感情や考え方など)するわたしがいます。

世界が、わたしに対して刺激を起こしているのだと思っていました。

幸せと呼ばれる境地にたどりつくには、刺激に対してのわたしの反応を変化させるか、
刺激自体を起こさないようにすることだと思っていました。

わたしという思考が変われば、刺激も変わってゆくものだと思っていました。

いえ、この考え以前は、刺激に対してはひたすら反応することしかありませんでした。

その反応のほとんどが我慢でした。


さて、なにがそんなに「さかさま」だったのかと申しますと、
わたしが世界に対してどうあるべきか?で、わたしという世界は成り立つのだと思うのです。

世界に向けて、発信するのはつねにわたしです。

わたしが発信したものの反応が世界なわけです。

って、言ってる意味わかるかしら?

わたしが見ている(感じている)世界のすべてがわたしなわけです。

世界がわたしに刺激をあたえているのではなくて、
わたしが世界に刺激をあたえているのです。

もし変えたいなにかがあるのなら、それはきっとわたしという発信です。

わかるかなぁ。



もうちょっと続きます。

さかさまの意味①

2017-07-26 02:25:16 | ひとりごと。
小さな頃から、不思議に思っていたことがあります。


自分の胸のまんなかあたりで、自分の声で思う言葉があるんです。

そのときのできごとに何の脈絡もなく、唐突に、
自分の声で、声にはださないひとりごとのように、胸のまんなかから聞こえてくるかのように思う言葉。


「逆だよ、逆」

「さかさまだよ」


頭の中に鳴り響くとか、なにかの掲示とか、そんな不思議性は一切なく、
なんの脈絡もなく、唐突にただそう思うのです。

意味もなく言葉だけを思うのです。

そして、自分で(なにがさかさまなんだろう?)と不思議に思うのです。

「逆だよ、逆」「さかさまだよ」と、ふつうの日常のふつうの場面で忘れたころに思い、
それを自分で(逆ってなに?)と突っ込んでいるんです。


大人になってもそれは続き、数年忘れていることもあったり、また唐突に思い出しだりしていました。


ところが一年ほど前でしょうか。

たぶん、その「さかさま」や「逆」の意味を知ることができました。



わたしはスピリチュアルなことが好きで、
この宇宙の意味や生命の意味、わたしという存在の意味を知りたいと思っています。


そうして、愛されたいとか愛したいとか豊かになりたい、幸せになりたいとかの、
人として至極簡単な欲望をかなえたいと思っています。

この人生とか世界とか私という壮大な思いこみを解き、
ほんとうの意味での自由を知りたいと思っています。


比較的そのことばかりを考えているにも関わらず、研究熱心に本を読んだりすることはせず、買ったとしても途中であきてしまい、
その系統の興味あるブログの興味ある記事だけを読み、必要なことは向こうから飛びこんでくるだろうとのんきにしています。


そんなときある本のタイトルが目に入りました。


「宇宙は逆さまにできている」(もちろんいまだに買ってもいないし読んでいないもいない)


なんと!さかさま!とな!



長いので続く。



こんな気持ちを抱えたまんまでも。

2017-07-20 01:06:36 | ひとりごと。
怖いことはたくさんある。

できないこともたくさんある。

苦手なことも、嫌いなこともたくさんある。

嫉妬もするし、妬みもする。

なんでわたしばっかり病にもかかるし、
ひとり寂しくなったりもする。

電車に乗るのは緊張するし、人ごみは苦手だ。

みそっかす根性は根強いし、比較的すぐに傷つく。

疲れやすいし、めんどくさがりだし、お腹痛くなりやすいし、少食だし、髪の毛のクセは強い。


だから強くなりたかったし、いまでもなりたいと思っている。

すべての恐怖心や不安感がきえたら、無敵になれると信じている。


けれど、現状はさきに述べたような自分がもさもさの頭でこの文章を打っている。


そしてこう誓っているのだ。

こんな自分で生きていこうと。


死ぬまで付き合う覚悟だよ、と。


でね、こんな気持ちを抱えたまんまでも、
幸せでいていいことも、安心してていいことも、だれかの笑顔を祈ることも、
ぞんぶんにしてよいことを知っているのだ。

そのまんまのわたしで、なんにもクリアせずに、
ぞんぶんに幸せでいいとこを知っているのだ。