この広い世界を。

可愛い歳月。
思ったことの記録。

LOVEと絶望の果てに届け。

2017-08-24 12:40:06 | LOVEと絶望の果て。
やっぱりね、わたしはラッキーだなぁとつくづく思うの。
スピッツ好きでラッキーだなぁと。
ここ数日のいろいろな思い、日々舞い降りるあらゆるできごと、
どんなことがあっても、わたしを不幸にも自由にもできるのは、わたししかいないことを知っているし、それを思い出させてくれる。
だからわたしは強くて弱い。
スピッツのおかげでその両極を恐れることなく、いつも携えることを自分に許可できるわたしはラッキーとしかいいようがない。


というわけで、わたしの夏が終わりました。
今年はスピッツ結成30周年のアニバーサリーイヤーで、いつものホールツアーではなく、大規模なアリーナツアーでした。

わたしが行ったのは、
8月11日 さぬき市テアトロン(野外)
17日 武道館
23日 横浜アリーナ(音めっちゃいい!)

どの会場もほんとにキラキラ可愛かったけど、特にステージの向こうが海のテアトロンは行ってよかったなー。

瀬戸内の穏やかな海と潮風とたくさんの雲と暮れてゆく空、蝉の声、スピッツ。

お盆連休初日に埼玉から行くのも、僻地のテアトロンから帰ってくるのも大変だったし、お金かかったし、吐き気がするくらい疲れたけど、ほんと行ってよかった!

どこでも毎回、全肯定をもらうような気がするのです。
全肯定ってあれですよ、いいとこばっかりみて~っいうあれじゃないですよ。
ほんとは何もないこととか、何もしてこなかったこととか、ほんとはダサいこと醜いこと、コミュニュケーション能力が下の下とか、ビビりとか、まともじゃないこと、どうでもいい嘘つくとこ、驚くほどの偽りとか、実はひどく傷ついていることとか、見たくないそれらまるっと含めてですよ。
で、それらがスピッツを楽しむための輪郭だったりします。
誤魔化したいそれらの輪郭を知るって、自分に対する優しさだったりします。
わたしがスピッツの歌になりたいくらい憧れるのはここの部分。
その輪郭そのままで、そこに柔らかくて優しい可愛いヘンテコな光をあててくれるのです。
わたしもそうありたいな、と。


わたしは、わたしを自由にも不幸にもできるのはわたししかいないことを知っています。
だから、ほかの人も自分を自由にできるのも不幸にできるのも、その当人しかできないことをわたしは知っています。
だから、わたしは信じて祈るのです。
どちらを選んでもいいのです。
ただ、自分で決められることを、決めていること、すべてのことを決めてきたことを知ることを、祈るのです。
だってそれは自由だから。




LOVEと絶望の果て、が何なのか分かった気がする。

2017-01-19 13:07:58 | LOVEと絶望の果て。
スピッツについて、わたしはその好きの規模が膨大すぎて、言葉にできない(オフコース)

可愛くて可笑しくてひねくれてて、切なくて優しくて。

暗号のように意味不明な歌詞たちが、さらに興味をそそり、
ふとしたときに、あの歌詞の意味はこうだったのかと理解できたりするときがある。



スピッツはLIVEでかならずやる「8823」という曲があるのですが、そのなかに、


LOVEと絶望の果てに届け


という歌詞がでてくるんです。

意味不明な言葉だったんですけど、でもふと理解できたんです。



私たちは常にジャッジをして暮らしています。

良いとか悪いとか。

LOVEと絶望、が相対するものの代表だとするなら、その果て。

輪廻の果て。100億世代続いた糸を切ったあとの世界。

LOVEと絶望の果ては、思いこみをすべてはいだジャッジのない世界。
自分の意思でジャッジできる世界。
世界はそのままで素敵だし、あなたはそのままで素敵だよ、の世界。たぶん。

伝わるかなぁ…。


わたしが見えたクリアーな世界。


そんなことをね、大宮ソニックでのLIVE中に、モーゼの十戒の道がひらけるみたいに、
ズバッと、永遠につながるように理解できて、ちょっと泣いたんです。


そしてたぶん、絶望も優しさなんです。


幸せになってな、ただ幸せになってな。

2016-07-31 03:31:18 | LOVEと絶望の果て。

わたしの大好きなスピッツのNEWアルバム『醒めない』
みなさま、もうお聴きになりました?
あ、写真はアナログ盤。
ファルコンみたいな生き物はモニャモニャっていうそうです。


わたくし、聴くまえに草野マサムネの紡ぐ日本語をいち早く知りたくて、
歌詞カードだけをとりだしそれを読み、涙したひとりでございます。


ほんとうに優しいなぁ、と思う。

切なくて切なくて、ふわふわと優しくて可愛くて、可笑しくて。

叱咤激励系の人間ではなく、それはそれが得意な他の方にお任せして、
わたしはこんなふうにそのままでそれを肯定できる人間になりたいと改めて強く憧れ、
そんな人間でありたいと、希望の優しい光を改めてしかと胸に抱いた次第でございます。


わたしの大好きなものたちは、いつもわたしを助けてくれる。

長い月日をかけ、この世界に溢れる甘い蜜のような良質な栄養に助けられ、
大切に大切に育ててきた大好きなわたしの世界観。

忙しさのなか、うっかり忘れかけてしまうそれ。

忘れないように、いつも大好きなものを大好きだと感じていよう。

そうやってわたしは満ちて、あなたを幸せにするのですから。

















最低の君を忘れない。

2014-08-02 00:18:41 | LOVEと絶望の果て。


14曲目は「僕のギター」でした。

前回の14曲目とは違う歌でした。
わたしにとってはとても特別な曲です。

わたしのお歌世界白犬編は、この歌からはじまりました。

八方ふさがりの薄暗い時期に、朝陽のような一筋の白い光を見た歌です。

慈しみのような不器用なその光に、
ああ悩むことはないわたしのままでよかったのだ、と気づいたのです。

あの日からわたしの世界は、ほよほよとしたかわいい景色に彩られています。



スピッツのアリーナツアー
「THE GREAT JAMBOREE 2014 “FESTIVARENA”」の最終日に参戦してまいりました。


去年11月から始まったアルバムリリースツアーがおわり、
あまり間をあけないで今回のアリーナツアーがはじまりました。

なのでずっと続いてきた白犬漫遊記は、アリーナツアーの最終日をむかえ、
単独でのそれはしばしお休みになります。


今回のアリーナツアーのステージはまるで虹色幻燈のようです。

苺のような色や、海の底のような色や、深海に射す陽の色などいろんな色をした光が、
くるくるだったりきらきらだったりしていました。


最低の君を忘れない。と、かわいい要素を散りばめて歌う言葉に、
最低も最高もすべて覚えていることがほんとうの記憶なのかもしれないな、と思ったのです。

そして最低を愛してくれることを、わたしは望んでいたのかもしれない。


同じ空間で虹色幻燈を見、たくさんのものを共有したたくさんの人たちがまたてんでバラバラになり、
関わり合うことなく存在すらしらず、日常にもどってゆくのです。



皇居はミンミンゼミやツクツクボウシがもう鳴いていて、
美しい夏の音色につつまれていました。



祭りがキラキラ楽しくて。

2014-07-10 11:44:29 | LOVEと絶望の果て。


言葉の雨が降ってくる。

それは透明でまるくて、柔らかい雨。

それを包むように、色とりどりのまるがゆらゆらとはじけ飛ぶ。

それにわたしはうっとりと見とれる。


台風前の湿った風がよく似合う。
その風に揺れる木々のゆらめきがよく似合う。

そういえば去年のあの日もそうだったね。




スピッツのアリーナツアー「THE GREAT JAMBOREE 2014 “FESTIVARENA”」
7月9日の武道館初日に参戦してまいりました。

スピッツ初の単独での武道館公演です。


「シロツメクサのうたが好き」という母と一緒に、
大きな玉ねぎの下で、透明の雨やかわいい色のまるにうっとりとしてきました。


やっぱり好きなのです。

このお歌世界のなかにあるしゃがみこんで泣きたくなるような何かが。

この何かはなんだろう。


僕のままで、光を見ようとすること。

僕のままで、空を見上げること。

僕のままで、かわいいものを見ること。

僕のままで、この小さななにかを守ること。

都合よく羽ばたけない僕。


だからこそ、見れるもの。できること。守れること。

そうゆうことを忘れたらいけない。


大きなことはできないよ。

でもこの小さな小さな祈りを強く守ることならできる。

お歌のなかにある色とりどりに遊びながら、
そうゆうことを何度でも思った。


あの日から、それはずっと思っている。


この小さな祈りでいいのだ。


ゴミできらめく世界にひそむかわいい光を見つけつづけてゆくのだ。