この広い世界を。

可愛い歳月。
思ったことの記録。

血。

2011-11-28 23:19:17 | ひとしずく。
きみのなかにながれるその血には、
ちちとははの血がまじっている。


せんぞだいだいの血がまじっている。


とおいとおいところからきみへとつながってきた血だ。


きみは、きみのなかの血に、
このよのうつくしいものをきみのめをとおして、
たくさんたくさんみせなければいけない。


このよのすばらしいものを、
きみをとおしてきみのなかの血に、
たくさんたくさんかんじさせなければいけない。


それがかみにしるされたかけいずではない、
その血のたしかなたからになるのだから。

秋の実りのクッキー2種。

2011-11-24 14:24:14 | へたくそながら。


ヘモグロビンじゃありません。


さつまいもをあちらこちらからいただいたので、さつまいものクッキーを焼きました。


つぶしたさつまいもをレシピの倍の量をいれ、ころころ丸めてまぁるいクッキーにしました。


さつまいもがたっぷりはいっているので、ほっくりとした焼きあがりのソフトクッキー。


素朴な甘みで、優しい味です。



そして、りんごのクッキー。


りんごもたくさんいただいたのです…。


角切りにしたものとすりおろしをいれて焼きました。


スプーンですくって落とすドロップクッキー。


りんごの香りたっぷりのやわらかなクッキーが焼けました。

バターナッツかぼちゃのプリン。

2011-11-14 00:54:19 | へたくそながら。
バターナッツかぼちゃ。日本名はひょうたんかぼちゃ。



隣町の農産物の販売店舗で購入しました。


はじめて見る風貌でしたので、なんじゃこりゃ、と手にとり、
重さをたしかめてみたり、説明を読んだり、振ったりしたのですが、
いちばん小さいものが100円だったので買ってみることにしました。



そのバターナッツかぼちゃを使って、

じゃーん。プリンをつくりました。


かぼちゃはチンして裏ごしにしたのですが、
裏ごしできそうなものが湯きり用の金網ザルしかなかったので、
それで裏ごししたら目が粗いためかザラザラした口当たりのプリンになってしまったとゆう(笑)



しかも、レシピを最後まで読まず作りはじめてしまったもんで、
いざオーブンで焼こうとしたら「湯せん焼き」とゆう、なんじゃそりゃとゆう方法で焼かなければならず、

うちのオーブンは天板のない安物のオーブンなので、湯せん焼きができずさてどうしたもんべかと考えあぐね、

そうだ蒸そう!と考えついたのですがうちには大きな蒸し器がないことに気づき困ったなぁとさらに考え、

仕方ないのでお鍋にうすくお湯を張りそこにプリン液をいれた器をちょくせつ入れるとゆうことを思いついたまではいいんですが、

そうなると蒸す時間がさっぱりわからずしかし蒸すしかないので蒸し始めたのですが、

いざ蒸しあがってみるとプリンとはほど遠い固さのものができあがりスが入りまくりってゆう(笑)



それはそうとかぼちゃって語感がかわいいからいっそのことかぼちゃんt(長くなるので強制終了)

足尾銅山。

2011-11-07 01:30:18 | おでかけ。
富弘美術館のお次はR122を日光方面にすすみ、足尾銅山を目指します。


あいにくのお天気でしたが、途中の山々の木々は赤や黄色に色づいていて、
淡い金色のベールをかぶっているかのようです。



足尾銅山に着いてみたら、これがびっくりするくらいの残念な観光地。


父と母は一回見たから見ないというので、見学するのをやめようかとおもいましたが、
それでもせっかく来たのだからと、わたし1人で坑道内を見学することにしました。


入坑料は大人800円。

ちいさなトロッコに乗り足尾銅山の坑道を目指します。
(トロッコ乗車の際、ごちんと頭を強打。ひとりのため派手に痛がれず)


歩いた方が早いんじゃないかとおもうほどゆっくりなスピードで、ゴトゴトとトロッコはゆるやかな下り坂を動きだします。


坑道の手前でトロッコを引いていた気動車を切り離し、
トロッコ自体の動力で坑道にはいるのですが、ここから急にハイスピード!


トロッコで坑道全体を見学できるのかとおもったら、50m入ったくらいからは歩いての見学です。



足尾銅山は江戸時代から昭和48年の閉山まで、銅を始めいろんな鉱石を採掘したそうです。


明治時代には東洋一の生産量を誇ったそうですが、
製錬過程からでる廃水は渡良瀬川の水を汚し、田中正造が問題解決に生涯を費やした公害を発生させました。
(一部地域は今なお枯れ地です)


見学できる坑道はほんの一部ですが、迷路のようで、暗くて狭く、ポタポタと水滴がしたたり落ちています。


当時の坑夫さんたちの様子を再現したお人形が置いてあるのですが、わたしは途中からこれが非常にこわくなり、
また坑道内はひっそりと人気がなく、前にいる見知らぬ家族連れを見失わぬように見学しました。


さらに、ここで地震があったらどうしよう!とこわいことを考えてしまい、
ずっとドキドキしていました。


だけれども、わたしは想いを馳せるのが好きなので、
足尾銅山に携わった人々の繰り返される日々の暮らしのなかのちいさな幸せや、
ふつうの暮らしのなかにあった笑顔をおもったりもするのです。



観光地としては残念な感じだけれど、

日本の遺産としてはとても貴重なところです。


富弘美術館。

2011-11-06 23:43:33 | おでかけ。
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花をみていると、その色、その形の美しさに、驚かされることばかりだった。
花には一つとして余分なものがなく、足らないものもないような気がした
ちょうどよいところに花がつき、
ほどよいところに葉があり、
葉と花に似合った太さの茎があった。
葉は花の色を助け、花は葉の色と形をそこなわずに咲いていて、
一枝の花とはいえ広大な自然の風景を見る思いだった。
私は絵に関しての知識はないけれど、
この自然の絵をそのまま写してゆけば、よい絵が描けると思った。
富弘
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群馬県みどり市にある星野富弘さんの美術館へ行ってまいりました。


上の文章は美術館へはいると真正面にでかでかと書かれていて、
しょっぱなから何だかぐっときてしまったのです。



きっかけは忘れてしまいましたが、星野富弘さんの絵と言葉たちに出会ったのは高校生のとき。


富弘さんの書く字がとってもかわいくて、
高校生のわたしはそれを必死に真似したものです。


現在のわたしの書く字にも、その名残がすこし見え隠れしているかなとおもいます。



こうゆう名言系の言葉たちは、
正しさゆえ、ときにひどく心を疲れさせるときがあったり、
言っていることはわかるんだけど、と突っぱねたくなったりするときもあったりしますが、

富弘さんの言葉は広く優しく心に触れてきてしまいます。


くっそー泣くまいぞ、その手には乗るまいぞ、と抵抗してみても、
ぎゅーっと涙腺がゆるんでしまうのです。


紅葉時期の日曜日、館内はバスツアーの方々でごちゃごちゃしていましたが、

一枚の絵の前に立ちすくむおじさんや、
富弘さんの言葉を書きとめる若い女の子なんかの後ろ姿を見ていると、

富弘さんの絵と一人一人それぞれのいろいろある人生が対みたいだなと、
絵と人が対で美しい芸術のような気がして、美しい光の断片だなとおもったりもするのです。