極☆ヒロ

ヒロシの徒然なるおバカ日誌です。

大地震!!

2011-03-11 | ヒロシの独り言

 

大地震発生のその瞬間、

僕は仕事で海浜幕張地区の高層ビル最上階25階のレストランにいました。

地震の直前に業者用エレベーターにたった独りで乗っていたので

数分の差でエレベーターに閉じ込められる事を回避出来た事は不幸中の幸いでした。

厨房内で仕事をしていると間もなく『立ちくらみか?』と思うような感覚に陥りました。

でもすぐに地震だと気づきました。

一瞬で足の踏み場もない程、食器や調理器具が雪崩れ落ちてきます。

ワインや煮込み中の料理も散乱。

ますます立っていられないほど激しい揺れが襲います。

レストランは昼の営業終了後だったので、

最上階の25階には僕と夕方の仕込みをしている女性の調理師と

ちょっと遅めの昼食を食べているウェイトレス数名だけがおりました。

厨房からホールの中心に皆を誘導し、

寄せ集まるようにしてひたすた揺れがおさまるのを待ちました。

その間も螺旋を描くように建物は大きく揺れ、
時には下から突き上げるような大きな揺れもあります。

今まで体験した事ないような揺れの中、真っ先に家族の事が心配になりました。

尋常ではない規模の地震に『もうこのままダメかもしれない』
と思わせるには十分すぎるほどでした。

これはただ事ではないと皆がそう思ったのでしょうか?

女性の中には泣き出す人さえおりました。

その光景は益々皆を不安にさせます・・・

息を呑むような状況がどれくらい続いたでしょうか?
とにかく時間が長く感じられました。

船の中にいるような揺れに具合が悪くなる人もおります。

激しい揺れがおさまったものの依然として建物は螺旋を描くように揺れております。

そんな中、25階からの地上の景色は騒然といておりました。

校庭や広場に避難する人々、建物から避難した人々が道路に溢れ出ております

見晴らしが良い分、所々で火災が起き、黒煙や白煙が上がるもの見えます。

隣接の高層ビルも左右に揺れているが確認出来る程・・・

すぐさま家の方角を見て、家族の安否が気になりましたが
状況は分かるはずもなく・・・

この時、携帯や館内内線電話が不通となりました。

男性が僕独りだという事もあり、
皆口々に『どう
したら良いか?』に聞いてきます。

正直、僕だって何が正しい判断なのか解らず・・・

とにかく皆を落ち着くように促し、不安にならないように
冷静さを保ちつつ毅然としておりました。

でも実際は怖くて足がすくむ思いだったんです・・・

緊迫した状況の中、『避難か』『待機か』の判断に本当に悩んでおりました。

高層階にいる事と、地に足が付いていない不安から

皆、自分の安全確保と家族の安否が気になりだし
『少しでも早く下に降りたい』と言い出しました。

決断に『焦りは禁物だ』と必死に自分に言い聞かせても

周りの雰囲気がそうはさせてくれず押し潰されような状況。

非常階段での非難が良い判断なのか?

このまま待機した方が良いのか?

この『二者択一』は人生において一番の選択
と言っても過言ではないでしょう。

今いる海浜幕張地区は埋め立て地で脆弱な土地。

建物が倒れる事よりも、下に沈むのではと言う不安。

また絶対に来るであろう余震までの間隔を利用して

一気に掛け降りる事を皆で話し合い実行する事に決めました。

一か八かの賭けでもありました。

ある程度『運』も味方につけないと厳しいな
と思いながら苦渋の決断をし決行。

途中、余震が来たら最寄の階層フロアに非難するという約束事を決め

女性を先頭にし一番最後に僕の順番で非常階段にて
地上へ向けての避難を開始しました。

壁や階段等に亀裂を見ながら掛け降りる階段。

各階の間が物凄く長く感じました。

そして駆け降りている状況でもはっきり分かるくらいまた大きな余震。

また必ず余震が来ると想定してたとは言え・・・

運も味方に出来なかったのか・・・

と愕然としながらも当初の約束通り最寄の17階にて再び避難。

まだ17階かよ、勘弁してくれよ・・・

と思いながらも皆を建物の中心に、そして机の下に避難するよう誘導

なかなか地上に着かないもどかしさ、そして苦渋の決断をしてのこの結果

意識が少し飛びそうになる思いでした・・・

非難した17階のフロアには多くの人がいました。

きっと各階も同様にまだまだ多くの人がいるんです。

その人達と同じように行動すれば良いのかな?

それがこの建物の管理者の判断だから正当性があるはずだ
と思っていたのですが、

『次の余震までに下りてしまいたい』と皆口々に言うので

また非常階段を下りる事になりました。

正直、もう冷静さを保つ事も、判断力も低下しておりました。

こうやって降りては非難しを繰り返してとにかく早く下に降りたい

という気持ちが皆の中にあったのです。

気が逸ると共に、先ほどよりも降りる速度が上がり
今度は途中で余震に会う事なくようやく地上へ

すでに地震発生から約1時間近く経過しておりました。

地上に降りた安堵感に浸ってられる間もなくすぐに気持ちを切り替え

家族の安否の確認の為、車で急いで家を目指しました。

携帯は繋がらないので早々に諦めとにかく家に向かう事にしました。

車内のラジオでこの時初めて東北が震源地だと知りました。

千葉が震源地だと思うぐらいの揺れだったのですが

少しずつ情報が入り大惨事だと言う事を把握。

家族の安否が益々気になる中、帰路への道路には人々が溢れ出ております

液状化現象で道路には至る所で黒い泥水が吹き流れ川のようになっております。

海岸線沿いは津波の恐れがあるかも知れないなと思い回避。

高速道路は通行止め、主要道路は大渋滞。

最悪、車をどこかに置いて走って帰る選択肢も考えました。

裏道裏道を行き、途中ようやく携帯で奥さんと連絡が付き

子供達も無事だと言う確認が出来た中、
普段の3倍以上の時間が掛かってようやく家に到着

家族の顔を見た時の安堵感と言ったらありませんでした。

あの25階から良くここまでたどり着いたとね

それと共に疲労感と恐怖感に襲われました。

子供達は若干興奮気味。

家の中は食器棚や本棚から物が落下してめちゃくちゃ

それでも奥さんがいくらか片付けたんだとか。

地震時の家の状況も酷かった事が伺えます。

電気や水は出るもののガスは止まっております。

テレビで被災地の状況を確認。

津波で飲み込まれる町の映像に衝撃を受けました

現実見をかけ離れた映画みたいな光景・・・地獄絵図でした

改めて自分や家族の無事を実感しました。