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はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

新潟のそば

2006-05-12 20:35:36 | 旅日記
能登の知人Kさんに頼まれて、今朝早く二人で新潟に日帰り出張してきました。Kさんの車で往復約700Kmの道のりです。
古代、同じ越(こし)の国だった、新潟と富山の境には非常に険しい難所:親不知・子不知があり、陸路交通を阻んでいました。
現代では、高速道路で26本のトンネルと橋でここを難なく越えてゆきます。上の写真は、朝8時頃の親不知(おやしらず)IC付近ですが、高速道路の一部が海にせり出していることがお判りになれますでしょうか。

能登から余裕を含めて5時間を見込んでいましたが、氷見・高岡での渋滞にも巻き込まれず、順調に走れました。Kさんは、何でも上越から北を走るのは初めてだそうです。私は新潟へ行くこともあるのですが、便利になったとはいえ、この距離を一人で日帰り運転するのはやはり酷。Kさんの車は最新式のナビ付きオデッセイですので、私の役目は運転補助と新潟での会議の後方支援です。

余裕を持って現地入りしたメインの午前中の会議は、新潟の方々が素晴らしい方ばかりで、Kさんの心配は全くの杞憂。心配性のKさんもさすがに安心された様子です。

さて終わると12時前ですが、今朝早かったのですっかりお腹も減っています。昼食はどこにしようと地理不案内のKさん。実は高速道路を降りる直前の黒崎パーキングエリアで、「新潟の蕎麦新潟の蕎麦」なる地元出版社による案内本を既にゲットしていた食いしん坊の私(^^;ゞ。10日に交通博物館名残の旅の際に訪れた「神田藪蕎麦」さんをお訪ねした余韻が忘れられなかったのでしょうね。(^^;;;;ゞきっと。
新潟の蕎麦といえば、小千谷十日町に代表されるフノリ(海草)をつなぎに使ったヘギ蕎麦が有名です。私も一度十日町に仕事で御邪魔した際、地元の方に連れられていただきましたが、独特のツルリとした食感が印象的でした。

しかし午後のアポイントまで2時間近くあるとはいえ、新潟市内からでは遠すぎます。市内でどこか良さそうな蕎麦屋さんが無いか件(くだん)の本をめくっていると、むむっ!「蕎麦を食べるのが趣味で食べ歩き、理想の蕎麦を作るため『安曇野翁』で修行をした…」という件(くだり)が目に飛び込んで来ました。
安曇野 翁店舗情報)といえば、かの有名な蕎麦打ち名人の高橋邦弘氏による翁達磨グループの一つ。
これはお訪ねせねばなるまいて。ところが、なにやら場所が判り辛い。でも今日は最新ナビ付きの車だから、大丈夫。と早速この本を買い求めた次第。

あが家さんの暖簾土地感が鈍るので自分の車にはナビをつけていませんが、さすがにこういう時は助かります。
ナビに導かれるままに新潟市役所付近から約20分。目的の「あが家」さんがありました。一見3階建ての今風のおうち。
玄関には靴箱しかなく、スリッパに履き替えて直ぐに階段で二階へ。


店内と大きな窓から望む阿賀野川の景色明るい店内は窓が大きく、向こうには阿賀野川が一望できて綺麗です。
このお店に導いてくれた「新潟の蕎麦」に、とても賑やかな笑顔が出ていた女将さんが、愛想良く迎えてくれました。

天盛そばKさんと、天盛そば・田舎そばをそれぞれ1枚ずつ注文します。さすがに女将さんは御分かりで、すかさず「それでは田舎そばは少し後からお持ち致しましょうか」。それは有り難いと御返事します。
御品書きの他に店主からの言葉書があり「当店の蕎麦は添加物が一切含まれておらず、当店オリジナルの製法で、自家製粉し、手打ち仕上げした蕎麦です。その為、蕎麦の延びが大変早いので、テーブルに出ましたら早々にお召し上がり下さい。(蕎麦は茹で上がり二、三分が一番おいしいといわれております。)」とあります。
建物内全面禁煙、スリッパに履き替えに重ねてこのメッセージ。御当主が如何に蕎麦を愛し、真剣に打っているか伝わります。私も大の蕎麦好きで、学生時代に越前おろし蕎麦(もちろん手打ち)のお店で働き、遂にはその店のご主人に代わって打たせてもらうまでに育てていただきましたので、このような御当主の心意気は良く判ります。

蕎麦を味わう時に欠かせないコシ・香り・味といわれますが、「蕎麦のあまみ」も重要です。これを判っていただくことが難しいようですが、こちらの蕎麦は特に「あまみ」が良く判る美味しい蕎麦でした。

大満足の蕎麦を頂き、午後の訪問先に近い新潟伊勢丹で時間調整をしました。Kさんが靴を見たいというので紳士用品フロアーに行きますと、偶然財布の話になりました。
さる筋では高名というN先生に風水の見立ての基本を習ったことがあります。先生による「財が廻る財布」のポイントをKさんに説明し、私もそれを身につけるようになって善かった事などをご紹介すると、急に興味が沸いたようです。売り場を探してみると、なんとぴったりの財布があるではありませんか。「これはご縁」とKさん、早速御買い上げ。「伊勢丹・営業の君に騙されたと思って…」などと人聞きの悪いことを。こちらは親切のつもりなんですけど…。(^^;ゞ
その後、午後の予定も全て終わり、帰りの車の中で、Kさん仕切りに財布を撫でています。よほど嬉しかったご様子。良いことがありますように。

帰りの高速道路は、私が主に運転しました。上越に入ると妙高山には残雪が。近くの里山には色々な緑色がちりばめられています。緑色って、こんなにもたくさんの色があったんだ。と毎年思わせてくれるこの時期が、とっても好きです。

やがて富山県境の26本のトンネル地帯に差し掛かると、Kさんは急に「そういえば、覆面に会わないね~」と妙なことを言い出します。これは、あり難い。こういう何気ないけど、唐突なメッセージは重要です。それを忘れた頃に現実になる前兆と思うことにしています。
案の定、しばらくすると話題の御車が現れました。注意を払っているとそれと判るものです。私の後ろに入りましたので、いつもに増して安全運転、安全運転。
しばらく走っていると、二台程すうっと追い越していきます。あらら、駄目じゃないですかぁ。そんなにスピードを出しては。この区間の制限速度は80Km/hですよぉ~っ。後ろの御車は、早速そっと追いかけてゆきます。
それ御覧なさい。運転にはくれぐれもお気をつけあそばせ。

お蔭様でその後、何事も無く私たちは能登に戻って参りました。


明日はまた、早朝から名古屋に向かいます。活躍中の女史お二人と家内とで、T先生をお訪ねし二人をご紹介差し上げます。
都会の中の田舎暮らし。彼女達は、そのご自宅を見てどのような反応をするのか。今から楽しみです。

新潟へ

2006-05-12 05:34:23 | 旅日記
知人のKさんに、どうしても同行を依頼され、今から新潟に向かいます。
こんなに早朝に起床することは滅多に無いので(^^;記念に時刻をブログに刻みたくて…

おっと、Kさんから10分後に到着との迎えの電話。早いなぁ。

急いで着替えて、これから新潟まで高速道路をひたすら5時間。
11時~14時まで会議をして、帰りは19時頃かな。

では、いってきまぁす~

さよなら交通博物館

2006-05-11 22:09:39 | 旅日記
神田にある交通博物館が、5月14日を最後に閉館します。完全閉館ではなく、約1年半後にさいたま市で鉄道博物館として再出発するのですが、旧万世橋駅跡地での独特の展示はこれが見納めになります。

先月、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線乗り収めの旅(旅日記はこちらをどうぞ)を計画する際、前後で東京によって交通博物館も見納めしようとしたのですが、日程と予算が合わず断念。そうこうする内に閉館日がどんどん迫ってきます。
そこで、最終週中ほどの10日、またまた仕事を休んで東京に(^^;。懲りない元鉄道少年。
数週間前、時折東京に出張するという知人から北陸発の首都圏往復フリーきっぷを紹介されました。首都圏が乗り放題の上に、普通は22,320円(金沢発着)ですが寝台B個室にも乗れます。さらに4,000円ほどの追加で往復ともグリーンにも乗れるとのこと。普段グリーン車は利用しませんのが、疲れにくいこととお値段につられ、この切符で行くことに。

前日、夕方からの会議を済ませ、そのまま金沢駅近くの時計駐車場へ。この駐車場は切符を買う際に申し出れば、24時間が800円になる最大3日間まで有効の割引券をいただけます。パークアンドレールライドというわけです。

黒百合さんの店構え寝台特急北陸出発の22:18まで小一時間。金沢駅商店街の金沢百番街で食事をとります。駅前で食事をすることはあまりありませんので、ちょっと迷いましたがおでんが美味しい「黒百合」さんの暖簾をくぐりました。観光や出張で金沢にこられた方は、金沢でおでんを食べることはあまりないかも知れませんが、列車の出発時刻までの時間調整とかねた食事ならこちらをお勧めします。そして、是非食べていただきたいおでん種が二つ。お麩とバイ貝です。こちらのおでん種はどれも大きく食べ応えがありますが、とくにお麩は、車麩を半分にしただけのため巨大。美味しい出汁を一杯吸って、これがまたたまりません。また、バイ貝はこちらでしか食べられない巻貝です。このおでんが、また美味い。


左:夜行急行能登、右:寝台特急北陸さて、駅に戻ると駅ビル工事のため遅くまで開いていたコンビにも無く、キオスクは時間が遅く既に閉店。自販機にアルコール類は見当たりません。改札をくぐってみても同じ。ホームには既に寝台北陸が入線しています。乗り込んでみましたが、かつてあったはずのビールが車内自販機からも消えています…。「もうちょっと飲みたい」という呑んべ根性は敢え無く物理的に観念。こうなったら酔いが醒めないうちに寝るに限ります。
特急北陸のB個室下段切符をお願いした代理店担当の好意で、上下ある個室の下段が今夜の寝床。上段よりは個室内がやや広いです。ところが、後で判ったのですが、上段個室の方がドアを開け閉めするたびにかなり響きます。いつもは多少狭くても窓からの眺めが良い上段を取ってもらっていましたので、これは意外。やはりこれからも上段にしようっと。

上野行き寝台北陸は早朝6:19に上野に着きます。早すぎるんですよね~。交通博物館は9:30開館ですから約3時間。今回に限らず出張の際でも同じですが、早朝の東京でどうやって時間を潰すか結構悩ましい問題です。そんなニーズは私だけでは無かったようでネットに聞いてみるとちゃんと答えがありました。この情報を頼りに御茶ノ水駅と交通博物館の間にある神田アクアハウス江戸遊で8時まで入浴することにしました。
秋葉原駅を降りると霧雨。傘を差そうか迷うような雨です。
総武線の高架下を御茶ノ水方向に歩き、ホテル聚楽の案内矢印に従って歩くこと5分。区営住宅とある建物に江戸遊がありました。こちらはスーパー銭湯とサウナの中間のような感じです。綺麗なので女性も安心して使えそうです。早朝5時から閉店の8時までは朝風呂コースとして400円なのも魅力。
湯船の一つには二股温泉とあります。北海道長万部ちかくの二股温泉の湯の花を使った人工温泉(特許)と謳ってありました。この湯船は40度程なのでゆったりできます。足の裏を自分で手もみしていると、普段如何に体を酷使してきたか感じられます。時にはこうやって体を労ってあげるひと時を持ちたいものです。もし魂があるとしたら、肉体という乗り物のお蔭でこうやって、この世に居られるのですから。

交通博物館事前の情報収集による想定では、朝風呂後の時間調整残り1時間半は、朝7時からやっている近くのスターバックスで朝食をとりながら過ごすつもりでした。が、気になって交通博物館に行ってみると既に20人ほど並んでいます。こりゃいかん。毎日先着限定で硬券の特別記念入場券を配っているので、列に並びます。後ろに並んだ方に荷物を頼み、コンビニで急遽朝食を調達。コンビニおにぎりの立ち食い。(^^;
東京は、この日あいにくの雨。傘を差して並ぶ人は見る見る増えて歩道に溢れます。警備員さんに並び方を変えてはどうかと持ちかけてみますが、もっと酷い雨の日でもこの並び方なのだそうです。道行く人にも迷惑だと思うのですが、彼らにとっても列が乱れて順序不明になる方が困るよう。仕方なく引き下がります。列の最後尾がどこまであったかは知りませんが、事前に券売機で入場券を買うよう指示かあり、これに並んだ人を見るとざっと百人は超えているようです。明らかな鉄道少年風の若者を始め、我々世代やお年寄り、アベック、女性おひとり、まだ歩き始めたばかりの幼児連れのおかぁさん…。雨の中をみなさん、お疲れ様です。

9:30開館をほんの少し前倒しして、いよいよ入館です。件の硬券の記念入場券もしっかり頂きました。
懐かしいC57 135本や雑誌の写真では見ていましたがこれが本物かぁ。いたいたC57 135。何年振りでしょう。こいつと会ったのは。日本最後の旅客列車を室蘭本線で牽いた蒸気機関車で、その姿を撮りに無人駅者で一夜を明かしたのでした。なにか、古い知り合いに再会したような感慨がこみ上げてきます。
人が少ないうちに、撮りたい角度からの写真を撮って行きます。1時間も経たないうちに人がどんどん増えてきます。修学旅行生や、小さい孫をつれた若いおじぃちゃんとおばぁちゃん、大きなお腹を抱えながらも立派な一眼レフカメラを首から提げた子供連れのおかぁさん、杖をついて歩くのがやっとという感じのおじぃさん。デートと判る若いアベック。結構一人でお越しの女性が多いもの意外でした。多くの人々に愛されているのだなぁと思うと鉄道少年としては、処によってすれ違えないほどの人ごみも嬉しく思えてきます。
鉄道模型の運行に人だかり10:30、この日第一回目の鉄道模型運行会は超満員の人だかり。最前列には黄色い帽子の幼稚園児の一団が。保育士さんに連れられてきたのですね。その後も人は増え続けていきます。

列車運転シミュレータに並ぶ人たち電車や新幹線の運転シミュレータはいくつかあるのですが、どれも順番がついています。私の鉄道趣味は父からはよく幼稚とからかわれますが、中々どうして電車の運転手になりたかった人々は女性から高齢者まで意外に多いのですぞ。
館内には休憩用の椅子もかなりあり、時代ごとの客車の椅子などにも座れるので、ゆっくりしながら見物するのにはあり難い配慮です。

身よ!このベビーカーの量。お土産の売店も黒山の人だかり、さよなら交通博物館のDVDを求めます。最後にもう一度全館を廻って、名残を惜しみます。出たのは14時少し前。玄関先も人だかりでした。

早くから起きているのに、ちゃんとした食事を取っていないのと、昼時を外したので少々ふらりとするくらいの空腹。事前に調べておいた老舗の「神田藪蕎麦」に伺います。詳しいレビューはこちらに譲りますが、味わいのある素晴らしいお店でした。

名店の風情に思わず頂いてしまった生麦酒2杯のせいで、ほろ酔いです。
残りの時間は秋葉原で掘り出し物の物色。品揃えのある大型店で製品を比較し、品番を決めたら歩き回って値段など条件の良い店を探します。

かつては電気回路の部品店街だった秋葉原も家電、コンピュータと時代と共に様相を変えてきましたが、最近ではちょっとアブナイ(?)お宅系アニメだとか。噂では、フリルだらけのモノトーンで高貴な邸宅の召使っぽいエプロン姿の店員が、「いらっしゃいませ」ではなく、「お帰りなさいませ。ご主人様」といって迎えてくれる喫茶店があるとか、ないとか…。私の目にはそんな店見当たらないんだよなぁなどと思いながら(入りたいと思っていません。念のため)歩いていると、でましたぁ!!なんと初めて現物(失礼)に遭遇しました。
猫の耳、すその広がった黒のスカート、フリルだらけの白いエプロン。そしてちっょと間の抜けた感じの化粧と、メガネ。完璧にその筋のアニメと同じ、有り得ないレベルの究極ぶりっ子スタイル。「すいません。記念に写真撮らせてください」と言える勇気も無く、すれ違って行きました。噂はほんとうだったのか…

気を取り直して物色を続けますが(これも相当お宅っぽいかも)、気づいたら新幹線の出る時間に間近。慌てて秋葉原駅に戻ります。

帰りは、新幹線、在来線共にグリーン席です。やはり疲れにくいですね。贅沢と思い込んで使うなどと考えたこともありませんでしたが、航空機往復と値段的に変わらず、ゆっくり本も読めます(寝たら無意味ですが)ので、中々これも良いものです。

外は、だんだん暗くなっていきます。
こうして早くも交通博物館の名残を惜しむ旅も終わりに近づいていきます。

金沢駅を出て23時間後に戻ってきた時、今度は金沢に雨が降っていました。

写真部だった頃:亡き先輩に寄せて

2006-05-07 23:17:01 | 旅日記
ブログを始めて未だ日が浅いのですが、ご縁が広がるものですね。

ひょんな事から庭花さんのブログと行き来をさせて頂いて、今から30年近く前、中学・高校と6年間写真部に在籍していたことを懐かしく思い出しています。

当時北海道にいました。
中学の時は、大好きな蒸気機関車が現役で、単身外泊禁止という校則を完全に無視してカメラバックを担ぎ、無人駅に野宿したり、夜行列車の上下行き違いを利用したりして、道内を撮影行脚していました。

昭和50年頃だったと思います。蒸気機関車C57 135が最後の列車を引いて室蘭本線を走り抜けのたは。
大人に混じって、やはり徹夜で撮影ポイントを確保しました。
その罐(かま:蒸機のこと)は今、東京神田の交通博物館に展示されています。

進学した高校は、学年10クラスある大きな学校でしたが、写真部は極少数。
蒸機にかわって撮りたい被写体も見つからず、過去に撮ったネガから印画紙に色々な技術を使って焼き直す事ばかりやっていたように記憶しています。

一年先輩のAさんも蒸機が好きでした。

私が二年、先輩が三年の年の文化祭。
二人だけの写真展をしようということになって教室を借り切り、パネルに思い思いの自称「傑作」を焼いていきました。

二人展のタイトルは「仄(ほの)かなる煙のにほい」

賑やかな文化祭の陰で、二人の地味な出展には極ささやかなご来客だったと記憶してます。
その中に、眼鏡を掛けた女性がゆっくりと見ていかれたのを今でも覚えています。
記名簿を見ると、一学年上の方です。先輩は何故か判りませんが不在だったはずです。蒸気機関車の写真など女性の趣味とは思えないので不思議に思い、記憶に残っていました。

やがて春。先輩は卒業して行かれました。
確か東北の大学だったと思います。

一ヵ月後、写真部の部長をして頂いていた先生から、思いがけないことを伺いました。
大学でワンダーフォーゲル部に入部した先輩が、山で亡くなった、と。
ショックでした。つい一月まで元気だったのに…。

その後の詳しいいきさつは覚えていません。
ただ、写真部長の先生から強く勧められて二人写真展での展示作品を集めた写真集を作ることになったことだけは覚えています。

印刷など及びもつきませんから、全て手作りです。
先輩のご自宅に伺い、ネガをお借りして、記憶を辿って一枚一枚印画紙に焼いていきました。手製による製本の仕方は部長先生から教えてもらいました。

見開きには、先輩の遺影と私の顔写真。二人展に寄せた二人の思いを書いた模造紙の写真も見つかり、載せました。

問題は、表紙でした。
今思えば、もう少し気の利いたデザインにするべきでしたが、写真が全てモノクロだったためもあり、黒地にやや黄色味を帯びた二人展のタイトル文字だけで構成しました。
部長にも了解を得て、刺繍が得意だった母に頼んで3枚作ってもらいました。

製本したのは全部で三部。
先輩のご遺族と、部長先生と、私の分です。
表紙をつけたのは、そのうちの二部。
かなり手間を要したことと、何故か気ぜわしかったため、自分の分の表紙は後回しにしていました。

完成して写真部長に持っていったとき、あの時の女性がいました。一年上の眼鏡の人。
何を話したかは覚えていません。彼女もあまり多くを話されなかったように思います。
それより刻まれているのは、彼女が先輩のことをどれほど想っていたか、ということです。
今更ながら悔やまれるのは、三部とも完成させて三部目は彼女に差し上げるべきだったこと。

表紙だけが無い手製二人の写真集が、今でも押入れのどこかにあるはずです。

能登の一大祭礼:青柏祭の人形見

2006-05-03 17:44:19 | 旅日記
昨日は、青柏祭(せいはくさい)の前夜祭とも言うべき、人形見。
家族で出かけました。

青柏祭は、能登半島の中ほどにある七尾にかなり古くから伝わる祭です。
その祭りの曳山としての「でか山」は今から400年前に始まったといわれています。
人形を飾る前のでか山でか山は、20tもある大きな山車で日本海交易で栄えた能登ならではの舟形をしており、昭和58年に重要無形民俗文化財に指定されています。三町のでか山は紋によって見分けられます。丸に「山」が鍛冶町、丸に「二」が魚町、三つ巴が府中町です。この写真のでか山は、丸に山の紋(写真右上)ですから鍛冶町さんです。写真から、車輪も人の背よりも大きいことがお判り頂けると思います。
でか山には歌舞伎のワンシーンを表した飾りを施すのですが、一旦運行が始まると間近に見られないため、人形を地上で見せるのが人形見なのです。
通常、直前の一年間に新築・開店・嫁入り・誕生など慶事のあった家で行われます。
人形見を行う家は、一晩中開放して披露するので、人形宿と称されます。
でか山は鍛冶町(かんじまち)、魚町(いおまち)、府中町(ふちゅうまち)の三町が運行し、人形宿は各町三軒となっています。

昨晩の人形見ツアーは、祭りの中心である山王神社から始めました。
山王神社こども木遣り丁度、子供木遣りのライブをやっていました。木遣りは、山の運行には欠かせない謡いですが、それを子供がするのが子供木遣り、保護者の方々は真剣にビデオカメラをまわしています。彼らも大人顔負けに謡います。山王さんでの子供木遣りに選ばれるのは、極僅かなため、これも非常に名誉なこととされています。このようにして次代の担い手が生まれていきます。
四半世紀前に能登に婿入りし子供の頃から馴染んでいない私には、節回し、歌詞など一切不明ですが、思わず喉を震わせて唸る真似をしてみたくなるのは、何かしら日本人のルーツを思い起こさせる何かがあるからでしょうか。

人形は、遊女おかる。女性の人形はあまり見かけなかったような…
右手奥、今年生け花をしつらえているのは、知人のUさんでした。彼女らしい豪快な古流。見事です。
まず、こちらで振る舞い酒を2杯頂きました。

続いて市内の人形宿を訪ね歩いていきます。

普段、市内は人影も少ないのですが、青柏祭が行われるこの時期ばかりは賑わいます。
人形宿の路地には木遣りの声が流れ、路地角の隠れた宿でも大体の場所が判ります。たとえ、暗くても、七尾の町は今のところ極めて安全なのでご安心を。

ほの暗い提灯の明かりと行き交う人々。人形宿の前でだれかれ構わず振舞われるお神酒。日本の祭りの原点を今に残している数少ない祭りの一つではないでしょうか。

織田信長の人形宿この人形宿となるのは、非常に名誉なことなのですが、かつて人形宿を経験したことがある知人の話によると、単に人形を飾るだけではなく、座敷に庭をしつらえるため、わざわざ名古屋から庭師を呼び、招客への接待御膳、見物客への振舞い酒、お土産品など一切含めて、たった一晩のための経費は100万円を超えたとか…。金額は、聞き間違い・入力間違いではありませんので、念のため。今年も織田信長の人形宿は豪勢でした。
かつては民家が宿となることがほとんどのようでしたが、世情もあり今では公的な場所が多くなってしまいました。派手が過ぎるのも考えようです。
どれほどのしつらえ、接待をするかに決まりはないようで、人形宿のご亭主の考え方に拠って構わないのですが、世間の常として徐々に負けん気・見栄が出てくると派手になる一方で、歯止めがかかりません。これが逆効果で人形宿を引き受ける家庭が減るのは、残念なことです。

地元の信用金庫さんも本店が新築となり、人形宿に。
今年も4月29日から始まった花嫁のれん展で一躍有名になった一本杉商店街の近くでもあるので、店内には花嫁のれんも同時に飾ってあり、大変な人でにぎわっていました。二階のギャラリーには、話題の山之内一豊の人形が(この記事トップ写真)。ここでも、御神酒が振舞われています。
そればかりか、普段は銀行窓口の待合であるスペースにテーブル・椅子が出され、缶ビールとオードブルも振舞われています。調子よく酔いがまわった御客人からだれとなく、木遣りが始まりました。ほんとうに地域に愛されている祭りだと沁み沁み感じた次第。

こちらの信用金庫さんでは、早い間、お土産に「ながまし」が配られていたとか。祭りに欠かせないお菓子が「ながまし」。街中の和菓子屋さんではどこもありますが、この時期だけ。赤と緑の二種類です。餡は大抵漉し餡のようですが、一部に粒餡のお店もあります。一本杉商店街にある北島屋茶店さんのこちらのページの下の方に、ながましの薀蓄・由来が記されています。

青柏祭は、伝統的な日本の祭りの例に漏れず、かつて5月13日から15日と日取りが決まっていました。これでは毎年曜日が変わります。
元々西洋の風習であった七曜(日月火水木金土)が定着してしまった今日、旧来のままでは地元が誇る祭りも行く末がない。そう判断したリーダが、とてつもないことを考えました。「400年以上続いた祭りの日程を俺が変える。」神事を変えようという実はこの後が大変な事態だらけだったそうですが…
十日ほど早めればいわゆるゴールデンウィーク。今までの七尾市内。ゴールデンウィークには人っ子ひとり居ませんでした。ところが青柏祭の日程をかえた現在、人であふれかえっています。忘れかけていた祭りの価値。地元の人々は来訪客の多さにも応援されて、見直しつつあります。

鳥居醤油店さんと花嫁のれん信用金庫さんから一本杉商店街にある人形宿へ。途中、各お店のショーウィンドウから花嫁のれんを拝見しながら歩きました。中でも国登録有形文化財にもなっている鳥居醤油店さんの花嫁のれんは素晴らしいものでした。

個人的には、これから一大祭が始まる前夜のある種静かで、でも人々が行き交うこの人形見が一番気に入っています。
神秘さと色気(艶やかさ)と。
やっばり祭りは夜に限りますね。

あちらこちらの人形宿で、些か御神酒をよばれ過ぎました…。


私のような下手な腕では伝えきれるものではありませんが、腕に覚えのある写真家の方々の手にかかれば、もっと素晴らしい能登の祭り、青柏祭のワンシーンが切り取られると思います。
日本の多くの祭では、観光客の参加はできません。女性の参加もできない祭も少なくありません。その中で、でか山は誰でも綱を引いて参加することができます。
ただし、履物・服装には十分ご注意ください。サンダル・ミュール・スリッパ・下駄など「かかと」のない履物での参加は、非常に危険です。

大体でか山の運行は例年変わらないようですが、最新の情報は七尾市役所観光課(0767-53-1111)でご確認を。
次のサイトでも薀蓄や、でか山についての情報が見られます。
青柏祭でか山保存会
府中町青柏祭ファン倶楽部

さぁ、今晩から、でか山が動き始めます。