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はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

展示会とたこ焼き

2006-05-19 22:38:41 | 旅日記
昨日から、石川県内のIT業界の展示会が始まりました。



会場全景
私の勤め先はIT企業でもないのですが、何故か業界団体に参加しているので、ちょっと覘いてきました。

こちらでも今年の7月から地上波放送のデジタル化が始まりますので、放送局からの出展もあり、NHK金沢局も含めた各局の女子アナさんたちも居て、華やかでした。それにしても、画面で見るのと本物(失礼)を拝見するのとでは、こんなにも違うものなのですね。身内が女優さんを見かけたがTVよりも断然綺麗だったと言っていた違いの差がよく判りました。

さて、感心したのは、会場全景写真の中で青地に白く「u-Style ISHIKAWA 2006」と書かれたテーマブースでした。こちらでは、uをユビキタス・ユニバーサルデザインなど4つのサブテーマに分けて展示していたのですが、中でもユニバーサルデザインの商品に驚きのものがありました。

トップの写真から。
右手前のちょっと変わった形のはさみは、親指が不自由でも使えるものです。
その下のノートは縁が斜めにカットされていてめくりやすくなっています。
その上側のものは、力が無くても使えるホチキスや鋏。
やや左手の円盤に線が入ったものは磁石で、これも力が無くても指で挟めば簡単にとることができる優れものです。
一番左端のムカデのようなものは、握力が無くても外しやすくなっているコンセント。

どれも障害をお持ちの方や、力がなくなった高齢者でも使えるものばかりで、大手文具メーカーさんなどから売り出されているそうです。

2点支持ができる杖こちらの写真のは、手と肘の2点で支えることができる杖。
中々良く考えられています。

バリアフリーデザインやユニバーサルデザインは、障害を持った方々のためのものと勘違いされやすいのですが、実は「だれにも使いやすいデザイン」の方が正しいものです。
よく見かける障害者用トイレなどは、本当は健常者と障害者(どちらも好きな言葉ではありませんが他に適当な言葉がありませんので)を分離しているという点で、本当のバリアフリーにはなっていません。我々と障害をお持ちの方とを区別するのではなく、その間のバリアを取る(フリーにする)のがバリアフリーの考え方で、この考えに従い、分け隔てなく使えるものをデザインしようというのが、ユニバーサルデザインと思っています。

このような商品は、我々も怪我をしたり、妊婦になったり(僕がなるのではありませんが…)、高齢になったりしたとき、お世話になることもあるはずで、若いときから関心を持っていただくと本当は良いと思うのですが。
ユニバーサルデザイン・バリアフリーデザインの商品を始め、安心と輝きの生活を応援する検索とコミュニケーションのサイト暮らしあんしん館でも感心するものが紹介されています。

石川新情報書府ブースさて、この他にも加賀・能登・金沢:石川の文化・伝統を紹介する石川新情報書府というものを石川県がやっていますが、そのブースもありました。
漆器にのみ刀で傷をつけ、その凹みに漆を入れて金粉・金箔を刷り込む沈金の技法は、傷をつけるだけに一度も失敗が許されないものであるとか
江戸から明治に変わった維新は、いきなり日本が統一されたのではなく、その前に加賀・能登の船主が多かった北前船で北海道をはじめ全国の物資が行き来し、通貨も徐々に統一されていたことが、政治的統一を可能にしたこと
(富山の売薬さんが北海道の昆布を薩摩・琉球を通じて中国に売り、かわりに漢方に欠かせない麝香を入手していた逸話は知る人ぞ知る国際密貿易です)
など、日本の文化や伝統工芸が果たした裏話もわかり、奥が深いものです。
こちらに旅行を企画される際、事前に情報を仕入れておくと、違った角度から旅も眺められるかもしれません。

この後、交流している韓国のテグ市とのビジネス交流会に出たのですが、その際以前から面白そうな方だと思っていた韓国某社の研究所長さんから「見えない世界」のお話を伺えて、意気投合をしてしまいました。人はこれから何をしようとしているのかなどなど。もし、ご興味がおありの方は、こちらこちらのバシャール関係の本(精神世界系です)等をどうぞ。所長さんはバシャールのことをご存知ありませんでしたが、話されている内容はほぼ同じでした。
通訳の方は韓国から来られた金沢大学の留学生の方でしたが、この辺りの話題にも興味があったらしく、汗を滲ませながら熱心に通訳してくれました。内容が内容だけに大変だったと思います。お疲れ様でした。

たこ焼き二次会は、例によってKちゃんの店に。その後、アナウンサーのK氏とuさんと三人でたこ焼きを食べに行きました。
私は、熱いものでも口に入れて火傷をしないで食べられるのですが、一つ丸ごとおおばったら、これは熱い!歯で支えて空気を入れて冷まそうとしたら、uさん突然手で私の口をふさぐのです。これでは冷却できず、口の中は大変!uさんはニヤニヤ笑っています。慌てて逃れて麦酒を呑みましたが、時既に遅し。上あごの皮は破れるし舌も痛いし、(;_;)いい歳をして本当に困った奴です。
どうも話を聞くと彼も誰かにこれをやられたらしく、鴨を探していた模様。何も知らずぴったり鴨になってしまった私。(^^;ヾいゃぁ悪い友人を持ったものです。
良い子は絶対に真似をしないように。

家内に言わせると「何かいたずらしてやろうと眼をキラキラさせている人」が私の周りに多い(私自身もその一人らしい)そうで、uさんも紛れも無くこの一味。
懲りて、その後はたこ焼き丸ごとはせず、取り皿の上で小さく分けていただきました。皆様もどうぞお気をつけください。

写真の奥が大人のたこ焼き(生姜いり辛口)。手前が子供(甘口)だそうです。

とんでもない落ちがついた一日でした。

農連市場とぶくぶく茶

2006-05-17 22:08:26 | 旅日記
昨日、沖縄の知人Tさんから小包が届きました。

封を開けると「沖縄市場」という雑誌が3冊。「つくる人と食べる人をつなぐ、くらしの食マガジン」とあります。Tさん、私が食いしん坊なのをご存知でしたか。

最新号らしきVol.13の特集は「沖縄式お茶会なんていかがですか」。何の気なしパラパラめくっていると「うちなー茶屋ぶくぶく」さんが出ているではないですか!
那覇の壷屋やちむん通りからちょっと入ったところにある素敵なお店です。

ということで、今年の2月に沖縄へ行った時のことを思い出しました。

この時は、T女史(雑誌を送ってくれた方とは別な方です。沖縄には玉で始まる姓の方が多いので頭文字はみんなT(^^;)に誘われて、金沢からTさん(またTですね)、Aさんと三人で2月9日から3泊4日で沖縄に。
小松(金沢最寄空港)から那覇へは一日一往復しか飛んでいませんので、初日は那覇に着いたら後は夕方の前夜祭まで自由。ここからAさんは別行動。
一緒に行った沖縄始めての仲間とそのまま、国際通りをちょいと入って牧志公設市場へ。私とTさんは二回目のため、慣れたもんで二階の食堂にどしんと座り込んみ生麦酒をグィッ。V(*^^*)二時間ほどぼけーっと、呑んでましたかね~♪いゃ、語り合っていましたっ!(^^;ヾ

市場の横道はトトロがいるようなその後、観光コースではないところに行こうということになって、わざと横道に迷い込むと、あるではないですか。中々面白そうなところが。バラックのようですが食堂のよう。
こちらで一杯やっても良かったなぁ等と風に吹かれながら、やや小高い公園に上ると国際通りの裏側からシンボルの丸い塔のようなビルが望めます。それから桜坂劇場の前を通ったり、後から考えるとえらい遠回りをしながら、目指したのは農連市場

空港だったかでもらった地図に牧志以外にも市場があると記されています。何故か市場が好きな野郎三人は地図を片手にふらふらと。この地図がまた、ちょっと判りづらい。
ここが農連市場大きな通りを横切るはずだ、などと言っているうちに、ひょいと出ました農連市場。おぉここだ!ちょっと時間が遅かったようで、市場にはほとんど人影がありません。お店も大体たたんだ後。こりゃAさんも連れてこなくてはと下見をしっかりして、その日の自由行動は終了。仲間の宿はホテル日光さん。那覇高校の横から右に折れて国際通りに戻り、前夜祭会場へ。
この夜は地元の方と散々呑んで、沖縄ポートホテルに戻ったのは23時頃。Aさんが今度は有名なステーキハウスが近くにあるはずと言い出します。呑んだ後は蕎麦かラーメンが相場ですが、我々はあくまで探検家(Tさんは、落伍)なのです。
フロントに聞くと、なんとホテルの真裏。
Jacky's Steak HouseJacky's Steak Houseは深夜にもかかわらず大勢のお客さんで大賑わいでした。店内は、達磨さんの絵が無ければ、まるで西部劇のよう。さすがに一人前ずつは食べられないので、二人で一人前を頂きました。その御代、なんと1500円。スープも温野菜も、ご飯もついた立派で美味しいステーキが、この値段。二人で唸ってしまいました。

再びの農連市場さて翌日。今度はAさんも一緒に、再びの農連市場です。昨夜の反省から、午前中にうかがいます。が、やはりやや遅かった様子。それでも市場内はまだお店を出している人もいて、あれこれみて廻れます。何人かのおばぁさんと話し込んだりして時間が過ぎてゆきます。ここはゆっくり過ごしたい場所ですね。

その後、神原小学校の裏をまたまたふら~っと歩いて、裏道を選んで行きます。私は何故か方向感覚だけはちゃんとしていて、道に迷うことはあまりありません。初めての道でも行けてしまう変な能力(?)で、本人は「鼻が利く」と思い込んでいます。
さて、目指すのは、壷屋やちむん通り。横道側の新垣製陶所さんの前からやちむん通りにちゃんと出てきました。素敵な陶器をしばし眺め、文化財になっている建物を遠巻きに眺め(個人のお宅なので)ふと見やると「うちなー茶屋ぶくぶく 22歩」と木の札のような看板が石垣に。
うちなー茶屋ぶくぶく目を上げると素敵な御家。近寄ってみるとこれが「茶屋ぶくぶく」さんでした。
玄関先には「この木造住宅は1952年に建てられ、その後、沖縄で最初の親子ラジオ放送が始まった場所でもあります。」と書かれています。

素敵な店内そっと暖簾をくぐり、中に入りますと、とても雰囲気の良い店内です。もっと事前調査をしっかりしていれば、迷うことなくぶくぶく茶を頂くべきでしたが、残念ながら歩きつかれた三人のオジサンたちは、文化的な素養よりも、喉の渇きを癒す方を選択。
おいしかったジュースジュースなどを頂きました。こちらもとても美味しかったですよ~♪

沖縄でのこの後、またまた出逢いの連続だったのですが、それはいずれまた。

この旅路具のタイトルは、偶然出遭った二つの隠れた(?)名所への「次回また那覇に行ったら絶対また行くぞ~」との思いからつけました。

今度は「沖縄市場」という強い味方があるから、きちんと勉強していきまぁす。
ありがとう、うちな~(沖縄)のみんなぁ~(^^)/~

ちなみに「沖縄市場」で毎号連載の「県内直販所丸かじりライブ あぐり@めぐり」のレポーターをされている日奈子さんとは、この旅で知り合いに。彼女は、沖縄の情報をインターネットで配信するNPO法人調査隊おきなわで活躍されていますので、是非一度お立ち寄りくださいね~。
おぉ、やはりこの旅で出遭った汚れた沖縄の川の水を飲む男「ケンシー高平」さんも出ているではないですか…。相変わらず体張ってるなぁ、ぶつぶつ…

帰途の荘川桜

2006-05-14 23:10:33 | 旅日記
荘川桜と白川郷のご紹介をさせていただきましたが、その後、目的地の名古屋からの帰途も同じルートを辿り、今度はちゃんと荘川桜を見てきました。

2006年05月14日の荘川桜荘川桜は、御母衣ダムの建設によって湖底に沈む二つのお寺にあった2本の古い桜を、現在の場所に移植したのが、後に岐阜県指定天然記念物になったとのことです。(写真碑文)

御約束通り、戻って荘川桜(by J POWER)についても調べてみました。荘川桜物語には、改めて開発と保全についての万感がこみ上げてきます。荘川桜が移植された頃、私が生まれた前後のようです。荘川桜が移植された逸話のような救われる話が、時が下って経済効率化万能の世となって、ますます奇跡のように感じられます。

荘川桜の近くで咲く若い桜の枝と御母衣湖一人、桜を植えつづけたという佐藤良二さんについても、ドライブインみぼろ湖さんの佐藤良二さんについてに詳しく触れられていました。佐藤さんも荘川桜に魅せられた御一人だったのですね…。
若くして亡くなられたとは聞いていましたが、47歳だったとは。それこそ、身を削るようにして我々の世代に桜を残して逝かれたのですね。

16:30頃だったこともあり、私のカメラと腕のこともあり、あまり美しい写真ではないものしかご紹介できず、残念です。晴れをもとめてさんの荘川桜・白川郷の旅には大変素晴らしい御写真が紹介されていますので、是非どうぞ。

ハートの花びら

2006-05-14 23:04:12 | 旅日記
昨日、白川郷を越えて御母衣ダム・荘川桜を経て、名古屋に来ました。
今日は、一転して晴れ。

午前中は少しゆっくりして、なばなの里に行きました。園内にベゴニアガーデンという施設があり、美しいベゴニアが咲き乱れていました。
ハート型の花びらその中に、なんと花びらがハート型のベゴニアを発見!
木立性ベゴニア オレイ・シルバー・スポットと紹介されています。
施設内で紹介されているベゴニアと比べるとかなり小さめで、また展示されている場所も比較的目立たない処ですので、うっかり見過ごしやすいと思います。
色もピンクで、とても可愛らしい花でした。



ベゴニアの花この他、ガーデン内の花々を少しばかりご紹介します。



ベゴニアの花




ベゴニアの花




花




ベゴニアの花




やはり気温が低いせいか、バラは未だのようでした。

荘川桜-世界遺産白川郷を越えて-

2006-05-14 01:21:12 | 旅日記
かつて、合掌集落白川郷は訪れる人もまばらな静かな山里でした。
紅葉の時期に行楽客が通り過ぎるか、熱心な研究者が数少ない民宿に泊まるか、といったひっそりと、ある意味かなり寂れた状況だったと記憶しています。

ところが世界遺産に登録された結果、今では一転して連日大型バスで人が押しかけ、その悪影響によって早くも世界遺産登録を取り消されるかも知れないとの噂が実(まこと)しやかに囁かれています。

皐月・朝の白川郷世界遺産白川郷は、富山県西部を流れる庄川が刻んだ谷にあり、岐阜と富山県西部を結ぶ国道156号線沿いとなっています。

13日朝、白川郷に差し掛かったのは、8時半頃でした。まだ、観光客が押し寄せるには聊か早い時間。雨で増水してエメラルドグリーンとなった庄川の水面とともに、静けさが漂う合掌集落の朝です。

途中日本海側と、太平洋側とに川の流れが分かれる分水嶺があります。その、日本海側に向かって流れる川が庄川ですが、御母衣ダムという巨大なダムがあり、その前後の区間は山深く、大型車両同士がすれ違えない程小さなトンネル、スノーシェードが続く交通の難所です。
新緑の木々と雪解けで激しく流れる小川庄川に注ぎ込む小川の水量も多く、雨に濡れた新緑の木々の光景と共に、幾色にも重なる緑色の多様さと美しさに、思わず何度も車を停めて、眺め入ってしまいます。

このような国道156号線をかつて走っていた国鉄の路線バス名金線の車掌だった佐藤良二さんが、密かに思い立って、黙々と桜の苗木を沿線に植え始めました。このお話はNHKプロジェクトXにも取り上げられたそうです。最初に取り組んだ佐藤良二さんはやがて亡くなり、その遺志は二代目の方に受け継がれたとも聞いています。
一方現在、荘川桜として沿線の観光スポットになっている樹齢約450年の老桜は、ダム建設の際に移植されたそうです。あいにく、荘川桜の駐車場は既に観光バスで占拠されており、やや満開を過ぎた荘川桜は、トイレに列を成す人々の傍らで、ずっしりと枝と花びらを広げていました。
佐藤さんのお話と、荘川桜の移植の話のどちららが先かも含め、詳細はもう少し勉強してからまた、改めてご紹介させて頂きます。
いずれにせよ、この辺りでは、白樺と桜が混在する沿線の光景は、特に今頃の季節、大変美しいと思います。

御母衣湖沿線の桜散り行き葉桜となりつつある桜の枝々。生まれたばかりの清清(すがすが)しく透明な緑の白樺の葉。この両者の珍しい取り合わせに心を洗われながら、車を走らせて行きます。

やがて、東海北陸道が全通したなら、この区間の美しい光景も佐藤さんの志も忘れ去られるのかもしれません。

誰かに褒められる事を期待したわけでもなく、自らの意思で人知れず桜を植え続けた人の想いと行いは、迷い多き今日にあって、極めて高貴な志として、今一度共感の輪が広がって欲しいものだと、静かに感じます。

誰かのためではなく、自らの内なる想いによって突き動かされ、純粋に黙々と事を成してゆく。その直向(ひたむき)な姿に、何者にも換え難く、はやり廃れの時代の波にも関わりなく、何者にも犯され難い、真の強さを感じます。


高速道路は、そのような想いをよそに、庄川から峠を越え、東海地域の大平野へと高度を急速に下げ、大都会へと続いていきます。