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あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨ふりになりましたね。梅雨入りなのでしょうか。

2009-06-11 15:56:39 | 日記
高幡不動の紫陽花です。
菖蒲を取り上げていたら
あっという間に紫陽花になりましたね。
気持ちがついていきません。

99歳のみち・まどかさんが
朝日新聞の記事になっていました。
冗談いっぱいのじいさんって面白い。

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今日の万葉集

寿を願いて作る歌

水泡(みずほ)なす 仮れる身ぞとは 知れれども なほし願ひつ 千年(ちとせ)の命を

水の泡のようなはかない身だとは、十分に承知しているけれども、それでもやはり願ってしまう。千年の命のあらんことを。
そんな解説文がありました。千年の命が自分だけあったとしたらどうなのでしょうか。親兄弟関係する周囲の人が決めて、自分だけが残っている。もちろん、新しい関係ができるのでしょうが、不気味ですね。現実的な私は、そんなことを気にしてしまう。文学を理解するために、とび越えなければいけないことなのですね。

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夕べの風

風が吹いてくる夕暮れの坂道
ちょっと力を入れて歩いてみました。
雲が太陽を受けて光っている。
とても快調。
鼻歌を歌いたいけれど
ちょっと違った気分。
年をとると
夕暮れは親しい人に出会った気分になれますね。
あれこれ昔のことを思い出しては
「そんなものかな?」と呟いてしまう。
「まあ、まあだったかなあ」
「いや、これからだ!」
肯定したり、打ち消したり
そんな時期なのだろうね。
夕食の時間に遅れないように・・・
急ぎ足になりました。

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「Dr診療所」を見てました。
お別れ会のシーンで音楽が流れてきました。
いつものように聞いていたのですが
今日は歌詞が入ってきました。
素朴だけど力強く歌詞であり
メロディーなのでいたく感動しました。

BELIEVE

【作詞・作曲】杉本竜一


1.たとえば君が 傷ついて
  くじけそうに なった時は
  かならずぼくが そばにいて
  ささえてあげるよ その肩を
   世界中の 希望をのせて
   この地球は まわってる
   いま未来の 扉を開けるとき
   悲しみや 苦しみが
   いつの日か 喜びに変わるだろう
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

2.もしも誰かが 君のそばで
  泣き出しそうに なった時は
  だまって腕を とりながら
  いっしょに歩いて くれるよね
   世界中の やさしさで
   この地球を つつみたい
   いま素直な 気持ちになれるなら
   憧れや 愛しさが
   大空に はじけて耀(ひか)るだろう
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

   いま未来の 扉を開けるとき
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる 


素朴で力強い曲ですね。
ドラマの中でも効果的に使われていました。

 

紫陽草や藪を小庭の別座敷  芭蕉

2009-06-11 05:24:16 | 日記

高幡不動の紫陽花

紫陽花は「紫陽草」とも書くのですね。
どこでどういうわけで使い分けるようになったか分かりませんが
面白いですね。

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紫陽草や藪を小庭の別座敷  芭蕉

江戸時代のそこそこの屋敷の気配ですね。
芭蕉には、上層階級の趣味的な背景を強く感じますね。
教養人の人が周囲にいっぱいいる
そんなことを感じますね。
それはそれで面白いですね。

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朝の風

梅雨入りしたようです。
でも、戦後の梅雨はもっともっと長かったような気がします。
それはきっと、子どもだったころは
雨が疎ましかったからかもしれません。
私が幼いころ、今のように
紫陽花の名所など聞かなかったですね。
まだ、食べるのに手いっぱいで
花を観賞したり
育てたりする余裕がなかったのですね。

そういえば、
貧しい家の子は傘といえば番傘
不思議ですね。
番傘専門の店がありましたね。
傘屋では提灯も扱っていますたね。
「傘屋」
今の時代、専門の店は少なくなりましたね。
その番傘に名前が書かれていました。
それが当たり前だったのですね。
長靴を履いて水たまりを選んで歩いていた記憶もあります。
今の傘は「コウモリ傘」と呼んでいました。
今は逆転して「番傘」は高級品ですね。
今は温泉旅館以外で使っていますかね?

雨の日、最近は長靴を履いて歩いた記憶がありません。