あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

さすらひの旅に出る鼻緒を立てている   放哉

2009-03-31 06:50:12 | 日記
神代植物園の櫻のトンネル

この櫻のトンネルを抜ける楽しさは
例えようもない。
きらめくような陶酔感もありますし
浮遊感もあるのです。
この紀貫之や西行でなくても
待ちきれないし
人生を見てしまう恐ろしさも感じてしまうのすね。
この感覚
日本人の血に流れているもの。
日本人でよかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

空はるる雲なりけりな吉野山花もてわたる風と見たれば

【通釈】
 
 空が晴れてゆく時の雲であったのだ。吉野山を、桜の花を含んで渡る風と見ていたら・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 櫻そして吉野山があれば待てない苛立ちと吹く風があれば西行の春の歌はできあがってしまいような喜びようですが、思えば、桜の名所として本格的に手入れをしたのは最近のことで西行の当時は、ほとんどが「山桜」であり、観光用に集中して植えたり、管理しているはずもなく、西行が感動している櫻の景色と我々が観光地で見る桜とはだいぶ違うのでしょうね。それぞれにそれぞれが見る桜も違っているのですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の映画

「風と共に去りぬ」(ビビアン・リー主演)

名画中の名画
目いっぱい金をかけた
壮大な映画ですね。
当時のアメリカ映画の勢いを感じますね。
今の時代であれば黒人奴隷制度を肯定的に見たような
そんな製作の仕方を批判されるのでしょうが
西部劇と同じように当たり前の風景としてシステムとして
扱っているのですね。
そんな精神的な不安定さの渇望感がこのような映画を生むのですね。
作家が作品を生むと言うこともありますが
時代が求める。
そこから映画が生まれる。
そんなことではないでしょうか。
けっこうこの映画は好きで
それこを年に一回は見ます。
テレビ局も視聴率を稼げるので
機会あるごとに放映しますね。
南北戦争当時のアトランタ州
荘園の娘の波乱に富んだ人生
以前はスカーレットだけに目が向きましたが
レッド・バトラーのちょっと屈折した愛の形に目が向くようになりました。
年のせいでしょうかね。
彼は面白い人ですね。遊び人で金持ちで
ちょっとしたというかなかりのプレーボーイ
それでいて、スカーレットにはじゃじゃ馬ならしのような
興味を示す。
しかし、そこからが面白いことですが
愛し合う人たちも子が誕生すると
その子が彼らの中心になっている。
そして、その子がそれぞれの人生を変える。
その展開が面白いですね。
よく、スカーレットは「明日は明日の風が吹く」と豪語して
困難を乗り越えるのですが
子を失った喪失感から抜け出すのは容易ではないでしょうね。
その後の展開を想定した小説があるそうですが
そのように進めるのでしょうね。
とくにバトラーのその後の人生は
再出発などというのはないような気がします。
そこが男と女の微妙な違いだと思います。
そんなことを気にしながら見ていました。
時代感覚からすれば、うそっぽかったり
白人作家が当時の感覚で書いていますから
違和感をもつかもしれませんが
それが当時の感覚だと思えば了解できることです。
それにしても、何度も見ても
スカーレットという女性の激しさには圧倒されますね。
あれでは、結婚しても男性がくたびれるのは当然ですね。
この映画はまさに「永久に不滅です」
そんな上出来の映画です。
それにしても長い。
早寝しなければいけない私には
ぎりぎりを越えた長さでした。
だから、見た後
腰が抜けたような重さを感じるのですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

櫻のお知らせですよ。
千鳥が淵の櫻は見頃です。
隅田川の櫻は咲き始め
今週末がいいかもしれません。

それと塩山のイトザクラも見頃とか
確かめておきます。
青梅の梅岩寺もそろそろとか
この寺の櫻は見事です。
青梅駅近くですから
お出かけください。
自分があちこち出かけているだけで
連絡もせずにすいません。
このブログで情報を得てください。
とりあえず、元気です。
そして、そこそこ楽しんでいます。

 あきオジ

こころすなほに御飯がふいた   種田山頭火

2009-03-30 06:46:18 | 日記
神代植物園の櫻

まだまだ櫻の季節は続きますが
気分としては後半戦ですね。
追っかけおじさんとしては
青梅の枝垂れ櫻
塩山のイトザクラ
楽しめなくてはいけない。
こうなうと櫻の追っかけも仕事になっている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて

【通釈】

いつまでも面影の忘れられそうにない別れであるよ。別れたあとも、あの人がなごりを月の光のうちに留めていて…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「カジノ・ロアイアル」(マーティン・キェンベル監督・ダニエル・グレイク主演)

暇なときにはこのアクション映画がいいですね。
DVDで見ました。
昨日は何度も見た映画なのに緊張してみました。
日本語バージョンだと
会話が聞こえるので、ときには、パソコンいじりながら見ているのですね。
でも、昨日は疲れていることもあり
画面をしっかりみながら楽しみました。
画面を見ていると細部にも監督の好みが映し出されるのですね。
いつも思うのですが
この映画を見ていると実のところ
敵と味方、どちらがどうなのなか
トリックが何なのか
展開が速くてさっぱり分りません。
分ろうとすると頭がぐしゃぐしゃになってしまいます。
そんなことを理解しながら見る必要など
最初からないと思っているし
それでも、十分楽しめます。
この映画は冒頭のアクションシーンが圧倒的です。
それだけでもヒットする理由があるように思えます。
スピード感
緊張感は抜群ですね。
このようなアクションシーンは頑丈で壊れない
そんな体をしているアメリカ人俳優は迫力がありますね。
日本人だと派手なアクションシーンを見ていると
怪我しそう。スタミナが続かない。
そんな印象になってしまいます。
それではね。
高いビルの工事現場を舞台にしたアクションシーンははらはらどきどき
その圧倒的なアクションを見るだけで興奮します。
私は高所恐怖症ですから高い場所でのアクションはにがてです。
CGなどを利用しているのでしょうが
あらゆる技術をつかって画面を盛り上げる
すごい努力ですね。
そして、次々とアイデアをひねったアクション
そして駆け引き
まさにご馳走さまの世界です。
私には、映画を評論する能力がありませんし
そのつもりはありません。
でも、この映画はいいですね。
最近では「バッドマンビギン」に匹敵する楽しさですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

息子さんが専門学校に入学するとか
めでたいことです。
よくここまできましたね。
それでも経済的にも
苦労は続きますね。
でも、先が見える苦労ですし
楽しみがある苦労ですね。
でも、今の時代、そうもいかないのでしょうね。
あれこれあって、期待するものは得られない。
でも、もともと子には求めてはいけないのですね。
「彼をして彼の旅を旅しめよ」という言葉がありますが
子は親の着せ替え人形ではありませんし
子の人生に付き合ってばかりはいられませんしね。
子どもが自分の希望でその専門学校に入ったとすれば
それでいいじゃありませんか。
きっと、何か期することがあったのですよ。
そう思ったほうがいいと思いますよ。
彼もそんな年齢になったのですね。
外から見ていると子の成長はあっという間ですね。
健康でありさえすれば
何でも乗り越えることができる。
だから、何も求めない。
ただただ健康であることを祈るだけ。
そんなことですね。

高速料金が1000円とか
是非、東京見物をしてください。
今、東京の人は桜見物で夢中ですよ。
再会を楽しみにしています。

   あきオジ



また逢へた山茶花も咲いてゐた  種田山頭火

2009-03-29 06:32:15 | 日記
神代植物園の櫻

神代植物園のトイレの壁をバックにして一枚
東京に定住してよかったことは
昭和記念公園と神代植物園が近くにあること
半日で十分楽しめることです。
同じような思いの人も多いでしょうね。
それと、鎌倉も近いし
みなとみらいもあります。
無理しない程度のお出かけコースです。
ありがたいことです。
これ以上のことを求めたら
申し訳ないことです。
ということで今日も桜見物です。

・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

つくづくと物を思ふにうちそへて折あはれなる鐘の音かな

【通釈】

つくづくと物思いに耽っていると、哀れを添えるように、折しも悲しい鐘の音が響くことであるよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なにか、それなりの、紋切り型の「こんなもので、まあ、いいか」といような感想しかありませんね。でも、西行の専門家、愛好家はあれこれ説明するのでしょうね。そして「この奥深さが分らないのか」とたしなめるでしょうね。
でも、西行はそのような人だけのものではありません。
好きになるのは本人の勝手
嫌うのも本人の勝手
それでいいじゃありませんか。
青菜に塩
特別の箴言にも思えません。
きっと、そのままなのでしょう。
今日はページを開いて目に飛び込んだものを選びました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ブラザーサンシスタームーン」(フランコ・ゼッフィレッリ監督)(NO5)

聖フランチェスコの生涯を描いた映画はいろいろあるけれど、
絵本的なできあがるのこの映画は一番好きです。
きっと、この映画のことはこのブログでよく取り上げ、
感想を書きますから、ご覧になった方もいるかもしれません。
それほど「お気に入り」です。
暇があり、何も感じることがないときにはよく見ます。
この映画お気に入りの人多いのではないでしょうか。
どうぞ、カミングアウトしてください。
一緒に語りましょう。
十字軍の時代
イタリア
アッシジ生まれの豪商の息子
いた都市間争いの中で
捕囚の身になったのですが
父親が金策し、解放されたのですが
熱病に冒され
啓示を受け家を飛び出し
出家生活をするようになり
朽ち果てた教会を再建し
仲間と修道会を結成する。
その後の修道会の原型を作った人です。
当然、聖人となった人ですから
人柄も申し分なく
ピュアな人でした。
そんな説話を美しく映像化しています。
「フランチェスコ」という最近の映画では
修道会の結成とその葛藤を中心においていますから
印象がだいぶ違います。
ある種、人間的であり
生身の人間の物語です。
この映画は
映像が美しく
音楽が独特の雰囲気を作り出しているので
気分だけでも透明になっていきます。
個人としてのフランチェスコの信仰生活は
何となく理解できても
弟子が膨大になり
ルールを作り
修道会として活動する
そんな実践活動に向かうときの
フランチェスコの方向性などは理解できません。
彼の言ったことを集めた著作でも
信仰告白とかエピソードだけで
何か理解できません。
信仰対象としてみているわけでもないのですが
「こんな人もいてもいいかな」という思いがあるので気になります。
このDVD、レンタルされているのでしょうが
棚で、見たことがありません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メール有難う
こちらの櫻は見頃ですよ。
四国はもう終わりましたか。
子育てが忙しいとそれどころではないですか
そういえば、高速料金が1000円とか
車の運転をしない私にはありがたみが分りませんが
香川にも岡山県方面から観光客が大挙して押し寄せているのでしょうか。
善通寺も賑わっているのでしょうね。
私がホームページを作り始めたのは善通寺にいたときです。
それ以来、ずっと自分の住んでいる街を取材して楽しんできました。
ですから、取材に行ったところには特別の思いがあるのです。
先日、綾川のうどんやがテレビで紹介されていました。
懐かしかったですね。
そして、もう一度食べたいですね。
香川に住んでいたときは、
何度も食べに行ったのですが
食べられなくなると食べたいですね。
私は素朴な「ぶっかけ」「醤油」が好きでした。
どこもそれぞれの味ですが
ほとんど当たりはずれがないですね。
それほど香川のうどんはレベルが高いのですね。
店の作りの素っ気無さ
そして、客の申告制の料金支払いシステムもいいですね。
大量の観光客ですが
その素朴さが壊されないようにして欲しいですね。
そういえば、紫雲出山の櫻はどうでしょうか?
詫間を通り抜けて紫雲出山に向かうと瀬戸内海を背景にして
櫻が咲いていました。
青い海に映えて素敵でした。
また、見たいなあ。

  あきオジ


食べるだけ食べて一人の箸をおく  種田山頭火

2009-03-28 07:19:23 | 日記
時代植物園

・・・・・・・・・・・・・・・・・

食べるだけ食べて一人の箸をおく  種田山頭火

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この句、種田山頭火の句の中ではかなりのお気に入りです。
食べることまで周囲を気にしている時代の中で
気兼ねないから、逆に節操がなくなる。
そんな一人暮らしのぶつやきのように思われます。
過剰な説明的な表現もなく
仏教的匂いも薄いので、いいですね。
当然、種田山頭火が漂流するかのように旅していたか
庵で暮らすようになってからの句でしょうね。
こんな句は家族と一緒の暮らしの人には
想定外の景色でしょうね。
なるほどという句ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

ほととぎす深き峰より出でにけり外山のすそに声のおちくる(新古218)

【通釈】時鳥は深い峰から今出たのだな。私が歩いている外山の山裾に、その声が落ちて来る。

・・・・・・・・・・・・・・・・

これを何かの暗示というか、擬人的な内容が含まれている。
そんな解説をしたがる学者がいますが
私には知識がないと理解できない和歌などに興味はありません。
大学入試ではあるまいし
「実は・・・」といようなことでは困りますし
正解を追求しなければいけませんなどと言われたら困ってしまいます。
自分が気に入れば、それはいい和歌なのです。
その意味では西行の作品によくある
「だからどうなの」という類の作品ですね。
山から時鳥が現れ、そのまま里に飛び去っていった。
そんなことなのだろうけれど
だから何?
意味など探すつもりもなければ
景色を感じることもない。
そんな作品
でも芸術性が高いのでしょうね。
でも私には見出すことができない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「バルカン超特急」

アルフレッド・ヒッチコックの初期の作品
戦前の映画ですから、相当に古いですね。
ミステリー映画ですから内容を解説しても面白くないでしょう。
特急列車に乗り合わせた様々な人の中の老婆が列車から消えた。
その老人と知り合った女性が老人がいなくなったことを不審に思い
乗り合わせた人たちに尋ねるのですが
そんな女性は見たこともない
あなたの勘違い、思い込み違いだと言われる。
どこか「サイコ」の展開に似ていますね。
ある種の密室劇ですね。
登場人物の作り方
その組み合わせ方は
「グランドホテル」という感じですね。
公共の場所に何かの災難で閉じ込められる。
そこで事件が起こるのですが
その事件の解明を進めていく中で
登場人物のそれぞれの事情や秘密が明らかになっていく
典型的な形ですね。
トリックは稚拙ですし、物語の展開が強引で
お手軽、お手ごろに解決の糸口が準備されていますが
このような映画を作ろうとした発想がする力が素晴らしいですね。
さすがプロですね。
興味を引きつけます。
このようなスタイルが固定していれば
状況設定を工夫し
トリックをしっかり設定しておけば
けっこう作品が作れるのではないでしょうか。
ヒッチコックマジックという感じで作品がいっぱい生まれているのは
脚本の力なのでしょうか。
終わってみれば納得する。
巧みな手法ですね。
このように列車を舞台にした映が多いですが
このようなカテゴリーをどのように呼ぶのでしょうか。
「オリエント急行殺人事件」「ジュリア」
いろいろありますね。
お手軽に楽しめる。
そんな映画ということでは、いい作品だと思います。
重くて、大きいだけが映画ではないですよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご無沙汰しました。
それなりに楽しんでいます。
そして、何もかもが、相変わらずです。
明日、神代植物園に出かけます。
天気がよければ、見頃だと思います。
花は3分咲き、5分咲きくらいが一番美しいですね。
花弁も汚れがなく
初々しく
「やっと出てきましたよ」という雰囲気がいいですね。
そして、見て回る人にも
「やっと、出会えましたね」という
雰囲気がありますね。
それがなによりです。
「もっと開けばきれいでしょうね」という人もいますが
それぞれですね。
いずれにしても、天気はよければ
太陽を受けてきらきら透けて見えるのも
櫻の特徴ですね。
岩手の方はどうですか
やはり連休の前後でしょうか?
今年は暖かい日が続きましたから
早目かもしれませんね。
北国の春は一気ですからね。
チューリップもクロッカスも
福寿草も
そして、櫻も同じ時期ですね。
岩手山を背景にした櫻
岩木山を背景にした菜の花
特別のものがあいますね。
十分にご堪能ください。
そして、櫻の話を聞かせてください。
誰もが櫻の想い出を持っているのですね。


何か求むる心海に放つ    放哉

2009-03-27 06:02:36 | 日記
神代植物園の屋台

使っているのか、単なる代用品か
そこに屋台のメニューが貼り付けてある。
むりやり春を感じることもないけれど
こんな遊びが好きですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

何か求むる心海に放つ  放哉

・・・・・・・・・・・・・・・・・

この句では、なにもかも投げ出してしまおうとする放哉ですが
この人は世を捨てる行為もこだわりがあり
未練があった人のように思えます。
この句でいえば「海に放つ」といいながら
自分の掌に未練が残っている。
そのように読み取れます。
そこがこの人の面白いところで
仏教的世界を作り上げてしまった芭蕉の路線を
踏襲するはずもありません。
溢れる世俗的な感情を覆い尽くすことができなかった。
そんな「惜しい」がこの人の個性なのでしょうね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

空はるる雲なりけりな吉野山花もてわたる風と見たれば(987)

【通釈】

空が晴れてゆく時の雲であったのだ。吉野山を、桜の花を含んで渡る風と見ていたら――。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思い込みの気分が伝わってくるだけでなく、影響されていることを感じます。
でも、自然の中に育つ桜を見ている西行と
環境を作り手入れをしている多くの種類の櫻を見ている私たちとは
ずいぶん、感じるものは違うのでしょうね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「12人の優しい日本人」(三谷幸喜脚本 豊川悦司主演)(NO5)

かの有名な「12人の怒れる男」を下敷きにした戯曲
タイトルを見ただけで分りますね。
アメリカの陪審員制度を取り上げた映画です。
有罪に決定しそうな少年の父親殺人事件を
陪審員が再度、事件を解明することで逆転するという内容です。
スリリングで個性的な登場人物が浮かび上がる。
そんな映画です。どの役者も素晴らしい演技をしています。
この映画はリメイクと言うか、下敷きにした
映画です。
三谷幸喜が脚本を書いています。
登場人物や事件内容は違っているのですが
あきらかに手法をぱくっていますし
それぞれの自分もパクリです。
そのパクリを前面に出しながら、
巧みに三谷ワールドを構築しているのです。
物語は、大いに笑わせ
台詞と人物設定の巧みさで緊張を高めていきます。
台詞によって、それぞれの人物を描きわけて
いるので
ルメット版とは違ったものになっています。
当然のこととして、舞台を想定していますし
演技も舞台を意識したものになっています。
じょうできの舞台だったでしょう。
集団がでずっぱいの舞台ですから
大変だったと思います。
でも、役者も緊張感をもって演じており
殆どが名も知らない俳優ですが
舞台で演じた熱がそのままになっているように思います。
「笑う大学」も面白かったですが
この映画も上出来ですね。
「12人の怒れる男」とダブらせてみてしまう
観客を裏切るようで、後で納得する。
そんな映画です。

あの雲がおとした雨にぬれてゐる   種田山頭火

2009-03-26 06:26:37 | 日記
神代植物園の球根ベコニア

この絵柄、何度もとりあげていますが
その都度違うのです。
時代植物園に出かけたときに必ず写真にします。
ある種のアリバイですね。
でも、今日気づいたのですが
複数の人が担当しているのですね。
ほぼ、毎日花を更新しているのだそうです。
しかも新鮮で姿がいおいものを選んでいるのです。
終わった花を利用していると思ったのですが
そうでもないのですね。
今日の花の選び方並べ方は
いつもとちょっと違っていました。
それは確かです。
ですから、複数の人が
壷の中の花を散らしているのです。
だから、どうのというわけでもないのです
そんなことを思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ(新古86)

【通釈】

吉野山、ここで去年枝折(しおり)をして目印をつけておいた道とは道を変えて、まだ見ない方面の花をたずね入ろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今の時代、桜を楽しむために市の観光課は、有名な桜の周辺の歩道を整備し、柵をしつらえ、バスで押しかけても対応できるように準備してくれる。その櫻を楽しむのが今日的なスタイル。
でも、西行の時代は、このような「山に分け入り」櫻を楽しむ。
それだけでも、だいぶ様子が違いますね。
遠目でも見るのだったら、それでいいのですが
近くまで行って見たいとなったら
相当の覚悟が必要だし苦労があったのですね。
櫻を楽しむとはそんなことだったのですね。
しかも、当時は山桜が多く
色合いもいまのものとは違っていたのでしょう。
帰り道を気にしながらでは楽しむというところではないでしょうが
それが西行のスタイルだったのですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「25名画の秘密」(NO4)

ダ・ビンチの「最後の晩餐」
ラファエロの「アテネの学園」などの
美術史上の著名な作品の絵解きをした
カルチャーDVDを借りてきました。
これがなかなか面白い。
絵を単なる鑑賞だけでなく
絵解きをしています。
作成の意図
作者の狙い
そして、隠された符号や
意味を解きほぐしています。
5分ほどの解説番組を一つにまとめたのでしょう。
コンパクトになっています。
レンブランドの「夜警」などの解説は
ちょうどよい長さでまとめられています。
内容も濃く、参考になりました。
「ダビンチコード」便乗DVDなのでしょうが
面白かったです。

・・・・・・・・・・・・・・・

「父と暮らせば」(黒木和雄監督 宮沢りえ主演)(NO5)

原爆投下数年後の廣島を舞台にした
井上ひさし脚本の舞台劇
それを映像化したもの。
宮沢りえ演じる娘と
その娘の前に登場する男性との関係を
あれこれ言い出す父親とのやりとりを
描いています。
展開としてはそれだけです。
それぞれが原爆投下の影をひきずっており、重いのですが
原爆被爆体験をもつ親子のいたわりにみちた会話です。
できるだけ糾弾するような言葉を取り除いた台詞になっています。
原爆投下の重さを問いかけます。
宮沢りえと原田芳雄の会話力だけで見せる映画でした。
でも、黒木和雄監督
どうもよく分かりません。
なぜ映画化したか
映像効果を極端に抑えるのですから
舞台で十分だったという批判にさらされるでしょう。
丁寧そうに見えてあいまいな演出をしているように思えます。
レキュレム三部作といわれますが
観念的で演劇的手法ですので
そのような映画を楽しまれる方には
受け入れられるでしょう。
映画には映画の手法があります。
ただ、言葉のやり取りすることが中心の映画は苦手です。
ということで、この映画はそれなりということになります。
でも、原田芳雄も宮沢りえも素敵です。
とくに廣島弁が正確なのかどうか分りませんが
独特の雰囲気を作り出しています。
きっと、演劇用に準備されたものを映像化したものなのでしょう。
そんな感じです。
でも、この手の映画が好きな人には
優れて映画になるのでしょう。
原爆を取り上げた作品おなかでは癒しが準備されたものです。
言葉が聞き取れないところもありますが
それぞれの人生を問い直すためには優れた映画です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は知人との待ち合わせの時間の確認電話と
姉からの浪曲公演の誘いの電話しかありませんでした。
それはそれなりに気にすることもないいい日でした。
朝、ホジュンを見たし、夜はチャングミを見たし
そこそこの一日でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・





花ぐもりの窓から煙突一本   種田山頭火

2009-03-25 15:17:57 | 日記
神代植物園 マーガレット

当たり前にある素朴な花
最近は、台所の隅でマグカップにさされている。
そんな花になってしまった。
あの高級感のない素朴さがいいのです。
フランス映画に出てくる白いキッチン
光具合によっては周囲が見えなくなってしまいそう
そこに黄色のカップだけが忘れられている。
誰の花言葉か
マーガレットが語っているようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

花ぐもりの窓から煙突一本 種田山頭火

腹いっぱいの飯以外には関心がもてない。
そんな人にとって、煙突と言われると火葬場しか思いつかないだろう。
それとも廃坑になった炭鉱の煙突だろうか。
金剛杖のような
時代の卒塔婆とも読み取れる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ(118)

【通釈】

散るのなら、いっそ一緒に私も連れて散ってしまえ、花よ。汚れたこの世を厭う心をもつ身であるぞ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この作品のような過剰さも西行
思い込みの深さも西行
素人おじさんとしては、
西行にとはほどほどの付き合いが必要
「西行の世界」(山本幸一著)を読んでいたら
疲れてしまいました。
西行もすごいけれど、注釈書もすごい。
こんな読み方もあるのかと感心しました。
自分にとって、観光案内ていどで十分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本屋を回って、TSUTAYAをうろうろして
結局は何も選ばす、家に戻ってきた。
サンダル姿も気にならなくなった。
どこかに何かがあるはずだといまだに思っている。
でも、それでもなんとなく
時間を潰すことができた。

夕方、姉が浪曲の公演の誘いがあった。
チケットをお願いした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「麦秋」(小津安二郎監督・原節子主演)(NO103)

 小津映画の中では、この作品が、物語としても最も充実しており
小津監督の好みの洒落たシーンがふんだんにでてきます。
朝、主人公の紀子が食事をすませ
自分の部屋に戻り、持ち物を確認し
口紅を直す。
毎朝の動作を淡々と描くとか
相槌をかさねる台詞とか
次々登場します。
この映画、原節子演じる28歳の女性が見合い騒動をきっかけに
身近にいた幼馴染と結婚を決意する。そこまでの話
見合い相手が早稲田大学出身とか、商科大学の同窓生だとか
名門出身で、しかも、一流企業に勤めており
縁談を勧める会社の上司は商事会社勤務で
社用車を乗り回しているような身分。
同居している紀子の兄は医者で、祖父は学者という設定
そして、紀子の友達が料亭の娘だとか
昭和20年代の戦後間もない時期にしては上流社会です。
それでも料亭の食事の値段を気にしたり
ケーキを食べるとき割り勘を持ち出したり
それなりに金銭的に苦労しているのが面白い。
小津映画ですから取り立てて筋があるわけではありません。
戦前の富裕層が戦後、没落し
家族制度も崩壊していく姿を背景にして
戦後の男女恋愛とか、見合い結婚の衰退などを絡めて
家族のありようを描いています。
そのような表現も可能ですが、
日常的なことを語る以外に時代を象徴するようなできごとはありません。
ただ、日常を丁寧に描いていくだけで時代を見つめることになる。
そんな淡々とした映画です。
それにしても、原節子が輝くような色気で圧巻です。
アップされたとき
目の表情にどきっとするのは原節子です。
笠 智衆が演じる兄と近所のおばさんを演じる杉村春子が秀逸ですね。
杉村演じるおばさんが、
「本当に・・本当」と繰り返して喜びを爆発させるシーンは楽しく
圧巻です。さすが杉村春子の演技力ですね。
菅井一郎、三宅邦子等のおなじみの俳優が景色に溶け込んでいていいですね。
古い家屋の特徴を生かしたセットもいいですね。
もちろん、カメラが移動するのではなく
人が移動する。
そんな写真の撮り方がこだわりであり
小津の個性ですね。
大きな出来事があるわけでもなく
アクションがあるわけでもない。
そんな映画が好きな人にはたまらない。
秀作です。
お気に入りの一つですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

忙しそうですね。
何か、元気ですか?
そんな問いかけができにくい状況にあるようですね。
さぞ、悔しいでしょうね。
涙もでるでしょう。
それは理不尽な言い方ですね。
御苦労様。
現役の時代は、自分を犠牲にして
仕事のために、家族のために働き、
揉め事がないように耐えて
身を守る。
そんなことなのですね。
退職して、数年たってようやく分かるようになりました。
でも、周囲の人が自分と同じような境遇にあり
同じようなつらさを共有していたので
我慢できたのですね。
きっと、書かれた内容以外にも愚痴がいっぱいあり
吐き出したいような口惜しさもあり
終わることのない腹立ちに胃がきりきりと痛んだでしょう。
耐えなさいとは言いません。
それでも、「書いて捨てる」ことができたのですから
書いたときに終わっているのですね。
それでいいと思いますし、
私も、貴兄が書いてよこしたことを忘れましょう。
もっとも、最近はそのようなことをしなくても忘れます。

ところで櫻が咲き始めましたが
西行の歌集でももって出かけませんか
電車の中で、数首でも読めば
こんな世界があったのかと驚かれますよ。
私は春になるとバッグに入れています。
西行も面白いですよ。
何と言っても
次の駅につくまでに一首読めますし
あれこれのことを連想する楽しみがありますからね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の人生 桜が咲いて散るまでに見る夢ていど

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

月夜戻り来て長い手紙を書き出す  放哉

2009-03-24 18:12:50 | 日記
神代植物園の櫻

西行の時代とは違っていても櫻には人を夢中にさせる何かがありますね。
あの明るさ、空の蒼さに馴染み、異次元の空間を生み出すし、
風に揺れる花びらはあっさりと散っていく。
それを潔さと読み取ることも可能だとしてもいい。
でも、この瞬間しかないという緊張感もいいですね。
神代植物園の櫻は手入ればよく、姿形もよく
品がいい。
優しさが溢れていながら豪華ですね。
いくつもの種類の櫻と桃が組み合わさって
独特の気分を作っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・

月戻り来て長い手紙を書き出す

・・・・・・・・・・・・・・・

尾崎放哉
この句
月戻り来てと時間の流れを準備し
長い時間をかけた手紙を書いている姿を切り取っている。
放哉の手紙は恋文ではなく、借金のお願いだと読み取ってしまう。
何か放哉には、借金を懇願する手紙にもかっこつけたがる
気の毒な性格が見えるような気がします。
自分の読み取り方が偏っているのでしょうね。
でも、放哉のそこが好き。
種田山頭火だって
四国遍路の宿や費用の工面は俳句仲間がしている。
あれこれ「孤高」を付加価値にしていても
そうきれいごとではない。
芭蕉の奥の細道だって、同じような背景でしょう。
それでいいと思うのです。
俳人だって生きているのです。
生活しているのです。
そんな背景などどうでもよくて
俳句そのものが物語る世界だけで十分なのですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(68)

【通釈】

桜の花を見ると、これと言った理由とては無いのだけれども、心の中が苦しいのであった。

【語釈】◇そのいはれ 取り立ててそれと指せるような理由。しかるべき理由。

・・・・・・・・・・・・・・・

最近、その気持ちちょっとだけ分るような気がします。
この思いは薔薇でもなければ、菊でもない
櫻でなければ起きませんね。
できたら、蔵とか城といった背景があれば
櫻単一とは違った世界が広がるのでしょうね。
一斉に咲き誇り
未練も残さず散ってしまう。
独特の雰囲気ですね。
だから、日本人は愛するのです。
私も櫻好きな思いが年毎に増してきますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ダ・ビンチ・コード」の謎(NO2)

「ダ・ビンチ・コード」の大ヒットに便乗したカルチャーDVD
マグダラのマリアはイエスの子の母親だった。
ダ・ビンチはキリスト教の信仰をもっていなかった。
そんなことを美術史家を引っ張り出して解説している。
ダ・ビンチの「岩窟の聖母」「最後の晩餐」を例示して
ダ・ビンチの意図を読み取る謎解きが特に面白いですね。
ダ・ビンチが謎の多い人であったし、隠し事が多い人でしたから
人物にも興味がわきますね。
これまでも何度も見ましたが、
映画「ダ・ビンチ・コード」を見ると、また見たくなります。
このような絵解きをすると
それまでの鑑賞スタイルが全く変わってしまうのですね。
私たちの美術鑑賞は印象派の心地よい色の変化であり
軽快な姿である。それで十分になってしまうのです。
「ダ・ビンチコード」で取り上げられた謎は
謎のための謎という部分があるにしても
けっこう、面白いですね。
こんなに大ヒットしなければ、「大人の無視」で議論は終わったでしょうが
そうはいかなかったようですね。
このような見方が出てしまうと
素朴な信仰の維持は難しいですね。
でも、「ダ・ビンチ・コード」を読み
映画を見て、この謎解きを見ると
この不思議な国に迷い込みたくなりますね。
よほどの知識がないと興味の扉は開きませんから
相当の時間が必要です。
ちょっとその両方を整えるのは難しいですね。
でも、ぼちぼち関心を持続しましょう。
それにしても登場する学者は
どこかマニアックで不気味な人ばかり
どうしてなのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・

約束どおり、神代植物園に出かけました。
天気はそこそこだったのですが
風が冷たたかったです。
櫻は種類によっては、見頃はじめです。
ソメイヨシノは来週くらいでしょうか。
咲き初めがいいですね。
櫻ははやり魅力に満ちた花ですね。
是非、お出かけください。
神代植物園は椿が見頃ですが
どの花も花弁が黄ばんでいます。
桃は咲き始め
櫻と組み合わされた景色はいいですよ。
梅は終わりました。
くちなし、もくれんが見頃です。
何となく園内は緑が多くなってきました。
平日なら人も少なく、写真を撮りながら歩くとすれば
最高の場所のひとつですね。
もし、他の桜の名所の開花情報があったら
教えてください。

WBCで日本が優勝しましたね。
最後の最後イチローでしたね。
彼は語録と共に歴史に残る人ですね。
でも、彼が引退後、解説者になったとしたら
意味不明でしょうね。
サッカーの中田と同じように解説者などならないほうがいい。
彼には「この一点は大切ですよ」
「負けられない一戦ですよ」などと言わせなくない。
野球に興味ないのですがイチローには興味があります。

 あきオジ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうでもいいけど
「神」はどうして男なのですか?

たった一人になりきって夕空  放哉

2009-03-23 18:26:43 | 日記
浅草 伝法院どおりの古物商

どのような人が買い物をするのだろうか
ダンス会場でしか着られない衣装
カラオケ大会用のスーツ
あてぶりで踊る人のための衣装
暴力団関係者でないと興味を示さないど派手な三つ揃え
刷毛だけを商う店
つげの櫛専門店
そんな店が並んでいる。
本物と本物臭いものが一緒に並んでいる。
買い物する人はそんなこと承知なんだろう。
そんな通りの雰囲気を楽しめない自分は
心貧しい
そして一見真面目そうで
可愛げのないおっさんなのだろう。

・・・・・・・・・・・・

「たった一人になりきって夕暮れ」

尾崎放哉の自負心の強さは、きっと、周囲の人はいい迷惑だっただろう。
この句の透明感に心動かされるけれど「なりきって」という表現に示される
気負いと他と違った世界に入っていく自分
そこにちょっとした陶酔感があり
そんなものかなという自分の感想ですね。
でも作者の背景など考えずに
良寛さんの作だと思えば、感想は違っているかも・・・
それにしても、作品は正しく理解する学者だけのものではない。
そんなことを最近、思うようになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり さ夜のなか山

若い頃この峠を越えた時、年をとってまた歌枕で有名な小夜の中山を越えることがあるだろうかと思ってもみなかったが、今また越えることができ、神仏の御蔭で、命が長らえているから、またできることだな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 小夜の中山、確か静岡県の中部。今は高速や新幹線が山をぶち抜いているのでしょうが、昔は難所だったかもしれませんね。西行見返りの松とか、芭蕉腰掛の石とか立ち寄りの柳とかいっぱい残っていますね。そんなものを訪ねるのも面白いかも。でも、歌碑を調べ上げた人もいますから、とっくに調査されているのでしょう。まあ、いいか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画の愉しみ(NO1)

「ダ・ビンチ・コード」
監督:ロン・ハワード
原作:ダン・ブラウン
主演:トム・ハンクス

小説家から始まり、映画化され、
西欧の国では論議を呼び
日本でも、ずいぶん話題になりましたね。
この映画、キリスト教に関する予備地知識がないと
最初の段階で挫折してしまいます。
小説でも膨大な歴史的謎が登場しますし
その多くは聖書のなぞです。
まず、聖書の物語についての知識です。
聖書の中に四つの福音書があるのですが
その中で特に重要な軌跡が
十字架の軌跡であり
復活の軌跡です。
当然、そのような軌跡は証人が存在することで成り立つのですが
その証人となるのは誰と誰かという事実です。
聖書の中でキリストの受難に立ち会っているのは
マリアでも聖母ではなく
マグダラのマリアです。
そして、復活し姿を示すのも
マグダラのマリアです。
聖母マリア信仰がその後、大きく広がりますが
聖書物語の後半では登場しません。
また、その後の弟子のリーダーといわれるペトロの前にも
その後に姿を見せます。
そうなるとマグダラのマリアはイエスにとって特別の存在であった。
そのような世間に流れる伝説もこの映画では重要です。
また、マグダラのマリアの伝説の中にある
最後の晩餐で使用されたカップの伝説ですが
テンプル騎士団等の説話としてヨーロッパでは広がっています。
素人の私には分りませんが
日本の三種の神器の伝説のようなものなのでしょうね。
この伝説が重要な役割を果たしますが
(インデュージョーンズも同じですね。)
この伝説を単なる童話ではなく
ヨーロッパの裏側の歴史と読み取らないと
この映画はちっとも面白くありません。
また、教皇庁の教義とか
「オプスデイ」という現在も存在する教団のことも大切なことです。
ですから、この映画や小説は少しずつ知識を増やしながら見ています。
ダ・ビンチが残した記号とかダ・ビンチが総長を務めたといわれる秘密結社の存在も
注目すべきですし
キリスト教徒であったかどうか確かめようがないダ・ビンチの
人柄も謎ですし、ダ・ビンチの「手記」以外にも
何か残しているのではないかということも気になります。
そんな知識を背景にしてこの映画を見ていると
前半部分は相当に面白いのですが
後半は一気に謎解きに走ってしまい
物語を取りまとめに忙しくなってしまいます。
かなりヒットした映画ですが
満足した人は多くないでしょう。
でも、私はこの映画が好きです。
サスペンスの部分を除いた聖書の謎をいっぱい提供してくれたために
聖書を繰り返し読むようになります。
そんな読み方は失礼なのでしょうが
信仰としての聖書と興味としての聖書は違います。
それはそれ、自分なりの楽しみ方です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は詩人ではありません。
美しいものを受け取る器ではありません。
言霊を読み取る純な心もありません。
見えないものに憧れる心もありません。
響きあう言葉を並べる才覚も興味もありません。
分った顔をして語るなど恥かしくてできません。
ただ、「愛」という曖昧な言葉に翻弄さえている
今の私たちの「いかがわしさ」に
ちょっとだけ不満を持っているのです。
そして、確かなものなどないと言いながら
「空っぽの壷」を覗きたいのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

にくい顔思い出して石をける   放哉

2009-03-22 17:29:39 | 日記
城山のカタクリの里

カタクリの儚げ
それでいて竹久夢二の描く女性のような
微妙な曲線が
引き寄せる。
それを知っているのか
気づかないうちに魅せられているのか
それは分らないけれど
何とも微妙なバランス
近くにいたおじさんが
最初はうつむき加減
でも、次第に顔を挙げ
しまいには胸を突き出している
そう言って笑っていた。
そこまで言うか
そんなことだけど
ちょっと笑いながら
そんな見方もいいなと思ったり
詩人ならそのあたりのことしゃれた言い回しをするのだろうな。
自分は凡庸なおじさん
うまい言い回しも思いつかないし
そんな言葉を探すつもりもない。
現実的で想像力が乏しいのだ。
でも、それでちっとも不自由していない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

にくい顔思い出して石をける

・・・・・・・・・・・・・・・・

尾崎放哉のこの句、面白い。
尾崎放哉が一時暮らした須磨寺で写した写真が残っています。
墨染めの法衣を着て、腕組みをして立っています。
写真は下からのアングルで撮られています。
写された本人はその気ではないのでしょうが
傲慢というか、尊大な態度というか
ちょっと違うなという感じに見えるのですね。
帝大出身のエイリーとしての臭さが全部残っている。
素人にはそのように見えるのです。
ですから、この句を読んで
いいなと思いました。
枯れたと思われる作品よりも
このようなギトギト感が面白いですね。
きっと、晩年の句も「見せかけているだけ」で
本当は、このような句を作りたかったのかもしれません。
人間て、そんなものではありませんか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の西行

おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲(64)[千載69]

【通釈】

 世はあまねく花の盛りになったのだ。どの山の端を見ても、白雲が掛かっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西行の非凡さは「肉体を抜け出して、言葉が一気に飛び出した」表現力であるように思えるのですが、そうでもないのでしょうか。私には、西行は、凡庸にしか見えない膨大な習作というべき作品に支えられている。そんな気がします。それとも一遍のように札を撒くように和歌を作っていたのでしょうか。きっと、西行の歌は、素人の自分が感じるのだから、当時の歌人も「やれやれ」という気分で西行の歌を鑑賞し、ときどき「こんなことありか?」と驚く発見を楽しんでいたのではないでしょうか。それと西行は旅した人であり、多くの宮廷人は観念の虚構を楽しんでおり、それで十分だと思っていたのですから、西行が自分に代わって旅してくれたくらいの思いで尊敬していたのではないでしょうか?この点が当時としては異色だったのでしょうね。宮廷にじっとしている人は、恋をしようにも女性と出会う条件さえない。ですから、「こんなこともあるかずだ」ということで、現実と乖離した妄想を楽しんだり、表現を高めるために過剰な表現をしたり、虚構と虚構をぶつけたり、並べたりしていたのでしょうね。そんなことは学者や和歌の専門家が考えることであり、それで十分なのですが、ちょっとだけ気にしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「剣客商売」(池波正太郎原作・藤田まこと主演)

時代劇チャンネルだけでなく別のチャンネルでも放映しています。
5シリーズが製作されており、原作のほぼ全体をドラマ化しています。
藤田まこと演じる元剣術道場主だった男
その妻、家事を世話しているうちにお手つきになった田舎娘
年齢が二回り違う。
そして、剣術指南をしている息子
田沼意次の娘
それらの主人公にからむのが
料理屋のおかみ
岡っ引き
一回一話完結する。
主人公は引退老人だが剣術の達人
田沼意次との昵懇の関係
そんなこともあり
一話の中に事件が起こり
そして、剣術商売の親子がさばいて解決する。
その話のつなぎに田舎育ちの妻に伝授して出来上がる
季節料理
岡っ引きの妻が切り盛りする小料理屋で出される
庶民の料理
そして、もう少し上等な小料理屋で出される
季節の上等な料理が必ず出てくる。
このドラマの見せ場の一つ
料理の名前と作り方が紹介されるが
それがまた面白い。
もちろん、昔の料理
それが、原型のまま紹介されているから面白い。
また、江戸の和菓子も登場する。
店の名前と菓子が出てくるから面白い。
饅頭、黒飴、落雁まで登場してくる。
それだけでも楽しめるドラマ。
このドラマは同じ作者の鬼平犯科帳の
長谷川平蔵と違って
行政の中心にいるわけではないから
権威的ではないし、誰にしたいしても上から目線ではない。
そこがお気に入りの理由です。
それと、情感いっぱいな音楽がいいですね。
西洋音楽を取り込んでおり、ゆったりした気分にさせてくれます。
私としては人をむやみに切り殺すドラマは好きではないのですが
このドラマは気になりません。
「正義」のためであればなんでもありではないところがいいですね。
日曜日午後6時はテレビの前で正坐状態です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カタクリの写真と撮りにいくのですか?
橋本のカタクリの情報は
昨日、お知らせしたとおりです。
今日、橋本のバス停で係りの人に尋ねたら
今日は、人は少ないそうです。
雨降りだから当然ですね。
雨が降ったらカタクリは身を細め
下を向きっぱなしですからね。
それと今日は風も強く写真を撮れる状態ではなさそうです。
私も神代植物園に出かける予定でしたが
猛烈な横殴りの風だったので断念しました。
天気次第ですね。
ちかじか東京に出かけますので九段周辺の櫻偵察しておきます。
また、四月になったら青梅の櫻も咲き始めますね。
その状況が分ったら、このブログで紹介しますね。
今月末から来月はそこそこ暇がありますから
まめに出かけることにします。
では、また

          あきオジ