あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨風もなき秋空はありがたし  あきオジ

2010-10-31 07:04:43 | 日記
俳句ではなく、ときには、このようなシャワーを浴びないと
言葉遊び(それも好きですが)だけになってしまいます。
西欧で最も親しみを感じるフランチェスコの宗教詩です。
「太陽の歌」として有名ですが、ときには読み返すのもよいかもしれません。
自然の中に神が宿るということが体に沁み込んでいる日本人には理解しがたい言葉の羅列ですが
それが砂漠思想の原点なのですね。

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「太陽の歌」

     アッシジのフランチェスコ

神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。


わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜いく者は、あなたから永遠の冠を受けます。


わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。


神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。

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確かな岸壁落葉のときは落葉のなか  兜太

(現代を代表する俳人です。でも、コラージュ風の言葉の組み合わせ、意表を突く表現が多く、常識的発想しかできない私には興味が湧かないのですが、残り少ない人生の中「蕎麦をちょこの底までつけて食べてえ」にならないように、とりあえず、書き写すことから始めます。)

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一つの事を始めると、一つの事を気づかぬうちに捨てている。
そうやって生きているのですね。

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過ぎ去りし台風情報繰り返す  あきオジ

2010-10-31 06:15:55 | 日記
神代植物公園のベコニアです。

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あれこれ食べるものはあって風の一日 山頭火

(素人には分かりませんが解説書を読んでいるうちに気づいたのですが、レベルが上がると「食べるものは」と「食べるものが」では、違うのですね。そこで評価が大きく違うとか。この微妙さにこだわる世界。「細部に神宿る」という世界なのでしょうが、奥へどんどん進んてしまう世界なのですね。)

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今日は同窓会です。
熱海に出かけるので、MOA美術館に立ち寄ろうかななどと考えています。

でも、海もみたいですね。

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戸を叩く激しくたたく野わきかな  あきオジ

2010-10-30 16:01:46 | 日記
台風が関東に接近するようです。

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葱買て枯れ木の中を帰りけり  蕪村

(俳句鑑賞のとき困るのは、芭蕉の句だからいい句なのだ、とか、蕪村の句なのだから、きちんと深いところの意味をあるのだろう。そう思わなければいけない気分になることです。「分からないことは分からない」それ以外の言い方が思いつかないことがあることですね。この句は「葱」をいう季節ものをとりあげているのが新鮮であるなどと説明されるのだろうし、枯れ木がいかにも淋しさを感じるという程度のことしか言えませんね。だからどうなの?という質問には答えられないですね。それはそれ、そんなときは「出直してきます」といって放り出すことにしています。最近、覚えてきた知恵です。

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わからんちゃん

   まど・みちお

なんにも わからん
わからんちゃんが いてね
おしごと はじめた
とんかち もって
とんてんかん ちんぷんかん
とんちんかん

みんなが わらった
わらったっても へいき
みいにち まいつき
まいねん しごと
とんてんかん ちんぷんかん
とんちんかん

そのうち できたよ
わからんものが できた
わからんちゃんたら
ひらりと のった
とんてんかん ちんぷんかん
とんちんかん


みなさん さよなら
つきまで いってきます
ぐらぐら よたよた
よぞらに きえた
とんてんかん ちんぷんかん
とんちんかん


地蔵様廻る秋は長き道  あきオジ

2010-10-30 06:46:47 | 日記
台風が来てますね。
御用心ください。

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明日は熱海で泊りがけの同窓会です。
ということで更新はぼちぼちになります。
旧交を温めてきます。

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NHKハイビジュンの朝の番組をよく見ます。
朝テレビを入れるときNHKのハイビジュンです。
自然を写しただけの番組
音楽など
わずらわしいニュースは入ってきません。
このような番組を見て思うことは
日本の良心は地方で暮らす老人によって支えられている。
そんなことです。
不思議ですね。

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このような「しみじみ」した詩もいいですね。
机の上にいつもおいてあります。
「たそがれる」ということばが「めがね」にありましたが、共通していますね。

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「苦しいときは」

晴佐久昌英

苦しいときは 昔を思い出すといいよ
自分が生まれた日
はじめて母のふところに抱かれてやすらいだ朝を
わが子に人生を与えた親の思いを
思い出すといいよ
悩みなく遊びまわった幼いころ
ころんでもころんでも世界を信じて
傷が治らないうちにまた走りだした夏休みを
思い出すといいよ
夢破れて死のうとさえ思ったあの夜を
もう二度と朝は来ないと思っていたのに
やがて魂に忍び込んできたあの夜明けの美しさを

苦しいときは 明日を夢見るといいよ
いつかすべてを月日が洗い清めて
こころにひとかけらのけがれも痛みもなく
晴れわたった雪山の青空のようになれる日を
夢見るといいよ
苦しみ抜いた末に優しさのちからを知り
苦しむ人の気持ちが痛いほど分かるようになり
涙にくれるだれかの隣りにそっと寄り添える日を
夢見るといいよ
苦しみはいつか喜びにかわると身をもって知り
あの最もつらかった一日こそが
最もありがたい一日だったと感謝できる日を

それでも苦しいときは もう何もしなくていいよ
歩けないなら歩かなくていいよ
弱ったその身そのままで黙って座っていていいよ
冬眠に入った天道虫のように小さく丸くなって
何もしなくていいよ
今日も揺れ騒ぐ波の底に貝は眠り
風わたる樹々をおおい星空はめぐる
人はすべてのいのちと結ばれているから
何もしなくていいよ
一粒の苦しみも見逃さない天使たちに囲まれて
誕生への深き眠りに落ちていこう
あらゆる苦しみは生みの苦しみなのだから

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「そのまま このまま」

この世に自分の顔ほどおもしろいものはない
なんだこりゃ 妙なもんだ
みればみるほどへんちくりんだけど
生れおちたその日から これでわたしをやってきた
ずいぶん泣いたね たくさん笑ったな
つらいときは陰り うれしいときは輝く
いいでしょ この顔 天の贈りし芸術品
だれにも文句は言わせない
そのまま このまま じぶんのまんま
この世に自分の心ほどめずらしいものはない
びっくりするね へんな性格
つくづくいやになることもあるけれど
みんなとぶつかりながら なんとか自分をやってきた
ひねくれてるよね やさしいとこもあるな
しくじるとへこみ ほめられるとふくらむ
いいでしょ へんな人 天の授けしキャラクター
胸はって自分を生きていくぞ
そのまま このまま じぶんのまんま

この世に自分の縁ほどありがたいものはない
おかげさまで おかしな家族
因果な友とも切れぬ仲だけど
あんたたちに会えたから わたしはわたしになれた
傷つけられたよね その倍傷つけたな
一緒だと疲れ 離れているとさみしい
いいでしょ くされ縁 天の結びしなかまたち
いつまでも迷惑かけあおう
そのまま このまま じぶんのまんま


この世に自分の過去ほどすばらしいものはない
よくやってきたよ しんどい日々を
人はついてないねなんて言うけれど
主人公はこのわたし ひとつだけの物語
わすれたいこともあるね でもわすれられないな
倒れてうずくまり もういちど歩きだす
いいでしょ この人生 天の定めし大河ドラマ
なにもかもあれでよかったんだ
そのまま このまま じぶんのまんま

この世に自分自身ほど尊いものはない
世界に一人で 歴史に一度
自信をなくすこともあるけれど
もしわたしがいなければ この宇宙の意味がない
めざめれば 我あり人あり天地あり
朝起きて賛美 夜すべてに感謝
いいでしょ このわたし 天の親のいとしいわが子
よくぞわたしにうまれけり
そのまま このまま まんまのまんま

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「しみじみ教」

しみじみ教の教祖は しみじみしている
いつでもどこでも しみじみしている
とってもうれしいことがあると
「とってもうれしいなあ」と しみじみしている
たまらなくつらいことがあると
「たまらなくつらいなあ」と しみじみしている

しみじみ教の教えは「常にしみじみすべし」これだけ
朝目覚めて新たな一日のはじまりに しみじみ
夜寝る前に 過ぎし一日を思ってしみじみ
春夏秋冬 今生かされていることに しみじみ

重い病を患っても 老いて体が動かなくなっても
たとえ死の床にあっても 「しみじみすべし」それだけ

しみじみ教の教祖は 何の役にも立たない
朝から庭のもみじを眺め しみじみお茶を飲んでいるだけ
悩める人の話を聞いても 何も言えず 何もできず
ま どうぞ一服と お茶をいれてるだけの自分にしみじみ
かえって相手になぐさめられたりして ますますしみじみ
もみじ散るこの惑星の小春日和の一期一会に しみじみ

しみじみ教はそれでも いやな思いをしたときに役に立つ
とってもいやな人に出会ったときも
「ああ とってもいやな人だ」と しみじみ
さらにとってもいやな人に出会っても
「いやあ惚れ惚れするほどいやな人だった」と しみじみ
しみじみしているうちに ちょっぴり 惚れてきたりして

しみじみ教には教団も儀礼も戒律もない
もちろん献金もない(そもそもだれも教祖を知らない)
でも しみじみ教の教徒になるのは至って簡単
ひとりしみじみ お茶をすすればいいだけ
しみじみ教は集会を開かない(そもそもお互いをしらない)
この空の下のどこかに仲間がいると互いにしみじみ思うだけ
しみじみ教徒はそれでも ばったり出会ったりする
お互いに妙にしみじみしているからすぐわかる

「もしかしてあなたも」と しみじみ
「いやあいるもんですなあ」と しみじみ
しみじみするばかりで会話は弾まないけれど
お互い喜びも悲しみも察しあって しみじみ

しみじみ教徒はばかにされても しみじみしている
損しても だまされても しみじみしている
ひどく裏切られても「人生だなあ」としみじみ
みんなに見捨てられた人と「人生だねえ」と しみじみ
しみじみ教徒が増えると つまらぬ争いが減り
しみじみ教がはやれば 世界はのんびり平和になるかも

しみじみ教の教祖は今日も しみじみしている
しみじみ教徒のことを案じて しみじみしている
きっといろいろ辛いであろうなあと しみじみ
なんとか耐えて 生き伸びておくれと しみじみ
みな 苦しいときこそ 一層しみじみ道に励んで
しみじみお茶を飲むんだよと しみじみ

しみじみ教の教祖は しかし夢見ている
いつの日か しみじみとこの世の生を終え
みな共にあの世に生まれ出たあかつきには
初のしみじみ大祭をしみじみ開いて しみじみ集い
「いろいろあったけれど いい人生だったねえ」と
みんなで しみじみお茶を飲む日を

しみじみ合掌

深き山霞て見えず美しきかな  あきオジ

2010-10-29 22:31:19 | 日記
見えないものだから美しい
何かがあるだろうという思いは青春なのですね。
何もないだろうと醒めてもの言いをするのが白秋
そして、ありはしないと実感するのが玄冬
そんな気がします。

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欠々(かけかけ)て月もなくなる夜寒哉  蕪村

蕪村の句なら何となく分かったつもりになるのですが、柳多留となるとどのように頭をひねっても「なるほど」が出てこない。ということは、私の頭がちっとも機能しないし教養がない。逆に江戸時代の庶民は回転が速く、洒落を解する教養があったということなのだろう。
この句分かりますか?

光秀と長田ならびに信濃者  柳多留

明智光秀と頼朝を騙し討ちした長田忠致の「不忠者」そして、冬場に江戸へ出て奉公先を大食いで食い倒す信濃者を並べた句。当時、冬季の奉公をするのは信濃の者が代表的存在だったとか。それをからめているのですね。

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2010-10-29 17:04:18 | 日記
凧の尾を追いかけ廻る狗(あのこ)哉  一茶

(狗は子犬の意です。今は河川敷でなければ見られませんが、あれこれ制限があるのでしょうね。犬もリードをつけていないといけませんから、最近は見られない景色と言うことになりますね。最近は野良犬を見ることがなくなりましたね。)

大凧のりんとしてある日暮哉  一茶

(泥臭い。ときとして当てつけがましい表現をして驚かす一茶にしては、穏やかですが、逆に物足りない。十分でないような気がします。生意気なもの言いで申し訳ありません。ただ、ときには言ってみたいのです。)

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ブログを更新しながら、ショパンの曲を聞いていました。なぜか生誕200年ということでショパンの曲が流れていますね。私はせわしなく音を連続させる曲はこのみではありません。遺作となった「ノクターン」がいいですね。甘美でせつなくて日本人の体質にすっと入ってきますね。

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今日雨だったので街の古本屋で「いわずにおれない」(まど・みちお著)を手に入れました。興味ある本がたまりますが、読む余裕が作れません。でも、本を買うのも楽しみです。でも、この本は喫茶店で読んでしまいました。人物が「童謡」の表現そのものですね。

「リンゴ」

   まど・みちお

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ


赤き薔薇天を見据えるりりしさよ  あきオジ

2010-10-29 16:33:36 | 日記
神代植物公園の薔薇です。

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霜ふる音の家が鳴る夜ぞ  放哉

(放哉の出家する前の句です。内容は、よく分かりません。まだ、評論集とか日記等まで進んでいませんし、正直なところ読みなれたものなら見当がつきますがそうでなければ、山頭火の句と放哉の句は区別がつきません。個人的な感情を「そのまま表現してしまえ」が山頭火であり「言いたいけれどもこらえて」という表現が気になるのが放哉という程度のことしか思いつきません。「読み人知らず」でいいじゃないかというのが私の思いなのですが、そうなると、山頭火の句など単体ではほとんど捨ててしまうのでしょうね。まとめて山頭火なのです。)

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山頭火や放哉は人気があるのでしょうか。古本屋に行くと必ずあります。山頭火は解説書だけでも何冊もあります。非日常的なところがいいのでしょうかね。それと気取った俳句でもないし、「自分でもこんなていどなら作れる」と思わせるところがいいのでしょうかね。私も当たり前なのにいい感じ。そんな句が好きですね。最近、あれこれの俳句を見るようになったので、分かったような気分になってきました。本当は、それが怖いのでしょうね。


戦後生まれ戦死者もなく吾亦紅  あきオジ

2010-10-29 16:01:42 | 日記
酔えばあさましく酔はねばさびしく  山頭火

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山頭火の句。「定型でない身勝手さ」「表現の独りよがり」といった基本的姿勢を嫌う人もいます。社会生活の破たん者であり、周囲の人の好意を食い物にするのに俳人を気取っている。許せないという人もいます。というか、「人物が許せないから、俳句も許せない」というのが一般的ですね。そうなると山頭火の周囲の彼を支援してきた人はどのように説明されるのでしょうかね。その辺り、私には分かりませんが、私は人格者が教科書のような品格で評論家が議論するようなレベルの俳句を作ったとしても興味が持てないでしょう。それはそれらの句を愛する人の間で議論すればいいことなのです。私は素人の感性で好きなものを好きなように好きになりたいだけです。今はどうなのかしらという段階です。これからどのようになるのでしょうかね。

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今日、コメントをいただきました。コメントをいただき、その方のブログが分かれば、必ず拝見させていただきます。今日は残念ながら分かりませんでした。人様のブログを拝見させていただいたとき、同じ日に同じ場所で写真を撮っていたことが分かることがあります。昭和記念公園のコスモスのときもそうでしたし、巾着田の彼岸花のときもそうでした。「ああ、この方も写真を撮っていたのだ」とちょっとした驚きです。巾着田のときは、偶然にも投網を楽しんでいるおじさんの写真までありました。きっと、同じ場所で同じ時間帯に写真を撮っていたのですね。そんなとき、一眼レフでなく、いかにもデジカメというニコンの小型デジカメをもっているのが私ですので、声を掛けて下さい。きっと、皆さんは高級一眼レフでしょうから、逆にいかにも安物というカメラで写真をいっぱいとっているので気づくと思います。それでも、ブログだけのお付き合いで十分かもしれませんね。





葡萄売る鉢巻親父の無精ひげ  あきオジ

2010-10-29 04:43:47 | 日記
この時期の華道展では花がバラなどに限られていますので出品する人は大変ですね。
そんな中で吾亦紅がさりげなく飾られているのを見ると嬉しくなります。

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のちの月葡萄に核のくもりかな  夏目成美

(現代作家のような鋭角的な句ですね。これは江戸時代の俳人の句なのですね。「おらが春」という一茶の伝記ドラマにも登場しました。一茶が批評を求めるなど当時としては一茶より格上の俳人だったのですね。最近、拾い読みしたのですが、洗練された俳句作品が多く気にしています。素敵ですね。今は、あちこち興味が散らばっていますが、いつか集中して取り上げたいですね。年寄りにはこのような発見が何よりの励みです。)

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ほおばりて回して噛みきる葡萄かな  あきオジ

2010-10-29 04:05:31 | 日記
寒いですね。
「寒い」と「寂しい」とは重なった言葉なのですね。
最近、そんなことを思うのです。

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現代作家の中にも素敵な句がありますね。

やわらかき身を月光の中に容れ   桂 信子

かりがねや手足つめたきままねむる  桂 信子

(若くして夫に先立たれた女性の孤独感あふれる句ですね。でも、透明感があり、伝わってくるものがいっぱいありますね。)

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