あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ときはそれぞれの針の長さで動くのですね

2009-08-31 06:20:32 | 日記
川越駅前の動く時計

面白がるのは最初だけ
馴れてしまうと振り返る人もいない。
見ているのは、乳母車の子どもと
地方?からでてきた年寄りだけ

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朝の風

早起きするととくをした気分
テレビでは「アマゾンの鳥」とか「知床の番屋の冬」とか
しみじみした風景と、饒舌な人が登場しないで
映像と音楽だけが流れます。
木の上でしか生活しない猿とか
フラミンゴの生態とか
おかしなことを知ります。
そして、クラシック倶楽部を見ると
世間の騒々しさを逃れることができます。
ありがたいことです。

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今日の放哉

をそい月が町からしめ出されてゐる

締め出される。閉じる。分ける。そのような自分と周囲を隔絶する。あるいは、誰もいなくなった。そのような区別する。というような言葉が気になるのが放哉ですね。これって自分だけの思い込みでしょうか。
気分が重くなる句って、このんで読む必要もないのですが、好きなのです。

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落ち着けぬ四重奏なり萩の庭  あきオジ

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今日の子規

朝寒や起(た)つて廊下を徘徊す

朝寒やたのもと響く内玄関

子規の緊張した気配を取り上げた句は、すっきりしていいですね。
「はっ」とする切り口は芸術的というより工芸的です。匠の技、そんな印象があります。それが洗練された子規の魅力なのですね。

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今日の蕪村

うき旅や萩の枝末の雨をふむ

説明がなくても情況が分かります。このような旅の雰囲気は今の時代には、あまり感じられないものですね。脚絆、草鞋、漆傘、振り分け荷物、音のない小道を黙々と歩く、自分の踏みつける草のすれあう音だけが同伴者。それもいいかもしれません。芭蕉、西行等を読んでいると旅に出たくなりますね。

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今日の山頭火

霧島は霧にかくれて赤とんぼ

霧島が見える。はじめは登山するつもりであったが、あきらめた。やっぱり山は登るより麓からの眺めた方がいい。
あいにく天候もよくない。霧島は、その名のように霧にみえかくれしていた。赤とんぼだけが、やけにふえて、あたりをとびまわっている。
悠然と晴れ渡った霧島。その麓に遊ぶ赤とんぼ、山のよろしさ。水のうまさ、あかたんぼのうつくしさ。

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今日の方代さん

一枚の手鏡の中におれの孤独が落ちていた

気恥かしいほどの青春の言葉。誰にも通過してきた
青春の門があり、迷い道があり、
道を見失うときがある。
そんな時代を象徴したような若い言葉ですね。
いいですね。


のびてのびてくさのつゆ   山頭火

2009-08-30 06:08:24 | 日記
川越蔵の街

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それとなく秋風動く新学期 あきオジ

夏風や壁が遮る時はなく  あきオジ

新学期校舎の谷を抜ける風  あきオジ

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今日の山頭火

のびてのびてくさのつゆ   

伝統的な俳句が好きですかと問われれば、「好き嫌い以前に興味がありません」と答えるでしょう。どれもこれも同じで「美の再構成」という意味からも、冒険もなければ改革もない。昔ながら季節感、孫の成長、終戦記念日、そんな素材をよってたかって利用する。NHK俳壇などでは「二重季語」などの指導、過去形より現在形がいいのではないか、そんなことばかり。

ですから、破綻したというか形式を壊そうとする試みるから、面白いから山頭火や放哉に注目しているだけ。そして、そのスタイルを真似ているけれど、真剣に句を作っているわけでなないのです。

「名句といわれる」句を鑑賞し、その伝統を破ろうとする意欲に目を向け、「芸ごと」あるいは、日記代わりに試みてみる。その程度です。でも、続けることはことのほか大変です。

最近はしなくなりましたが、芭蕉を取り上げた解説書などをいくつか取り上げて、比較してみる。季節にふさわしい句を探してみる。それも大変ですね。季節の句を探し、見つけても、その句を自分が、気に入るかどうかの問題があります。しおりをつけて放置しておき、再度読んだ時、気に入ればアップしますが、なかなかそうはいきません。俳句の場合、故事、過去の和歌、あるいは句を下敷きにしていますから、そこから読みとかなければなりません。そんな面倒なこと私にはできるはずもありません。そんなこんなで句を選ぶのが大変なのですね。それでも拾い上げても、数日後には、その記憶もない。そんなことも多いですね。

まあ、いいか、
続けることにだけ意味がある。
そんな感じで進めています。
でも、ときおり、面白いこともありますよ。
突然、「こんな句もあったのか」という発見ですね。
散歩していて野の花に出会う。
気付かなかった風景に包まれる。
空気を感じる。
そんな感じもいいですね。


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今日の放哉

障子しめきって淋しさをみたす 

放哉の「寂しさ」「ひとり」にこだわる句にであったとき
この方は、こだわった自分から抜け出すために句にしている。
だから、本当は「寂しい」などというのは「抜け殻なのだ」と思うのです。
そう、そこには放哉はいないのですね。

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今日の蕪村

暮まだき星の輝く枯野哉

山をこす人にわかれて枯野かな

蕪村が取り上げる枯野には独特の風景が広がりますね。
美しいし空の青さが輝いている。

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今日の芭蕉

名月や児(ちご)たち並ぶ堂の縁

技巧的にも芭蕉「さすがの芭蕉」そんな句ですね。一歩誤れば厭味だし、技巧が気になる句ですが、いいですね。「阿弥陀堂だより」に登場する飯山の阿弥陀堂を連想しました。でもこの「児」とはどのような存在だったのでしょうか。


コスモスなんぼでも高うなる小さい家で  放哉

2009-08-29 20:25:48 | 日記
川越の暖簾

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暖簾越し備前焼見ゆる秋日和  あきオジ

若坊主言葉も硬し秋の風  あきオジ

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一日、「剣客商売」を見ていました。
情感たっぷりの音楽が流れると、簡単に池波正太郎の世界に入ります。
小兵衛、大治郎の親子の情愛も美しいし
小兵衛、おはる夫婦、大治郎、三冬夫婦も楽しい。
そして、
正義が勝つ図式ができあがっています。
ですから、
簡単に悪ものが殺される
非情さもあります。
それがなくても物語が成り立つと思うのですが
ファンはそれを許さないようです。

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悪い奴

そんな簡単に殺されるほどに親は軽く育てたのでしょうか
これまで悪いことしか考えない悪い子だったのでしょうか
博打に夢中になり、酒なしで生きられず
女と知れば手を出す。
そんな若さだけの男だったのでしょう。
ある男には妻子もあったでしょう。
理由も聞かれず
言い訳もなく
殺される「悪い奴ら」が無残
そのように演じることを求められた悪もの
気の毒であることが
それでいいはずがない。
でも、それで営業が成り立っている。

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コスモスなんぼでも高うなる小さい家で  放哉

この句が懐かしくなる季節ですね。
昭和記念公園のコスモスはまだまだですね。
その前に彼岸花の季節ですかね。
このようにして待つから一日が長く
過ぎてしまえば、待ったときの心のときめきは
どこかへ行ってしまう。

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今日の子規


鳥海にかたまる雲や秋日和(あきびより)

鳥海という言葉の響きもいいし、秋日和という柔らかな言葉もいいですね。
ときとして言葉のイメージを重ねることで新たなイメージを作り出す。そんな技巧で作られた句かもしれません。

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今日の蕪村

三井寺や日は午(ご)にせまる若楓

今日は猛暑日、猛暑日の句はないか探しましたが
そう簡単には見つかりません。そこでこの句を
夏の緑は涼しいのは木の下だけで緑は、別の意味で暑苦しい。

……

バス停に並ぶ子らの日焼けかな  あきオジ

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日にかかる雲やしばしのわたりどり  芭蕉

2009-08-28 05:26:13 | 日記
川越の看板

くらづくりの街の看板です。
この看板が川越では一番多いですね。
それぞれの店がそれぞれに工夫しています。
その店の歴史そのものですね。

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駄菓子屋の幟夏を登りゆき あきオジ

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今日の牧水

海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ   若山牧水

ひたすら懐かしい。
我が生まれ育ったところ
沼津、香貫山、高校生
苦い思い出しかないけれど
死ぬまでに一度だけ訪ねてみたいところです。
でも、今は、その時期ではないようです。
そう
ものごとにはその時期があるのです。

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今日の山頭火

疲れて足を雨にうたせる

濡れながら宿を求めて歩く。何んとかかんとかいってことわられる。安宿も満員、つかれた足を、雨がはげしく打つ、教えられて、はずれの一軒の宿に泊めてもらう。宿には風呂がない。
一日の疲れた足を雨に打たせて洗う。法衣に浴びせかけられた泥をはらい、足を休める。きょうは芋焼酎を三杯ひっかけて、やはめに寝てしまうことにしよう。
つかれが、次第に遠のいてゆくのがわかる。外では、まだ雨の音が、いつまでもつづいている。

日記セットにしたとき、静けさと匂いが湧きたつ、それが山頭火の物語の面白いところ。

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今日の芭蕉

日にかかる雲やしばしのわたりどり  

芭蕉の俳句そのまま、堂々としていて品がある。でも、今の私にはそれ以上はありません。ですから、そのまままでいいのです。無理して深い理解をすることを求めません。そのうち、気付くことがあるかもしれません。あるいは、ずっとそのままで・・・。それでいいのですね。

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今日の放哉

山登りきりて山の唄うたう

この句、放哉としては心境が透明だし、同調しようとする気配を感じて嬉しい。歌を歌うなど放哉の表情などからして想像できなかった。
それにしても、外見で判断する怖さもあるけれど、それしかないこともある。

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今日の方代

地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つもつべし

この歌、すごくよくわかる。「うむ、うむ」という感じかな。秘密の一つや二つ抱えて、そのまま死んでいくぐらいの覚悟がなければ、面白くない。それにしても恥ずかしくて言えない秘密など、秘密に入らないでしょう。


師走の夜の吊鐘ならす身となり  放哉

2009-08-27 06:08:36 | 日記
時代植物園のモミジアオイ

この花、こどもの色紙を切り抜いたような形
風通しのいい形
スコットランドかどこかの国で育てられている花のようです。
日本人はそれほど好まれない花のように思えます。

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今日の放哉

師走の夜の吊鐘ならす身となり  放哉

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今日の方代さん

右左口(うばぐち)の名に負うお坊先生も死んでしまえば石とこうろぎ

右左口の峠の道のうまごやし道を埋めて咲いておるらん

方代さんの若い時の作品には新鮮さと同時に品格があるように思えます。なぜだか分かりません。しかし、生活していないと見えない景色を表現していて、信頼できる歌人のように思えます。
私は、「野暮ったさ」が残る作家が好きなのです。

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今日の蕪村

しら露やさつ男(を)の胸毛ぬるるほど

「さつ男」とは猟師のこと。それが分からない理解できない。しかし、俳句の題材となるのですね。背丈のある篠畑の中を歩く猟師の姿が桐の中に消えて行く。秋らしい雰囲気がいいですね。

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今日の一茶

うしろから寒が入る也(なり)壁の穴

さすがの一茶というよりなるほど一茶という作品ですね。
低俗と趣向の面白さのすれすれを楽しむのが一茶ですね。
俳人になって、安定した収入を得るために、苦労があったと思います。
旦那衆を適当におだてながら弟子にしておかなければいけないでしょうし
高踏的になりすぎて弟子が離れるような作風には進めないでしょうし
葛藤もあったと思いますが
その微妙さが人間的であり
楽しめるとことですね。

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金音が響く蔵の瓦屋根  あきオジ

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夕べの風

どのような体勢でも体が水平になると眠ってしまいます。
起きていなければならない理由がないからです。

知人が聖フランチェスカの言葉を引用してました。
「愛されるより愛したい」論理がひっくり返ってしまった。
だから、言葉が動き始めたのですね。

月は冴えざえ人の世またく寝入りたり  放哉

2009-08-26 05:28:14 | 日記
柴又参道のみやげもの店
もう、寅さん人気だけが頼りの土産物店
何か、寂しさも漂う。
売り子のおばさんも覇気がなく
売れない苛立ちのような
呼びかけの声がささくれている。

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今日の放哉

月は冴えざえ人の世またく寝入りたり 

淋しいぞ一人五本のゆびを開いてみる

「冴え冴え」というのは文芸的な言葉ですね。
日常生活の中では滅多に使わない。
古い時代を知っている人の中で
「小月冴子」というダンサーがいたことを知っている人がいるだろう。

「淋しい」「寂しい」意味が違うのだろうけれど
ときには、気分によって使い分けている。
「淋しい」は、画数が多い分だけ淋しさには、秋から冬の淋しさのようであり
「寂しい」には、音のない夜更けを感じる。
でも、なぜか、どちらも、胸を絞められるような痛さがない。
そんな気がします。
本当は、もっとぴったいするような言葉があるのだろうけれど
思いつかない。

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今日の若山牧水

裾野にて

天地(あめつち)のこころあらはにあらわれて輝けるかも富士の高嶺は

裾野という位置関係がいいですね。
堂々としているだけでなく「迫りくる」威圧感を受けるところなのですね。
この歌は万葉集の現代語版ですね。
威風堂々

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今日の芭蕉

暑き日を海にいれたり最上川

このような句が置き去りにされる季節になりましたね。
もう、あちこちで彼岸花とかコスモスの話題が出ています。
年年歳歳そんな感じですね。

寂しさや須磨にかちたる浜の秋

須磨よりさらに荒涼とした浜がある。そんな比較している。
寂しさが比較される。
その比較がいっそうわびしい。
比較してどうこうということではないだろう。

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朝の風

どうしようもないわびさしは西から吹いてくる。

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夕べの風

「私の好きなもの?」

食べ物は「腹に入ればそれでいい」程度の興味です。酒は嗜みません。もうしわけありません。出鼻を挫きましたね。

音楽はあまり好みません。最近は毎朝6時からクラシック倶楽部を聴いています。
またN響アワーを聴きますが、コンサートはトイレが近いので出かけません。好きな音楽家はバッハ、フォーレ、ブラームス。演歌は好のみではりませんが「ちあきなおみ」は好きです。冨田勲の映画音楽は好きです。

映画は大型テレビに更新したのでDVDをレンタルして見ています。小津安二郎、黒沢明、今村昌平作品を繰り返し見ています。どの監督の全作品4巡目くらいです。ついでに、「男はつらいよ」も見ています。DVDを購入し、繰り返し見ているのは「阿弥陀堂だより」「山の郵便配達」「ニューシネマパラダイス」「東京物語」「赤ひげ」「駅」です。最近、面白かったのは「メガネ」です。これから、石井輝夫監督作品に向かおうかと思っています。

テレビでは「剣客商売」「鬼平犯科帳」「シャーロック・ホームズ」「名探偵ポアロ」をスカパーで連日、見ます。「ホジュン」「チャングムの誓い」「砂時計」も一気に見ました。

本は現在「剣客商売」「鬼平犯科帳」「名探偵ポアロ」「シャオーロック・ホームズ」を映画と比べてみています。「シラの書(旧約聖書)」や「法句経」を訳をかえて読んだりするのも楽しみです。全巻読破マラソンをしているのが「万葉集」「山家集」「芭蕉」「蕪村」「一茶」「山頭火」「放哉」などでです。

楽しみにしているのは「電車の見える風景」などを写真にすることでしょうか。好きな言葉は「それでいいのだ!」「彼は彼の旅」などでしょうか。




捨てきれない荷物のおもさまえうしろ  山頭火

2009-08-25 05:47:02 | 日記
柴又の踏切

「踏切」という言葉
どうして、このような言葉になったのか
不思議ですね。

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今日の山頭火

捨てきれない荷物のおもさまえうしろ 

この句、山頭火の代表作ではないでしょうか。
含蓄があっていいですね。
読み方いろいろ
煩悩
過去にも未来にも
ぶらさげて歩く。

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今日の子規

野分けして上野の鳶の庭にくる

この野分という言葉がいいですね。黒沢明監督の「姿三四郎」の
決闘のシーンに出て来るような風景
峠に風が流れる薄が大きくなびく
そんなことを連想します。

それと「鳶」という職業の粋がいいですね。
半纏を着ての仕事姿も洒落ています。
その組み合わせで絵になっているのでしょう。

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今日の一茶

深川や蠣殻山の秋の月

隅田川の下流では牡蠣が取れたとか
そんなことを含めて、しみじみしたいい句ですね。

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夕べの風

暑さ寒さだけでなく
夜の長さも彼岸まで・・・・

そんな感じですね。
年寄りには寂しい季節になりました。



朝の風

ときには姿勢を正して
しゃんとして歩き始めよう。

昼寝する人も見えけり須磨の里   子規

2009-08-24 06:05:59 | 日記
柴又船橋屋です。
この暖簾シリーズはいいですね。
プロならとっくに京都の暖簾とか
そんな写真集を出しているのでしょうね。

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朝の風

ときにはエネルギーの無駄使い
精神の緊張と、そして、思い切りの発散

ためるの好きな人いるけれど
バランスを大きく崩している。

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今日の子規

昼寝する人も見えけり須磨の里   

昼寝の風景は、子どもだけになってしまったのでしょうか。
でも、いいですね。
いつも、思うので漁師まちの昼休み
きっと、働く人の暮らす集落は
信じられないおおらかさに満ちているのでしょうね。
家族そろって昼寝
外は真夏の日差し
いいですね。
絵になりますね。

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今日の放哉

米洗ひつつあした下る舟

放哉には米が登場することが多い。
山頭火もそうですね。
米が生活を象徴している。
今の時代も同じなのでしょうか。
それとも具体的には現金でしょうか。

でこでも、なんでも買える。

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今日の一茶

すりこ木もけしきにならぶ夜永哉

すりこ木までも家財道具として見られるような貧しさ
荒涼とした気分をえぐり出した句ですね。
これを他人事のように句にするところがすごい。
この句から伝わってくるのは貧しさではなく
「まあ、こんなものだろう」という自負心。
でも、家族がいたとしたら、何か言いたい。
そんな句ですね。

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今日の放哉

鯛味噌に松山時雨きく夜かな

この「松山」の意味を知っている人いませんか。
ちょっと気になりますね。松山の時雨だと
いかにもという句になりますが、はたして、地名の松山でしょうか。
まあ、読んだけれどわからない句に入れておきましょう。

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盆踊りさゆうに揺れるへちま哉  あきオジ

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木槿の花がおしまひいになって風吹く   放哉

2009-08-23 06:03:37 | 日記
上野不忍池の蓮

今年もハスで楽しみました。
これからはコスモスですね。
去年は確か、彼岸花を楽しみに出かけました。
あの不思議さは、なんとも
いえません。
好きなのはコスモス。

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今日の蕪村

やぶ入りの夢や小豆の煮るうち

この句いいですね。藪入りで帰ってきた子どもであるけれど
ほっとしたのか居眠りをしている。こんなことも小豆の煮えるまでの一時なのだというのもいいですね。
この句は蕪村の代表作の一つなのでしょうか。
他の評価はどうでもいい。
自分は名作だと思っています。

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今日の放哉

木槿の花がおしまひいになって風吹く  

この終わっていく何かの余韻がいいですね。
置き去りされて残る自分
その自然との対比が放哉の俳句なのですね。
自然が移ろい
世に生きる人は、その流れに
誘われて日常を維持していく。
しかし、ことごとく自分を表現することで
失敗する放哉は
自分を抑え込んでも
おきざりにされる
どうしようもない自分なのですね。
そのやるせなさが伝わってくる句ですね。

人生は土産などもたない手ぶらの旅みたいなものなのですね。

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今日の斎藤茂吉

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

力強く、壮大な景色を描くのはやはり斎藤茂吉
よどみなく壮大でいいですね。あれこれの古典的知識がなくても
鑑賞できる短歌は気持ちがいい。
この歌は、蔵王のどこかに歌碑がありそうですね。

蔵王のスケールの大きい山の風景
いいですね。感動します。

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今日の子規

つらなりていくつも丸し雪の岡

先ほど斎藤茂吉の歌を取り上げましたが、ここでは子規の句
スケールの違いというか表現形式の違いがもたらす緊張感の違いが面白いですね。

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今日の方代

何ごともなかったように一本の杉は季節の花をつけたり

方代さんの若い時の言葉の選び方は直線的で爽やかですね。
「なにごともなかったように」が方代さんですね。
気持ちよい歌ですね。
震えるような緊張で添削している姿が想像できますね。

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朝の風

八月になり、あちこちに気持ちが散らばり
出かけようと思ったら天気が悪いとか
花の写真を撮りたくても開花時期ではなかったり
今のところ、タイミングが悪いですね。

まあ、いいか。

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今日の一茶

ふるさとや寄るもさはるも茨(ばら)の花
 
解説
故郷の柏原に帰ってきた。しかし、会う人はことごとくトゲのある茨の花のようなもので、誰ひとり自分を暖かく迎えてはくれない。

解説がしゃれてますね。
 
 
大蛍(おほぼたる)ゆらりゆらりと通りけり
 
解説
大きな源氏蛍が、暗やみの中を大きな弧を描きながらゆらりゆらりと飛んでゆく。

これを写生の句だとすれば、なかなかですね。さすがの一茶。劇的。
 
 
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ
 
解説 わが家の座敷で大の字に寝そべると、折から涼しい風が吹いてきて、とても気持ちがよい。しかし、故郷では誰ひとり暖かく迎えてくれる人もなく、一人ぼっちとなった自分の寂しさがこみあげてくる。

庶民派一茶ですね。この句にしてはいけないような微妙さの綱渡りが一茶ですね。
 
寝せつけし子の洗濯(せんたく)や夏の月
 
解説 夜になって子どもを寝かしつけた農家の女が、休む間もなく小川で洗濯をしている。夏の夜の月がその流れにきらめいている。

まとめて読むと一茶もいいですね。
夏のいい雰囲気が伝わってきますね。
ちょっと、好きなところが出てきました。

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夕べの風

「男はつらいよ」を見ていたら
画面にテレビが出てきました。
チャンネルは回転式のものでした。
あの形を知っているのとリモコンしかしらない。
ここで世代が分かりますね。

東京オリンピックを知っているのは60代ですね。
あれと同じですね。

きっと、これからは電動歯ブラシを知っている。
それしか知らない。
そんなこともあるかも知れませんね。

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秋風が床這うばかり新学期  あきオジ

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ブログをいじっていたら
半日過ぎました。
楽しい道楽です。






落ちかける石を抱えて藤の花  子規

2009-08-22 06:34:03 | 日記
昭和記念公園の向日葵

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今日の子規

落ちかける石を抱えて藤の花  子規

季節外れの句ですが。「ある」と思わせる句ですね。
こんな風景が日本人は好きなのですね。

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今日の一茶

鳴く猫に赤ん目をして手まり哉

手まりをして遊ぶ女の子とまりに
ちょっかいを出したい猫との対比が面白い。
いかにも一茶
でも良寛と間違いそう。

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今日の方代

一枚の手鏡の中におれの孤独が落ちていた

いかにもという内容で表現ですが、これはこれで、方代さんの作なのでしょう。一通り読んでみたところで、年代ごとの作品を比較してみたいですね。

すてられし下駄にも雪がつもりおるここに統一があるではないか

下の句が、この歌の独特のまとめ方なのでしょう。深い意味があるというより脈らもない言葉をつなげたときの意外な響き合いを楽しんでいる。そんな感想をもちました。もちろん、正当な読み方があり、解釈もあるのでしょうが、そんなことはどうでもよくて、自分は自分です。

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夕べの風

昨日は、プロバイダーの都合なのでしょうか
朝は、更新ができず、そのままになってしまいました。
年をとると待つことができません。
「まあ、いいや。午後になったら」という切り替えができないのですね。

これからは更新もゆっくりしましょう。

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