あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

燃える秋灯りがもれる森の家  あきオジ

2010-11-30 20:58:50 | 日記
こころ疲れて山が海が美しすぎる  山頭火

草にねころぶや死を感じつつ  山頭火

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長く読み続けると、何となく言葉やリズムが馴染んでくるのですね。
不思議です。
母親が赤ちゃん言葉を読みとれるのと同じなのでしょうね。

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秋深し声する森はありがたき  あきオジ

2010-11-30 06:50:18 | 日記
嫁入の徒(かち)で吹るる霰かな  去来

(この句、映像的に素晴らしいですね。日本映画でいえば「たそがれ清兵衛」にでも登場しそうな鮮やかな景色です。黒沢明ならごてごての色彩で描いたかもしれませんね。でも、貧しい農村を歩いて嫁入りする行列があり、農道の背景には大きな山が迫っている。そして白い霰が舞い落ちて来る。いいですね。)

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いにしえを語ることなき門に冬   あきオジ

2010-11-30 06:29:45 | 日記
皇居の中でいくつか残されている門です。
威風堂々というか
不気味というか
説明できない威圧感がありますね。
秋になると銀杏の背景として役割をはたしています。

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生残る我にかかるや草の露  一茶

父ありて明ぼの見たし青田原  一茶

(句のできについては分かりませんが、一茶にもこのような正統的な句があったのだと思いました。40歳前後の句ですから、父親の死を迎えた時期の句なのですね。しみじみが伝わってきます。)

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時雨降る池に映りし寒椿  あきオジ

2010-11-29 21:25:04 | 日記
ひとり寝の紅葉に冷えし夜もあらん  子規

(これだけでは十分に理解できないのですが、背景にいただいた鹿の陰嚢製の煙草入れがあるのです。そのような下敷きがある句は好きでない私にはどうでもいいことですが、その辺りの言葉遊びを楽しめれば俳句も楽しいでしょうね。)

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もずが鳴く森に夕日がさしかかり  あきオジ

2010-11-29 21:13:47 | 日記
秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙  草城

(現代作家だけあって観察が鋭く鋭角的ですね。それがいいのかどうか分かりません。武骨で笑えるような句が好きなのですが、現代作家はこのような傾向ですね。この表現の良否を議論するのですから、神経戦ですね。句会を嫌う人が多い理由がわかるような気がします。)

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山深し心に落つる秋の水 心敬

(いかにも僧が扱いそうな素材ですね。そして表現がそれらしい。でも、今一歩ぬけでた句であってほしいなどと勝手に思っています。)

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手をあげてさよならしてる柿の駅  あきオジ

2010-11-29 15:30:04 | 日記
人去って行燈きえて桐一葉  一茶

木母寺の花を敷寝の蛙哉  一茶

(短い語数の中にあらゆるものを盛り込もうとするのが人情だと思うのですが、俳句とは引き算であり、余韻に語らせる技術を要する文芸ですから、文化的に共通した安定があって始めて省略が可能な文芸なのでしょうね。今の時代のように多様性が強調されるとと、価値観を同じくするのは結社という密室的な世界にしか生きられるないのかもしれませんね。)

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濡れ落葉滑り転げててれ笑い  あきオジ

2010-11-29 15:23:06 | 日記
御嶽の料理店の入り口です。

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生死の中の雪ふりしきる  山頭火

鴉ないてわたしも一人  山頭火

(「ひとり」と並べて変換すると「一人」「独り」が出てきました。使い方によっては意味合いが違いますし、景色も変わります。いつでも、そのときに気分で使い分けるのですが、そろそろ、文字の意味合いも考えられるようになりたいですね。)

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