貧乏石好き

つれづれなるままに石をめぐりてよしなきことを

生駒山産鳴石

2022-06-01 21:08:02 | ややレア

珍奇鉱物、珍石奇石の一つと言えるかもしれない。(なんかトレンド意識してる?) たまたまです。
生駒山産鳴石。セルフクリエイションさんより。そこそこの値段。まあ天然記念物だしね。
ちなみに天然記念物を売買したからといって、即違法というわけではない。指定地域の採取は禁じられていることが多いけど、周辺とか、オールドストックなら問題ない。桜石だって周辺地域採取のものが売られているしね。北投石なんかもたまに市場に出る。「鳴石は戦前ごろまで宝山寺参道で土産物として売られていた」というもある。(はいはい弁解乙)

左右約80ミリ。美しいとはちょっと言いづらい。あちきもぽちろうとして手がいささか迷った。
「ゆかり」の塊に小石が混ざったみたい。「ゆかり」って三島食品登録商標で、全国シェア90%を誇るらしい。すごいね。(余計なことを)
振ると音がする。硬質な音ではない。コルコルって感じ。で、鳴る石との名がついた。鈴石という呼称もあるらしいけれど鈴のようなきれいな音がするわけではない。
触っていると表面の砂粒がけっこう落ちる。(壊すなー)

同類のものは各地で出て、石団子、子持ち石、壷石、岩壷、ハッタイ石といった呼称もある。ハッタイは麦焦がしのこと。と言っても麦焦がしを知らない人は多いでしょうけど。
岐阜県瑞浪市・土岐市のものも有名で、瑞浪のものは音が出るので「瑞浪の鳴石」、土岐のものは「美濃の壺石」と呼ばれる。ウィキペディア「美濃の壺石」、瑞浪市ホームページ参照。

「鳴るからどうなんだよ」と言われるかもしれないけど、そういう問題ではない。
この石、ひょっとするととんでもない歴史を秘めているかもしれない。(また大げさな)

正体は褐鉄鉱。リモナイト。と言っても褐鉄鉱は鉱物名ではなく、ゲーサイト(針鉄鉱 FeO(OH))とレピドクロサイト(鱗鉄鉱 FeOOH)の混合体。って、この化学式、違いがわからない。OOHって叫び声みたいでおかしくないかい?(素人は黙っていなさい)
ゲーサイトは文豪で鉱物愛好家でもあるゲーテの名前を冠した鉱物。ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い。これがジュウエイの元歌ね。(記事を飛び越えて解説を書くな) レピドクロサイトはよく水晶の中に赤い斑点として入っている。単体では出ないとか。
リモナイトというのは、最近は犬のウンコを無臭化する飼料添加物として人気らしい。こんなん食わされてだいじょぶなのかしらね。(駄弁大杉)

鳴石はどうやってできるか。
泥の中で酸化鉄が卵の殻のような感じで固まる。その後中の泥が乾燥・収縮して空洞ができ、固まった泥や含まれていた小石がカラカラと転がりまくるということらしい。なんで鉄分が卵殻状に固まるのかはわかっていない。
端的に言えば「錆」なんだけど、嗅いでみても臭くはない。こすった指がサビ臭くなることもない。不思議。

土砂の中に丸っこい石の塊があって、手にとってみるとコロコロ音がする。(擬音語もころころ変わってるぞ) 古代人はびっくりしただろう。いや、現代人のあちきだって、そんなものを見つけたら驚くでしょうね。
で、割ってみると、中にぬめっとしたものがある。カオリナイトないしハロイサイト、つまり粘土。
「これは特別な物に違いない」と思うのも当然。
で、古くから中医学ではこれを薬とした。禹余糧(うよりょう)と呼ぶ。夏王国の聖王「禹」さんが治水工事出張の折に余った弁当を埋めたのが石になったということらしい。(弁当なのか?)
禹余糧は中国最古の医薬本、後漢末3世紀頃の『神農本草経』に記されているというから実に古い。止血などの薬効があるとされる。四世紀初頭の道教書『抱朴子』には「太乙(一)禹余粮」という名で不老長寿の仙薬と記されている。正倉院御物にも兎余糧が薬の一つとして収められている。おやおや。試してみなかったのかね。

まあきわめて特殊な石の中から出てくる物質だから、特別なパワーがあるだろうと思うのは自然のこと。冬虫夏草だって、ものすごく奇妙な生物だから特別なパワーがあると考えられているわけで。まあ実際何かはあるでしょう。唯物論医学がすべてではない。
日本でも江戸時代には漢方がさかんで、美濃・土岐のものから採れる内包粘土は傷薬、止血剤として売買されていたという。

     *     *     *

で、この褐鉄鉱というやつ、ものすごく古い時代の製鉄に関係したらしい。
古代から近世まで、日本の製鉄は砂鉄を原料とするものが主流だった。ところが、それ以前、縄文後期あたりから、褐鉄鉱を用いた低温の古式製鉄が行われていたという説がある。『魏志倭人伝』に倭人は「鉄の鏃」を用いていたと出てくる。交易品かもしれないけれど、砂鉄・たたら式輸入以前に製鉄はあった可能性もある。
その一つの事例が諏訪の「鉄鐸」。平らな鉄を巻いた単純なものだが、諏訪上社の生き神「大祝(おおほうり)」が行なう神事の重要な祭具であった。この「鉄鐸」の分布は東山道を下り高崎市や小諸市、さらに日光・男体山山頂埋納物にまで及んでいる。その製鉄を担ったのが諏訪先住民の「チカト」族で、「千鹿頭神社」は鉄鐸の分布と重なって存在する。彼らは諏訪湖に繁茂する水生植物の根に「鉄バクテリア」によって形成される褐鉄鉱の塊「さなぎ」から鉄を作っていた。鉄鐸は彼ら先住民が作った宝物であった。――まあ物的証拠がないので仮説ですけどね。

この水生生物による褐鉄鉱塊「さなぎ」は、「さなげ」とか「さなる」という地名になってあちこちに見られ、沼や湿地でさかんに鉄原料として採取されたことを匂わせる。現在は「高師小僧」と呼ばれ、各地に産するが、名前の元になった愛知県豊橋市の高師台のものが有名。ちなみに豊橋・浜松あたりと諏訪はいろいろと深い関係がある。
姿は泥でできた円筒ですね。中には植物の根があった穴が開いている。その後土中に埋まって再発掘されることもある。今「高師小僧」として見られるものはだいたいそれ。この前のミネラルフェアで売っていたけど、後でと思ってほかを回っていたら忘れた。残念。
文化財ナビ愛知」から拝借。

水生の「さなぎ」褐鉄鉱によって原始的な製鉄がなされていたのなら、山で採れる褐鉄鉱もまた製鉄原料となっていたことは十分考えられる。砂鉄とたたらによるハイテク製鉄が広まる前、あるいはそれと並行して、ローテクの褐鉄鉱製鉄は、正史に残らないものの、あちこちで行なわれてた可能性はある。
つまり、この「鳴石」は、中を割れば神秘的な薬が得られるし、外の殻は鉄の原料になるしで、古代人にとってはものすごく貴重なものだったに違いない。「お宝中のお宝」ですね。

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もう一つ、鳴石をめぐって、これまでの話とは毛色の違う、大きな謎がある。

《「この「鳴石」が、ヤマト王権発祥の地に遠くない「唐古・鍵遺跡」[奈良県磯城郡]の弥生時代中期の地層から出土した。ここでは「鳴石」が容器(宝石箱?)として、その中に2個の非常に良質の翡翠の勾玉を収納した形で出土している。翡翠は新潟県姫川産と考えられている。……弥生人が何故「鳴石」の容器に勾玉を収納したのかは今のところ不明である。唐古・鍵遺跡の「鳴石容器入り翡翠」の出土を、考古学の泰斗森浩一先生は「僕はこの50年間で最大の地下からの贈り物だとみている。」と感激されている。》(ブログ「山背だより


田原本町「唐古・鍵 総合サイト」より

この翡翠は4.6cmと3.6cmで、弥生時代最大クラスのものだという。この唐子・鍵遺跡ってすごい遺跡らしい。弥生時代はどうも敬遠してしまうので知りませんでした。

ううむ。子宮と胎児? 2つということは来世に共に生まれ変わることを願った?
この石、とんでもない歴史を秘めているのではないか。
まあ単なる宝石箱なのかもしれないけれど。(盛り上げといて下げるな)

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いささか奇っ怪な石の塊を眺め、コルコルと鳴らしながら、古代の医学・製鉄・文化に思い(妄想?)を馳せるのも、また風雅なことではないでしょうか。(風雅というより風狂じゃないかね)
妙に愛着が湧いてきました。



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