丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

幸福な逝き方

2005年12月19日 | 医療・介護・健康
 足掛け4年の付き合いになろうかという利用者さんが逝こうとしている。担当になった時にはすでに寝たきりでコミュニケーションも取れない状態だった。これまでにも何回も「今回こそアカンかな・・・。」というような状況から這い上がってきた。だが、今回は最後になりそうな感じだ。
 既に鼻からの経管も外され、持続点滴で苦痛を和らげる薬と脱水を防ぐ処置のみになっている。病院ではなく老人ホームなので気管切開もせず、酸素マスクのみの対応だ。当然リハビリなんていう場合ではなく、今日中止となった。私も主治医もヘルパーも、このまま蝋燭が燃え尽きるのをじっと見守るしかできない。

 色んな患者さん、利用者さんを送ってきた。特に老人ホームという状況での死はいつも心の中に一抹の感慨が残る。安楽死とは言わないが、かなりそれに近い状況を見かける事が多い。少なくとも病院時代にはあまり見なかった状況である事は確かだ。
 尊厳死という言葉がある。でもそれはあくまで本人の意思が確認できる場合だと思う。重度の認知症では本人の意思を確認する事はかなわない。自分を自分ともわからない父や母あるいは身内を、先の見えない延命処置で来るべき時を先延ばしにするのは忍びない。その気持ちは十分に理解できる。皆、眠る利用者さんの横に静かに座って時を過ごしている。長かった時間と色々な事を振り返っているのだろう・・・。
 そういう姿を目の当たりにすると、鼻のチューブを抜いてしまう事も、ブドウ糖の点滴がないのも、批判する気にはなれない。あえていうならば、少しでも苦痛は少ない状況を作ってほしい。それだけだ。

 以前、自ら断食をして命を絶った老婦人がいた。どんなにヘルパーが食事を取らせようとしてもガンとして食べず、医師の点滴も拒否し、逝った。壮絶な終わり方だった。でも、少なくとも自分の死に方を決める事は出来たわけだ。
 
 幸せな逝き方・・・。どんな逝き方なのだろうか・・・。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (takky)
2005-12-19 21:47:57
この仕事をしていると、天に近い方に会う事が多い。前に、家族の方がターミナルケアを希望している方を介護したが、その時にはもう寝たきりで水分補給のみの状態だった。訪問介護に行くようになって1ヵ月後になくなったのですが、この方のときに家族が「施設や病院ではなく自宅で最後を・・・」というのがとても凄いなと思った。最後の方はお嫁さんが横に寝て家族で24時間誰かしらが様子を見ている状態でした。家族の心なくては出来ないことなので、私は利用者さんにとっては良かったのではないかと思っています。

難しい問題ですけどね。
返信する
生き方・死に方。 (アクア)
2005-12-21 00:54:46
ちえぞーさんこんばんわ。

謙様の一件で少し気分の乗らないアクアですが,

幸福な逝き方・・。私のいる職場はまさに姥捨て山と化した所なので,家族とその患者の長年にわたってきた家庭関係の歪みを目の当たりにしているもので,例え認知症であっても許されない現実ってやつが鞭を打つようにその人に圧し掛かかっていますね。やはりそれまでの自分の積み上げてきた歴史が人生の幕引きに大きな影響を及ぼしていくのだと思われます。

色んな死に方を見てきましたが,本当にその人らしい死に方をしている様な気がしますが。それを幸福と呼べるのかどうかはわかりませんが。。

何だか訳のわからない文章で猿股失敬!
返信する
takkyさま、アクアさま (ちえぞー)
2005-12-22 09:52:50
 生まれてきた以上誰もが必ず迎える終焉ですからねぇ・・・。アクアさんのおっしゃる通り、生き方が死に方を決めると言っても過言ではないと思いますよ(しみじみ・・・)。

 この間職場で「死に対するアンケート」をドクターが取ったんですよ。ヘルパーさんやボランティアさんの多くが「死は怖いもの、考えたくないもの」と捕らえていて、医療職は「当たり前のもの、真剣に考えなくてはならないもの」と答えた人が多かったのが印象的でした。

 イイ死に方をするにはどう生きるべきか・・・て、逆の考え方をするのもいいかも知れないですね。幸いそういうチャンスをたくさん与えられた職業ですから、私たちは。

 
返信する

コメントを投稿