氷室のインタビューが掲載された新聞を紹介したいと思います
これは1週間くらい前に、朝日新聞に「ソロ20年の品格と誇り」と題して掲載されました。
紙面の4分の1くらいを使ってなので、けっこう大きく掲載されています。
記事内容は、以下のとうりです。
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ソロ20年の品格と誇り----
ベストアルバムやシングルコレクションに対してさほど関心が持てないのは、アーティストの本来の姿はオリジナルにあり、
ベスト盤は入門編というアナログ時代の先入観がいまだにぬぐいえないせいかもしれない。
ただ、氷室京介のコンプリートシングルベスト「JUST MOVIN' ON~ALL THE -S-HIT」は違った。
発売順に並んでいるからこそ見えてくる軌跡。単にシングルヒットが網羅されているだけではない。
そこにはその時代の音楽的な葛藤や模索、生活も含めた生き方までもが刻み込まれていた。
"点"が"線"として描き出すリアルで明白な答えがあった。
「
元々シングルヒットを狙ってない曲もありますし。ヒットから逃げている時期もあるんですよ。
思った以上の結果が出てしまって周りに作られてゆくことにストレスを感じたりして、わざと売れそうにない曲やねじ曲がった曲を作ってましたね」
日本のバンドシーンは80年代半ばにBOOWYの登場で決定的に変わった。縦ノリと呼ばれたビート、個々がぶつかりあう関係性、最後まで失わなかった時代との緊張感。
氷室京介のソロ活動は、88年のBOOWY解散から始まった。
ただ、彼は消えることのない"再結成"のうわさに耳を貸すことなく、自分のビートの追及を続けてきた。
「JUST MOVIN' ON」は、そんな20年間の証だ。
「
もし解散した後に、スティングが『EVERY BREATH YOU TAKE』を毎回やるようにBOOWYの曲をやっていたら、今の俺はいないと思うんですよね。
ずっとあのビートから逃げようとしてましたし。音楽に対しての責任感も今の方が全然強い。
歌も全く違うはずでうよ」
BOOWYが"仮想敵"だった時期、音楽そのものに目が向き始めた時期、そして、一人の人間としての有り様を求め始める時期。
彼は自分の活動が三つに大別できるという。90年代半ばからの家族でのアメリカ移住もその中での決断だった。
「
改めて自分がどういうミュージシャンだったか考えると "和魂洋才" と "マーベリック" という二つの言葉が的を射ているのかなと思いますね」
和魂洋才。日本の心と西洋に匹敵する才を持つこと。
マーベリックは "一匹オオカミ" の意味だ。BOOWYの "Φ" には、"どこにも属さず誰にも似てない"
という意味が込められていた。そういう意味では、ソロ20年こそが "Φ" だったことになる。
7月からの20周年ツアーのサブタイトルにはBOOWYのデビューアルバムのタイトル「MORAL」が使われている。
当時の曲もやるのだろうか。「品格が守れる程度に(笑)」
孤高--。 "群れから離れて気品あること" を言う。
(音楽評論家 田家秀樹)
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あえて、ヒットから逃げて、シングルヒットを狙っていない時期もあるんですね~。
う~ん、どの曲だろう?
「思った以上の結果が出てしまった・・・」というのは、おそらく「KISS ME」の事でしょうね。
「わざと売れそうにない曲や、ねじ曲がった曲」っていうのは・・・
SHAKE THE FAKEの辺りって、確か何かと悩んでる時期ですよねぇ?
となると、SHAKE~の曲でしょうか?
売れたからといって、喜べる事ばかりではないのですね。
自分が自分でいられなくなったり、更に上を追求するあまりに悩んでしまったり・・・
常に、方向性についても悩むんでしょうね
一見、華やかで憧れの業界ですが、凄く大変な世界なんだろうな~って思います・・・
もう一つ、読売新聞にも少しだけ掲載されました。
こちらは特にインタビューはなく、アルバムとツアーの紹介でした。
それと、追加公演として、「
横浜アリーナ2DAYS」が発表となりましたね
前の参戦予定日記でも書きましたが、9月13、14日が、ポツンと空いていたので、もしかしたらここに?って思っていたのですが、予想どうりでした
群馬か横浜だろうと予想して、「前橋グリーンドーム」がいいなぁ。
なんて勝手に思っていたんですが、横浜アリーナでしたか。
という事は、ファイナルが
神戸?
いやいや、まだ発表があるかもしれませんね。
でも、いつもファイナルが関東なので、関西でファイナル!っていうのはいいかもしれませんね