古代日本国成立の物語

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◆宇佐神宮

2016年11月04日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 この宇佐神宮についてもう少し触れておこう。官幣大社で豊前国一之宮、主祭神は一之御殿に八幡大神(応神天皇)、二之御殿に比売大神(玉依姫あるいは宗像三女神といわれている)、三之御殿に神功皇后となっている。全国8万以上の神社の半数ほどを占めるといわれる八幡宮の総本山であり、皇室も伊勢神宮につぐ第二の宗廟として崇敬している。
 宇佐神宮が繁栄を謳歌するのは応神天皇が祀られるようになった以降、特に8世紀に入ってからである。旧記や古伝を集めた八幡宇佐宮託宣集によれば「571年に宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひぎ)が祈ると三才童児となり、『我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩』と託宣があった」とある。725年に八幡大神を祀る一之御殿が造営され、その後、740年の藤原広嗣の乱の際には官軍の大将軍である大野東人が戦勝を祈願した。また、743年の東大寺大仏建立の際に宮司等が託宣を携えて上京するとともに建立費を支援したことから中央との結びつきを強めた。そして769年の道鏡・和気清麻呂による宇佐八幡宮神託事件では皇位の継承にまで関与するなど、皇室の宗廟として伊勢神宮を凌ぐ程に大いに繁栄した。

 宇佐神宮の東南方向にある御許山の山頂付近に宇佐神宮の奥宮と言われる大元神社があり、3つの巨石が祀られている。御許山は古来、神が降臨する神奈備山として崇敬され、頂上にある巨石を神の降臨地とする磐座信仰が古代宇佐における最初の信仰であったと言われている。ここに新羅系渡来氏族である辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み、中央から派遣された大神氏が八幡信仰を興し、その後の発展へつながっていくこととなった。神武東征の際には素朴な信仰の地であった宇佐が、書紀が編纂される頃には国家権力を左右するまでの地位になっていたのは大変興味深いところである。いや、だからこそ書紀に宇佐を登場させたのだ。中臣氏(藤原氏)の祖とともに。



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