なんだりかんだり

電動車いすで街に繰り出して感じたことを気軽に書きます。

引っ越しの理由

2024年07月10日 10時49分00秒 | 日記


昨日(7月9日)に引っ越し先の「貸付なんたら」の審査が通り、見事引っ越し先が決まりました。今のところよりは、かなり狭いんですけど、一人暮らしには充分という感じです。4月末より家探しをやってきました。毎週金曜日には必ず内見をしていました。最初に心配していたのは「障害者だから」「車椅子だから」と言う理由で断られることでしたが、でも蓋を開けてみると問題になるのは私が60を過ぎた、一人暮らしだと言うこと。審査会社が望む「連帯保証人がいない」と言うことが1番のネックになったと言うことです。意外でした。最初に「車椅子で家の中で暮らしたい」と言うことを正直に話していましたから、車椅子とか障害者を嫌がる家主の所には紹介しないと言う前提があったからかもしれません。連帯保証人と言っても、誰でもいいわけではありません「第3親等までの経済的基盤のある方」と言う縛りがあります。第3親等は、おばさんかおじさんまでのことを言います。私は親と死別しており、兄弟もいませんから、おばちゃんおじさんにお願いするしかありません。ところがおじさんは90歳ですし、おばちゃんは89歳です。もちろん現役で勤めているわけではありません。そういう感じだと連帯保証人になる資格がないのです。私には連帯保証人はいないと言う事それだけで家を借りられないと言う決まりの不動産屋がいっぱいありました。内見もさせてもらえなかったことがいっぱいあります。一時は絶望的になり、このままだと借りる家がないから、施設に行くしかないと泣いてしまったこともあります。しかし、世の中は親切な人もいて、柔軟な考えを持っている不動産屋や大家さん、営業マンさんがいるのです。「緊急連絡先になるところがはっきりしてれば良い」と言ってくれるところもあり、年金生活でもちゃんと家賃を払うならば良いと考えてくれる人もいました。審査会社の厳しさはそれぞれですが、今回決まったことを見るとやはり営業マンの腕次第と言うところもあるみたい。私の側の条件は何一つ変わっていないのに、今回審査が通ったどういう事はそういうことですよね。とても親身になって、私の家探しをサポートしてくれた営業マンさんが3人ぐらいいます。砂漠でオアシスを見つけたときの気分とはこういうことを言うのですかね。

そして、誰よりも感謝したいのは、家探しに毎週1回車で駆けつけてくれた介護者T君です。私1人では外は動き回れません。いつもお世話になっているヘルパーさん達は家探しや車に乗せて、外に出ると言う事はできないことになっているので、介護者に協力してもらうしかありませんでした。介護者はわかりやすく言えばボランティアです。その人にも日ごろのお仕事があります。私の家探しはその人の休日に行います。せっかくの休みをつぶしてまで私の家探しを助けてくれたのです。この人がいなければ今回の結果は得られませんでした。すごく感謝しています。もちろんその他にも、ネットの検索方法教えてくれたり、こんなのがあったよと情報くれたり、たくさんの人に心配していただいたりしました。皆さん、本当にありがとうございます。これからは引っ越しに向けていろいろなことをやっていかなければなりません。人生64年、20回程度引っ越しをしてきましたが、私1人での引っ越しは初めての経験です。とても不安です。意地を張ったりせず助けてもらうところは助けてもらおうと思います。
もちろんお金も使います。これからが本当の勝負なのでしょうね。がんばります。

今回の引っ越しは一重に「介護保険制度の不備」によるものです。今私は「障害者総合自立支援法」によりヘルパーサービスを受けています。来年の6月には65歳になり「介護保険」にならなければなりません。障害者支援の視点と、介護保険の視点は、大きく違います。障害者の場合は、車椅子に乗ってれば動けないとなりますが、介護保険だと、車椅子に乗っていても、自分で運転できるから動けるになります。今は「障害区分4」ですが、介護保険になると、私の場合「要支援」になるのではないかと、知人の有識者は個人的な意見ですが、そういう風に言います。それで何が問題かと言うと、8割近くのケアが受けられなくなります。残りは全額負担と言うことになりますが、それは膨大な金額になり、とても暮らしていけなくなります。障害者の部分と連携していけるのは、要介護5にならないとできないということです。もちろん正式な回答ではありません。正式な回答は、介護保険を受けるために申請し、認定会議を受けた上で結果出るので正式なものではないけれど、長年の経験から大体こうじゃないかと教えてくれたわけです。正式な回答が出てからでは生活を組み立てるのは大変です。皆さんご存知かどうかわかりませんが、福祉制度と言うのは、市町村単位で行われ、受けられる内容も市町村によって違ってきます。まぁ、ケースバイケースですが、仙台の場合、介護保険の認定は変わらないにしても、介護保険で足らない部分はもともとの障害の方で連携できるということです。それを狙って、仙台ならばとりあえず暮らしていける位の介護サービスを受けられると言う思いのもと引っ越しを決めました。仙台にはたくさんの障害者が一人暮らしをしており、私のようなケースの人も介護保険になってからもそれなりに暮らしていけるようです。介護保険の手続きは結構長くかかるし、担当になったケアマネジャーによってもだいぶ違うということだし、余裕を持って仙台に引っ越して65歳を迎えたいと思ったからです。すべては私のプライベートの事情ではありません。何回も言いますが、介護保険が私の生活を保障してくれないからです。介護保険さえ、ちゃんとしていれば、私は引っ越す必要がないのです。法律が違うと言うこと、視点がということだけで、64歳の私と65歳になってからの私が違うサービスを受けなければいけないと言うのはおかしいと思うんですよ。もちろん介護保険制度で助かっている方もいると思います。それは否定しません。でも私にとっては悪魔の法律です。介護保険になって暮らせないからと言って、なぜ今まで一人暮らししていたわたしに平気で「施設に行くしかない」と冷たく言い放つことができるのでしょうか?これは誇張ではなく、事実です。 

私は一人暮らしを続けたいために大きな賭けに出ています。何もしないで施設にやられるよりはいいと思うからです。がんばります。応援よろしくお願いします。

初コストコ!

2024年07月03日 10時01分00秒 | 日記


6月26日に1日遅い誕生日祝いとして「コストコ」行ってきました。いろんなバラエティー番組で、コストコは紹介されており、ぜひいちど行ってみたいお店でした。アメリカナイズされているので、一人暮らしには量が多いとは聞いておりましたから、事前に分け合って買ってくれる人を決めて、ネットなどでランキングを見ていて、買いたいものを決めていきました。既に行った人の話では「デザートは、サイズが大きいし、すごく甘いのでやめたほうがいい」とアドバイスされていました。そして買い物が終わった先にフードコートがあるらしいんですが「ホットドッグを食べたほうがいい、飲み物は無料だから実質、180円で食べられる」とも教えてくれました。事前のリサーチは念入りにして、わくわくドキドキ気分でスーパーに行くと言うよりは、テーマパークに行くような気持ちで挑みました。宮城県のコストコは富谷市にしかありません。私の家からだと車で50分ぐらいかかりました。ヘルパー事業所が行っている輸送サービス、ドリキャブに乗って、ドライバーさんとヘルパーさんと3人で行きました。コストコは会員制で、会員カードがないと入店出来ないのですが、1枚のカードで3人まで入店できるそうです。ヘルパーさんに会員さんがいらっしゃったので、特にお願いして「移動支援」の枠で一緒に行ってもらいました。とにかく広く、何でもある感じで、普段のスーパーのサイズ感とはだいぶ違います。私が最初に手に取ったのは人気ランキング1位のパンです。1袋36個のテーブルロール、1羽丸々ローストしてある鶏、フランクフルト、桜とり2.5キロ、とろけるチーズ1箱、千切りキャベツ、ナドナド。服も買っていない のに合計21,000円も使ってしまいました(@_@)でも4人で分ける約束をしてたので大丈夫です。常にコストコに行っている方から、大きな買い物袋と保冷箱を貸していただいていたので助かりましたが、私が持っているバックなどはコストコでは通用しないと鼻で笑われていました(笑)4等分したとしても、私の冷蔵庫は満杯になり、多分2週間ぐらいはこの冷蔵庫で食べていけそうです。ローストチキンはもう既に出来上がっており、温めたりして食べればおいしいと言われました。でも未経験でしたので、恐る恐る買ったのですが、これが後で食べてみたらすごく美味しくて、もう1袋買ってきてもよかったかなぁと思う位です。このローストチキンは、家ではなかなか作れません。そして焼き芋好きにはたまらない冷凍の焼き芋もありました。これもすごく美味しくて、冷凍庫から出して、自然解凍して、若干冷たいままで食べても、ねっとりしておいしいのです。もちろん焼いてもおいしいです。これは買いです。 

コストコは本当に楽しいです。毎日行くと言うわけにはいきませんが、1年にいっぺんぐらいならお金をおろして行ってもいいなぁという感じです。ただ本当に山の中にあるので、コストコ以外には寄っていけません。そして車で片道50分かかるので遠いところです会員になる感じではありませんが、友人知人に会員がいたら、そして分け合える人たちがいたら、一回は行ってみたらいいと思います。とにかく満足な1日でした。

一緒に行ったヘルパーさんは、サ責なんですが、買ってきたものを4当分に仕分けするのを2時間もかけてやってくれました。これは本当に業務と言うよりは「責任感と親切心」
からやってくれたことだと思います。本当にありがたかったです。感謝しています。

64回目の6月25日

2024年06月26日 07時00分00秒 | 日記


昨日、6月25日は64回目の誕生日でした。毎回書きますが、7か月半の早産で生まれた私。当時医師からは「一週間持たない」と診断されたそうです。それなのに生き残っている奇跡は、私が食いしん坊だったせいかも。母は医師から「一回くらい思い出におっぱい口に含ませてみたら」と勧められて、口におっぱいを持っていったら、チュウチュウとすったんですって、それをみた医師が助かるかもと俄然やる気になったらしいです。そしてもう一つは、当時未熟児を育てる「保育器」は保険適用されておらず一般の産院には常設されていませんでした。だから私は、ダンボールに毛布を敷いて、湯たんぽを入れたところに寝かされていましたが、母の同級生にお産婆さんがいて見舞いにきた時「これではかわいそうだ、出来るだけのことはしましょう」と、県立病院から保育器を借りてきてくれたことです。いろんな人とのつながり、両親の弛まぬ努力と愛情により、私は「生かされて」います。お父さん、お母さんありがとうございます。いろいろ大変なこともありますが、なんとか踏ん張って生きてます。社会に役立つ人にはなれなかったけれど、生まれて生きている命はそれだけで尊いのです。誕生日バンザイです。

そして、一日遅くなりしたが、今日が誕生日祝いです。常々行きたいと思っていた「コストコ」に行くんです。楽しみだわ。


紫陽花の季節

2024年06月19日 06時06分00秒 | 日記


今週(12日から18日)は今年初めて冷房を半日だけ点けました。梅雨はまだ来ていないのに、夏日があったり、雨がいきなり降ったり不安定な天気が続きました。天気が良い日に外出して近くの公園を歩いていたら、紫陽花が綺麗に咲いていました。多賀城跡では「あやめ祭」が15日より開催されてぃます。建城1300年祭と、その根拠となる碑が国宝に指定されることが決まりまして、あやめ祭りも例年にまして盛況のようで、周辺の道路が混雑しています。

相変わらず、家探しを頑張っていますが、な
かなかが見つかりません。仲介会社の営業マンの方たちは1部を除けば大抵は親切です。一生懸命探しているのですが、これと言う感じのものが見つからず少し焦っています。それがストレスになりついつい甘いものを頂戴してしまいます。我慢しなきゃいけないんですけどね先日は「抹茶カフェ」なるところでお茶して来ました。


「抹茶オーレとわらび餅」を食べたんですが、昭和の私からすると、もっと和のティーストにして、食器なども陶器にすれば良いのにと思いましたが、一緒に行った人は「今の人にはこういう感じがいいんじゃないか」と申しておりました。せっかく美味しいし、値段も安くないのでもったいないなぁと私は感じたいんですけど。


家探しの壁

2024年06月12日 10時01分00秒 | 日記


今週(5日から11日)は、気持ちの浮き沈みが激しい週でした。今、仙台市に家探しをしています。私は、一人暮らしで、歳も60を超えています。親は死別、兄弟も居ないという状況、自分の努力だけではどうにもならない条件を出されて、手続き出来ないことが多々あり、先日などは「連帯保証人がいない」(第三親等🟰叔父、叔母まで)というだけで内見を断られました。事前のメールで状況は書いており、相談に乗るからとまでいっていたのに、営業所に行ったらこの扱い。大家さんの考え方一つらしく、中には「緊急連絡先がはっきりしてれば良い」というケースもあるとは言われましたが、門前払いです。親も兄弟もいない。1人ではどうにもならない状態に絶望的な気持ちになりました。悲しくて、悲しくて、ただこの地域で暮らしていきたいだけなのに、介護保険とか、住んでいる地域とか、そんな状況によって私がここにいられなくなると言うのは本当に悲しいです。ちょっと考え方を変えていただければ、充分に1人でやっていけるのに。気軽に「施設に行けば」と片付けないで欲しい。小学校から高校まで親元離れて、養護学校の寄宿舎生活をして、大人の顔色を見ながら、今なら虐待に値するようなこともされて、友達からもいじめられ、高校卒業して、やっと親元に帰り、地域での生活を一歩一歩、築き上げ、家の中の設備も少しずつバリアフリーにして、やっと暮らしやすくなってきたと言うのに、来年の介護保険が、私の地域生活をできなくしてしまいます。市町村の考え方次第なので、仙台に移れば、可能になってくる地域生活だから、頑張って引っ越そうとしているのに、私に家を貸してくれるところがどこにもありません。その理由が「連帯保証人がいない」というだけです。応援してくれる友達などはたくさんいるのに、血のつながりってそんなに重要なんですかね?
本当に絶望的な気持ちです。まぁ泣いたら少しスッキリして、前向きな気持ちになりましたけどね。柔軟に対応してくれる大家さんを探すしかないです。営業マンによっては一緒に考えてみようと言う人も出てきました。がんばれ私。

 先日の日曜日に母方のおじさんといとこが3回忌を過ぎてしまいましたが、お線香をあげに来てくれました。叔父は90歳です。それでも来年も来ると言って元気な姿を見せてくれました。あまり仲が良いと言う兄弟ではなかったけど、ちゃんと母の誕生日を覚えていてびっくりしました。釜石の名物もお土産にいただき、母も喜んでいることでしょう。

そして昨日、歯医者さんに定期検診に行ってきました。歯のクリーニングと、入れ歯の調整だけで終りました。もう半年近く異常が見られません。よかったよかった。世の中で1番嫌いなのが、歯医者ですから。

気分を取り直して、また家探しに邁進していきます。協力してくれる人もいるので、泣かないで頑張っていきたいと思います。