6月25日に58回目の誕生日を迎えました。産まれた時は、7ヶ月半の早産で、体重が、1370gしかありませんでした。首に臍のが巻きついて、仮死状態だったとか。医師に「助からないから、名前をつけて埋葬料がもらえるから」と言われてしまったそうです。一般の産院には保育器がない時代、ダンボールに毛布を敷いて、寝かされていたらしい。まるで捨て猫の状態。
ところがここから私の奇跡ははじまるのです。その産院には、母の同級生が助産師をしていまして「助からなくとも手を尽くして欲しい」と母がお願いしたら、県立病院から保育器を借りて来てくれました。新生児の標準体重の2500gになるまでに40日を要しました。そしてもう一つの奇跡は、私が母乳を吸う力があったことだそうです。両親は私を「人間」にするために出来る限りの努力と犠牲を払いました。正に「昭和の親」です。私は「脳性小児麻痺」という後遺症が残り「障害者」になってしまいましたが、医師が諦めた命を母の愛と私の生命力の強さで、覆しました。せっかく「生かされた命」頑張って生きたいと思います。誕生日は、そういう決意を新たにすべき日ですね。
そして、この前の月例会に「車椅子で電車に乗ってる動画」を撮りました。車椅子を電動にして、15年。この電動車椅子と、介護者のおかげで私の行動範囲が広がっているのです。車椅子の部位を説明するためにスライドショーの動画を作ってみました。興味のある方は、ご覧下さい。
https://youtu.be/qZ8weR_w6ok
電動車椅子