(一社)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー 桑原朱美です。
今日のテーマは
「<講座の感想>承認すると子どもは動く&心配をやめるともやもやが消える」
です。
波動脳科学セルフアクセプトコース3講の感想をアップしました。
第3講では、評価と承認、ニューロロジカルレベルと変性自我の関係性、変性自我との対話ワークなど、盛りだくさん。
でも、自己受容や自己承認を深く理解するうえで、とても大切な講です。
回を重ねるごとに、表情が変わってくる、言葉に静かな力強さを感じるO先生の感想です。
毎回、深い気づきとその気づきを日常に生かして下さっています。
アーカイブはとてもありがたいです。今回も色々考え、私の頭の中はパンクしそうになっており、見直すことができてよかったです。
第3講の後、保健室にくる生徒に対して、自分の状態をフラットにして、承認することを意識しています。以前はその生徒がくると変な緊張を感じ、どうしてあげればいいのか、なんて言葉をかけてあげればいいのかと考えてうまくいかないことが多かったのですが、(うまくいかなくて当然の思考でした)今は、以前より落ち着いて、対応できていると思います。
観察し、その時の変化をそのまま言葉にして承認すると子どもは動くんですね。「学校嫌だったけど来た」「教室行きたくない」とソファに寝転んで動かなかった子が、数分後に「じゃあ行ってくるわ」と立ち上がる。ということもありました。
「心配も相手への期待である」にひっかかりました。
今までの学びから心配するということは、「心配な子」としてみてしまう。心配な子になってしまう。だからそういう思考はやめよう。ととらえていました。だから、進学で一人暮らしを始めた子どもたちに対して、心配はしない。子どもたちを信じると決めました。そしたら、もやもやが消え、自分が楽になりました。
私の心配は「ちゃんとごはん食べてほしい」「一人でも頑張ってほしい」という期待で、それって妄想だと気づきました。私は妄想を手放したから楽になったんだと思いました。期待と妄想と執着については、もう少しお聴きしたいと思いました。
「反省は10秒!反省とは後悔や懺悔とは違う」の話は腑に落ちました。確かにしまったと思った時には反省している自分がいるなあと。そしてそのことをあーだこーだと考えていると言い訳ばかり出てきてドツボにはまる。そういう自分もいました。それって反省ではない。「リセットリセット!」とつぶやいて、次何ができるか考える。をやってみます。
母の立場とばあばの立場の話は、うちのは母もそうだったと笑えました。
私には買ってくれなかったジュースを娘には買ってくる。私には買ってくれなかったおもちゃを娘には買ってくる。私にはあんなに厳しかったのに、孫には甘いと文句を言っていた自分を思い出しました。私には、「母」以外の何物でもなかったけれど、母にも、色々な立場があって、色々な人格があって色々なニューロロジカルレベルを持っていたんだなあと改めて思いました。母にあの時は、イライラとげとげしちゃってごめん。って言いたくなりました。
第3講の後、保健室にくる生徒に対して、自分の状態をフラットにして、承認することを意識しています。以前はその生徒がくると変な緊張を感じ、どうしてあげればいいのか、なんて言葉をかけてあげればいいのかと考えてうまくいかないことが多かったのですが、(うまくいかなくて当然の思考でした)今は、以前より落ち着いて、対応できていると思います。
観察し、その時の変化をそのまま言葉にして承認すると子どもは動くんですね。「学校嫌だったけど来た」「教室行きたくない」とソファに寝転んで動かなかった子が、数分後に「じゃあ行ってくるわ」と立ち上がる。ということもありました。
「心配も相手への期待である」にひっかかりました。
今までの学びから心配するということは、「心配な子」としてみてしまう。心配な子になってしまう。だからそういう思考はやめよう。ととらえていました。だから、進学で一人暮らしを始めた子どもたちに対して、心配はしない。子どもたちを信じると決めました。そしたら、もやもやが消え、自分が楽になりました。
私の心配は「ちゃんとごはん食べてほしい」「一人でも頑張ってほしい」という期待で、それって妄想だと気づきました。私は妄想を手放したから楽になったんだと思いました。期待と妄想と執着については、もう少しお聴きしたいと思いました。
「反省は10秒!反省とは後悔や懺悔とは違う」の話は腑に落ちました。確かにしまったと思った時には反省している自分がいるなあと。そしてそのことをあーだこーだと考えていると言い訳ばかり出てきてドツボにはまる。そういう自分もいました。それって反省ではない。「リセットリセット!」とつぶやいて、次何ができるか考える。をやってみます。
母の立場とばあばの立場の話は、うちのは母もそうだったと笑えました。
私には買ってくれなかったジュースを娘には買ってくる。私には買ってくれなかったおもちゃを娘には買ってくる。私にはあんなに厳しかったのに、孫には甘いと文句を言っていた自分を思い出しました。私には、「母」以外の何物でもなかったけれど、母にも、色々な立場があって、色々な人格があって色々なニューロロジカルレベルを持っていたんだなあと改めて思いました。母にあの時は、イライラとげとげしちゃってごめん。って言いたくなりました。