彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

彦島弟子待 「国鉄官舎」

2008年01月31日 11時06分45秒 | 彦島各地訪問
「近道」
昭和30年代、僕達は歩いていました。歩くとなると、
近道を選びたくなるのは、必然です。
でも、近道は人家が途絶え、山道になり、灯もほとんどなく
怖~い所にきまっていました。

親は子供に注意します。
「痴漢が出るから」なんて無粋なことは言いません。
あそこを通ると「コトリ(子盗り?)」が出るから、
通っちっゃイケンなんて、オドロオドロしいことを言うのです。

今回の近道は弟子待、江の浦間の近道です。
案内してくれた同期生は、オニガワラのような顔をした
男です。彼でも少年時代、夕暮れ時は怖くて
走って通り過ぎたという「近道」です。


僕達は下の地図の赤線、南(下)から北(上)に進んで、
撮影しました。



「国鉄官舎」が残っていると聞いて、やってきました。
視界に入って来ると同時に、胸キューン!です。
昭和があるのです。高度成長前の昭和が目の前にあるのです。



近づいて見ましょう。



一列目の二棟です。



二列目の並びです。



一列目の裏側(玄関側)です。



二列目の裏側です。




すごいですね。これは昭和の近代化遺産。
ステンレスの郵便受けを外し,コンクリート製の電柱に
木の皮を巻けば、即、「昭和」を撮影できそうって感じです



その先、左側の斜面は墓地です。
昔は山道だったそうですが、今は舗装され、車で通れます。
右側は当時はなかった人家が建っています。



人家はこの辺で終わり、先は右側も墓地になっています。



墓地からは下界が見下ろせます。昔は田園風景だったと思うのですが、
今は、家ばかり。ちょっと望遠を効かしました。
真ん中の左、高い木の右側が角倉小学校です。


by チーム弥生

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (怖がり屋のみっちゃん)
2008-01-31 23:46:57
昔、この近道、よく通りました。「コトリ」よりお墓の火の玉が怖かった。土葬のなごりでむき出した人骨が青白く光っていると聞いていましたから。
「国鉄官舎」今も健在でしたか。江の浦からこのあたりまで来るとほっとしました。
帰りは、夕暮れでもっと怖かった!!
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そうですか! やっぱり (kagemt)
2008-02-01 00:53:20
いやね、初めて通った道だけど、案内してくれた
同期生の話から想像して、ここは相当なスポットだと思ってたんだ。
心霊スポットとか言いたいんじゃないよ。
ここは少年少女時代に通った同期生には,強烈な印象を残した道に違いないと、感じてたんだ。
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懐かしい (新之助)
2011-03-25 14:27:56
ここの国鉄官舎に住んでいました。
幼稚園児でしたけどよく覚えています。
公園もあって姉とよく遊んでいました。
お墓の道を下ってバス停へ行っていましたね。

懐かしい、現在はもうないと思いますが、
懐かしいもの見せていただいて感謝です。
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ありがとうございます (by K)
2011-03-25 16:08:53
コメントありがとうございます。
ここは仲のいい同期生(NG原君)も住んでいたはずです。
壊されたという話も聞いていませんので、まだあると思うのですが。
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ほんとうにあった (新之助)
2011-07-23 18:59:10
>壊されたという話も聞いていませんので、まだあると思うのですが。

ありました・・・

先日、実家に帰る途中、レンタカーを借りて見に行きました。
懐かしさで、鳥肌が立ちました。私が住んでたところはありませんでしたが、45年ぐらい前の記憶が甦りました。父に手をひかれて、歩いた小道もあり、通っていた幼稚園もあり、タイムスリップしたみたいでした。

当時小さな公園がありましたが、さすがになかったです。

子供の頃の想い出は、宝物です。

情報くださって、本当にありがとう

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良かったですね (by K)
2011-07-24 06:15:31
国鉄からJRに移行する頃、地主に「更地で返却するか、建物付きで
返却するか」をたずねると、建物付きを希望されたそうで、以来借家として
貸し出されているようです。おかげで往時の雰囲気がいまだ残っている
懐かしい「旧官舎」なのです。
グーグル地図の航空写真で子細に見ると、他にも5、6棟残っているようですね。
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Unknown (ノブさん)
2019-10-27 17:47:52
うっわあ。
この写真の家に、19年間住んでおりました。
女中:お手伝いさん の部屋、3畳の和室があったんですよ。一階のはしっこに。
30年くらい前に、祖母がタクシーを呼ぶときは
「鉄道官舎の、風呂場のところ」で通じてました。近隣に大きな風呂場があったそうです。
間取りは
4Kで、けっこう広い家でした。住人は長くすんでいる方々がほとんどで、地下に関門トンネル
が通じているため、夜中には眠るときいつも電車の通過していく音がゴトゴトと。幼少期からの子守唄のようなもんでした。
コンクリの塀の前が木の塀だったんで、昔はもっと凄い状態でしたが懐かしいです。
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