彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

本村小学校の今昔

2014年02月20日 15時15分08秒 | 彦中・各小学校

昭和22年(1947年)10月の本村小学校の航空写真です。
もちろん焼失前の木造の校舎が写っています。
正門を入ってすぐ左の黒い屋根の大きな建物は、講堂です。


昭和36年(1961年)8月の航空写真です。
南側に校舎が増設されています。


現在の本村小学校の航空写真です。
プールの位置は変わっていませんが、戦前からのプールではなく、
新しいプールになっています。
体育館が運動場に対して妙に大きく感じます。

以下、本村小学校の沿革です。

明治7年4月 開校
明治40年10月現在地に校舎落成
昭和24年6月西山分校を三井金属彦島製錬所内に設置(翌年西山小学校として独立)
昭和28年1月木造校舎全焼
昭和33年10月児童数2,281人でピークを迎える。
昭和42年4月六連島簡易小学校が桜山小学校の六連分校に
昭和50年3月体育館竣工
平成16年4月開校130周年記念事業実施

私達が五年生だった時が、児童数では本村小のピークだったようです。
それがさあ、今(平成24年度)は児童数177人だそうです。
約十三分の一に減っているんです!

時代だなーって、感慨を述べてやり過ごすのは、我々年寄りの常套手段。

でも、「時代だ」って言えるためには、時代をしっかりと把握していなければ
なりませんよね。

※本村小学校の木造校舎の焼失前後の件については、以下の過去記事があります。
 (赤い字をクリックしてください)
本村小学校焼失
本村小 焼失前後

※木造の時代の江浦小学校の写真も、過去の記事があります。
江浦小学校の今昔

by K

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