あつしさんの「破・常識」ブログより転載させていただいております。
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では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
自分で制限をかけたり、諦めたりしなければ、
必ず思考は現実化するんです。必ずです・・
”夢”で終わってしまうのは、
それを信じていないあなたの思考が問題なのです。
でも、それを叶えるには大変な努力と忍耐と我慢と修行のような
苦しいことをしなければいけないのでしょう??
・・そう思っているから、そうなるんです。
そして、”夢”はしょせん”夢”であって、
そんなことが出来るわけがないのよね・・って
自分から手放してしまうのです。
そして、手放した人が、誰かが語る”夢”について、
”夢”は夜見ろ、寝言は寝て言え・・
などと揶揄するようになってしまうのです。
夢をあきらめた大人は、子どもが夢を語るのを嫌がります。
それは、自分があきらめてしまったことに、
まだあきらめがついていないからです。
子どもにも同じように、”夢”なんて見ていないで、
現実を見なさい・・と、諭すようになるのです。
もし人が何か”夢”を語っているときに、
あなたがイヤな気分になるとしたら、あなたの中で
まだ自分の”夢”をあきらめていないということなのです。
もしそんな気分になるとしたら、もう一度”夢”を思い出してください。
年齢、環境、体力・・そんなものは何も関係ありません。
”夢”を叶えるのに修行も努力も忍耐も我慢も何もいらないのです。
ただ、それが出来ると自分を信じるだけなのです。
そして、それが叶った時の気持ちを先に感じていればいいのです。
努力しなくてもいい・・って言うけど、
でもやっぱりみんなすごく努力してるじゃない・・って思いますか?
それは、まわりの人から見ている姿なのです。
本当に”夢”をかなえようとしている人は、
一生懸命楽しんでいるだけなのです。
一生懸命楽しんでいる姿を見て、まわりの人たちは
その人が努力していると思っているだけなのです。
本人は、ただただ楽しんで、工夫して、
その工夫さえも楽しんでいるだけなのです。
子どもが砂場で何かを夢中でつくっているのと同じです。
楽しんでいたら、みんなにすごいねって思われるものが出来た・・
それだけなのです。
何かをはじめるのに・・遅い・・ということはありません。
はじめたい、やりたい、と思った時がそのタイミングなのです。
それがどんなに今は荒唐無稽だと思ったとしても、
出来ないことはないのです。
自分で無理だとブレーキをかけない限り、
どんなことでも必ず現実化するのです。
やりたいことをしてください。
”夢”とかそんな大きなものはない・・と思わないで、
こんなことがしたい、どこかに行きたい
それも立派な”夢”なのです。
”夢”はたくさんあっていいんです。
小さな”夢”をたくさん現実化していくうちに、
大きなと思う”夢”も同じように簡単に現実化させることが出来ます。
とにかく自分に制限をかけず、、諦めることをやめて、
したいことをしてください。
そうすれば、あなたの中に驚くほどパワーが湧いてきます。
すべてが楽しくなってきます。
あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」
ありがとう アシュタール!
(転載終了)
夢をあきらめたオトナは、子どもの夢を一笑に付します。
「自分が叶えられなかったんだから、オマエに叶えられるわけがない」
・・・傲慢だねえ、ナニサマのつもりだろう。
「社会は厳しいものだ、もっと現実を見ろ」
・・・寝ながら生きていることにも気付けないくせにね。
なんと滑稽なのでしょう。
彼ら自身のハイヤーセルフも苦笑いですよ。
でもだからこそ、そういうトンチンカンな言葉を浴びても揺るがず、
老いも若きも、誰しもに「いま」「ここ」で、夢を抱いてほしいです。
彼らが揃いも揃って口にする「常識」や「厳しい現実」などというものは、
存在しないものなので。
(誰でもない、あなたの思考だけが、それを存在させうる。)
それは、僕もそうです。
僕も夢に向かって、行動します!
遅すぎるなんてこと、実はまったくなかったんだから。
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では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。
自分で制限をかけたり、諦めたりしなければ、
必ず思考は現実化するんです。必ずです・・
”夢”で終わってしまうのは、
それを信じていないあなたの思考が問題なのです。
でも、それを叶えるには大変な努力と忍耐と我慢と修行のような
苦しいことをしなければいけないのでしょう??
・・そう思っているから、そうなるんです。
そして、”夢”はしょせん”夢”であって、
そんなことが出来るわけがないのよね・・って
自分から手放してしまうのです。
そして、手放した人が、誰かが語る”夢”について、
”夢”は夜見ろ、寝言は寝て言え・・
などと揶揄するようになってしまうのです。
夢をあきらめた大人は、子どもが夢を語るのを嫌がります。
それは、自分があきらめてしまったことに、
まだあきらめがついていないからです。
子どもにも同じように、”夢”なんて見ていないで、
現実を見なさい・・と、諭すようになるのです。
もし人が何か”夢”を語っているときに、
あなたがイヤな気分になるとしたら、あなたの中で
まだ自分の”夢”をあきらめていないということなのです。
もしそんな気分になるとしたら、もう一度”夢”を思い出してください。
年齢、環境、体力・・そんなものは何も関係ありません。
”夢”を叶えるのに修行も努力も忍耐も我慢も何もいらないのです。
ただ、それが出来ると自分を信じるだけなのです。
そして、それが叶った時の気持ちを先に感じていればいいのです。
努力しなくてもいい・・って言うけど、
でもやっぱりみんなすごく努力してるじゃない・・って思いますか?
それは、まわりの人から見ている姿なのです。
本当に”夢”をかなえようとしている人は、
一生懸命楽しんでいるだけなのです。
一生懸命楽しんでいる姿を見て、まわりの人たちは
その人が努力していると思っているだけなのです。
本人は、ただただ楽しんで、工夫して、
その工夫さえも楽しんでいるだけなのです。
子どもが砂場で何かを夢中でつくっているのと同じです。
楽しんでいたら、みんなにすごいねって思われるものが出来た・・
それだけなのです。
何かをはじめるのに・・遅い・・ということはありません。
はじめたい、やりたい、と思った時がそのタイミングなのです。
それがどんなに今は荒唐無稽だと思ったとしても、
出来ないことはないのです。
自分で無理だとブレーキをかけない限り、
どんなことでも必ず現実化するのです。
やりたいことをしてください。
”夢”とかそんな大きなものはない・・と思わないで、
こんなことがしたい、どこかに行きたい
それも立派な”夢”なのです。
”夢”はたくさんあっていいんです。
小さな”夢”をたくさん現実化していくうちに、
大きなと思う”夢”も同じように簡単に現実化させることが出来ます。
とにかく自分に制限をかけず、、諦めることをやめて、
したいことをしてください。
そうすれば、あなたの中に驚くほどパワーが湧いてきます。
すべてが楽しくなってきます。
あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」
ありがとう アシュタール!
(転載終了)
夢をあきらめたオトナは、子どもの夢を一笑に付します。
「自分が叶えられなかったんだから、オマエに叶えられるわけがない」
・・・傲慢だねえ、ナニサマのつもりだろう。
「社会は厳しいものだ、もっと現実を見ろ」
・・・寝ながら生きていることにも気付けないくせにね。
なんと滑稽なのでしょう。
彼ら自身のハイヤーセルフも苦笑いですよ。
でもだからこそ、そういうトンチンカンな言葉を浴びても揺るがず、
老いも若きも、誰しもに「いま」「ここ」で、夢を抱いてほしいです。
彼らが揃いも揃って口にする「常識」や「厳しい現実」などというものは、
存在しないものなので。
(誰でもない、あなたの思考だけが、それを存在させうる。)
それは、僕もそうです。
僕も夢に向かって、行動します!
遅すぎるなんてこと、実はまったくなかったんだから。