お役立ち情報ブログ

日々の生活やビジネスにおいて役に立ちそうな情報を収集、公開しています。

北野武が東京湾への原発建設を提案「東京が犠牲もリスクも背負うべき」

2015年04月26日 07時44分25秒 | TV番組
24日放送の「たまむすび」(TBSラジオ)で、ゲストの北野武が東京湾への原発建設を提案する一幕があった。

北野はこの日、同番組の「その筋の話」に登場し、レギュラーで弟子の玉袋筋太郎らとトークを展開した。

話題は2020年東京オリンピックにもおよんだ。玉袋は、オリンピック開催にあわせて東京都にカジノができる可能性があるのではないかと北野に話をふった。

北野は「考えてるんだろうな、カジノ構想とかって」と答え、「どうせやるんだったら、東京で首都高速全部使ってF1とかやらしてくれればいい」などと大胆な提案もした。

さらに北野は「東京湾のあそこに原発を作る。その電力でカジノ(を運営する)」ことを提案した。

北野は都の電力行政について「大体地方にね、原発を任すのがよくないんだ」と指摘し、「東京で犠牲もリスクも背負わなきゃいけないんだ」と原発問題にメスを入れた。

一方で「こういうラジオだってそうだよ、ちっちゃな携帯用原発を持ってだな、発電するわけだよ」などと発想を暴走させ、「将来は電気釜ぐらいのデカさになるから、携帯用原子炉とかいって」といい、放送局も原発の電力で運営するべきとのブラックジョークを披露し、玉袋らの笑いを誘った。
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あばれる君、山岳部の全国大会でやらかした大失態を告白「野外で用を足したら…」

2015年04月25日 07時31分32秒 | TV番組
23日放送の「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)で、ピン芸人のあばれる君が、高校時代にやらかした大失態を明かした。

番組では「芸能界!まさかの衝撃体験ランキング」と題し、あばれる君、中村アン、西川貴教らの衝撃エピソードを紹介。あばれる君は高校時代に起こした珍事について語った。

あばれる君は高校3年生のとき、山岳部のキャプテンとして全国大会に出場した。この大会中の登山で、あばれる君は耐えられないほどの腹痛に襲われたのだとか。

我慢できなかったあばれる君は、登山道の真ん中で用を足し、笹の葉を被せて隠したのだという。

しかし、大会の委員長が、あばれる君の笹の葉を見つけてしまい、あばれる君を含む、47都道府県のリーダーを笹の葉の前に集合させたのだとか。

先生はみんなの前で笹の葉をめくって確認すると、「この量、この温かさ、近くに熊がいます」と断言。この勘違いから、登山のルートが変更になる事態に発展してしまったそうだ。

あばれる君は、自身が原因で大会に影響が出てしまったことについて、「言い出せなかったんすよ…」と弁明している。
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元「慰安婦」女性が特派員協会で会見 日本軍の関与について「私が証拠だ」

2015年04月25日 07時26分40秒 | 歴史問題
いわゆる従軍慰安婦として働かされたとする金福童(キム・ボクドン)さん(88)と支援者が2015年4月24日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見し、改めて日本政府による公的な謝罪と賠償を求めた。

米国各地で建立が進んでいる慰安婦像については歓迎する意向で、安倍首相が米議会で予定している演説については「何が過ちだったのかを説明し、謝罪すべきだ」として慰安婦問題に関する事実関係の説明と謝罪を求めた。

14歳で工場労働を担う「挺身隊」として働きに出るように強要される

金さんの説明によると、14歳だった1940年春、自宅に3人の男性がやってきて工場労働を担う「挺身(ていしん)隊」として働きに出るように強要され、その後は中国の広東省、香港、スマトラ島、ジャワ島、シンガポールなどの慰安所を転々としながら慰安婦として働かされたと説明している。シンガポールで終戦を迎えたが、韓国に戻れたのは1947年のことだった。

金さんは、

「自分が体験した苦しみは言葉に出来ないほど。もう90近いが、愛というものが分からない。幼い時に連れて行かれてしまった。結婚したが子どもはできなかった。生きるために毎日が薬頼み」
「若ければ自分で生きていくこともできただろうが、今は一人では生きていけない。視力は衰え、片目は見えない。毎日介護を受けている。それでも、まだ死ぬことはできない。やらなければならないことがある。公的謝罪が必要だ。尊厳と名誉を取り戻したい」

などと訴えた。

慰安婦像は「過去に何が起こったかを表す一つの方法」と歓迎

米国の動向についてもいくつか言及があった。慰安婦像については、

「過去に何が起こったかを表す一つの方法」

だと述べ、自らの体験を伝える助けになるとして歓迎する意向だ。

安倍晋三首相は、2015年4月29日に米上下両院合同会議で演説を予定している。日本の首相が米議会で演説するのは1961年の池田勇人首相以来54年ぶりで、上下両院合同会議での演説は初めて。この演説について聞かれると、金さんは、

「過去の過ちを認めて問題に対処すべき。何が過ちだったのかを説明し、謝罪すべきだ」

と語った。

慰安婦問題に関連して寄せられるさまざまな疑問にも金さんは反論した。例えば、金さんを「挺身隊」として連れ出したのは誰か、という問題だ。この点については、

「3人が来た。警官、町に住んでいる誰か、日本人。その人は軍服を着ていたが、その服には階級を表すものはなかった」

と説明した。梁澄子(ヤン・チャンジャ)日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表によると、金さんは、男性の標準服にあたる「国防服」を「軍服」を誤認した可能性があるといい、

「当時国防服を着ていれば、朝鮮の子どもには、みな軍服に見えたと思う」

と説明。この国防服を着ていた男性は、後の調査で軍属だったと判明したとも説明した。

民間人の運営は困難だったとの見方

慰安所の運営については、

「普通の市民は入ってこれない。軍の基地で、皆が軍の関係者だった。自分たちは(現地の)言葉が話せなかったので、言われたことをするしかなかった。」

と話し、民間人の運営は困難だったとの見方を示した。「軍の関与」を主張する狙いがあるとみられる。

現時点の政府見解は「慰安婦の募集に軍政府が直接関与した資料が確認されていない」(1993年・河野談話)というものだ。金さんはこういった指摘を念頭に、

「私は生きている。安倍首相は『証拠がない』と言うが、証拠はここにいる。私が証拠だ。『証拠がない』という主張はばかげている」

と憤った。

「慰安婦の給料は高い」という説にも、

「工場でお金を稼ごうとしていたのに、全然違う環境に置かれた。ほとんどお金を目にする機会はなかった。食事や衣服は軍から提供されており、お金は必要ではなかった」

と反論した。
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韓国の輸出品の半分以上が日本と競合、“円安の壁”で非常事態に・・韓国ネットは「同じ値段なら日本製」

2015年04月24日 07時16分55秒 | 海外情報
韓国・文化日報は23日、韓国の輸出品の半分以上が日本と競合しており、“円安の壁”の懸念が高まっていると報じた。

23日の円/ウォンの為替レートは2008年2月28日以来、7年2か月ぶりに100円=900ウォンのラインを割り込んだ。アベノミクスの影響で円安が深刻化している。

このため、日本との輸出競合度が高い韓国企業は“非常事態”に陥っている。韓国銀行によると、韓国の輸出品の中で日本製品と類似している製品の割合を示す「輸出競合度」は、2007年の0.449から2013年は0.501まで上昇した。直近の数字は、輸出品の半分以上が日本と競合することを示している。韓国銀行は「円安は海外で競合関係にある完成品メーカーだけでなく、国内の中小の素材・部品メーカーにも悪影響を与えるだろう」と予測。HSBCも、円安が進めば韓国製品の価格競争力が低下し、輸出見通しの不確実性が高まると指摘している。

韓国輸出入銀行海外経済研究所の調査によると、韓国の輸出企業453社の3割程度が為替レートの変動に影響を受けていた。円がウォンに対して10%下落すれば、輸出額は平均で4.6%、営業利益は平均3.7%減少するという。

韓国で円安による“被害”が拡大する一方、日本経済は好調だ。日本の3月の貿易収支は2293億円の黒字を記録した。円安で輸出が増加し、原油価格の下落などで輸入が減少した結果、予測を大きく上回る黒字となった。これで日本経済の回復に弾みがつくという期待が高まり、日本の株式市場も活況となっている。

このニュースに対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられている。

「円が700ウォンだった頃も、ここまで苦しくなかった。900ウォン台だから何?政策がないと認めろ」

「セヌリ党10年で大韓民国はふらふら」

「技術開発より為替レートに依存し、労働者を搾取して利益を上げようとするから、こんなことになる」

「ともかく日本は回復、韓国は10年前の日本のような停滞期に陥る」

「今日のニュースをまとめると、大卒4人中1人が非正規雇用、結婚率は史上最低、政府は腐敗政治家で機能せず、円安で経済は打撃。いいニュースは一つもない」

「円安なのに、日本からの輸入品の値下げはまだ?」

「日本と物価が同じなのに、所得は半分」

「技術開発の資金を4大川事業で、武器開発の資金は不祥事で消滅。こんな腐敗した党をまた選ぶのか?」

「輸出がよくても庶民には関係ない」

「日本の実態を知れば、絶対に日本の悪口は言えなくなる」

「同じ値段なら、韓国製より日本製を選ぶ。当然だよ」

「トヨタはいつ安くなる?」

「為替レートを言い訳にする企業なんて店じまいしたほうがいい。競争力は値段だけか?」

「日本にショッピングに行きましょう」

「円安の壁?正直に品質の壁だと言え」

「韓国がかわいそう。米国との原子力協定は思うように行かず、中国と日本は手を繋ぎ、韓国だけ孤立。意図的な円安で経済はどん底。慰安婦問題も相手にされない」

「今後20年間は希望などない」

(編集 MJ)
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「安倍さんに殺される!」愛川欽也が受けた圧力、そして最後まで訴えた反戦への思い

2015年04月24日 06時41分19秒 | 行政
 最期まで仕事復帰するつもりだった──。今月15日に死去した愛川欽也の最期の姿を、妻のうつみ宮土理が発表した。うつみによれば、愛川は仕事に戻ることに意欲を見せ、肺がんであることを公表しないでほしいと述べていたという。このうつみのメッセージに対しては、「愛川さんの仕事へのプライドには頭が下がる」「生涯現役を貫かれたのですね」など、仕事と真摯に向かい合った愛川の姿勢を称えるコメントがネット上に溢れた。

 俳優として、司会者として、映画監督として。さまざまな顔をもった愛川であったが、もうひとつ忘れてはいけないのが、彼の"平和主義者"としての側面だ。

 たとえば、愛川は東京都墨田区が主催する「平和メッセージ展」に21年間も出品。今年3月にも「反戦は 憲法を守ることです」という言葉を届けていた。この言葉からもわかるように、愛川は積極的に憲法改正に反対を唱えてきた。

「憲法を素直に読んでごらんなさいよ。これ、誰がこさえたか、最初が英文だったとか、そんなことはどうでもいいんだ。立派なもんだよ。「戦争放棄」、つまり武力でもってよその国と争うことはしないなんて言っちゃう憲法なんてね、ちょっと嬉しくない?」
「なんでも1番じゃなきゃいけないっていうのはもういいやと。オレ、日本は8番ぐらいでいいんじゃねえかと。
 でもさ、別の基準があって、「平和国家」と言えることは、すごく名誉なことだと思うんだけど、このごろの人たちは、あまり名誉だと思っていないみたいだな。
 たとえば、近隣諸国に馬鹿にされない、舐められないということが、国を守ること、愛することに、確かに通じちゃうんだね。ほんとうは、我々は戦争をしない国なんだ、ということでほかの国から尊敬されれば、それが国を愛することだと、ぼくは思うんですよ」(カタログハウス「通販生活」Webサイト掲載/2012年8月21日)

 愛川の平和を願う気持ちには、自身が経験した戦争体験が根底にある。愛川は戦争を通じて得た思想をテレビ番組内でも打ち出していた。その最たるものが、1999年から司会をつづけてきた番組『愛川欽也 パックインジャーナル』である。

 当初、この番組はCS放送局・朝日ニュースターでスタート。そのときどきの時事問題を詳しく掘り下げ、政権や原発の批判を果敢に行うことで有名で、ジャーナリストのあいだでも「地上波での放送は無理」と言われたほど。

権力をきちんとチェックし、検証しようという番組スタンスは、愛川の司会者としての矜持が強く反映されたものだった。

 だが同番組は、2012年3月31日をもって終了。4月7日からは愛川自身が立ち上げたインターネットメディア「kinkin.tv」で再スタートを切った。朝日ニュースター内でも人気を誇っていた番組だけに、終了時には視聴者から惜しむ声が多数寄せられたともいうが、じつはこの番組終了の裏側には、ある圧力の存在があった。

 というのも、朝日ニュースターは当初、テレビ朝日や朝日新聞社などが出資する「株式会社衛星チャンネル」が運営を行っており、衛星チャンネルは朝日新聞の子会社という関係だった。しかし、12年4月からはテレビ朝日が親会社となり、『パックインジャーナル』をはじめ、時事問題を扱う番組が一気に終了。いわば、政権批判など"危ないテーマ"を取り上げる番組を、テレビ朝日が一掃したのだ。

 いまから3年前の出来事とはいえ、現在、『報道ステーション』に押しかかっている自民党からの圧力、そしてそれらにひれ伏すかのように受け入れるテレビ朝日の態度を考えれば、これは"始まり"だったのだろう。こうしてテレビ朝日によって番組を潰されてしまった愛川は、その無念さを、このように語っている。

「朝日ニュースターは社長さんから始まって、スタッフのみんなも、ぼくはよく知っていましたから、「愛川さんの番組は、絶対に次が引き取るから、そのつもりでいてくださいよ」と言われて、ぼくもすっかりその気になっていたんです。当然、経営が変わっても、ぼくの番組は残るだろうと。正直言って、ギリギリまで安心していた。マイナーな局の放送ではあっても、ぼくの番組はそれだけの人気がある、と思っていたんでね。反響もすごく多かったし」
「ぼくは、創成期のころからテレビに関わってきた人間ですが、あまりテレビは観ない。残念だけど、ぼくが観たい番組がほとんどないからね。そういう目線で見ると、ぼくの番組はちょっと邪魔くせえな、と新しい経営陣に思われたのかもしれない。これはぼくの偏見かねえ」(同前)

 政権も原発も、きちんと真っ正面から捉えて議論しよう。それが自分の観たいテレビだから──。そんな愛川の姿勢は、ネット上の動画サイトで引き継がれることとなった。愛川は言う。

「ぼくは自分で言いたいことを言う、出てくれるみなさんにも言いたいことを言ってもらう。

そういうスタンスでずっとやってきたわけだから、いまさらそれを変えられないですよ」
「生意気なようだけど、ぼく、変節しないんですよ。憲法とか民主主義とか戦争反対とか。譲れないでしょ? ぼくの原点だから」(同前)

 すでに肺がんが進行し、脊髄にまでがんが転移していたと言われる愛川。しかしそんななかでも、先月まで『パックインジャーナル』の放送をつづけてきた。先週号の「週刊文春」(文藝春秋)では、愛川が「このまま政権批判を続けていると安倍(晋三)さんに殺される」と口にしていた、という愛川の知人の証言を取り上げ、まるで認知症であると匂わせるような記事を掲載していたが、これは認知症ゆえの被害妄想でも何でもなく、愛川にとって本心の言葉だったはずだ。

 事実、テレビ局は自民党からの圧力に脅え、"言いたいことも言えない"空気が戦前のように充満しているのが現実だ。挙げ句、自民党は放送倫理・番組向上機構(BPO)さえも政府が関与できるように検討することを発表した。これがもし現実化すれば、あらゆるテレビ番組は政権によって監視され、都合の悪い番組を潰すことができるという"本気の言論統制下"に置かれることになる。この末恐ろしい社会を、愛川は予見していたのではないだろうか。

 愛川が守りつづけた『パックインジャーナル』の、最後の出演となったのは3月21日配信分。この本番前、愛川はコメンテーターの川内博史・民主党前衆議院議員にこう語っていたという。

「この政治状況では死んでも死にきれないよ」

 報道の自由、放送の自由が脅かされるなかで、またひとり、気骨のある放送人をわたしたちは失ってしまった。
(水井多賀子)
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