goo blog サービス終了のお知らせ 

お役立ち情報ブログ

日々の生活やビジネスにおいて役に立ちそうな情報を収集、公開しています。

耐えて4強…なでしこが見せた原点サッカー

2012年08月04日 08時38分06秒 | スポーツ
 耐えて、耐えて、耐えてつかんだ勝利――。サッカー女子の準々決勝で、日本(なでしこジャパン)は2―0でブラジルを下して2大会連続の準決勝進出を決めた。なでしこのいつもの華麗なサッカーではなく、泥臭いサッカーでつかんだ素晴らしい白星だった。

■ブラジルのキーマン、マルタを封じる

 ブラジルには2010年まで5年連続でFIFAの女子最優秀選手に輝いたマルタ、そして今大会2ゴールを決めているクリスチアネという卓越したFWがいる。試合開始直後から、ブラジルはこの2人を中心にものすごい攻勢をかけてきた。

 自分たちがボールを回すのではなく、相手にボールを回されると、息も上がるし、しんどいもの。しかし、ブラジルペースだった最初の15分間を、集中力を切らさずにしっかりと守りきったことが第一の勝因だったと思う。

 マルタは162センチと日本人選手とそれほど変わらない身長だが、素晴らしいテクニックとスピードを持っている。私も現役時代に戦ったことはあるが、ボールをもたれてドリブルをされると、ものすごく速い。




ブラジルのマルタと競り合う阪口(左)=共同
 そのブラジルの攻撃のキーマンを、1人ではなく2人、3人で囲いにいき、前を向いたときにスピードを落とさせたことが良かった。

■ブラジルの「個」を上回った日本の「組織」

 1人で立ち向かったらやっかいな選手も、みんなで抑えればなんとかなる――。DF陣だけでなく、大儀見(ポツダム)、主将の宮間(岡山湯郷)といった前線の選手も労を惜しまずにボールを追い回し、なでしこらしい「全員守備」という意思統一ができていた。

 戦う前からブラジルの「個」と日本の「組織」の勝負といわれていたが、日本の組織が勝ったといえるだろう。
 耐えていれば、自分たちの流れをつかめる時間帯がやってくるもの。大儀見の前半27分の先制点は、なでしこが最初に自分たちのペースをつかんだ時間帯に生まれた得点だった。




ブラジル戦の前半、先制ゴールを決める大儀見=共同
■沢の「視野」と大儀見の「努力」が生んだ先制点

 FKで沢(INAC神戸)が素早いリスタート。ボールを受けた大儀見が抜け出し、右足でゴールに流し込んだ。

 沢の素早い状況判断と視野の広さ。昨年の女子ワールドカップ(W杯)準々決勝ドイツ戦で丸山(大阪高槻、当時は千葉)の決勝ゴールを生んだパスといい、沢はここぞという場面で本当に素晴らしいパスを出して得点に絡んでくる。さすが「百戦錬磨」の大黒柱で、本当に頼りになる。

 相手GKと1対1になって、ゴール右に決めた大儀見のシュートも簡単そうに見えて、それほど易しいものではない。GKの動きをよく見て、冷静に、うまく流し込んだ。

 大儀見は本当に真面目で、1人で何本も何本も自分が納得するまでシュート練習を重ねる選手。こうした努力が五輪という大舞台での初ゴールを生んだのではないか。

■落ち着いていたなでしこ

 ブラジルを突き放した後半27分の大野(INAC神戸)のゴールも、パスを受けてから慌てずに1回キープしてから冷静に右足でゴールにたたきこんだ。

 振り返ってみると、ブラジルの選手は熱くなっていたが、なでしこの選手たちは終始落ち着いていた。大舞台に舞い上がらず、冷静にプレーできたことも勝因の一つだろう。

 この落ち着きは国民性の違いという面もあるかもしれないが、昨年の女子W杯で優勝した自信が生んでいるものだと思う。
 準々決勝で披露したのは、最近のなでしこの象徴にもなっている流れるようなパス回しによる華麗なサッカーではなかった。だが、こうした耐える戦い方もできることを示したと思う。

■今後、勝ち抜くためには…

 そして、この日のブラジル戦の戦い方は、かつてのなでしこの戦い方――「原点」に立ち戻ったサッカーということができるのではないか。気持ちがよく表れていたし、こうした戦い方こそが、今後、勝ち抜いていく上で重要なのだと思う。

 準決勝の相手はフランスで、五輪直前の7月19日に行った親善試合では0―2で完敗している。ただ、そのときはなでしこの選手たちは疲労のピークにあり、五輪ではコンディションも違うはず。選手たちも、この前の敗戦の借りを返したいと思っているだろう。

 親善試合で見せたように、フランスもパスをつなぐ素晴らしいサッカーをしてくる。なでしこがボールを保持できる時間も限られるかもしれない。だが、しっかりと我慢して、チャンスを確実に生かし、日本女子サッカー初のメダルを獲得してほしい。


 いけだ(旧姓磯崎=いそざき)・ひろみ 1975年生まれ、埼玉県出身。本庄第一高卒業後、田崎ペルーレに入団。主にディフェンダーとして活躍し、なでしこリーグではベストイレブン9回、敢闘賞2回。2004年アテネ五輪ではゲームキャプテン、08年北京五輪では主将としてチームを牽引した。

シャープ、創業100年目の試練 5千人削減でも見えない“明るい未来”

2012年08月04日 08時30分09秒 | 経済
 シャープが平成24年度中に国内外で社員約5千人を削減することを決めた。主力のテレビ・液晶事業が不振をきわめ、台湾・鴻海精密工業との提携だけでは収益改善が進まず、聖域でもある人材にメスを入れざるを得ない状況に追い込まれた。創業100年目という記念すべき年に、半世紀以上にわたって回避してきた人員削減に再び踏み切るシャープ。しかし、業界の一部からは「まだ見通しが甘いのでは…」といったさらなるリストラが必要との厳しい声も聞こえてくる。


1世紀で1度だけ…社員削減しないのが「伝統」


 「断腸の思いだが、今やらないと次の成長はない。上期に膿を出しながら下期から再生する不退転の決意で臨む」

 8月2日。東京都内で行われた平成24年4~6月期連結決算発表の席上、シャープの奥田隆司社長は苦悩の表情を浮かべながらこう切り出した。

 5千人の人員削減は、8月末に連結対象から外れる予定の堺工場運営会社に出向する1300人と、早期退職、自然減による3700人で対応。削減規模は連結対象の従業員約5万7千人(6月末)の約1割に相当する。かつてない大規模な人員削減に追い込まれたのは、赤字経営からの脱却について「一刻の猶予も許されない」(奥田社長)状況に陥っているためだ。

 平成24年3月期は過去最悪となる3760億円の最終赤字を計上。今期(25年3月期)も期初予想を下方修正し、通年で2500億円の赤字に陥る見通し。

 主力の液晶テレビ、液晶パネルは、今や価格下落が止まらない。約3800億円の巨費を投じ、21年10月に稼働した堺市の液晶パネル工場も、24年4~6月期は稼働率が3割にまで落ち込んだ。
 窮余の一策として、シャープが踏み切ったのが世界最大の電子機器受託製造である鴻海精密工業グループとの資本・業務提携。連結売上高10兆円という巨大な台湾企業を筆頭株主に迎える電撃的な提携は業界に衝撃を与えた。

 現時点で堺工場の稼働率が8割まで回復しているものの、歯止めのきかない液晶テレビの価格下落や太陽電池の減産など、経営を取り巻く環境は依然厳しい。

 シャープの業績不振が想定以上のため、今回の人員削減については「鴻海の意向では?」との指摘がある一方、「そこまでの立場にはない」(業界関係者)との声が強い。ただ、確実なのは、外資系を筆頭株主に迎え、約5千人の削減に踏み切らざるを得ないほどシャープの経営は追い込まれているということだ。

 1世紀にわたる長い歴史の中で、シャープは1度だけ人員整理をしたことがある。ラジオが主力製品だった昭和25(1950)年のことだ。その2年前、80万台だったラジオ市場が半分以下の30万台にまで低迷して在庫は山積みとなり、給与の遅配も起きた。

 このとき、金融機関が全従業員(約600人)の3割超にあたる210人の削減を提示。しかし、「会社を倒すべきでない」と予定数を超える社員が自らを手を挙げ退職を志願。このときの歴史は社内で受け継がれ、シャープは以来、社員の削減にだけは手を付けてこなかった。

 とはいえ、デジタル家電の価格下落が激しい今、業績回復に費やす時間はもうない。創業100年目は人員削減という“聖域”にもメスを入れなければならない試練の年となった。「他社は簡単に人員削減をしている。けれど、シャープだけはしてこなかった」。今回のリストラが決まる前の今年5月、ある幹部は、自社の行く末を案じながらもそう話していた。かつて一度だけあった人員削減の後に、会社が大きく成長したように、次の100年に成長を道筋を付けられるか。まさに不退転の決意での業績回復が求められる。