ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

将棋文化検定2級受検までの道のり(決戦前夜のまとめ)

2012-10-20 23:09:46 | 将棋文化検定
 ただ今、高崎駅前にあるホテルの1室にワイングラスを傾けながらこのブログを書いています(ワイングラスは大嘘)。
 将棋文化検定の会場近くに前日入りしました。ってどれだけ気合入ってるんだ、俺(笑)。
 というのも、家よりも高崎のほうが近い場所に、本日出張だったため。というわけで明日はスーツを着て受検します。棋士以外でスーツを着ている人間がいましたらひげめがねかもしれません(ちなみにひげめがねはひげは剃っています。念のため)。
 先日古本屋で購入した『名局紀行』を高崎に向かう車中で読んできましたが、おもしろいのなんのって。ひげめがねは歴史小説とかほとんど読んだことがありませんが、それは「歴史を覚えようとしないから」ということがよくわかりました。今までの怠慢を反省し、少し歴史を勉強しようと思います。それより先に斎藤栄先生の『天野宗歩』を読んで、本当に歴史小説に適性があるか、判断してからします。そもそも『天野宗歩』が歴史小説に分類されるのかわかりませんが。
 なにはともあれ問題なのは、本は面白かったのだけど、それを覚えられるかどうかというのは別の話ということ…。

 さて、今までやってきたことを簡単にまとめます。

1.江戸時代の名人は全員覚えておいたほうが良いと思う。特に三代宗看(七世名人)とその兄弟関係からは間違いなく1問は出題されるのでは?看寿はもちろん、印達(宗銀との57番指し)、八代宗桂(四代宗与とのライバル関係により名人になれず。図式『将棋大綱』)まで出題の可能性あり。ただし看恕は謎の人物のため出題が難しそう。

2.11世名人の八代宗印や12世名人小野五平には本ブログではあまり触れなかったが、この2人のライバル図式はエピソードとして面白い。その流れが13世関根金次郎にも影響し、関根は実力制名人を提唱するに至る…という流れは、抑えておいたほうが良いのかも。

Q31. 十二世名人小野五平の師匠はだれか?
Q32. 十三世名人関根金次郎の師匠はだれか?
という問題も三択で出てくるやも。この辺は歴史的な流れ(三家対在野棋士のライバル関係)がわかれば何となく推測ができるので。あと、明治では
Q33. 駒台を考案したとされるのはだれか?
という問題も三択で出るかも。今日本読んで初めて知ったネタだけど。

3.実力制名人になるあたりの問題は比較的に丁寧に想定問題を出題したと思うので、参考にしていただければ。ここで絶対覚えたいのは「贈名人」「名誉名人」の名前。時代を超えて全員覚えたい。

4.升田大山時代は大山名人が強すぎて何を出したらいいの??記録の問題は非常に難しいし。

Q34. 1963年から1966年にかけて19連続タイトル獲得(防衛)を果たしたが、その記録が途切れた棋戦は何か?対戦相手はだれか?
とかは、河口老師の著書を読んでいれば何とかわかるかも。というかこんな問題しか作れないくらい安定期で問題を作る気になれない。

5.現代棋士は漢字で書けるようにしたい。永世保持者はもちろん、特に戦法、ニックネーム等で特徴のある人は。
  超一流は除き、とりあえず思いつくまま挙げてみる。

三手の読み、小太刀の名手、荒法師、火の玉流、自在流、まき割り流、穴熊党総裁、いぶし銀、終盤の魔術師、棋界のプリンス、序盤のエジソン、受ける青春、妖刀、28連勝男、駒得は裏切らない、音無し流、さばきのアーティスト、教授、千駄ヶ谷の受け師、振り穴王子

これだけの棋士を漢字で書ければ四段でしょう(←四段?)。

あとは面白いところで
Q35. 将棋棋士であると同時に囲碁棋士でもあった棋士はだれか?
Q36. 森内名人の祖父にあたる棋士はだれか?
なんて問題も三択で出てくるやも。

 あー、女流棋士やってない。もう明朝勉強します。
 今夜は早く寝ましょう(笑)。

 前回解答。眠いので解答のみ(笑)。
Q28. いつもにこやかなため「ゴキゲン中飛車」と命名された戦法を愛用し、2001年度の升田幸三賞を受賞した棋士の姓名を記せ。
近藤正和。

Q29. 青野照市が創案し、米長邦雄がタイトル戦で連採した、2人が住んでいる地名になぞらえてつけられた戦法の名称を記せ。
鷺宮定跡。

Q30. 史上初めて大学在学中にタイトルを奪取した棋士の姓名を記せ。
広瀬章人。広瀬王位(当時)は大学在学中だったんだ。全然知らなんだ…。

将棋文化検定2級想定問題(現代編)

2012-10-18 21:43:05 | 将棋文化検定
 勉強しすぎて風邪の症状が出ています(←一部うそが含まれています)。当日の体調管理のため、早く寝ます。
 昨日出題の問題が難問だったので、体調と併せ軽めの問題を。でも、漢字で書かなきゃね。

Q28. いつもにこやかなため「ゴキゲン中飛車」と命名された戦法を愛用し、2001年度の升田幸三賞を受賞した棋士の姓名を記せ。

Q29. 青野照市が創案し、米長邦雄がタイトル戦で連採した、2人が住んでいる地名になぞらえてつけられた戦法の名称を記せ。

Q30. 史上初めて大学在学中にタイトルを奪取した棋士の姓名を記せ。


以下、前回の難問の解答。

Q25. 江戸時代に和算家として活躍するとともに、『将棋妙案』などの詰将棋の古図式を残した人物の姓名を記せ。
久留島喜内。検定四段レベルの超難問?!。でも3大和算家の1人なので、覚えておいて損なし?!金知恵の輪、銀知恵の輪はたった今並べたが(笑)、名作。

Q26. 中将棋や泰将棋などで、玉将と同じ動き方をし、「玉将を取られてもその駒を取られなければ負けにならない」という駒の名称を漢字2文字で記せ。
太子。成る前の駒である「醉象」とセットで覚えておくべきか。私は将棋歴27年だが、王様とられてもいい将棋があるなんて初めて知った…。

Q27. 大橋本家に伝わる後水尾天皇の銘を近代将棋駒の祖・豊島龍山が筆写したといわれている駒の書体の名前を記せ。
錦旗。幕末の「錦の御旗」にヒントを得て「錦旗」と命名したとのこと。このエピソードが面白く出題した。実は「水無瀬」を出題したかったのだが、問題が非常に作りづらかった。錦旗、水無瀬、菱湖は覚えなければならないが、それよりも「豊島龍山」を答えさせる問題のほうが出題者側としては出しやすいかも。

将棋文化検定2級想定問題(記述編)

2012-10-17 21:18:20 | 将棋文化検定
 いよいよあと4日ですので勉強することをある程度割り切るべきかと。
 問題の傾向についてはこちらにも書いたが、そのほかの情報を総合すると…

1.週刊将棋9月26日号に検定実行委員 田丸八段のコメントあり。「今年は名人400年という記念の年なので、名人や将棋史に関する問題が多く出ます」とのこと。そう考えると本ひげめがね日記の想定問題はあたらずといえどもとも遠からじであるような…。

2.受験票とともに届いた案内文書には「60分、全級50題、3者択一、ただし2級はうち10問が記述式」とのこと。おそらく2級の択一問題は「将棋雑誌とかをある程度読んでる人だったらわかる」問題か、「カルトQ的な、将棋世界編集部とかネット中継スタッフとかしか分からない」ような問題かと思われる。

 そうなるとあと4日でやるべきことは「将棋用語や棋士の名前を漢字で書けるようにすること」ではないかいな。
 それにしても、検定終了後の「トークショーor指導対局」の選択はひげめがねの中では究極の選択である。もちろん「トークショーを聴いて、お楽しみ抽選会で藤井九段の指導対局を当てる」というパターンが最高であるが、そんなに世の中うまくいかないことを知っているので。
 今日出題分は難問ぞろいです。

Q25. 江戸時代に和算家として活躍するとともに、『将棋妙案』などの詰将棋の古図式を残した人物の姓名を記せ。

Q26. 中将棋や泰将棋などで、玉将と同じ動き方をし、「玉将を取られてもその駒を取られなければ負けにならない」という駒の名称を漢字2文字で記せ。

Q27. 大橋本家に伝わる後水尾天皇の銘を近代将棋駒の祖・豊島龍山が筆写したといわれている駒の書体の名前を記せ。


 では前回の解答。

Q22. 実力制名人になって以降、最年少で永世名人の資格を得た棋士の姓名を記せ。
中原誠。一見難問のようだが、谷川浩司、羽生善治は2度の復位の末の永世名人、森内俊之は名人就位自体が遅いという理由で除外されそう。実質大山康晴か中原の2択。パッと見では「知らない」と思う問題でも、冷静に考えれば選択肢は絞れる問題はあるはずと心に言い聞かせて検定に臨もう。

Q23.名人に復位(失冠後再獲得)を2度したことのある棋士は何人いるか?
ア 2人  イ 3人  ウ 4人
答えはウ。そんなにいるんだね。中原誠、谷川浩司、森内俊之、羽生善治。

Q24. 名人戦で、持将棋千日手を含む全10局を戦い名人を獲得した棋士の姓名を記せ。
加藤一二三。米長会長が気を利かせてひふみんの問題が出題されるのではという予想(笑)。

将棋文化検定2級想定問題(実力制名人編)

2012-10-15 23:47:56 | 将棋文化検定
 もう何を勉強すればよいのかわかりません(笑)。とりあえず惰性で出題します。

Q22. 実力制名人になって以降、最年少で永世名人の資格を得た棋士の姓名を記せ。

Q23.名人に復位(失冠後再獲得)を2度したことのある棋士は何人いるか?
ア 2人  イ 3人  ウ 4人

Q24. 名人戦で、持将棋千日手を含む全10局を戦い名人を獲得した棋士の姓名を記せ。


 以下前回の解答。

Q19. 第二次世界大戦後に発足した日本将棋連盟の初代会長の姓名を記せ。
木村義雄。わずか1年の任期で渡辺東一に交代しています。このあたりのいきさつはよく分かりません。御存知の方がいらっしゃいましたら御教示ください。

Q20. 1948年3月、第7期名人戦挑戦者決定三番勝負の第3局が行われた場所はどこか?
ア 伊勢神宮  イ 高野山  ウ 陣屋
答えはイ。自分で作っておいてこう書くのもなんだが、悪問だなあ。高野山の決戦が行われたのは昭和23年、終戦から2年半後のことだったのですね。なぜ厳寒の高野山で行われたかも諸説あります。いろいろな仕掛けを作り出す当時の将棋は、娯楽の少ない時代のエンターテイメントだったのですね。

Q21. 戦後初めて三冠王になった棋士の姓名を記せ。
升田幸三。これは大山康晴とほぼ二択の問題ですが、私の世代(ひげめがねは38歳です)はどっちが先かピンときませんよね。

将棋文化検定想定問題(戦後編)

2012-10-14 12:20:18 | 将棋文化検定
 戦後は案外ネタがないですねえ。あまりに有名でみんなが知ってる話か、ある人の全盛期は強すぎてネタがないかで。
 やむなくいろいろネット上で探していると、久々に将棋パイナップルに出会いました。いやあ、ここの話は大変面白いのですが、やはり問題になりづらいことばかりで…。それにしてもmtmtさんはお元気でしょうか?これだけの資料になることを作成された業績は大に思います。その意味ではこの検定って、皮肉にもmtmtさんのための検定であることに気付きました。もちろんひげめがねはお会いしたこともお話したこともないですし、あの一件以後のことも存じ上げませんが、将棋界の発展に更に寄与できる環境ができることを心より祈念しております。

 では問題。いつも良問ばかり出題できるとは思っていませんが、今回のは特に良問ではありません…。

Q19. 第二次世界大戦後に発足した日本将棋連盟の初代会長の姓名を記せ。

Q20. 1948年3月、第7期名人戦挑戦者決定三番勝負の第3局が行われた場所はどこか?
ア 伊勢神宮  イ 高野山  ウ 陣屋

Q21. 戦後初めて三冠王になった棋士の姓名を記せ。

では前回の答え。
Q16.1935年、ある棋士の昇段をめぐり将棋連盟が分裂した。その棋士の姓名を記せ。
神田辰之助。神田事件は2級ではマストでしょうか?この辺の話は複数出題の可能性もあるので、次問に続く。

Q17.1936年に組織が再統一してできた会の名はどれか。
ア 十一日会  イ 将棋大成会  ウ 日本将棋連盟
答えはイ。将棋連盟の歴史的変遷は覚えますか。下記のとおりです。

1924東京将棋連盟
1927日本将棋連盟
1935「将棋連盟」「革新協会」(神田事件により分裂)
1936将棋大成会
1947日本将棋連盟

Q18.雑誌「将棋世界」の初代編集長の姓名を記せ。
金子金五郎。これは超難問。花田、金子は神田事件の絡みもあるので出題してみた次第。

 ちなみに神田事件をひも解けば、その当時の代表的棋士がすべて出てくる。神田事件で分裂した際、花田長太郎も金子も神田側についてしまったが、当時の花田も金子も将棋が強くスターだったので、連盟側とすれば役者不足に陥ってしまった。しかも、2人とも関根金次郎一門(花田が弟子、金子が孫弟子)なので、時の名人関根は中立を装っていたが実のところ多いに困惑した。そこで、かつて兄弟子で当時は実業家になっていた小菅剣之助に頼んで、この事態を終息してもらった。ちなみに仲裁に行くときに帯同したのが木村義雄(のちの十四世名人)。小菅はこの功績によって名誉名人の称号を与えられた。統一後、唯一将棋大成会に所属しなかった有力棋士は阪田三吉のみである。これをみると、現在につながる棋士像は、神田事件によって色づけられたと思わされる。
 後年、第3期名人戦(1942年)で「神田君、時間だよ」事件が発生し、翌年に神田は帰らぬ人に。勝負師にとってはより過酷な時代であったのですねえ。そして、だからこそその時代強かった木村義雄は真の意味での「大名人」になりえたのでしょう。