ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

将棋文化検定2級想定問題(江戸の名人2)

2012-10-04 21:23:22 | 将棋文化検定
 江戸の将棋指しの勉強をしていると、話は荒唐無稽で面白いのですが(やはり書は現実よりドラマチックに描きすぎ、歴史はデフォルメされるのですね)とても覚えられません。でも、江戸の将棋指しで出題されそうな人物はごくわずかとわかってきました。そのため、想定問題もどうしても偏ります。

Q7. 23歳で名人となった、江戸時代の最年少名人はだれか?
ア 大橋宗与六世名人  イ 伊藤宗看七世名人  ウ 大橋宗英九世名人

Q8. 三代伊藤宗看の作で俗称「詰むや詰まざるや」とも呼ばれる献上図式の名を漢字四字で記せ。

Q9. 大橋宗銀と57番指しで勝ち越したものの早世してしまった2代伊藤宗印の長男の姓名を記せ。



では、前回の解答

Q4. 現在残っている最古の棋譜は、初代大橋宗桂と誰の対戦?
ア 本因坊算砂  イ 本因坊秀和  ウ 本因坊道策
答えはア。全員歴史に残る碁打ちだそうだが、今回は将棋検定なので出てくるのは算砂だけだろう。

Q5. 次の中で献上図式を作らなかったのはだれか
ア 大橋宗古二世名人  イ 大橋宗与六世名人  ウ 大橋宗英九世名人
答えはウ。これは出てくる可能性の高い問題では?ちなみに三代宗与(六世名人)はなれないと思っていた名人になり、それから慌てて作成したため、「将棋養真図式」は不出来と言われている。

Q6. 当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、後に棋聖と呼ばれるようになった人物の姓名を記載せよ。
天野宗歩。これは比較的容易な問題だが、2級は姓名記載問題が出そうなので、そうなるとある程度有名な人物しか書かせないだろう(という甘い見方をしている)。歴史を知らなければ天野宗歩は稀代の天才棋士としか認識がないが、実は品行方正でなかった。そのことはあまり知られていないのでは?