ひげめがね日記

基本的に自虐的な日記です。自虐ネタが好きな方はお喜びいただけると思います。

天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る

2016-05-16 22:50:00 | 将棋
 5月15日(日)のNHKスペシャル、大変楽しめました。
 ただ、1点違和感が。


 この局面で


 羽生先生は1筋方面しか見ていない。


 いわゆる「捨てる技術」の話なのですが、

 それにしても、このアマチュア、7二を見過ぎでは?いったいどこのアマチュアだ(笑)。
 その点は違和感ありまくりですが、羽生先生の相手の持ち駒ほとんど確認していないところに感動しました。
 ひげめがねの場合、双方の持ち駒を無駄に確認しすぎるので。確認すべきところではそこではない(笑)。

陣屋における丸田祥三氏が撮影した丸田祐三九段の写真 その2

2016-05-14 21:09:28 | 将棋
 本日、実家に帰りましたので、この日記の記載のとおり、将棋世界を見返してみました。

 将棋世界2005年10月号「時代を語る・将棋昭和紀行 特別編 丸田祐三九段その3」より

陣屋事件
 王将戦はタイトル戦に昇格した。第1期の挑戦者決定リーグは丸田八段、升田八段、大山九段、坂口允彦八段、塚田前名人というメンバーで各二番指した。優勝は升田八段。7勝1敗で挑戦者になった。
 木村名人対升田八段の七番勝負第1局は、中盤で木村名人が優勢になった。記者の人に形勢を聞かれた。夕刊の締め切りの時刻が迫っていた。私が、「木村名人のほうがいいですよ」と答えたら、そのまま活字になった。
 ところが、木村名人が必勝の将棋をぐずりにぐずり、大ポカをやって逆転負けした。そうしたら升田さんにからまれた。「俺が弱いから負けると思ったのだろう」と。木村名人は、この第1局を負けたのが、そのあと香落に指し込まれる遠因となった。勝っていれば逆に升田さんを指し込んだかもしれない。しかし、いま喋ったのが夕刊に出て、それを対局者が見るとは考えもしなかった。苦い思い出です。
 勢いに乗る升田八段は○○●○○の4勝1敗でタイトルを獲得するとともに、木村名人を香落に指し込んだ。升田さんは悲願がかなった訳だが、この時の心境は複雑だったようだ。名人に香を引けば名人の権威に傷がつく。名人戦は朝日新聞社が主催している。升田さんは朝日の嘱託だ。
 昭和27年2月17日。注目の第6局、升田八段が木村名人に香を引いて指す前日です。関係者は神奈川県秦野市の鶴巻温泉“陣屋”に集まった。対局室は2階の“紫雲閣”(現“松風”)。みぞれの降る寒い日だった。
 当時、私は鎌倉に住んでいた。江ノ電で藤沢に出て小田急線に乗り換え、“陣屋”のある鶴巻温泉へ行った。土居市太郎八段(名誉名人)が正立会人で私が副立会人だった。木村名人は来ていた。そういう約束で始めたのだから来るよりしょうがない。ところが、升田さんは現れない。そのうち電話がかかってきたそうです。升田さんからだった。電話には毎日新聞社の人が出た。
 升田さんは、玄関でベルを何度も押したが誰も出てこない、それで腹を立てて近くの旅館“光鶴園”へ行ったと話したそうだ。しかし、ここの人が言うには、ベルは前から錆びていて当時すでに鳴らなかったそうだ。「そのことは升田先生も知っていたはずです」と先代の女将で現陣屋会長の宮崎カズヱさんも言っていた。これなんか一番の傑作ですよ。
 升田さんが“陣屋”に来ないと言うので、毎日の記者の村松喬さんと“光鶴園”へ出掛けた。村松さんは将棋の担当で、私より2つか3つ年上だった。この人は作家の村松梢風さんの息子です。
 升田さんは酒を飲んでいた。毎日事業部の人も一緒に飲んだ。結構な時間いて説得に務めたが、升田さんは聞き入れない。仕方なく私たちは“陣屋”に戻った。その時、升田さんが、「対局場を替えれば指す」と言ったと巷間伝えられているが、そういう話は出なかった。
 そもそも村松さんは升田さんに、「“陣屋”の対局に何時頃お出かけですか?私も一緒にまいります」という電話を入れている。タイトル戦の主催紙が対局者に車を差し向けるのは常識です。この時、升田さんは、「知っているから1人で行く。車はいい」と返事をしたそうだ。升田さんは、断って電車で行った。断ったのに車が来なかった、と言うのは変です。
 鶴巻温泉の駅前でタクシーが見当たらず、升田さんは歩いたという。“陣屋”は駅から約5分。それほど遠くない。当時はタクシー乗り場もなかった。ある時、珍しくタクシーが止まっていた。私は体の具合が悪かったので、「近くで悪いんだけど“陣屋”まで行ってよ」と言った。そうしたら運転手さんに、「お客さん、からかわないでくださいよ」と断られた。“陣屋”というのは、つまり、そういう距離です。
(つづく)

<以下ひげめがね的考察>
上記に「大山九段」とあるが、大山康晴が名人を獲得するのはこの年の名人戦。「大山八段」の誤りと思われる。コメントで「当時九段のタイトルを保持していたはず」との指摘を受けました。確かにそのとおりでしたので、削除いたします(2021年2月27日追記)。

・丸田八段の言がそのまま新聞に掲載されてしまったことも、陣屋事件に発展した一因かもしれないと丸田九段はお考えだったのだろう。ただ、この点について本当のところは升田先生のみぞ知る。ちなみに私は、そんなこと升田先生は気にしていなかったろうと思われる。升田八段は丸田八段のことをそんなに評価していなかったはず。九段昇段制度が変わるときの第1号(3人いた)のうちの1人が丸田先生であったが、そのことに升田先生が「あんな弱いの九段にするな」的な発言をした、という記述をどこかで読んだことがある。

・陣屋事件の大きなポイントである「陣屋で升田八段がどのような行動をとったのか?」ということにつき、「ベルを押したが鳴らなかった」が升田の言い分と、丸田九段は述懐されている。ほかの言い伝えでは「大声で呼んだが陣屋のものが出てこなかった」というのがあり、むしろこちらの方が信じられている。確かに今の感覚で、旅館に到着して呼び鈴押すか?と考えると、こちらの方が正しいように思える。しかし、陣屋の女将の「そのことは升田先生も知っていたはずです」との発言もあり、丸田九段の官僚的折り目正しさも考え合わせると、さすがにそこの記憶違いはないだろうというのが、現在の私の結論である。陣屋は高級旅館なので、ひげめがねのような庶民は行けるとしても一生に一度のことであろう。もし行けた際は、ベルがあったのかどうか、現在の女将に確認したいものである。

・「車」の話が出てくるが、ポイントは「ベル」だったわけで、車で来たか電車で来たかは陣屋事件の本質ではない。にもかかわらず、ここでその述懐をしているのは、きっと丸田八段が升田八段の説得に行ったとき、升田八段が「なんで俺には車をよこさなかったのか?」とくだをまいたのであろうと推測される。


 将棋世界2005年10月号。佐藤棋聖4連覇、瀬川アマ初勝利を報じている。ぽつねんと座る丸田九段が印象的な表紙。

将棋クラスタひげめがねが考える「福地誠氏vsIQ180真剣様」

2016-05-08 08:10:50 | 麻雀
 ひげめがねが麻雀のこと書くのはめったにないことですが。

 5月5日(祝日)、麻雀界では世論を二分する大きな対決があった。
 以下概要

・「IQ180真剣様」というアカウントの人がツイッター上で「俺が一番強い。天鳳(麻雀オンラインゲーム)のプレーヤー全員ぶっ潰す」的なツイートを随時発信。
・天鳳プレーヤーが皆おもしろがる。
・ところが、コンビ打ちしたとの容疑で「IQ180真剣様」アカウント停止となる。
・真剣様、なぜか逆恨み?「皆許せねえ、ぶっ潰す」とのツイート連発。
・「じゃ、リアル麻雀でかたつければいいんじゃね?」との指摘が入る
・真剣様「じゃあ行ってやるよ」ということで、福地誠氏がゲストで招かれた雀荘に5月5日に行くと宣言。
・信じないネットの人々。
・ところがまじでキタ──ヽ('∀')ノ──!! キタ。かなり鋭い、イケメン青年だった模様。
・さらに真剣様が、途中まで大量リード。
・しかし、最後は将棋名人戦第2局くらいの大逆転!!オーラス倍満あがりで、福地氏勝利!
・あー、おもしろかった。

 ひげめがねは、金曜朝の出勤する直前にtogetterを読んで、「なんじゃこのおもしろい対決はーーーー!!!麻雀放浪記じゃねーかーーーーー!」と思って、1日仕事が手につかなかった(←仕事のできない言い訳)。

 ところが、「くそつまらない」「意味ない」との意見も半数くらいあるとのこと。
 へー、こんなおもしろい出来事なのに、麻雀打つ人にはつまらないんだねえー。「博打はいかんでしょ」「素人巻きこんじゃいかんでしょ」「大人げない」みたいな意見だったら理解できるけど。
 そこで、「なんでつまらないのか」を将棋観戦的視点で考えてみました。

1.将棋には真剣師がいなくなったので、基本的にこんなことはあり得ない。
 小池重明見ればわかるけど、真剣師は有名になったら商売あがったりなんだよね。絶対負ける相手に人は金賭けないから。
 それから「真剣する」なんてネット上に書いたら「公益社団法人 日本将棋連盟」が全力で阻止するかも(笑)。

2.強い人は「おれは強い」とか書かない。書く必要がない。
 将棋指しが「おれは羽生・渡辺に負けねえ」とかつぶやいても、完全シカトでしょ。「じゃあまず24でR2500超えてみましょうね」とか「何はともあれアマ名人になってみましょう」とか将棋クラスタは思うだけだよね。
 将棋指す人でプロレスみたいに挑発する人がいないのは、運の要素が非常に少ないから。実際には運の要素が全くないわけではないけれども、「それも実力」とあきらめる風土が将棋指す人にも見る人にもある。
 そして、実際勝負する場がしっかりあることも大きなポイント。
 雄たけびをあげる前にまず勝ちましょう、ということですね。

3.将棋界には「観戦する」文化がある。
 GWに買った福地先生編の本の中に「麻雀は観戦しても強くなりません。打ちまくりましょう」的な解説があり、びっくらこきました。
 将棋では「棋譜並べ」が核となる勉強法の1つ。「いい将棋を見ると香1枚強くなる」くらいの感覚ですよね。
 他人の麻雀をほめたり、見て強くなったり、という文化は一部の人だけのものになっているということでしょうか?

4.「リアル将棋」と「ネット将棋」は同じもの。
 「リアル将棋」「ネット将棋」に違いはない。郷田先生のようにPC持ってない人でもネット将棋で優勝できる(羽生先生みたいなクリックミスは除く(笑))。

 裏返すとこういうことか?
・麻雀界では「麻雀はギャンブルか競技(ゲーム)か」という結論が出ない。共通認識がない。
・観戦する文化がそんなにないので、強い弱いの判断する場が非常に少ない。最近はそれでもニコ生等での見る文化は増えてきたが、その文化が将棋ほど評価されていない。
・それ以前に、麻雀において「強い」とはどういうことなのか、定義がない。真剣様も「強そう」とは思うが、それがどのくらい強いのか?(将棋で言うところのアマ初段なのか五段なのか?はたまたプロレベルなのか?)は神秘のベールに包まれている。そして、短期では強さが明示されないからこそ、ギャンブルの対象となりうる。
・天鳳などが「強さ」の目安を示す指標となりうるが、「リアル麻雀」と「ネット麻雀」は違う、というのが麻雀界の基本的共通認識。なので、リアル麻雀強者とは比較のしようがない。
・天鳳が強くても、名誉以外何もない(という認識でいいですか?)。生計を成り立たせられないので、少なくとも将棋でいうところの「プロ」になりえない。

 つまり、麻雀界は未開の地を開拓しているところ。だから、西部劇みたいに「得体の知れない強い人」が世の中にわんさかいて、こんなおもしろい状況が生まれるのかもしれない。
 麻雀な人々は、そういう状況に慣れているので、今回の件も「普通でしょ」と思われるのかと。
 将棋界には「得体の知れない強い人」は30年くらい前にいなくなってしまったので、今回の対決、ひげめがねはとてもおもしろかったなあ。
 ひげめがねはこーゆー真剣勝負を見るのは大好きなので、次はぜひ、金をかけずにお願いします!!

陣屋における丸田祥三氏が撮影した丸田祐三九段の写真

2016-05-01 21:16:13 | 将棋
 今日は珍しくまじめな話です(いつもまじめでなくすみません)。


 本日の日本経済新聞の最終面。5月の「私の履歴書」は中原誠十六世名人(名誉王座)。将棋ヲタクとしては1日も読み飛ばせない、と思っていたところ、その横の記事に「丸田祥三」の名が。
 丸田祥三氏は故・丸田祐三九段のご子息であることは、将棋文化検定1級のひげめがね(←自慢)は一目でわかること。これは将棋クラスタを喜ばせる日経の戦略なの?それはよくわかりませんが。
 記事(エッセイ)は丸田氏の写真のように繊細なもので、もう今のひげめがねには書けないような内容。こういう感覚を年齢を重ねても持ち続けられるのは芸術家の特権であり、心底うらやましい限りである。

 ここからはアーカイブとしてインターネット上に置いておかねばならないとの思いで書きますです。

 私が丸田祥三という名を聞いて思い出すのは、10年ほど前の将棋世界。
 丸田祥三氏が、陣屋での父・丸田九段を撮影した写真が掲載されていたのだが、特に赤を基調した写真が本当に素晴らしい1枚であった。記事も、陣屋事件の真相を当事者の丸田九段が語ったもので、資料としても貴重なものである。
 しかしながら、この将棋世界には「米長・ホリエモン対談」も組まれており、当時の米長会長が「なんで表紙が俺とホリエモンじゃないんだ」と激高したとのこと。これは当時米長氏が自身のホームページの日記に記載していたので、よく覚えている。
 丸田九段は将棋連盟理事や会長をを長くつとめられた。その手腕には毀誉褒貶あろうが、将棋界が連綿と生き延びてこられた一端は丸田九段にあるはず。いくら嫌いだからと言って、先人の功績を全く評価しない米長会長の態度に立腹したものだ。米長会長をかろうじて応援した来た私も、決定的にアンチ米長になった瞬間であった。
 翌年、ホリエモンは逮捕され溜飲を下げたが、だからと言ってあの貴重な写真と記事が将棋界の話題になることもなく、多くの人も忘れ去ってしまったのではなかろうか。
 今google検索しても、一目で出てくるのは「せんすぶろぐ」のみ。表紙の写真は少し深く探してみたが見当たらない。
 将棋世界はほとんど処分してしまっているが、村山聖追悼号とともにその号は実家にとってあるはず。今度帰った際は読み返し、本ブログでもご紹介する所存であります。