歴史に学ぶ人事・経営論

横浜の社会保険労務士・行政書士関口英樹です。

人事マネジメントの件

2020-11-17 09:23:35 | 歴史に学ぶ人事経営論
島津家16代目当主となった島津義久。
四兄弟の長男である義久は、勇猛な弟たちと比較され、「愚兄賢弟の見本」と陰口を叩かれる人物だったが、祖父忠良からはその器を評されていた。

2番目の弟義弘は、戦国最強とうたわれた戦上手。
朝鮮出兵では、「鬼島津」の異名を取るほど猛将だ。
四番目の弟家久も、義弘に引けを取らない猛将だ。

そういった中、長男である義久は、合戦においては、武勇のある弟たちに任せ、問題が発生した際は、自身が責任を取るという方針の頼もしいトップだ。
つまり、実務は現場判断に任せたのだ。

こういった人事マネジメントの結果、4年後には、薩摩統一を果たし、その6年後には、九州のほぼ全域の統一を成し遂げたのだ。

島津家の快進撃を快く思わなかったのが、豊臣秀吉だ。
ある時、秀吉の20万の大群が、攻めてきた(九州征伐)。
守る島津家は5万。
今まで平定してきた九州の各地は次々に秀吉の手に落ち、
薩摩に大軍が迫ってきた。

絶体絶命のピンチに、島津家は、いかに対処すべきであろうか?
そんな折、義久は頭をまるめ、丸腰で秀吉に面会。
和睦を申し入れた。

一方の秀吉軍も、遠征で疲れ果てている上、本州では、北条や伊達など、反秀吉派の武将たちの動きが活発化していた。

そのタイミングでの和睦の申し入れだ。
結果として島津家は、平定した九州の全域は失ったものの、大隅と日向の領土(現在の鹿児島)を取り戻すこととができた。

「実務は現場に任せ、責任はトップがとる」
この方針のもと、島津家は、絶体絶命の難局を乗り越えたのだ。

これは現在のビジネスでもしかりではないだろうか?
皆さんのお考え、お聞かせ下さい。


~中小企業の人事・法務担当~
〒221-0005
神奈川県横浜市神奈川区松見町1-12-12-3F
関口総合法務事務所
社会保険労務士・行政書士 関口 英樹
℡&F 045-401-0842
携 帯 080-1174-9553
E-mail hide@hide2008.com
http://www.hide2008.com/
★社会保険・就業規則等の人事労務手続
★特別加入(社長・一人親方の労災)
★建設・産廃・宅建・運輸等の許認可
★請負契約書・合意書等の企業法務書類
<労使一体・攻防一体の経営をサポート>



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 変化に対応するパソコン | トップ | 電子申請 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史に学ぶ人事経営論」カテゴリの最新記事