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響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

鏡の中のクラシックらしさイタチ。

2008-10-24 | ピアノ


昨日のつづき)

答えは、たぶん、クラシックらしさを聴きに行っていたのである。ああそうか、これがクラシックというものか、ああこれがクラシックのうたいなのだ、そうよやっぱりクラシックはすてきだったわ、と。

たしかにある種のジャズのライブにもそういうところがある。そういう輩はいる。でもどうかな、ライブが終わってそれぞれが持ち帰るものが別々だということぐらいはおたがいに気づいているものではないだろうか。

私はいったい何を期待していたんだ? というのをもうちょっと検討してみよう。というのも、そう考えると、自分はほんとうに思ってもみなかった、意外な期待を抱いていたことがわかったからである。つまり、なぜかクラシックのピアノのリサイタルに限っては、弾けているかどうか見てこよう、と私は思っていたのだ。まったく首尾一貫していることに、思い返せば、昔から自分はそう思っていた。(クラシックイタチの清塚信也入門を参照)

どうしてそうなるかはまあいいとして、弾けていたらどうなのか、その先がないというのはかなり問題である。いやむしろ、弾けていたらすばらしい、それ以上何を言うことがあろうか、ということがあるかもしれないのも、とりあえず置いていく。

つづいて私は、自分がこれがクラシックよ、とか、これがピアノよ、とか思うものがそこにあるかどうか、をどうやら期待していたらしい。「なんでそんなものを」と、私も思う。しかし事実、自分がこれがクラシックだろうと思うものがちゃんと弾けてるかどうかを聴きに行く、それが私の期待だったのだ。

──まさかそんな奴はいないか、あるいはいても少ないよ、と思われるかもしれない。でも演奏が「クラシック」であり、「上手に弾けていて」「すばらしかったわ」という人はもちろん多いであろう。それ、それ、その期待の内容は、間違いなくクラシックであるものがちゃんと弾けていた、に終始すると考えられるわけである。

なぜ、気付かなかっただろう。今まで。何十年も。クラシックイタチはおしなべ、さしずめ「クラシックらしさイタチ」に他ならなかったのだ。

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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クラシックイタチ、清塚信也のピアノを聴く。

2008-10-23 | ピアノ
クラシックの音楽家たち@音楽室にて

イタチのことだからコピールアクの味でした、ちゃんちゃん、ということにならないとは言えないにしても、清塚信也氏のピアノを聴いてどう思ったのか、感想ぐらいあるはずなんだから、今回はそれを書いてみよう。

何回か前にも書いたのだけれど、清塚信也氏のピアノをライブで聴くのは初めてだったので、クラシックイタチは、はっきりとコレというような何かをお目当てに行ったわけではなかった。もちろんコンサートへ行くのだから何らかの期待というものがあるわけだけれども、それについてはいつものように空白で、物見遊山で、でたとこ勝負のつもりで、のんびり出かけたわけだ。

そういうつもりであったのにかかわらず、プログラム最初のベートーベンが始まると、私は違和感を覚えた。違和感を言葉にすると──つまり感想として正直に言おう──これはもしかして、期待はずれなんじゃないか、と思ったのである。あるいは調律がどうかしている、あるいは、この演奏はばらばらすぎ、何かクラシックの持つ神秘のベールを曝きすぎているのではないか、と。

だから、振り返ると、清塚信也体験の最初の何分かは、「当惑」だった。それが過ぎると、怒りに似た、平熱より高い36.7度ぐらいの「熱」が起こり、それも一瞬で去ると、私は「なぜだ?」と思っていた。しばらくそうしていた。そうしているうちにベートーベンが終わった。

そしてMCが始まった。

たしかMCが始まったあたりだったんじゃないかと思う。唐突に、クラシックイタチが気づいたのは。──いったい私が何を期待してこのコンサートに来たかについて。

一般に、クラシックのコンサートへ、私たちは何を聴きに来るのだろうか。狡猾なイタチなら「ピアニストを聴きに」とすらすら答えているところだ。でもほんとうはそうじゃない。あるいは、それは「ジャズ」や「ポップス」のコンサートとどこが違うのだろうか?

清塚信也ピアノリサイタル@小平、アンコールは余韻を超えて。

2008-10-22 | ピアノ
清塚信也ピアノリサイタル、サイン会

アンコールはふつうの即興に加え、即興によるメドレー、清塚信也作曲のドラマ主題歌の初演、ジャズの名曲などがあったが、うーん、こう書きながら、ほんとうにこのコンサートについて書くのは難しい、とつくづく思われもする。

本来ならイタチについてではなく、クラシック(音楽)について語りたいし、そうであるべきでもあるのだが、なにしろ私はいっかいのクラシックイタチに過ぎない、ときている。

そこで一般的な話から始めることにしよう。一般に、「これをやるといい」とぴたりと思いつきそれを実行するに時を待たない、これをクラシックイタチ的には「情報処理が速い」と言うのだけれど、そういう人が自分のリソース(持っている能力)を、自分がいいと思うことに使うのは当たり前ではなかろうか? 自分の中に基準があるというだけでなく、(いわば人類の)未来将来にとってこれがいいということを自分で確信するのに、なぜ他人の基準を参照したりするだろう? 私は自分自身が「情報処理が速い」ことはまずないのだが、目の当たりにすることは比較的よくあって、「情報処理が速い」人は自分でもそれに気づいているものである(速い側から、遅い側が見えるのは当たり前だ)。

科学の場合だと、高度に専門的な知識は専門家の間で共有されているので、侃々諤々の「最先端」にもとりあえず何人かの乗組員がいることが多い。また同じ音楽でも「バンド」という仕組みがあって、いやバンドでなく単にその場のセッションでもよいのだが、そこではある種の客観性が生じ、共有が起こる。したがって「情報処理が速い」がゆきすぎて、観客がおいてきぼりをくったとしても、メンバーは疾走できる。

ところがピアノソロというジャンルは──そうなのだ、あまりにも独りなのだ。

清塚信也氏はサービス精神旺盛だ、などと言われるが、まことにその通りで、清塚氏には、プロ意識を源に持つ、観客に対するとても篤い愛情を感じる。そのひとつの具体的な証拠が、この長く盛りだくさんなアンコールだった。観客はほとんどが女性だが、その一人一人に分け隔てなく愛情を惜しまないのは、たとえば「ロックスター」とは対照的だ。

清塚信也氏は、老成していながら、狡猾でなく、
生まれたばかりの若さに輝いていながら、優雅だった。

それなのに誰に対しても開かれており、ピアニストのその孤独な作業のあと、引き続いてはロビーでのサイン会である。こんなチョコレートの味は体験した誰にとっても忘れることができないだろう。熱狂的なファンが生まれるのも無理はない、とあっさり納得してしまう。サイン会の長い列に並ぶことなど、実際、どれほどの苦労でもない。

ため息とともに思い返す、清塚チョコレート。

ちょっと待てよ、それで「クラシック」はどこへ行ったんだ?

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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清塚信也ピアノリサイタル@小平、プログラム後半の模様。

2008-10-21 | ピアノ
前回のつづき)

さて、「清塚信也ピアノリサイタル」@小平市・ルネこだいら大ホール、プログラムの後半へ移ろう。

パリのショパン

後半は、オールショパンプログラムで、前半の(クラシック)音楽史の流れを引き継いではいるが、前半のようにそこが聴きどころであるのとは多少趣が違う。ショパンと清塚信也とピアノの三位一体ならば、なんだってできるぞという手品の連続、というのだろうか。

しかし、上述の「なんだって」というのはおよそ比喩ではない。MCで、清塚氏はショパンとその時代について、だが隣人のように、──つまり時代性を踏まえつつ親しみをこめて──語る。MCによって、今描き出されたそのショパンという人物へ向けた酔狂のように、清塚氏は奏でる。このぶんだと、これがリストでもそうなのでは?と息をのんでしまう。

ところで清塚氏には19世紀のショパンだけではなく、21世紀のこのホールに集まった観客がいる。これがまた清塚氏はこのことを片時も忘れないのだ。この一風変わったショパンを、観客は驚愕とともに、喜んで受け入れている。というのも、するりと清塚氏はショパンを逸脱する。すなわち即興演奏である。

いくつもの有名なワルツの中に、ときどきそういった演奏があり、「別れの曲」のあとに演奏されたのもたぶん即興であったと思う。やろうと思ったことをすぐにやる速さには、間一髪もない。……ええとですね、たとえば小犬のワルツを清塚氏は倍速で弾いていたのだが、こういうテンポが速いというのも速さのひとつではある。だが今言った速いというのは、「これをやるといい」というアイデアを思いつく速さに加え、特に思いついてからそれを実際にやるまでの間がとてつもなく速い、ということが言いたかったのであります。

というのは、たとえば演奏がとてつもなくうまいというだけでは即興はやらないでしょう?  彼にとって即興がプログラムの自然な一部なのは、弾けるからという理由に加えて、その場で「これをやるといい」と思いつき、それをすぐに行えるその情報処理の高度さ・高品位さからなのだと思うわけだ。技術的にこれほど高度でしかも即興であるものといえば……そうジャズと同じということになる。

そこでプログラムとしては終了なのであるが、清塚氏はアンコールにもたくさんの曲を弾いてくれた。その話はつづき、ということにしよう。

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいら、プログラム前半の流れ。

2008-10-20 | ピアノ
「清塚信也ピアノリサイタル」@小平市・ルネこだいら大ホールへ行ってきた、という話のつづき。



プログラムの前半は、まずベートーベンのテンペスト。聴きやすい席だったためか、音場支援のない会場なのか、音がクリアに聞こえてきて、残響にまどわされることがない。その音たちは、しかし、少しタイトすぎるのではないか、ひょっとして調律が正確でないのではないか、そんなに虚飾をはぎとってしまわなくてもいいのではないか、ともクラシックイタチには思われた。

なぜそのような演奏になっているのか、というその理由へ、MCが入口をつけてくれる。

“ベートーベンは音楽における近代の祖である。彼が初めて市民のためのコンサートというものを開き──それまでは貴族に捧げられるものだったのだ──、現在のクラシック音楽の視聴スタイルの基を作った。彼以降、2つに分かれて音楽が作られていく。ひとつは標題音楽、もうひとつは絶対音楽である。”

“ところでこの「クラシック音楽」というのも検討しておいたほうがよさそうだ。これはベートーベン以降、ショパンたちが新しい音楽を推し進めるなかで、自分たちは古い形式を大切にするのだという意味をこめて「クラシック」と呼び始めた、折しも日本が鎖国を解いて西洋音楽を輸入したのがその頃だったものだから、クラシックと呼び習わすことになったのである。”

プログラムは続いて、ブラームスの小品。これは絶対音楽の例である。すばらしい。精緻で、構築的で、グールド・ファンにもお勧めである。しかしどこか繊細すぎるところがあり、一方それとは反対に、非常に速い情報処理(レスポンス)の奥にどこかのったりとした、まるで大河の流れのような時間感覚があるように、クラシックイタチには思われた。

当日配られたパンフレットには書いていないのだが、続いては標題音楽の例、ムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。そしてこれはもう、一発で会場を目覚めさせる迫力を持っていた。席の隅々まで人々を見開かせ、絶賛させる力があった。みなぎる力だった。調律も合っているらしかった。「展覧会の絵」は何度もバラバラになり、さっとひとつにまとめられた。新進気鋭の映像作家のように。いや、そうではない、標題へのひとつの印象としてではなく、すべての部位を徹底的にバラバラにして、そのすべてが正しい音量と音色で響くように建設しなおされた「展覧会の絵」だった、と言うべきかもしれない。つまり、標題があくまでも音楽として聴けるように。

ほらね、標題音楽とはこういうものです、とは、しかし、清塚氏は言わなかった。清塚氏は、「展覧会」の演奏を終え、満場の拍手を浴び、そして何も言わなかった。ただ彼は、舞台のそでに消え、会場は中休みに入った。

※MCの内容は、不正確なところが多々あると思います。どうぞご了承ください。

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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クラシックイタチの清塚信也入門

2008-10-18 | ピアノ
清塚信也ピアノリサイタル

「清塚信也ピアノリサイタル」@小平市にあるルネこだいら大ホール。コンサートは、祝日であった2008/10/13に行われた。クラシックイタチこと私と、ジャズうさぎ(バンド大好き)夫、そしてコドモのヒビキ(ロックカラス)でもってぞろぞろと出かけてきたので、そのことを書こうと思う。

かつてピアノを習ったことがあったり、ピアノという楽器の音が好きであったり、ピアノのソロアルバム(クラシックのですね)を買ったりといった、どちらかというとほんのりクラシック傾向のひと──すなわちクラシックイタチ的なひとということになるわけなのですが──には、

──で、どうだった?

と聞かれるだろう。そうしたらどう答えようか、と考える。

──上手いの?

するとやっぱり、こうくるだろうなと思う。クラシックイタチこと私がもっともクラシックのコンサートに行っていたのは大学生の時だけれど、その時はやはり闘牛みたさじゃないけれど、どんだけうまいのかってことに驚きたい、という動機が大きかった気がするし。

実はクラシックイタチが、清塚信也さんのピアノを生で聴くのは初めてだった。うまいです。すごくうまい。大学時代、こんなのが日本で、地域のコンサートホールで、ほんの身近な界隈で、聴けるとは夢にも思わなかった。ヨーロッパはもちろんニューヨークだって遠くて、カーネギーホールでのホロビッツのライブCDを買うのがせいいっぱいで、それはいつも、ひどい録音だった。演奏がではない、録音の技術がひどいのだ。それでも私はその寄せ集めのCDをよく聴いた。結婚行進曲が変奏されていくのを、息をのんで見守ったのだ。

それがこんなに簡単に、ここにあるのだ。ルイ13世が愛したトリュフです。と、それはサービングスタンドにもられている。美しく、比類なく、そして虚飾なく。そこで私はこの体験を──まことに勝手永らく申し上げるのだが──清塚チョコレートと名付けることにした。チョコレートのほうは、誰かに商品化して欲しいくらいだ。包装紙は碧だ。中味は赤いリキュール。(つづく)

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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「清塚信也ピアノリサイタル」@ルネ小平のためのプロローグ

2008-10-16 | ピアノ


もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、真実は宿るものである。
──ジョン・アービング「ペギー・スニードを救う話」より

こんな引用は簡単だ。「ペギー・スニードを救う話」は、『ペギー・スニードを救う話』という同名の短編集の中にあり、しかも最初の1ページ目の前半にあるのだ。本屋で立ち読みしたって、引用できるんじゃないだろうか?

だが一方で、フィクションの偉大さを、現実の場面で思い起こすことができる機会というのは、案外少ない。現実は──実際には──もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことを含有している。そうでなければ、それは書かれることがないからだ。それは個人の才能の中に勃発するのではなく、共時的におこる。

その同じ時間の中に居合わせること、それがライブの意味だ。だから今このようにして書くことはすでに遅まきであり、余計であり、饒舌すぎ、めんどくさい。そうだ、アービングさんに言ってもらおう。

私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。そのまた半分以上は小さい変更にかまけている。
──ジョン・アービング「ペギー・スニードを救う話」より

やれやれ。そんなことを「リポート」として、それが誰にであれ、差し出すわけにはいかない。だから私の書くことはいつも、どうでもいいような小さな嘘に満ちている。そのことだけは覚えておいてもらうとしよう。それを帳消しにしようとすれば、大きい嘘を持ち出すことにもなりかねないのだし。

フィクションのことはさておき、いざ、音楽へ帰ろう。2008年10月13日(祝)、東京・小平市にあるルネこだいら大ホールで、私たちが聴いた音楽へ。その日のステージには、長いコンサートグランドが1台、ピアニストを待っていた。(つづく)

[清塚信也ピアノリサイタル@ルネこだいらを聴いた]
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ハルモニウム、Piano to Go!

2008-09-01 | ピアノ
寺山修司の「書を捨てて、街へ出よう」という言葉、そのメッセージはあまりに象徴的である。まったく知らなくて自問するのだけれど、ほんとに寺山修司がオリジナルに言った言葉なんだろうか? とはいえ「書」も「街」も受け身であるのは、おもしろい。音楽の場合はどうだろう。「レコード」を捨てて、また「街」へ漁りに行ったのではしょうがない。いや、音楽をやろうというココロは、ずんと自発的なはずである。

ところで先般、私はトイピアノを買い、買うにあたってトイピアノについていろいろ思い巡らした(詳しくはこちら)のであったが、ではなぜトイピアノが欲しくなったかというと、ピアノでは屋外でバイオリンと一緒に弾けないから、だった。そうなのだ、亜ピアノ誕生の第一の理由というのは、やっぱり可搬性かな、と中村とうよう氏のエッセイを読んでいて思った次第である。


『音遊人』よりハーモニアムの写真

これはいったいどのように使われているのだろうかと思ったら、ちょうどいい写真がネット上にあった。とうよう氏は「ハーモニアム」と呼んでいるが、「ハルモニューム」「ハルモニウム」と表記することもあり、同じものだそう。

ハルモニウム
おんがくういくり「おんがく世界めぐり」南アジア(6)
外国生まれのインド楽器たち─ヴァイオリン、ハルモニウムそして─


ほらね、なにやら可搬性のよい他の楽器と同様に持ち運んだ先で演奏するためのピアノなのだ。だいたい可搬性のあるものはエコでもあったりする。組み立て式だったり、スタッカブルだったり、修理も簡単とか……等々、いろいろと属性も似ている。これからはピアノもエコで可搬性ある方向が新しいのかもしれない。行った先々のピアノをホールと相談しながら弾くのと、手持ちのピアノとでは、どう違うだろう。

ついでに、ここまで来たらやはり思いださずにいられないのは「大正琴」だ。なんとこちらは卓上ピアノとは違って「現役」である。上記ページには、大正琴へのリンクもたくさんついており、長々と楽しめる。

さて、フェンダー・ローズがあって、ハルモニウムがあって、卓上ピアノ?……こうなると誰かがきっと楽器というものを分類しているはずだ。なるほどそれは東京芸大にあるらしい。
東京藝術大学音楽学部小泉文夫記念資料室

でさ、そのピアノで何を弾くのよ?

トイピアノの未来へ!

2008-08-22 | ピアノ
さてさてトイピアノのお話、今回でついにおしまい。マチルダさん、コメントありがとうございます。そして他にも長い間おつきあいいただいた方、ありがとうございました。

でもって、今回はほとんど余談です。2008年の現在は、20世紀の終わり頃に比べて、ピアノあるいは鍵盤楽器そのものへのアテンションがかなり下がっているようにクラシックイタチには感じられる。それは何故なんでしょうねえ? というわけで、仮説だけ。──

ピアノというのは、音楽を理解し生産する上でもっとも基礎的な楽器であり──だからこそ音大の試験で必須なのではないでしょうか──、しかし同時にそうあろうとして現実には、他の楽器と比べてかなり機械的なもの、メカを蔵するものになっている。そこでひとつには音楽を生み出すツールとしては、ピアノを逸脱していっそう進化した形態がいくらでもあり得るだろう。また一般にツール=機械のあり方、機械と人との関係も急速に変化しているから、その影響を受けざるを得ないだろう。すると結局のところ、鍵盤さえも面倒だというような方向へ行くのかなと思う。(つまり、スイッチでいいという。そのように考えると、テノリオンなんかは結構いいのかも。)

よくわからないけれど、ピアノの本領というのはやっぱり弾いて楽しいだけではなくて、この音楽を生み出す、つまり作曲ツールとして今のところまだピアノの右に出るものなしというところにあるんじゃないだろうか。

いやそうじゃないんだ、ピアノは弾くのが楽しいんだよ──というのも、これはこれで、やっぱりよくわかる。あのよく調整されたころころした音色は、ピアノならではのものだ。ピアノの持つ、このような楽器としてのアイデンティティを尊重して、ギターやバイオリンや管楽器、打楽器等々と全く同じようにピアノと付き合う方法もある。つまり進化しない──と言うとしかられますけど、要するにバイオリンはバイオリンだし、ホルンはホルンという範囲内で改良されていくという意味で──アコースティックな道具とつきあう道だ。しかし機械的であるピアノは、アコースティックな楽器群のなかではいささか不利であり、音楽生産力と裏腹に、これがやや不人気の理由ともなっているのではないかと思う。

だが、この気持ちは、くびきのように、ピアノという楽器の中に残るであろう。少なくともしばらくは。そしてそんな態度を今やトイピアノが、ピアノに代わって体現しているような面がきっとあるのではないでしょうか。

なんてね。──ま、未来のことはわかんないです、なにしろクラシックイタチなもので。

[トイピアノ最新事情 大特集]
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河合小市の卓上ピアノは、KAWAIのミニピアノではない?

2008-08-21 | ピアノ
では、カワイを創った河合小市はどうしたんだろうか? 続いては河合の社史である。

昭和50年 知育玩具、木製玩具の製造販売を開始。

社史をパンフレットのようなので見ると、昭和50年=1975年というのはその前後に電子オルガンの発売が相次ぐような、そんな年表となっているのだが、そこでひときわ異彩を放つ記述が「木のおもちゃ発売」「知育ホビー部発足。玩具業界に参入」というわけである。

ただですね、これがつまり、あの現在のカワイの、私の持っているミニピアノに連なるものだとは書いていないんですよね。ところがだ、一方でこの「ミニピアノ」というネーミング、(さっき知ったところによると)事の次第は1927年にまで遡るのである。

このあたり、浜松の楽器博物館にご登場願いたいところだが、浜松在住でないのでそうさっとは伺えない。しかしキーはおそらく「MINI PIANO」、61鍵仕様の「昭和型」のアップライトの2つであるというのが大筋だろう。河合楽器製作所が製作した初期のヒット商品=小市の作品が「昭和型」という小ぶりなアップライトで、このピアノには「MINI PIANO」というロゴが記されていたという。つまり「ミニピアノ」とは、小市ゆかりのネーミングなのである。

これらのMINI PIANOはかなり台数も出たらしく、2008年8月現在ネットで、その修復の様子を収めた画像などを見ることができる。(ほんとうにミニでかわいらしい。販売もされていて、博物館ものだが50万円以下というのもある)しかしながら、残念ながらここらが行き止まり。昭和型350円のMINI PIANOと、「知育ホビー部発足」を隔てて、カワイのミニピアノがどうしてもつながらない。どうもトンネルをくぐっちゃってる。ただ結果としてはどうだろう、今のカワイのミニピアノが担っているのは、おそらくトイピアノの持つもう一方の大きな特徴である「トイ」の部分であると言ってもさしつかえあるまい。(なにしろ「知育玩具」なわけだし)

ふたたびカワイの社史によれば、電子ピアノへ参入するのは1985年。ヤマハのDX7の初代機DX7が発売されたのが1983年だから、その2年後である。

小市氏が独自に発明したかもしれない卓上ピアノはヤマハの中ですたれ、カワイ楽器製作所のMINI PIANOはトイとなって残った。このミニピアノは現在、コドモ向けのギフト市場では、今や「もうカワイしかない」というんで、かなりの人気を集めているようである。

というようなとこで、トイピアノの昔話はこれにてネタ切れ。あとは浜松でもフィラデルフィアでも、ネット経由でもいいから資料のあるところへ行って漁るに尽きます。ちとたいへんそうなので、機会を見て挑戦したいと思う。

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卓上ピアノを「発明」したのは誰か?

2008-08-20 | ピアノ
前回のつづきです。──だが卓上ピアノはほんとうに河合小市がアメリカのものとは別に、発明したのだろうか?

というのも、1899年に山葉寅楠がアメリカへ長期視察に行っているからである。したがって大正4(1915)年、河合小市が、アメリカにトイピアノがあることを知っていた可能性もなくはない。

と、わかってきたのもようやくここまでだが、ここから先はわかるところにしかわからない。キーのひとつは寅楠の渡米日誌だ(日誌そのものが現存している様子。ついでにちょいとメモを……この解読には浜松学院大学短期大学部元総長の大野木吉兵衛氏の研究が与っている。この方のおかげで浜松にはふつうは存在しない!?「産業史」が残っているようだ)。そこにもし、卓上ピアノのことが記されていれば、日本の「卓上ピアノ」は、アメリカにある"ピアノみたいなもの"を作ろうという流れで誕生したことになる。

ところで、歴史はここで、秘密のトンネルを2つ3つくぐるのである。というのは、実はヤマハは、その長い楽器作りの歴史の中で玩具類の製造をやめてしまうからだ。そしてエレクトロニックという別の流れから、──あくまでクラシックイタチがエイヤで言ってしまえば、まさに"卓上ピアノの代わりに"──トイピアノと同じ音源を持つローズ・ピアノの音色を実現するシンセサイザー「DXシリーズ」を、生みだすのである。これが、この分野のフラッグシップにしてスタンダード、すなわち世界制覇マシンへと成長していく。

ピアノにそっくりな鍵盤で、ちょっと違う、別の音色を奏でる。音色につれて、新しい音楽が始まる。それは、亜ピアノに開かれた輝かしい鍵盤道のひとつ、と言えないだろうか。

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ところで日本の「卓上ピアノ」はどうなったのか?

2008-08-19 | ピアノ
実はこの話はもっと前に書き始めていたのだが、おやっ、と思う穴蔵がぼこぼこあって、気になり始めると、やっぱり気にはなる。そうこうしているうちに浜松の──そのためにわざわざ浜松へ行ったわけじゃないんだけれど──城北図書館というたいへんITな図書館へ行ったり、やっぱり地元の図書館へ舞い戻ったりして、すっかりさまよってしまったのであった。

そもそも、卓上ピアノについて書くはずだったのに、日本の卓上ピアノというのは、いったいどう誕生して、どう興隆して、どう消滅したのか、結局今に至るまで当響けブログはとんと解明していない。申し訳ない。

このうち、どう興隆してというところは、いかにも産業史なので、なかなか難関であることが予想される。最も多くの卓上ピアノを生産していたのではないかと思われる名古屋の図書館にも、郷土資料を含めそのものずばりの資料はないそうだ。(と、おおかたはこのように、比較的簡単に引き下がってしまいもしたのである。)

一方消滅のほうは、80年代に東京新聞に記事があり、ということで一応決着しているのだが、これもよくよく考えると、カワイのミニピアノはいったいいつから製造が始まったのだろうという問題がある。(あるいは、卓上ピアノとミニピアノは違いますということなのだろうか?)

というわけでどれも中途半端なんだけど、誕生の話へ移る。

ここでひもとくのはもう一度日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)の社史である。

「大正4年に木琴、卓上ピアノ、卓上オルガンなど玩具用楽器の製造を開始」

おそらく日本で最初に卓上ピアノを作ったのは、河合小市であろう。(偉そーに、ではあるが、それなりにこの話は長い) ちなみに、この河合小市氏とは、日本で初めてピアノのアクションを作り、のちにヤマハを辞し、現・河合楽器製作所の創業者となった人物である。

詳しく言うと、河合小市は、大正3年に「アクション部長」(鍵盤工場部長、みたいなものだろうか)になり、大正4年に「卓上ピアノを考案、開発」し、大正5年の山葉寅楠(ヤマハの創業者)の逝去を機に海外へ視察旅行へ出かけたらしい。従って、小市さんが1872年に誕生したSchoenhut社のトイピアノを現地で見聞したとすれば、彼自身が開発した後である。──だが卓上ピアノはほんとうに河合小市が、アメリカのトイピアノとは別に、発明したのだろうか?

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これが、クラシックイタチのトイピアノだ!

2008-08-18 | ピアノ
私たちがそれなりの物を買おうという時にする作業は、星座を巡るのに似ている。東の空にはずいぶん前の回で紹介したAntiques道具屋さんの卓上ピアノがあり、トイピアノを初めて作ったAlbert Schoenhutさんの北極星の回りには朱色のアップライトのSchoenhut Pianoたちが大熊小熊のラインナップを構成しているのだが、今日本には品薄である。西の空はまだ明るい。

結局私は、日本で現在主流のカワイのミニピアノの中から、選ぶことにした。南天に浮かぶさそり座のアンタレスは、目下ヒット中のウッディなピアノ(写真はこちら)だが、これとたぶん型がほとんど同じで、グランドピアノそっくりな少し古いモデルを中古で購入することにしたのである。



どこが気に入ったかというと、鍵盤であった。ピアニカにそっくりなサイズだが、形はほんとうのピアノみたいであり、鍵盤の奥にはさまっている赤いフェルトは、ピアノの先生のお宅で弾いたグランドを思いだすようで懐かしい。

というわけで、これが最初のポストで予告した──自分でもすっかり忘れてしまっていたのだが──もう一台のトイピアノである。

弾いてみてわかったのは、このトイピアノはかなり音抜けがするということ。鍵盤を叩いても、最初はかなり空振って音が出ないのである。これに慣れないと、音の強弱なんかは及びもつかない。一方でピアニカやアコーディオンと違って、打楽器感が強い。ただこの点は、なんとなくクラシックイタチが間違っているような気がする。ピアノのようなレスポンスを期待するからそうなるのであって、トイピアノの範囲で音楽性を見出せばよいのだ、という方向に考えないといけないのかもしれない。

というわけで、クラシックイタチのトイピアノはこれから、という様相である。てはじめにこんな曲でも聴いておきましょうか。

矢野顕子「はじめてのやのあきこ」
に収録の井上陽水とのコラボ「架空の星座」がお勧めです
詳細へ


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亜ピアノは、進化する。

2008-08-17 | ピアノ
このところずっとトイピアノの話で進んでおります。まだまだつづきます。

さて、もともとはピアノの代用品であった楽器も、その新しい音色や新しい機能がいつの間にか鍵盤弾きを魅了し、音楽や楽器開発の主流を占めていく、というのもあり得ない話ではない。ジョン・ケージの作品の中にトイピアノやプリペイド・ピアノのための曲があることは前に書いたけれども、中でもローズは、おそらく音楽シーンに最も影響を与えた亜ピアノであったろう。

スティービー・ワンダーは、そんなローズ弾きのひとりである。ところでYoutubeには、そのスティービーがNAMMショー(アメリカのトレーダーのための楽器フェア)のまた別のブースで弾いているクリップがあって、それがヤマハのフラッグシップシンセサイザー(音源付きキーボード)「MOTIF」だった。

2007NAMMショーでのスティービー・ワンダーのすごい試奏
Stevie Wonder plays the Motif XS at Winter NAMM 07

パズルのmissing pieceがはまるようにとまでは言えないが、ここへきてややボタンがかかってきた感じがするのは、私だけだろうか。ローズの音色が、FM音源を搭載したヤマハの代表的シンセサイザーDXシリーズ誕生の強い原動力のひとつであったことが知られている。このDXシリーズの子孫が、いくつかの代替わりを経て、現在は、2001年に登場したモチーフだからである。

で、何が言いたいんだっけ?

そうそう、ピアノの代用品は、「クラシック」も「ポピュラー」もともに大衆化した20世紀にあって、時に(かなり)「クラシック」を凌駕した音楽シーンを形成し、その一翼を担ってきた。代用品は、とんでもない豊かな歴史を拓いたということが言いたかったのである。

そしてその時、シンセ/キーボードというものに強烈に求められたもののひとつが、紛れもなく「音色」であり、そのルーツにはローズがあったのだ。ローズの周辺にはいくつもの亜ピアノや、亜楽器があったのかもしれない。それらは結果的に、全体として楽器として本来のピアノにはない新しいものを生みだそうとしていたと考えることもできる。トイピアノには案外、単なる「玩具」にはとどまらないサブヒストリーが埋め込まれていたと言えないだろうか?

[トイピアノ最新事情 大特集]
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浜松市城北図書館で、ピアノの歴史に遭遇。

2008-08-16 | ピアノ


テレビでクラシックのコンサートを放映していて、曲目がピアノ協奏曲だったりすると、そのピアノに「Steinway & Sons」と書いてあるのを見たことがある人は多いんじゃないでしょうか。そのピアノはもちろんヨーロッパからやってくる。工場はハンブルグにあるのだそうだ。

一方スタインウェイのピアノと一緒に、それを弾いているピアニストの姿が浮かぶことも多いに違いない。私がお似合いだと思うのは、ホロビッツで、場所はニューヨーク、カーネギーホールである。

そこで、ちょっと待てよ、と思った方もいるに違いない。スタインウェイはヨーロッパなのか、それともアメリカなの? 実は──このことはむしろよく知られているようなのだが──スタインウェイは、アメリカとヨーロッパに工場があって、アメリカ工場では国内(アメリカ)向け、ヨーロッパでは輸出(アメリカ以外)向けのスタインウェイが作られているそうである。

その昔、職人であるスタインウェイさんがヨーロッパからアメリカへ渡り、そのピアノがたちまちヨーロッパで認められて以来、ピアノ製造の拠点は世界的にみてアメリカへ移ってしまい、ピアノの構造としても、より多くの聴衆が集まるコンサートホールに向いた鳴りの、音響効果を考慮した新しい──ということはすなわちスタインウェイ流の──ピアノが主流になっていった。さきほどのハンブルグ工場は、スタインウェイがアメリカで成功してから作られたようである。

史上最も広い観客層と演奏層でもってたくさん「クラシック音楽」を楽しんだ時代が20世紀だったという話を前々回に書いたのだけれども、ここから、その拠点がアメリカだと即断するわけには──いくらクラシックイタチでも──さすがにいかない。

最近は自宅に居ながらにして、各地の図書館が所有する郷土資料を検索することができるので、とても便利である。調べたい人は勝手に調べればよい。このたびクラシックイタチは運良く実際に「浜松市立城北図書館」(パソコンコーナーありのかなり最新設備)へ行って郷土資料をちらりと見たのだけれども、日本のピアノ製造は、やはりこの新しいアメリカのピアノを学んで発達してきたらしいのであった。

N響の茂木大輔さんの『こうしろ!未来のクラシック』をふたたび引くと、20世紀、マスメディアはスターを必要とし、コンクールなども盛んになっていくという。

きっとアメリカは、ヨーロッパが蔵していた価値を、モーレツにアンプリファイし、爆発的な力で世界へ広めたのだろう。だけどアメリカはもちろんそれだけじゃなくて、新しい、別の価値だって創っていっただろう。

というわけで、ピアノはおいといて、トイピアノへ戻る。

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