老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

482;終わりよければ全てよし

2017-10-24 03:43:10 | 老い楽の詩
台風21号の大雨で氾濫した阿武隈川/阿武隈川上流の写真

 『終わりよければ全てよし』

おわりよければすべてよし、All's Well That Ends Wellとはウィリアム・シェイクスピアの言葉。
シェイクスピアが意図する言葉の意味とは違うかもしれないが、
私はこの言葉をふと思いだすたび
人生の終わりを迎えるとき
本当に「終わりよければ全てよし」のはっぴいえんどで
人生の幕が降りることができたら、と思う。

老いは「人生の最終章」にあるが、
純粋無垢な赤ん坊から老いる前の熟年まで生きてきたその結果として
老いはある。
「本当に生きてきた」、といえるような生き方であったか。
また
「自分を含め他者を大切に生きてきた」、と思えるようなつきあい方であったか。
老いは、
その人が生きてきた結果。

自分は老いのはじめに在り
終わりよければ全てよし、という人生には
まだまだほど遠く
重い荷物を背負い杖をつき歩かねばならない。
他者の老い風景は幸福に映る。
自分の老い風景
何を大切に生き逝くか。
悶々とする日々。
老いてもなお、働けど働けどわが暮らし楽にならず。
それでもはっぴいえんどという希望と夢を抱き、生きていこう。
老い楽の詩を・・・・

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