老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1134;水

2019-05-31 15:28:52 | 老いの光影 第5章
大海 1滴から始まる
 

動物も植物も
乾くと水を欲する

水が不足し続けると枯れてしまう

自分も過去に18ヶ月ほど血液透析をしていた。
現在 2人の要介護老人(いずれも男性)は血液透析を行っていて
在宅訪問をしている。

2人の爺さんは85才になってからの血液透析(週3回)は、本当に大変である。

大変なことのなかで、容易に守れないのが “水”の飲み過ぎ。
1日の飲む水の量は、500cc~600ccで、わずかコップ3杯。

水を過剰に摂り過ぎると、透析中や透析後に低血圧になったり、躰の怠さが抜けきれない。
上記のようなことを体験しても、飲水を制限するという意識にはなりにくい。

自分の場合、透析を始めて1年も経過していないのに、オシッコが出なくなった。
不用となり、トイレに行く必要がなくなった。
夜間頻回にトイレに行く人にとっては羨ましく見えてしまうけれど、
“出る”ものが、“出ない”ことも、また精神的な苦痛さを覚える。

水分を摂れば、排尿がある。
其れは、人間だけでなく他の動物においても同じく
生理的現象であり自然の摂理である。


いまの時代はストレス社会にあり
ストレスは躰だけでなく精神にも支障をきたす。

自分はいま、浮腫に悩み
まだ目のした(クマ)や右足の膝下から指先まで“水”があり
なかなか浮腫が抜けきれずにいる

これも“水難”の症状にある。

これから暑くなる
水やお茶など飲んでね、と言葉をかけるのだが

血液透析の人ニトリ辛い夏が来る
氷の塊をを1つ口に含み 噛まずに舐めるだけでも違う
生きた心地がする





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