老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

741;自宅で死ねて幸せだった

2018-05-06 22:47:05 | 老いの光影 第2章
自宅で死ねて幸せだった 

18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった
長男から息がしない、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった

今日午後4時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで自宅で死にたい、と話され
長男夫婦に看取られた
ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た

大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院
酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた

食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった
病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である

私も自分が望む処で死にたいものだ


三郎さん 哀悼の意を表し 安らかにお眠り下さい

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2 コメント

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お疲れ様です (chananohana19)
2018-05-07 00:38:34
はじめまして。
いつも、拝読させて頂いてます。
介護側での、親身なケアがとても、心に沁みながら、大変なお仕事をされていると、頭の下がる思いです。

うちの両親も、自宅で私が1人娘ゆえに、1人で看取りました。
父が肺がんが進んでいるとのことで、病院の体制にほとほと嫌気がさし、しいては、やはり、自宅で死にたいと申しまして、緩和ケアを兼ねて、母親の病状もあり、在宅介護のネットワークを使わせて頂き、最後を迎えることができました。

まわりで、手助けしていただける、ケアマネさん、介護士の方、看護師の方、往診の先生。皆さんがいてくださったから、私1人でも、看取ることができました。
父が逝き、母が29日後に後を追うように逝きました。
両親は、幸せだったと思います。

最期は、なかなか選ぶことはできませんが、支えてくださる方々がいればこそです。
拝読の限り、とても親切に対応されてる姿にいつも感銘を受けています。
これからも、大変なことが多いと思いますが、皆さんのために、頑張ってください。けれど、ご無理はなさいませんように。
長々と大変失礼しました。
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ありがとうございます (星光輝)
2018-05-07 04:47:13
chananohana19 sama

心温まる
そして想いが伝わるコメント
本当にありがとうございます。
看取り(見守り)での一番の心配は
「早く気がつき病院へ連れていけばよかったのか」と
家族介護者が悩む場合もあります
一番は亡くなられた方が
自宅での死を望んで(臨んで)おられたことです
ご本人の死を「見守る」ことなのかもしれません

chananohana19 samaのご両親も
本当に幸せだった思います

白煙となり青空に消えて逝くときほど
悲しく辛く切ないですが
星となり輝いています
ご冥福を祈ります
ありがとうございました。 

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