老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

当たり前に歩ける

2022-05-28 07:13:56 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


大雨で阿武隈川は大河の様相



川はうなり、押し流すかと思えば、濁流となり人をも飲み込む
悩みや不安をも飲み込んでくれると気が楽になる

1886 当たり前にできている

歩ける
口から食べる
トイレで用足しする

日常生活のなかで当たり前にできている
そのことに対し何不自由ない人は、何も思わない

呼吸(いき)していることも同様である

電気や水道にしても然り

停電や断水に遭遇したとき、人は初めて電気や水の有り難さに気づく
熱さ喉元を過ぎれば忘れてしまう人もいる

当たり前に歩けることが
いかに自由であるか
老い病い、不自由な躰になったとき
登山(やま)に行きたい、と叶わぬ夢を抱く

それでも諦めずに不自由な躰で頂上に立つ障害者もいる

杖をついても
手すりにしがみつき
渾身の力を絞り
小幅な歩きでトイレに行く
93歳の婆さんがいる

歩く
それは行きたいところへ行く
自分の足で立ち、第一歩を踏み出す93歳の婆さん
それは人類が月で第一歩を踏み出したことと同じく偉大な一歩

歩く
当たり前にできていることに「感謝」

「ベッドがないから受け入れできない」(本当か・・・)

2022-05-27 15:09:49 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1885 入院拒否

昨日、デイサービス事業所から「利用者が下血している」、と連絡があった。
家族に連絡を入れ、かかりつけのクリニックに受診するようお願いしたところ、長男嫁は「孫の迎えがあるのでできない。受診しないでいいからそのまま帰してください」、と受話器から聞こえてきた。
介護スタッフが体調を崩しひとり休んでいるため、デイサービスに通院付添を、お願いすることはできなかった。

「あと、60分で事業所に着くので、こちらでクリニックまで連れていきます。15時20分頃に着くので送迎車(軽自動車)に乗せておいてください。お願いします」
デイ介護員がスマホで撮った「紙パンツに多量の出血」の画像を送信してもらい、腎泌尿器内科クリニックの医師に見てもらった。
「病院 内科で診てもらったほうがよい」、ということで、主治医はA総合病院第1内科(消化器内科)の医師と直接話をされ、明日9時の予約をとったから紹介状を持っていきなさい」、と手配をしてくれた。

デイサービス送迎車が家に着き、ベッドに乗せると96才の婆さんは「強い腹痛」を訴え、また多量の下血があった。
再度、かかりつけ医に電話で相談すると、「救急車を呼びA総合病院で診てもらってください。病院には連絡します」

数分後には救急車が到着。救急隊員にはA総合病院受け入れの約束ができています。
救急隊員は確認の電話を入れたところ、予期もせぬ答えが返ってきた。「ベッドがないから受け入れができない」
かかりつけ医が「急を要するということで、受診をお願いしたのに」受け入れができないことに、啞然とした。

救急隊員は市内のもう一つのB病院に電話を入れ、受け入れが決まったのは午後6時過ぎ。
B病院内科医はCT,血液検査など行い、診察の結果 虚血性腸炎と診断され約14日間の入院となった。
病棟看護師に申し送りを病院を出たのが20時を回っていた。

急性腸炎と卵巣が腫れていることから先週の金曜日から休養していたwife(デイサービス勤務)は、救急車の同乗から医師、外来看護師への経過説明、病棟看護師への引継ぎまで対応してくれた。
こういうときは実際に利用者にかかわっている介護員の協力があり本当に助かった。
長男嫁と男孫は、19時過ぎ病院に来た。



頭の痛み

2022-05-25 20:22:51 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1884 頭の中がうなる

「痛み」は目に見えないだけに 他者の痛みはわかりにくい。
「痛み」は数字で表すこともできない。

「痛み」は治療により痛みを消失することもある。
心の「傷み」は、傷が深く、治りにくい。
大切な人を亡くした「悼み」は悲哀、慟哭と同時に大きな喪失感をもたらす。

85才の婆さんは、軽い脳梗塞後遺症から右足の痛み、痺れがあり、常に悩みの種であった。
頭の中も痛みが走り、それを言葉で表すなら「頭がうなる」
頭がうなるってどういうことか、と尋ねた。
婆さんは「洗濯機が回っているような感じ」

偏頭痛であるwifeにも聞いてみた。
wifeは乾燥機が回っている感じ。

頭の痛みは引かず、常にうなっている
うなりの強弱は日によって違う。

「痛み」「傷み」「悼み」
どの「いたみ」も相手の気持ちにならないと「いたみ」が伝わらない。
「うなる」は「呻く(うめく)」を意味する。

いまを楽しむ老夫婦

2022-05-24 20:47:22 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

田圃、植えられたばかりの苗
畦道には貧乏草と呼ばれているハルジョン、ヒメジョンが好き

1883 夜更かし

仲の良い老夫婦がいた
夫は要支援1の認定を受け介護用ベッドと手すりを借りていた
妻は大腸癌の手術を受け退院した
台所に立つのもやっと
病弱な躰で軽自動車を運転し
夫の通院付き添いや買い物をしていた

老夫婦は月1回の外食とパチンコを楽しんでいた
最近、夫の部屋の照明器具が故障した
大家に頼み照明器具の電球を取り替え夫の部屋は明るくなった

BSが映らないテレビだったので、ついでに修理してもらった
BSは映画、韓国ドラマなど観たい番組が多く
老夫婦して夜更かしをしているので
お天道様が明るくなってから起きている

不健康な生活をしていては、と・・・・
話すこともできず
逆にBSが観られ、いま楽しく夜更かしをしているのですね

妻は夕暮れから段々暗くなると
縁石に気がつかずタイヤをぶつけたりしている
縁石で良かったよ、人だったら大変なことになる

後期高齢者保険であれば白内障の治療費は大きな負担にはならない
白内障を手術すると、部屋のゴミがよく見えるほど良くなる
夫の顔もよく見えるようになるよ

そんな話をして訪問を終えた

十三病息災

2022-05-23 20:26:33 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1882 健康は大切なもの

自分は43才のとき
慢性腎不全症になり最終的には人工透析になる、と医師から告げられた
自分の場合は腎不全になった原因は不明

そのとき、『星の王子さま』の中に書かれていた言葉を思い出した
大切なものを失って初めてその大切さを知る

自分は慢性腎不全になって初めて
健康のありがたみが切に感じた

一病息災とはならず
一つの臓器(自分の場合は腎臓)がダメ(病気)になると
他の臓器に悪さが働き、また一つ病気が重なっていく

ひまわり🌻が咲く頃に70才になるが
一病息災ならぬ十三病息災であっても
病気のなかの「健康」を維持していきたい

車の運転ができるうちは
杖を使いながらも歩けるうちは
あと、10年生きたい
しかし、命は神様が決めるもの

医療機関の人たちなど無数の人たちに支えられ
命をいただいた自分

だから、いま、自分ができることを・・・
何事も継続できず(ブログ然り)
それでも生きることだけは諦めたくない

いま、beagle元気は鼾をかき寝ている
元気のためにも生きねば・・・・


老い往く

2022-05-23 04:21:58 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1881 beagle元気も自分も老い往き生きる

beagle元気は9才
あと何年生きられるか
自分もわからない

ゆっくりしたい、と思うが
あと数年働かなければならない事情がある
躰と頭が「元気」ならば10年頑張りたい

その後はゆっくりと過ごし
海をながめたい

元気も自分も老いにあるけれど
繰り返す事のできない今日という時を生きる

死に場所、死に方

2022-04-10 07:15:41 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録

この写真は本文とは関係ありません。元気9才の誕生日

1872 最期の時

老衰となり、どこで死に場所を迎えるか
人それぞれ違うように
生き方も老い方もそれぞれ違う
ならば死に場所もいろいろあっていいと思う

住み慣れた我家の畳の上が本望だが
様々な事情により死に場所は変わってくる
病室であっても介護施設であってもいい

穏やかな表情で寝ているような感じで逝けたらいい

最期が近いな、と感じたとき
意識あるときに
家族や身近な人と最後の語らいやスキンシップを持つ

最期の瞬間手を握れたら、それはそれでいい

ひとり暮らしのまま死を迎えることを望んでいる人もいる
それを「孤独死」、と決めつけないで欲しい

自分はまだ臨終の場面にないだけに
死というものがわからない
ただ、最後はどんな風景が映り
何を思い(想い)死に逝くか

まだ死は先にある、と思っているが
突然死神が訪れることもある
いつ死んでもいいようにしておきたい

まだ生(命)あることに感謝し、今日を生きる

まだ在る残りの時間を 生きる

2022-04-05 09:45:14 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


生きてみる

人は生まれた瞬間から
死に向かって生きる。

人は老いや死を意識したとき
生命(いのち)や時間の大切さを
痛いほど感じる。

老いた今
時間が残り少ないことに
焦燥感を抱くのではなく
まだ在る残りの時間を
精一杯生きてみる。

言葉のチカラ

2022-04-04 07:51:02 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


四年前の春、雪桜の景色だった

1869 聲が出る

コロナウイルス感染は、老人に大きな影を落とした。

「コロナに感染したら、大変だからおばあちゃん(おじいちゃん)外に出てはだめよ」、と
大人になった子ども夫婦から強く言われ、家に籠もる老人が増え出した。

足の筋力は衰え
顔の表情から生気が失せ
物忘れも出てきた。

ひとり暮らしのおばあちゃんがデイサービスで呟く。
「家にひとりで居ると、話す人がいないので言葉を忘れてしまう」
「こうして人と話すことで聲が出るようになった」

もうひとりのおばあちゃんは、
「仏壇の前に座り、仏壇の中にある夫の遺影に向かい、今日あった出来事を話している」

聲を出す。
他人(ひと)と話をする。
言葉の力は大きい。

愛を告白するのも
ひとを励まし奮い立たせるのも
言葉の力である。

人間の長い歴史の積み重ねを通し
労働により言葉が生まれた。



ウクライナ🇺🇦に平和を






家族

2022-04-02 19:50:59 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1867 家族

予期もせぬ癌は知らぬまに
躰を蝕み、癌はステージ4までに進行していた。

あと残命半年、と告知されひとりの老人
妻と三人の子どもたちは
弱気になった老父の心情を
それぞれの立場で支えている

ひとり暮らしの老いた女性も
ステージ4にあり
入退院を繰り返しながら
化学療法をうけている。

退院しアパートの一室で
ひとりで暮らす彼女。
激痛に襲われても
ひとり、ジッと耐えている。

老い病み
癌は躰のあちこちに転移。
怠さ、痛み、食欲不振などなど
折れそうになる心

家族の絆(愛)というものを
考えさせられた。


老いはマイナスの計算

2022-04-02 08:03:52 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録


1866 残日録

「老いはマイナスの計算」という言葉は、
ネガティブな印象を受けてしまう。
老いは失っていくものが多い。

赤ちゃんより老人は
死に近い位置にある。

老いの先は死である。
自分は明日死が訪れる、とは思っていない。
予期もせず突然訪れることもある。

“余命(残命)6ヶ月”、と医師から告げられたら
自分は何を思うだろうか

“只今臨終”の気持ちで、いまを生きる。

老いの齢を嵩ねてゆくに連れ
残り少なくなる時間は「残命」と呼ぶ
老いの最期に
どんな風景を眺め
何を感じるか

残り少ない日にちのなかに
何を思い、何を感じ
『残日録』に記していくか。

藤沢周平の小説 『三屋清左衛門残日録』があり、
そこから残日録の言葉を頂いた。