千年王國「きみしかいない」
コンカリーニョで観た。
俺はどうも、昔話というか、橋口が扱う神話みたいなもんがよく分からないもんで、それに関してはなんともいえないんだ。昔(2000年前ということですな)の話と、今の(震災後の札幌、ということですな)話と、橋口の頭ん中ではつながっているのですな。俺にはわからん。
例えばなんだが、
南参が、自分のおばあちゃんのことがあって、「忘れたいのに思い出せない」を書いたでしょう。どっちかというと、そっちにシンパシーを感じたりする。
うん、シンパシーとは違うな。「あ、南参、書いたなこいつ」っていうか。
ただ、私がそういうふうにして作者と本を見ることと、舞台作品として面白いかってことは全く別だ、とは分かっている。
有体に言えば、今、私は芝居を観て、それが作品としてオモシロイかどうかにほとんど興味がない。
誤解があるから言い方を替えると、作品が面白いかより、俳優がイイとか、そっちに興味がある。
これ、橋口に言ってしまって、公演期間中にまったくつまらないこと言ったと反省したんだが、俳優の声の高さがあと半分低かったら(すごくいい加減な表現で恥ずかしい限りだ)いいのになとか、根拠もなく感じるだけだ。
で、何故そう感じたのかを考えながら見る。
ついでに書いてしまえば、声が高いなと感じたのは、俳優の重心が高いと感じたんだと思う。この前千年を見たとき俺は足を見てたし、自分でも嫌になるんだが、でも、きっとそこに俺が俳優に対しての視線があるんだと思う。
で、思う。「橋口、書いたな」って。
そしてまた思う。それは、俺は、橋口のを観て毎回思ってることだと。
別に、震災とか関係ない。
以上、もちろん劇評はないし、感想ですらない。
自分の整理の為に書いてみた。
コンカリーニョで観た。
俺はどうも、昔話というか、橋口が扱う神話みたいなもんがよく分からないもんで、それに関してはなんともいえないんだ。昔(2000年前ということですな)の話と、今の(震災後の札幌、ということですな)話と、橋口の頭ん中ではつながっているのですな。俺にはわからん。
例えばなんだが、
南参が、自分のおばあちゃんのことがあって、「忘れたいのに思い出せない」を書いたでしょう。どっちかというと、そっちにシンパシーを感じたりする。
うん、シンパシーとは違うな。「あ、南参、書いたなこいつ」っていうか。
ただ、私がそういうふうにして作者と本を見ることと、舞台作品として面白いかってことは全く別だ、とは分かっている。
有体に言えば、今、私は芝居を観て、それが作品としてオモシロイかどうかにほとんど興味がない。
誤解があるから言い方を替えると、作品が面白いかより、俳優がイイとか、そっちに興味がある。
これ、橋口に言ってしまって、公演期間中にまったくつまらないこと言ったと反省したんだが、俳優の声の高さがあと半分低かったら(すごくいい加減な表現で恥ずかしい限りだ)いいのになとか、根拠もなく感じるだけだ。
で、何故そう感じたのかを考えながら見る。
ついでに書いてしまえば、声が高いなと感じたのは、俳優の重心が高いと感じたんだと思う。この前千年を見たとき俺は足を見てたし、自分でも嫌になるんだが、でも、きっとそこに俺が俳優に対しての視線があるんだと思う。
で、思う。「橋口、書いたな」って。
そしてまた思う。それは、俺は、橋口のを観て毎回思ってることだと。
別に、震災とか関係ない。
以上、もちろん劇評はないし、感想ですらない。
自分の整理の為に書いてみた。
横尾くんがそーいってくれたから
いろんなことがわかったよ
いろんなことが重くなったけど
地に足つけるいみが
なんとなくからだでわかったんだよありがとう。
千年を観るときの俺は、劇団と、本と、俳優と、ファンタジーと、その関係を見てる気がする。あくまで、気がする。
3者の関係性に興味が、みたいなアレではなく、こいつら何考えてやってるんだろう、っていうかね。
そのなかで、声とか重心とか、足とか、まあいってみれば俳優の生理が気になるんだわね。
これを演ってるコイツのカラダで何が起きてるんだろうって、想像する。人の生理を想像すると、自分にもその感覚が擬似再現されるじゃん。
その結果として、あ、これ、もっと低いべきかも、とかって思うんだわね。うん。