在沪日記

流れゆく人生を残すブログ マウイ オアフ 上海 シンガポール そして日本

ホテル・ハナ・マウイ

2021-11-29 | マウイしまへようこそ
 ホテルのメイン・ダイニングの椅子に座り、半マイル先にひろがる入江をながめている。

 海抜50フィートほどの段丘にこのホテルはある。

 丘の上から眺める午後の南太平洋は白っぽく輝いている。

 9月の東マウイは、まだ風も波もおだやかだ。

 ホテル・ハナ・マウイ。

 小さなサインひとつしかこのホテルの入口をしめすものはない。

 ハワイ州道36号線、通称ハナ・ハイウェイ沿いにこのホテルの入口はあるのだが、
あまりにも目立たなくて初めてのゲストは一旦通り過ぎてしまう。

 それどころか、一度もハナを訪れたことのない者なら、自分が村でもっとも「繁華な」
場所を走っていても、そうとは気づかないだろう。

 ホテルの入口とハセガワ・ゼネラルストア、そしてゼネラルストアが経営するガス・ステー
ションのあるあたりが「村の中心部」なのだ。

 ホテルの向かい、村の中心地の西側には、丘の上に向かって牧草地がひろがっている。

 牛たちがのんびりと草をはんだり、ねそべったりしている。

 「ハナ・ランチ」

 ハナ牧場だ。

 そしてこの牧場こそが、現在のハナの村をつくった。


 
 19世紀のなかば、マウイ島の北東端、ハナの地にもサトウキビ産業がもたらされた。

 それからおよそ80年間、もっとも盛んなときには6つものプランテーションができ、
1926年にはハナ・ハイウェイも1車線道路ながら完成した。

 しかし、1940年代に入るとハワイ州全体で労働運動の機運が高まり、それと同時にサトウキビ
農園労働者の賃金が上昇する。

 小規模なハナのプランテーションはコスト増に耐えられなくなった。

 砂糖の積み出し港から遠く離れた立地の悪さもあいまって、ハナのサトウキビ農園は
つぎつぎに閉じられていった。

 村の労働者は島中央部の農場に移らざるをえなかった。

 ハナに仕事がなくなった。

 そんなとき、以前から村のプランテーション経営にかかわっていたサンフランシスコの実業家、
ポール・アーヴィング・フェイガンが新しい事業に打って出る。

 1944年、フェイガンは14000エーカーのサトウキビ農園を買取り、牧草を植え、自身が経営して
いたモロカイ島の牧場からハーフォード種の肉牛を運ばせた。

 そして村の失業者たちを雇った。

 「ハナ・ランチ」の誕生である。



 牧場経営が軌道にのり始めると同時に、フェイガンはさらにハナの地の可能性に
賭けてみようという気になった。

 彼自身がこの美しく静かな村をすっかり気に入ってしまったのである。

 ただし、実業家としての目論見もあった。

 1940年代を通じ、重要な軍事拠点であるハワイを数百万もの将兵、軍関係者が訪れた。

 そして同時にそれはメインランドの多くの人士が観光地としてのハワイの魅力に気づく
ことも意味していた。

 「またハワイに来たいと思う人々は多いだろう。そしてワイキキ以外の地も訪ねてみよう
と考える富裕な観光客は増えるはずだ」

 そう確信したフェイガンはハナの入江を望む岬の丘陵に、その岬の名を冠して「カイウキ・イン」
という宿泊施設を開業した。

 それが「ホテル・ハナ・マウイ」の前身だ。




 そして80年の時が流れた。

 21世紀の現在、55エーカーあまりの敷地に69の一戸建てコテージがある。

 特に素晴らしいのはハナ・ベイへの断崖までゆるやかに降りていく斜面に点在するコテージだ。

 かつての農園労働者たちの住居を模した建物の中には、エア・コンディショナーもテレビもラジオ
も時計もない。



 東マウイ特有の未明の雨。

 差し込んでくる朝日。

 遠くの波の音とヤマバトの鳴き声、木々の葉擦れの音、風の音。

 それ以外は聞こえない。

 世界で最も美しい夜明け。


 
 そしてこのホテルの魅力はそんな周囲の自然にだけあるのではない。

 世界中から何世代にもわたってゲストを招くこのホテルの美点は、やはりその成立ちに
関わっている。

 開業時、ホテルの従業員となったのはハナ牧場の労働者、そして彼らの家族。

 そしていまでもホテルで働く人々のほとんどが、血縁か婚姻によって結ばれた文字通
りの「家族」なのだ。

「家族的なもてなし」という表現がよくなされるが、ホテル・ハナ・マウイでは「ほんとうの家族」
がゲストを「新たな家族」として迎えてくれるのだ。

「今年もまた帰ってきた」そう思わずにはいられない雰囲気と従業員の笑顔がこのホテルの
あらゆるところに満ちている。

「お帰りなさい。お待ちしていました」



 午後のハナ・ベイをながめながら、素晴らしい白ワインを飲んでいる。

 「今朝ここから1マイル沖でとれたオノだよ。さあどうぞ」

 ウェイターのアイザックが入江の先を指差す。

 「ちょうどあのあたりだね」

 「君が釣って来たの?」

 「うちのレストランには専属の漁師がいるんだ。彼が今朝獲った魚。レオっていうぼくのイトコだよ」

コメント

不思議の焙煎

2021-11-23 | 蜻蛉房だより
 2021年11月23日 くもり ときどき雨

 ロッセのコーヒーが届いた。

 どうしてこんな焙煎ができるのか不思議。

 一晩廊下の棚で寝てもらったら、朝には洗面所のあたりまで豊かな香りで満たされていた。

 ちょっと粗めに挽いて、短い時間でさっと淹れた。

 満足、満足。

 素敵な焙煎、ありがとう。

 
コメント

上海201X-003

2021-11-19 | 上海201X

2010年代 上海の街角 画像

コメント

「妻と娘はビーチに行っている」と彼は言っていたが

2021-11-14 | ワイキキの影
 薄暗い店の奥に進んだ瞬間「しまった」と思った。

 日曜日の朝だったのだ、しかも10月の。

 メインランドからきた観光客だらけの店内は休日の朝にふつりあいなほど騒々しい。

 NFLの試合が中継されているからだ。

 ゲームは東部時間の午後行われる。

 時差のあるハワイではまだ朝食の時間帯だ。

 だが彼らにはリゾート地の朝だろうが何だろうが関係ないらしい。

 大型モニターを真剣にながめている。

 画面の中のディフェンスに向かい「ツブせ」とか「殺せ」とか叫んでいる。

 ほかの店を探そうかと思ったが、やけに愛想のいいウェイトレスが席を用意してしまった。

 しかたなくルーベンサンドイッチとクアーズを注文する。

 地元の人間はほとんどいない。

 ローカルなら日曜の朝にワイキキの店なんかには来ない。

 だいたいこんなに天気のいい日にビーチに出かけないなんて馬鹿げている。

 となりの席に30代の白人男性がやってきた。

 彼もひとり客だ。

 ウェイトレスにひとりかとたずねられ「妻と娘はビーチに行った」と答えている。
 
 スマートフォンを忙しく操作しメールを数件送ったあと、チキンウィングをつまみにハイネケンを飲んでいる。

 家族とビーチで過ごす気は彼にはないのだろう。
 
 奥のモニターあたりからひときわ大きな歓声が上がる。

 どこかのチームが得点したらしい。

 立ち上がりテーブルに拳を叩き付ける音がする。

 フロアを踏み鳴らす音がする。

 ビールの瓶をぶつけあって乾杯がくりかえされる。

 店を一歩出てしまえば、いつものワイキキ、日曜日のルーワーズ通りだ。

 海の方角から光が射してくる。

 強い東風が吹いている。

 一瞬どちらに向かって歩こうかとまどってしまう。

 強い日ざしを浴びて店の中と外界と、どちらが現実なのかわからない奇妙な感覚におそわれた。



コメント

上海201X-002

2021-11-10 | 上海201X
2010年代 上海の街角 画像

コメント

フライキッチン・峰 〜もういちど食べたい

2021-11-10 | もういちど食べたい
 フライキッチン・峰 〜もういちど食べたい

 小学校の高学年時代、鷺ノ宮という西武新宿線の駅近くに住んでいました。

 「映画を観る」となると新宿でした。

 そのころは「スター・ウォーズ」第1作が日本公開されたりして。

 ちょうどひとりで映画を観にいくようになる年頃じゃないですか。

 コカコーラのフタの裏のプロモーションも盛大でしたし。

 だからはじめてひとりで出かけた繁華街は新宿なんです。

 映画が終わっておなかが減って、ひとりで靖国通り沿いにあった吉野家へ
よく行きました。
 
「ひとりで映画を観て外食する」という行動に子供なりの妙な達成感を味わっていました。


 大学に入ってしばらくたっこたろ、サークルの上級生数名と新宿に行くことになりました。

 サークルが主催するイベントのポスターを貼らせてもらうとか、なにかそんな用事だった
と思います。

 夕方になってなにか食べようという話になったとき、「だったら、あのお店にしましょう」
と案内してくれた方がいたんです。

 T井さんという女性でした。

 歌舞伎町のコマ劇場に入っていくT井さん。

 「コマ飲食街」って言ったかな、食堂街があって、その中の「峰」というフライ専門の
レストランに連れて行ってくれました。

 安くて量も多くてうまかった。

 しかも店内は思ったより広くてゆったり座ってられる感じ。

 女性どうしでは来ない雰囲気のお店だったので、なぜT井さんがこのお店を勧めてくれ
たのかは今となっては不思議ですが。


 その後新宿のライブハウスに出演する日には「峰」に行きました。

 午後3時くらいに小屋に行きリハーサルを終えると本番まで2、3時間どうしてもヒマ
になります。

 食後にゆっくりしていてもイヤな顔されない「峰」は格好の楽屋でした。

 そのころはコマ劇裏のACBによく出ていましたしね。

 近くて便利でした。


 今は「峰」も、それどころかコマ劇場すらありません。

 そしてもう「フライ盛り合わせ」をあっさりと消化できるような胃袋もどこかに行ってしまいました。

コメント

フリーク・ショー

2021-11-08 | ワイキキの影
 マウイでしばらく過ごしたあとオアフ島に、しかもワイキキに移る。

 飛行機で30分の距離だがあまりの環境の違いにしばらくなじめずにいる。

 特に夜。マウイなら午後10時はもはや深夜と言っていい時間だ。

 同じ時刻、ワイキキは観光客のラッシュアワー。次から次へとホテルから人が出てくる。

 こんな時間でもレストランの空席を待つひとだかりができていたりする。

 カラカウア大通り。

 大道芸人が何組も通りに出ている。

 極彩色のオウムを観光客の肩にとまらせ、結構な記念写真代を請求する悪名高い「オウムおじさん」

 だが白人の家族連れは法外な撮影料をとられても楽しそうだ。

 デジタルカメラのモニターをファミリーでながめている。

 夜のワイキキの匂い。牛肉の焼ける匂い。ケチャップ、たまねぎ、フレンチフライの揚げ油、マスタード。

 それらはまじりあってレストランの厨房から漂ってくる。大通りを走る車の排気の匂い。

 観光客のオードトワレの匂い。

 客になりそうなの観光客の耳元にだけ聞こえるように発せられる不思議なマリワナ売りの声。

 突然マイケル・ジャクソンの曲が大音量で流れはじめた。

 その曲はなぜか本格的なオーディオシステムを搭載した電動車椅子から聞こえてくる。

 乗っているのは年老いた小柄な白人の男。目つきがうつろだ。ノロノロと歩道を進んで行く。

 通りかかった10代前半の白人の女の子が車椅子に走り寄り、曲に合わせて2小節くらい踊ってみせた。

 少女は老人に話しかける。
 
 「ハイ!最高ね。この曲大好き」

 車椅子の男は反応しない。虚空をみつめながら車椅子を進めて行く。

 「さよなら」

 老人に挨拶すると少女はくるりとふりむいた。

 そしてあっけにとられて眺めている僕と目が合うと突然悪い目つきをして笑い、叫ぶ。
 
 "Woo! Freak show!"

コメント

「婚活食堂6」に寒北斗

2021-11-07 | 蜻蛉房だより
 2021年11月 7日 晴れ

 2021年11月 山口惠以子先生著「婚活食堂6」PHP文芸文庫より上木さる!

 福岡銘酒「寒北斗」

「婚活食堂6」作品内で紹介してくれた。

 ありがとう。


コメント

上海201X-001

2021-11-07 | 上海201X

2010年代上海の街。画像 

コメント