在沪日記

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日本競馬の夢

2024-04-12 | 蜻蛉房だより
 今年の桜花賞が終わった。

 馬券は買わないのでスポーツとして勝負の世界を楽しむために競馬を見ている。


 血統はおもしろい。

 ここ2年ほどはディープインパクト王朝から次の王朝への過渡期。

 キタサンブラックか、やっぱりまだ少しの間カナロアか、と思われたがどうやら王位に就くのはキズナらしい。

 まさに「血統」だ。王の座は父から子へ。

 暮れの二歳G1からの流れを見ていると、「キズナ対新しめの内種牡馬産駒」か「キズナ対外国の種牡馬」という構図になりつつある。


 つぎに、桜花賞で上位に入線した馬を見ていると。「上り3ハロン」の持ちタイムで「コンスタントに33秒台」を出せる馬で占められている。

 もし皐月賞も同じような結果になるのなら、出走メンバーの中で上位にくる馬は3〜4頭に絞られる。

 スタート後ヒッカカる心配なく出していけて、いいポジションが取れる気性の良さ。

 それに上りのキレ。

 先団や中団から直線、早めに抜け出して伸びてくる馬が勝つ。

 気性に難があり後方待機を強いられる馬、同じような理由で単騎逃げしかできない馬。

 そういう個性派にはチャンスはめぐってこない。

「現代の日本のG1はそういうもの」と言われてしまえばそれで終わりだが、展開や騎手のカケヒキ、騎手の作戦を楽しんでいる私には正直もの足りない。


 イクイノックスの魅力を引き出すためにパンサラッサが果たした役割は大きい。

 強い逃げ馬がいるとレースが格段に面白くなる。鮮やかになる。

 そして逃げ馬がハイペースを演出すれば、キレキレの追込み馬たちが、目のさめるような脚で他馬をアッと言う間に抜き去っていく爽快感を味わえる。

 ベットする人たちにとってもそれは好都合ではないか。

「優等生馬が勝ち続ける競馬」は馬券の魅力も削いでしまうだろう。

 もしこんな競馬が続けば馬券の売り上げはジリ貧になっていくかもしれない。

 20年前の地方の公営競馬がそうだったように。


 血統の話にもどればキズナ産駒優勢が決まるのか、カナロアが踏ん張るのか。あるいはスワーブリチャードか。

 いずれにしてもスピードとキレに欠ける血統を持つ馬は今の日本の競馬には向かない。

 それでも「内国産国内調教馬で凱旋門賞を」という声を聞く。

 それが「日本競馬の夢だ」と。

 いまの血統の馬産を続けていってほんとうにそれが可能なんだろうか?

 
 我が世の春を謳歌しているだろう、大牧場、育成場、大馬主、有名共同所有クラブ。

 それらが協力して資金がある今のうちに、ロンシャン競馬場のコピーコースを日本のどこかに作ってみてはどうだろうか?

 路盤、芝の質、アンジュレーション、コーナーのアール、できるだけ近づけたシミレーションコース。

 そこでデビュー前から調教、模擬戦を行う。もちろんデビュー後も。

 そうしてヨーロッパの大レースに向いた素質を持つ若馬を見つけ出し、鍛え上げ、二歳、三歳時から現地のレースに出走させる。

 そうすれば内国産馬に新たな血統の潮流が生まれ、それは日本の馬産に新たなジャンルを生み出すことになる。

 馬産全体を益するものになる。

 もちろんこれにかかる資金は莫大なもので、レースの賞典金だけで賄えるものではない。

 ビジネスとしてなりたたないし、実現は困難だろう。

 ただ「夢」を語るならそんな途方も無い「夢」も私は想像してしまう。

 そんな日本の馬を見てみたいな、と。




 

 
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ダイヤモンドステークス

2024-02-13 | 蜻蛉房だより
 近所のしだれ梅が花ほころびはじめた。

 毎年梅が咲くと「ああこれからすこしずつ暖かくなるのだな。やれやれよかった」と思う。

 今週の土曜、東京競馬場でダイヤモンドステークスが行われる。

 毎年ダイヤモンドSの週が「寒さの底」というのが私の感覚。


 学生時代。

 ダイヤモンドSの週は期末試験の直前で学生仲間の部屋に数名でかわるがわる泊まり込みでレポートを書いたり過去問を解いたりしたものだ。

 得意な科目のレポートを替え玉で書いたり・・・・・・

 そのほかいろいろと小悪事を働いて単位取得を目指した。

 不思議なもので自分の部屋で書いたレポートの内容はほとんどおぼえていないが、その「合宿部屋」で代筆したレポートは記憶に残っている。


 
 毎年この時期になると思い出す、府中の長距離戦にまつわる記憶だ。

 レースの時期や開催場が変わるとそういう風情がなくなる。

 競馬ファンならわかる季節とレースにまつわる思い出。

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完熟黒バナナカレー

2024-02-06 | 蜻蛉房だより
 完熟黒バナナカレーを30数年ぶりに食べた。

 近所に住んでいた友達、H君。

 彼の父君は一流の老舗ホテルで修行した人で、当時は大手電気メーカーの社員食堂で料理人をしていた。

 H家の風呂が壊れてしまったため、三日間ほど我家の風呂を貸してあげたことがあった。

 彼らの風呂が修理完了となった次の日、H君の父上が「お風呂のお礼に」とお手製の「真っ黒になるまで熟したバナナ入りのビーフカレー」を持ってきてくれたのだ。

 レシピと一緒に。

 そのカレーはいままでに食べたことのない豊かな味わいだった。

 H父が修行したホテルのマカナイで出されていたものだったそう。


 そのカレーをもう一度食べたくなり、レシピを思い出した。

 ハウスジャワカレーを使うのだが、「一週間ほど熟成して皮が真っ黒になりほのかにアルコール臭がするくらいのバナナ」と「ジャム状になるまで炒めたタマネギ」を入れることが必須なのだ。

 当今「炒めタマネギ」はアルミパックで市販されているので、バナナだけじっくリと時間をかけ準備すれば簡単に作れる。

 40年ぶりに作ってみたカレーは、Hシェフが作ってくれたカレーにはおよばないけれど、なかなかのものだった。




 
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ネット亡国

2024-02-01 | 蜻蛉房だより

  難病患者に対する嘱託殺人のネット記事を読んだ。

 ALS患者を死にいたらしめた医師が殺人罪に問われている裁判だ。

 訴えられている医師は「医療費を食い潰す老人や障害者は殺すべき」という考えを持っていると伝えられていた。

 一般人のコメントを読んだがこの医師の持ついわゆる優生思想を批判するものがあまり見受けられなかった。

 まずそこを問題にすべきなんじゃないのか?と思ったがそうでもないらしい。

 またこの医師を「安楽死」の実行者として擁護する意見が多かった。

 いつもの「法を犯してるんだから絶対に悪」という意見を述べるアホが少なくて驚く。

 いつもあんだけ「法は正義」とかいきまいてるじゃないか。

 あの元気はどこ行った?

 違法薬物事案なんかではウヨウヨわいて出てくる「悪法といえども法は法」というもう箸にも棒にもひっかからん愚民。

 彼らが出てこないところにネットコメントの闇の深さを見る。

「ああコイツらって根の深い洗脳をくらってるのか、はした金のためにコメントしてんのか」という疑いは私のなかで強まるばかりだ。

 SDGSだジェンダー問題だ温暖化だ隣国が攻めてくるだチョウチンだ。

 みんなカネ儲けのためなんじゃないの?

 それともだまされてるの?

「長生きなんてするもんじゃねーなあ」と思うのはこういうときだ。

 野生動物は自分の死に方なんて選べない。

「人間様」は「動物」よりも上等だから自分の死についてあれこれ考え、望みをかなえられる特権を与えられてる?

 それともそれは人間の傲慢か。

 実は人間なんて他の種からしたらゴミみたいなものかもな。


 
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佐賀の酒「能古見」

2024-01-03 | 蜻蛉房だより
 今年の正月はこのお酒にした。

「のごみ」が読み方。

 友達が教えてくれた佐賀の酒。

 香りが良い。

 福岡に能古島があるけど、やっぱり「残る」っていみなんだろうか。

 今年一年がよいものでありますように。



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2023年の山笠 飾山

2023-07-12 | 蜻蛉房だより
 2023年の飾山

 今年も飾山が見られてよかった。

 これ作るのにどれくらい時間がかかるのかな。

 博多駅前 表


 新天町 表


 新天町 見送り 今年もサザエさん



 ソラリア 表 矢が宙を飛んでいる、カッコイイね。


 ソラリア 見送り
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医学部では教えない

2023-06-18 | 蜻蛉房だより
 日本の医学部では「死ぬこと」についてほとんど教えないらしい。

 医学とは人を「生かす」ためにあるのが建前なのだろうが。

 ただ多くの人が死ぬにあたって医師の世話になるんだから、「死について」は最優先で教えるべきだ。

 当たり前の話だが人は誰でも死ぬ。

 死ぬことは本当に人間の最後の大仕事で、「近いうちに死にますよ、あなた」と言われてからでは遅すぎることが出てくる。

 意識のなかから「死」を追い出して生きているうちはわからないことが『近いうちに死ぬ』」ということを前提に生活しだすとわかるようになる。

 そういうことを前もって教えてくれる人がいればよかったな、と思う。

 かっこう良く言うなら、「死を語らずして生を語るべけんや」かな。



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2023年の桜

2023-04-13 | 蜻蛉房だより



今年もなんとか桜をみられた。病院に向かう途上、タクシー•ドライバーが気を利かせて満開の桜並木を通ってくれた。

あれはちょっとこの世のものとは思えないくらいの美しさだった。
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渡辺通り一丁目の飾山

2022-07-13 | 蜻蛉房だより
 7月13日、今日は「集団山見せ」。

 渡辺通り一丁目の飾山。



 表は池田屋騒動の新撰組。



 見送は「アンパンマン」

 コロナにアンパーンチだ。
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3年ぶりの山笠

2022-07-12 | 蜻蛉房だより
 
 「今年の西流れの人形の手がWESTのWになっとるんですよ」とタクシーの
ドライバー。

 3年ぶりに山笠だ。

 できてよかった。

 今日は「追い山ならし」。

 無事行われた。

 疫病退散のために800年前に始まったんだから、コロナのときこそやるべきだ。



 新天町の飾り山、見送はやっぱりサザエさんだった。



 新天町の表



 ソラリアの表



 ソラリアの見送

 体調と相談して他の飾山も見に行けたら見に行きたいな。
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心こめて・・・・・・

2022-06-28 | 蜻蛉房だより
 
  わざとバランスをくずした筆文字で書かれたサイン・ボード。

 「心をこめて準備中」

 「一生懸命営業中」

  気持ち悪い。

 「入ってみようかな」と思っても、この手の札が下がっていたら、絶対に入店しない。

 「出来合いの看板を買ってきて、下げときゃいいや・・・・・・」


 わかる人はすぐにわかるでしょう。

 このサインの「心のこもってなさ」や「一生懸命さのなさ」

 笑っちゃう。

 言葉が悪すぎるけれど「お前はバカか」と言いたくなる。

 逆効果もはなはだしい。

 そんなこともわからないヤカラの店で、うまいものが出てくるはずがない。

 ボール紙にマジックインクでただ「準備中」とか「営業中」って書いて下げておけばいい。

 もっと言うなら、それさえなくていい。

 準備中に客が入ってきたら、「すいません、まだ仕込みが終わってなくて。○時ごろ開け
ますんで、よろしければまたそのころおいでください」って言えばいいだけだから。

 昔はこんな小言ばかり言っている年寄になりたくないな、と思っていたけど、みごとになって
しまった。

 「いつか行く道」ってやつだ。

 あなたもいつかそうなります。


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野球に連れていって

2022-06-05 | 蜻蛉房だより
 
 20年くらい前からかな、プロ野球の試合を見なくなった。

 リトル・リーグで毎週末、練習や試合をしていたくらいだから、野球が嫌いなわけではない。

 小学生のころはどんなスポーツよりも野球が好きだった。

 観るのもプレイするのも。



 まず野球から心が離れはじめたのは、中学生になったとき。

 おきまりの「野球部ボウズ問題」だ。

 固定観念にとらわれず、こういう観点から考えてみてほしい。

 髪型が決まっている「スポーツ」なんてあっていいのか?



 「大相撲」はスポーツではない。

 アレを「スポーツ」だと思っているから、いろんな問題が起きるんだ。

 あれは「神事」であり「興行」です。

 スポーツだと言うから「八百長」がどうの、女性が土俵にあがれないのはどうの、とクダラナイ話になる。

 ゆえにスポーツを管轄する役所が監督したり補助金を出したりするのも間違っている。

 10日以上連日ガチで格闘技やって身体が持つと思いますか?



 話がそれた。

 参加者の髪型が決められている競技なんてスポーツじゃない。

 団体競技のおもしろさとキモは「いろんなタイプの人間がひとつの目標にむかって結束し
『チーム』のために力を尽くすこと」だ。

 RPGのパーティーだ。

 4番でファースト向きの選手がチームに9人いたらどうなるか?

 9人のプレーヤーの個性を生かすことと、そのバランスがチームを強くするし、そういうチーム
でなければ観ていてもツマらない。

 それなのに「全員ボウズ強制」ってどういうこと?

 懲役?

 今は、丸刈りじゃない高校野球選手も多いけれど、僕の世代ではありえなかった。

 だから今でも「甲子園」にまったく興味がない。

 嫌いだ。

 ボウズもそうだし、地元出身でもなんでもない選手をスカウトして集めるのも気持ち悪いし、
とにかく下手だから、観ていてもつまらない。



 それでも以前は、プロの試合なら年に1、2回、スタジアムに観にでかけた。

 いまは足が遠のいてしまった。

 簡単に言うともう理想の野球観戦ができないから。

 理想を書こうか。

 これが日本のプロ野球では実現不可能だっていうことは承知しているが。


 休みの日の昼間、お天気のいい日に、内野席の中段でお日様の光を浴びながら観る。

 きもちのいい風が吹いている。

 風が芝生と土のニオイを運んでくる。

 ビールでも少し飲めれば最高。

 でも、ビールはナシでも一向にかまわない。



 ピッチャーが球を投じる瞬間、観客は全員ボールを見つめている。

 「パーン」といい音を立ててキャッチャーズ・ミットにボールが収まる。

 あるいは、木製のバットなのにボールを芯でとらえると、まるで大きなブラスのベルを
叩いたような快音がグラウンドに響きわたる。

 スパイクが土を蹴って、塁間をプレーヤーが疾走する・・・・・・

 アンパイアのコール。

 拍手と声援。

 でもプレイが始まればまた観客は静まりかえる。

 
 これが僕の観たい野球の試合。



 ところが先年、理想に近い試合が行われていた。

 コロナのせいで。

 無観客の試合。

 そのとき、テレビ中継では捕球音や打球音がハッキリと聞きとれた。

 ベンチからの応援やヤジも。

 これで天然芝、屋根なしのスタジアム、デイタイムの試合ならほぼ理想どおり。

 ただ、その試合をだれ一人現場で観戦できない、という皮肉。

 笑うしかない。

 

 
 今度機会があったら、僕の観た最高の野球の試合について書こう。

 正確には「スロウ・ピッチ・ソフトボール」のゲームだけどね。



 
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福音

2022-04-25 | 蜻蛉房だより


 この世でもっとも尊いこと、価値あることが今日ありました。

 ありがとう。

 ほんとうにありがとう。

 私も頭を上げて前をむこう。



 
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薄気味悪いヒト

2022-04-21 | 蜻蛉房だより

  妙にイライラさせられるヒトがいる。

 とある飲食店紹介の TVプログラム。

 さもありなんなモデル出身のレポーターと称する女性が出演している。

 そのヒトを見ていると「なんか気持ちの悪いイヤなカンジ」がわきおこってくる。

 なんで彼女に好感を持てないんだろう、と思ってしばらく観察していた。

 それで、わかった。

 ひとつには料理に対する知識の乏しさを「なんとか補おう」という工夫がこのヒトに
見られないからだ。

 低予算の番組なんだから例えば料理に対する疑問がわいたら、その場でスマートフォン
で調べたりする場面があってもいいと思う。

 ドキュメンタリーっぽく。

 料理に対する好奇心が薄いんだろうな。

 だったらこういう趣向の番組には向いていませんよ、と僕は思う。

 当たり前の話だけれど、TV番組で味や香り食感や温度を伝えることは不可能だ。

 だったら料理についてTVで視聴者に伝えられることは何だろうね。



 それ以上に、もうひとつこの女性を見ていてイライラする点がある。

 日常生活でもこういうヒトがいて、僕は苦手だ。

 それは「自分の言ったことに自分で笑うヒト」

 わかるかな?

 例えばこんな感じ。

 「じゃあこのまま手づかみで行っちゃいますね、グフフフフフ」

 「あーこれで一人前なんですか?多くないですか?ウフフフフ」

 薄気味悪いでしょ、なんか。

 推測するに自分の言動に対して相手に同意を求めるために彼女は無意識に笑っているん
じゃないだろうか。

 他者から自分がどう思われているのかが必要以上に気になるんだろうね。

 自信がないんだろうか。

 だったら人前に出る仕事は向いてないと思うな。

 普段の生活でもときどきこういうヒトに出会う。

 そういうときにも何とも言えない「気持ちの悪さ」を感じる。

 別にいつでも面白いことを言わなくてもいいし、別にいちいち他人に許可を求めなくても
いいし、他人からどう思われるか、なんて本当はそんなに重要なことじゃない。

 もっと自由に、好きなようにふるまっていいんじゃない?

 「同調圧力」ってヤツなんだろうか。


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年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

2022-04-07 | 蜻蛉房だより

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

もう言い尽くされていることだけれど。

あらためてこの詩の言葉を思い知らさる。

今年の桜を眺められるとは思っていなかったからね。

まあそれも神様が決めること。

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