在沪日記

流れゆく人生を残すブログ マウイ オアフ 上海 シンガポール そして日本

もういちど食べたい〜四ツ谷•来来軒〜

2023-02-25 | もういちど食べたい
 
 四ツ谷の来々軒にビーフン専門の支店があつたのをおぼえてますか?

 しんみち通りにあったと思う。

 間口の狭い店で5組も客が入れば満席になる。

 そんな店。


 その店にまつわる思い出はすべてぼんやりしている。

 なぜだかわからないが、とても寒い朝、その店にいた。

 なぜかはわからない。

 そんな早くから開けている店とも思えないのだが。

 いっしょにいたのはそのころ好きだった人。

 なぜかはわからない。

 なぜビーフン屋なのだ?

 外は曇っていて、とても寒くて、客は他にはおらず、僕は汁ビーフンを食べていた。

 好きだった人はあまり話をしなかった。

 汁ビーフンはとてもあたたくて、湯気がぼうっと上がっていた。

 僕の記憶もすべてぼんやりしている。

 なぜかはわからない。

 そして僕はそのとき少し悲しかったんだと思う。




コメント

シュエット 〜四ツ谷〜もういちど食べたい

2022-10-11 | もういちど食べたい
 「シュエット」は外堀通り沿いの小さなビルディングの2階にあったコーヒー・ショップ。

 床面近くまでの大きなガラスが使われいて、店内は明るくて、気持ちよかった。

 フランス語の授業でたまたま「シュエット」という単語が出てきたので、店名の意味は
わかった。

「フクロウ」だ。

 今、調べてみるとフランス語の”chouette”には「素敵な」という形容詞の意味もあるんだね。

 「素敵!」という感嘆詞でもつかわれるらしい。

 どの意味で店の名前を「シュエット」にしたのかな。



 「抹茶のチーズ・ケーキ」というメニューがあった。

 いまでこそ海外でも「抹茶スイーツ」は大人気だけれど、そのころはまだ「抹茶」をケーキに使う
ことは珍しかった。



 ふだんは「タイム」っていう喫茶店に行くことが多かった。
 
 夜の8時ごろ行くと、よく先輩の後藤さんがピラフを食べていた。

 70年代初期のアメリカン・ロックやAORがかかっててね。

 そういう音楽が嫌いな奴は別の店に行ってた。



 けれど女の子と待ち合わせののときに使うのは絶対「シュエット」だった。

 一般教養の授業でモデルみたいな美人さんがいたから、「授業が終わったらシュエットで君の
ことを待っています」というメモ書きを渡したことがある。

 半分はふざけてだけど、半分は本気だった。

 授業が終わったら、すぐにシュエットに行って待ったよ。

 もちろんその美形は現れなかった。



 雨続きの6月のある日の午後、その日は本気の待ち合わせで僕はシュエットにいた。

 ミルクティーを飲みながらぼんやり外掘通りの街路樹を見ていた。

 白くて細かい雨のスクリーンの向こうに濃い緑色の葉が濡れていた。

 そして店の入り口につづく外階段を、そのころ僕が大好きだった素敵な女の子が傘をたたみなが
らのぼってくるのが見えた。



コメント

しんみち通りのカボチャプリン~四谷・仏蘭西かぼちゃ

2022-06-20 | もういちど食べたい
 大学に入学してすぐ、5月上旬に新歓コンパがあった。

 場所はしんみち通りの「仏蘭西かぼちゃ」だった。

 当時はベッタベタな居酒屋が苦手だったので、学生向けの店ではなかったけれど、
そのあともよく飲みに行った。

 バイト代が入ったときはバーボンをボトルで頼んだりして。

 カッコつけて大人っぽいことをしたかった。

 フォー・ロウジーズをしこたま飲んだあと「カボチャのプリン」をよく頼んだ。

 「フラカボのカボチャプリン」

 それまでも、そしてそれ以後もあんな「カボチャのプリン」を食べたことがない。

 ババロアの型で作ったとおぼしきそのプリンはゼラチンで固めてあって、食感がツルンツルン
だった。

 アングレーズ・ソース(いや、ただのコンデンスミルクのようなものだったかもしれない)
がかけられていたのではなかったか……。

 印象に残っているのは、やはりその食感。

 かぼちゃをしつこく裏ごししてもあれ程ナメラカにはならないと思う。

 その後いろんな店の「カボチャのプリン」を試す機会があったが、どれもザラっとし
た舌ざわりを残しているものばかりだった。

 ただ、やや不安なことがある。

 いつでもかなり酔いがまわってからオーダーしていた。

 だからこれが正しい記憶かどうか自信がない。

 酔ったあげくのマボロシだった可能性もある。

 それを確かめるためにも、もう一度食べてみたかったなと思う。

 さて、その新歓コンパの席でボスの池Dさんに「おい、お前はここにいる女性のなかで誰とつきあ
いたいか言え、言わないと殺す」と尋問された。

 誰の名前を答えたか鮮明におぼえているが、それ以外のできごとはなにひとつ思い出せない。

 名前をあげた女性は上級生だったが、サークルには入らなかった。

 なんだったんだろうかあのコンパは。

 長い間つづくことになる私の「しんみちがよい」がはじまった。

コメント

渋谷・芳松

2022-02-20 | もういちど食べたい
 

 路が放射状に延びている街が苦手です。

 例えば渋谷。

 桜丘のとある場所から東急ハンズに移動しなければならないとします。

 ああ、もう考えたくない。

 結局いったん駅前まで戻って、もう一回坂を上るほかに、行き方を思いつきま
せん。

 これが、銀座とか新宿とか「碁盤の目」になっている街だったら、スッと移動
できるのに。

 さらには坂が嫌いです。

 盛り場なのに坂があるのは許せない。

 渋谷駅がちょうど谷底なのでいかんともしがたいのですが。

 バンドマンは荷物が多い。

 若いころはクルマで移動できないことも多い。

 電車移動で渋谷。

 最悪でしたね。

 夏場なんかとくに。



 井の頭線の渋谷駅が再開発されてしまったのはいつごろのことでしょうか。

 いまから20年ほど前、あの高架下にはパチンコやら飲食店やらがゴチャゴチャと入っていました。

 そのなかに「芳松」という洋食屋があったのです。

 店名の前に「肉の」と付いていたかもしれない。

 「肉の芳松」。

 フロアは2階にわかれてて急な階段でつながっていました。

 2階は天井が低くて屋根裏部屋の雰囲気でしたね。

 階段の壁面に棟方志功の大きな絵が飾られていたのをおぼえています。

 「芳松の定食」というコースメニューが定番でコーンスープが出るんですが、これがうまかった。

 たいがいアルバイト帰りで主に朝から肉体労働でしたので、スープの塩分が疲れたからだにしみこむ……。

 さらにアラカルトで「レバー・ステーキ」。

 労働のあとですから。

 レバーがメニューにある洋食屋は少なかったので、必ず食べてましたね。

 レバずきの私は。

 まあ、ライブにしろアルバイトにしろ「渋谷かあ」とややげんなりしつつ行く街でしたが、
「芳松」で飯がくえるかもというのは救いでした。

 いま渋谷で夕飯となると……脱出するしか考えられません。



コメント

早川亭のしゅうまい

2021-12-26 | もういちど食べたい
 「もういちど食べたい」ものについて考えると。

 意外だけど思いつくのは「おいしかった」とか「絶品」とかそういうもの
じゃない。

 なんというか「しょうものない」とか「そんなにうまいものじゃなかったけどね」
という感想の料理たち。

 例えば新宿にあった早川亭のしゅうまい。

 新宿通りの紀伊国屋の真向かいにあった店です。

 「しゅうまい定食」だったか「しゅうまいライス」というメニュー名だったか、
しゅうまいとライスとスープ。

 蒸したキャベツも申し訳程度についていたか、いや千切りだったか……。
 
 驚くほど安かった。


 学生だったころ、新宿にあるライヴハウスによく出ていた。

 月に数回はライブがあったし、やれレコーディングだ、やれミーティングだ、
リハだ、なにかにつけて新宿だった。

 週7日新宿にいたこともある。
 
 ライブハウス併設のスタジオを使わせてもらって練習、閉店後のステージで練習……。

 このバンドがまあ練習熱心で、とにかくスタジオに入ってる時間が長いんだ。

 「ミュージシャン魂を抜かれたミュージシャン」だったわたしは 練習中も「あーあ
早く終わんないかなあ」とか「おなか減ったなあ」とかばかり考えてベースを弾いてい
たわけです。

 ベーシストとしての晩年を迎えた岸部一徳状態ですな。

 「今日は終了!」もしくは「休憩!」ってことになると近くの食べ物屋に行く。

 そんな店のうちの一軒が早川亭だった。

 一階と半地下みたいなスペースがあって、いつも半地下のカウンターで
「しゅうまいライス」。

 他のメニューもあるけど客のほとんどは頼むものが同じだから、「あっ」という
間に出てくるのね。

 揚げしゅうまいもあったなあ。

 値段から考えても美味いものじゃないんだが、スタジオから解放されて一服できる
のがうれしかった。とにかくおなかも減ってたし……。

 それからしばらくしてあまり新宿に行かなくなったころ気がついたら早川亭は無く
なっていた。

コメント

リッチモンド 〜もういちど食べたい

2021-12-03 | もういちど食べたい
 「プロの料理」と「素人の料理」の違いはなんでしょう。

 ま、いろいろと意見はございましょうが、違いのひとつは「家で再現
できない味」ということかもしれません。

 「創作居酒屋」なんてお店で「こんなんうちでも作れるよ」という品を連続して
出されると「なんだかなあ」という気持ちになってきます。

 反対に「ああ、やられたな」と思うのはオーソドックスなメニューなのにプロの
技術で「これは家では絶対に再現不可能。それどころかどういう魔法がかけてある
のかわかりません」という品を出す店。

 感謝と尊敬の念がわいてきます。

 まあそれほどの名店は1年に1軒見つかるか見つからないかなんですが。

 以前そんな店が東京駅の地下街にあったんです。

 基本的に「デミグラス・ソース」の店なんです。

 で、そのソースが独特というかその店でしか食べられない。

 ビーフシチュー、タンシチュー、ハヤシライス、もうなんでもおいしかった。

 当たり前ですが。

 好き嫌いは分かれると思いますよ。

 ひとことで言うと「苦い」デミソースなんで。

 でもね、これがクセものなんです。

 トマトの酸味とかなんとかの甘みとかいっさい無し。

 「苦みと野菜のにおいとうまみと、また苦み」というソース。

 かなり個性的ですし値段も安くはなかったので失礼ながらそんなに大繁盛し
ているようには見えませんでした。

 が、秘かにファンが集う店でしたね。ひとり客が多かったし。

 ただ「苦い」だけなら小麦粉とバターを焦がせばいいんじゃないかと考えてみるん
ですが、いや、これは単に焦がしただけではない、なにか特別なサムシングがあるん
です。

 それがなんだかわからない。

 こんなソースは家で再現することはまったく無理なわけで、食べて嬉しくなる料理
でしたね。

 「そうそうこの味。これが食べたくてきたんだよねえ」

 マスターが引退後、あとつぎがいなかったのか、地下街が改装されるときにお店も
なくなってしまいました。

 店の名は「リッチモンド」といいました。

 もういちど食べて、しあわせになりたい。

コメント

フライキッチン・峰 〜もういちど食べたい

2021-11-10 | もういちど食べたい
 フライキッチン・峰 〜もういちど食べたい

 小学校の高学年時代、鷺ノ宮という西武新宿線の駅近くに住んでいました。

 「映画を観る」となると新宿でした。

 そのころは「スター・ウォーズ」第1作が日本公開されたりして。

 ちょうどひとりで映画を観にいくようになる年頃じゃないですか。

 コカコーラのフタの裏のプロモーションも盛大でしたし。

 だからはじめてひとりで出かけた繁華街は新宿なんです。

 映画が終わっておなかが減って、ひとりで靖国通り沿いにあった吉野家へ
よく行きました。
 
「ひとりで映画を観て外食する」という行動に子供なりの妙な達成感を味わっていました。


 大学に入ってしばらくたっこたろ、サークルの上級生数名と新宿に行くことになりました。

 サークルが主催するイベントのポスターを貼らせてもらうとか、なにかそんな用事だった
と思います。

 夕方になってなにか食べようという話になったとき、「だったら、あのお店にしましょう」
と案内してくれた方がいたんです。

 T井さんという女性でした。

 歌舞伎町のコマ劇場に入っていくT井さん。

 「コマ飲食街」って言ったかな、食堂街があって、その中の「峰」というフライ専門の
レストランに連れて行ってくれました。

 安くて量も多くてうまかった。

 しかも店内は思ったより広くてゆったり座ってられる感じ。

 女性どうしでは来ない雰囲気のお店だったので、なぜT井さんがこのお店を勧めてくれ
たのかは今となっては不思議ですが。


 その後新宿のライブハウスに出演する日には「峰」に行きました。

 午後3時くらいに小屋に行きリハーサルを終えると本番まで2、3時間どうしてもヒマ
になります。

 食後にゆっくりしていてもイヤな顔されない「峰」は格好の楽屋でした。

 そのころはコマ劇裏のACBによく出ていましたしね。

 近くて便利でした。


 今は「峰」も、それどころかコマ劇場すらありません。

 そしてもう「フライ盛り合わせ」をあっさりと消化できるような胃袋もどこかに行ってしまいました。

コメント