在沪日記

流れゆく人生を残すブログ マウイ オアフ 上海 シンガポール そして日本

心こめて・・・・・・

2022-06-28 | 蜻蛉房だより
 
  わざとバランスをくずした筆文字で書かれたサイン・ボード。

 「心をこめて準備中」

 「一生懸命営業中」

  気持ち悪い。

 「入ってみようかな」と思っても、この手の札が下がっていたら、絶対に入店しない。

 「出来合いの看板を買ってきて、下げときゃいいや・・・・・・」


 わかる人はすぐにわかるでしょう。

 このサインの「心のこもってなさ」や「一生懸命さのなさ」

 笑っちゃう。

 言葉が悪すぎるけれど「お前はバカか」と言いたくなる。

 逆効果もはなはだしい。

 そんなこともわからないヤカラの店で、うまいものが出てくるはずがない。

 ボール紙にマジックインクでただ「準備中」とか「営業中」って書いて下げておけばいい。

 もっと言うなら、それさえなくていい。

 準備中に客が入ってきたら、「すいません、まだ仕込みが終わってなくて。○時ごろ開け
ますんで、よろしければまたそのころおいでください」って言えばいいだけだから。

 昔はこんな小言ばかり言っている年寄になりたくないな、と思っていたけど、みごとになって
しまった。

 「いつか行く道」ってやつだ。

 あなたもいつかそうなります。


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しんみち通りのカボチャプリン~四谷・仏蘭西かぼちゃ

2022-06-20 | もういちど食べたい
 大学に入学してすぐ、5月上旬に新歓コンパがあった。

 場所はしんみち通りの「仏蘭西かぼちゃ」だった。

 当時はベッタベタな居酒屋が苦手だったので、学生向けの店ではなかったけれど、
そのあともよく飲みに行った。

 バイト代が入ったときはバーボンをボトルで頼んだりして。

 カッコつけて大人っぽいことをしたかった。

 フォー・ロウジーズをしこたま飲んだあと「カボチャのプリン」をよく頼んだ。

 「フラカボのカボチャプリン」

 それまでも、そしてそれ以後もあんな「カボチャのプリン」を食べたことがない。

 ババロアの型で作ったとおぼしきそのプリンはゼラチンで固めてあって、食感がツルンツルン
だった。

 アングレーズ・ソース(いや、ただのコンデンスミルクのようなものだったかもしれない)
がかけられていたのではなかったか……。

 印象に残っているのは、やはりその食感。

 かぼちゃをしつこく裏ごししてもあれ程ナメラカにはならないと思う。

 その後いろんな店の「カボチャのプリン」を試す機会があったが、どれもザラっとし
た舌ざわりを残しているものばかりだった。

 ただ、やや不安なことがある。

 いつでもかなり酔いがまわってからオーダーしていた。

 だからこれが正しい記憶かどうか自信がない。

 酔ったあげくのマボロシだった可能性もある。

 それを確かめるためにも、もう一度食べてみたかったなと思う。

 さて、その新歓コンパの席でボスの池Dさんに「おい、お前はここにいる女性のなかで誰とつきあ
いたいか言え、言わないと殺す」と尋問された。

 誰の名前を答えたか鮮明におぼえているが、それ以外のできごとはなにひとつ思い出せない。

 名前をあげた女性は上級生だったが、サークルには入らなかった。

 なんだったんだろうかあのコンパは。

 長い間つづくことになる私の「しんみちがよい」がはじまった。

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上海201X-020

2022-06-15 | 上海201X



 この世に偶然などない。すべて必然だ。

 最近ほんとうにそうだったんだな、と思うことが多い。

 この写真は2011年の5月の終わりに撮った。

 撮るときには、なにも考えてなかった。

 今見かえしてみると、愕然たる思いだ。

 そうか、そういうことだったのか。

 人生に偶然などない。

 すべてそうなるようにできているんだ。

 2010年代 上海の街角
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上海201X-019

2022-06-09 | 上海201X



  2010年代 上海の街角画像。

 この写真を撮ったころにはまだ中心部から少し離れた街区ではニワトリが歩いていたりした。

 市場では生きたままの家禽が売られていたし。

 何度かにわたる鳥インフルエンザの流行と、最近の感染症の蔓延でさすがにもう見られない
だろう。

 マウイ郡の郡都、カフルイではピザハットの裏に野良ニワトリの群が跋扈していた。

 あいつらはまだいそうだ。
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野球に連れていって

2022-06-05 | 蜻蛉房だより
 
 20年くらい前からかな、プロ野球の試合を見なくなった。

 リトル・リーグで毎週末、練習や試合をしていたくらいだから、野球が嫌いなわけではない。

 小学生のころはどんなスポーツよりも野球が好きだった。

 観るのもプレイするのも。



 まず野球から心が離れはじめたのは、中学生になったとき。

 おきまりの「野球部ボウズ問題」だ。

 固定観念にとらわれず、こういう観点から考えてみてほしい。

 髪型が決まっている「スポーツ」なんてあっていいのか?



 「大相撲」はスポーツではない。

 アレを「スポーツ」だと思っているから、いろんな問題が起きるんだ。

 あれは「神事」であり「興行」です。

 スポーツだと言うから「八百長」がどうの、女性が土俵にあがれないのはどうの、とクダラナイ話になる。

 ゆえにスポーツを管轄する役所が監督したり補助金を出したりするのも間違っている。

 10日以上連日ガチで格闘技やって身体が持つと思いますか?



 話がそれた。

 参加者の髪型が決められている競技なんてスポーツじゃない。

 団体競技のおもしろさとキモは「いろんなタイプの人間がひとつの目標にむかって結束し
『チーム』のために力を尽くすこと」だ。

 RPGのパーティーだ。

 4番でファースト向きの選手がチームに9人いたらどうなるか?

 9人のプレーヤーの個性を生かすことと、そのバランスがチームを強くするし、そういうチーム
でなければ観ていてもツマらない。

 それなのに「全員ボウズ強制」ってどういうこと?

 懲役?

 今は、丸刈りじゃない高校野球選手も多いけれど、僕の世代ではありえなかった。

 だから今でも「甲子園」にまったく興味がない。

 嫌いだ。

 ボウズもそうだし、地元出身でもなんでもない選手をスカウトして集めるのも気持ち悪いし、
とにかく下手だから、観ていてもつまらない。



 それでも以前は、プロの試合なら年に1、2回、スタジアムに観にでかけた。

 いまは足が遠のいてしまった。

 簡単に言うともう理想の野球観戦ができないから。

 理想を書こうか。

 これが日本のプロ野球では実現不可能だっていうことは承知しているが。


 休みの日の昼間、お天気のいい日に、内野席の中段でお日様の光を浴びながら観る。

 きもちのいい風が吹いている。

 風が芝生と土のニオイを運んでくる。

 ビールでも少し飲めれば最高。

 でも、ビールはナシでも一向にかまわない。



 ピッチャーが球を投じる瞬間、観客は全員ボールを見つめている。

 「パーン」といい音を立ててキャッチャーズ・ミットにボールが収まる。

 あるいは、木製のバットなのにボールを芯でとらえると、まるで大きなブラスのベルを
叩いたような快音がグラウンドに響きわたる。

 スパイクが土を蹴って、塁間をプレーヤーが疾走する・・・・・・

 アンパイアのコール。

 拍手と声援。

 でもプレイが始まればまた観客は静まりかえる。

 
 これが僕の観たい野球の試合。



 ところが先年、理想に近い試合が行われていた。

 コロナのせいで。

 無観客の試合。

 そのとき、テレビ中継では捕球音や打球音がハッキリと聞きとれた。

 ベンチからの応援やヤジも。

 これで天然芝、屋根なしのスタジアム、デイタイムの試合ならほぼ理想どおり。

 ただ、その試合をだれ一人現場で観戦できない、という皮肉。

 笑うしかない。

 

 
 今度機会があったら、僕の観た最高の野球の試合について書こう。

 正確には「スロウ・ピッチ・ソフトボール」のゲームだけどね。



 
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上海201X-018

2022-06-03 | 上海201X


 初めてコイツを見たときには、何が目的なのか、わからなかった。

 「リアカー」なんだけど。
 
 今でもわからない。

 近所でときどき見かけた。

 家人とは「過積載」と呼んでいた。

 何のために運んでいるのだろう。

 イスやテーブルは新しくてキレいなので廃棄物ではなさそうだし。

 路上販売かも?

 すでにシュールな前衛芸術のオブジェにすら見える。

 今でもわからない。

 2010年代、上海の街角
 
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