在沪日記

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ホノコワイのグランマ

2022-03-13 | マウイしまへようこそ

 ホノアピイラニ・ハイウェイと呼ばれる州道30号線ができる以前。

 「西マウイ」という言葉は「田舎」と同義語だった。

 灌漑用水を引ける土地はサトウキビ畑。

 水が充分でなければパイナップル畑。
 
 雨が少ない西マウイにはそのふたつ以外に耕作に適した作物はない。

 あとはただの乾いた荒地がひろがっていた。

 そのころ。

 数カ所の岬をたどる海岸沿いの道としてホノアピイラニ・ロードはすでにあった。

 地域の中心地ラハイナの町とさらに北部のパイナップル・プランテーション
を結ぶ生活道路。

 収穫されたパイナップルをホノコワイの缶詰工場まで運ぶ道でもあった。

 缶詰工場の跡地は今、ショッピング・モールになっている。

 週末、モールのまんなかにあるステージでは地元のこども達がコーラスを披露したり
フラを踊ったりする。

 そんな呑気なモールだ。

 ショッピング・モールを東側からグルっと包みこむようにしてホノアピイラニ・ロードが
走っている。

 そして敷地の北東の角で現在のステイト・ハイウェイと合流し、ホノアピイラニ・ロードは
終わる。

 その昔、北西部のプランテーションにつづく道の終点・起点が缶詰工場だった、ということだ。

 西マウイのパイナップルが1日に万単位で缶詰にされていたころ、ホノアピイラニ・ロード
にその食堂はもうあった。

 「シシド・レストラン」




 2011年9月。

 空港で車を借り出し、カパルアに向かっていた。

 ホノアピイラニ・ハイウェイでラハイナを過ぎ、時間を確認する。

 午後1時前。

 コンドミニアムと約束した時間にはまだ少し早い。

 それに腹が減った。

 思えばハワイ時間の早朝に飛行機の中で出されたフルーツとペチャンコにつぶれたクロ
ワッサンが最後の食事だった。

 それにしても「クロワッサン」の発音が難しい。

 機内で今回も一度でクルーにわかってもらえなかったな。

 フランス語だからかな、三日月。

 ハイウェイを降り、左折で旧道に入る。

 ローワー・ホノアピイラニ・ロード。

 ハイウェイとの交差点にあるガス・ステーションに車を入れ、ポンプの番号を確認する。

 喉もかわいていた。

 とりあえず、なにか飲みたい。

 ガス・ステーションの事務所兼売店の中に入る。

 眠そうなフィリピン系のアーンティが店番をしている。

 ダセニのドリンキング・ウオーターを一本手に取り、なにか食事になりそうなものがないか物色
してみる。

 サンドウィッチやデリ用の冷蔵ケースはあるのだが、ほとんど商品は入ってない。

 カップに入ったフルーツゼリーでは腹の足しにならないだろう・・・・・・

 水のボトルをキャシャーに差し出し、3枚のドル札をそえる。

 「おはようございます。調子はどうですか?パンプナンバー3に10ドル、それとこの水ね」

 アーンティーは水のボトルをスキャンする。

「おはよう。あら、もうお昼すぎだよ。”おはよう”には遅すぎる。調子は、まあまあ。現金なんて
100年ぶりに見たよ。あんたたち日本人はまだ現金で払う。11ドル70。」

「チェックの方がいい?」

「いいよ、いいよ、現金で。お釣りはあるから。ありがとうね」

「ありがとう。えーと、この近くにカフェか食堂ないかな?朝ごはん、いや、そうじゃなくて
昼メシ食べたいんだ」

 ボトルのスクリュー・キャップを開け、ひと口飲んでアーンティに聞いてみた。

「シシド・レストラン知ってる?」

「聞いたことないな。近く?」

「日本から来たなら、行ってみるといいよ。ここを出て右、ローワー・ホノアピイラニ・ロ
ードを行くと、彼らの店がある。パン・ケーキかサイミンを試してみなさい。コークの大きな
看板がサインの店だよ」

「教えてくれてありがとう。行ってみます。じゃあよい日を」

「ありがとう。あんたもね」

 

 ガス・ステーションを出てローワーホ・ホノアピイラニ・ロードを1マイルほどゆっくりと
北上する。

 右手に大きなコカ・コーラの看板が見えてきた。

 横幅10フィート以上はある赤地のコカ・コーラのロゴ広告。

 その上の白く抜かれた部分に店名と広告が記されている。

 「シシド・レストラン、世界的に有名なパン・ケーキ」


 外観は昔ながらのロード・サイド・レストランだ。

 日本ではドライブ・インと呼ばれるやつ。

 横長の平屋で、真っ平らの陸屋根。

 屋根と壁はピンクがかったサンド・ベージュに塗られている。

 店の前は舗装された広い駐車場で、その駐車場に向かって屋根が5フィートほまっすぐ
にせり出しひさしと雨よけになっている。

 大きな腰高のガラス窓が6面。

 店の前面は7~8インチほどの高さで、白いコンクリートのテラスになっている。

 中央やや右手にアルミニウム・サッシュにかこまれた両開きのドアがある。

 
 入口を入った左手にキャシャーがあり、そこの70代くらいの女性が座っている。

 「こんにちは。ひとりです」

 そう告げる。

 「カウンターの席はいかが?」

 「ありがとう」
 
 カウンターにはひとりぶんずつ重いマグカップとカトラリーが用意してある。

 座ると中年のウエイトレス役の中年女性がマグカップをひっくり返しながら、
「コーヒー?紅茶?」とたずねてくれる。

 コーヒー、と答えると、すぐにマシーンで保温してある大きなポットから薄いコーヒーが
注がれる。

 席についてすぐにコーヒーを飲めるのはいいシステムだ。

 味はともかくとして。



 店の自慢のパンケーキを食べ、店を出るときだった。

 キャシャー席に腰掛けていた、老女に声をかけられた。

 「パンケーキを楽しみましたか?」

 「はい。おいしかった。ありがとう」

 「あなたは日本から来ましたか?」

 「はい」

 「そう。津波きましたか?あなたのファミリーは大丈夫だった?レディエイションは?」

 「マウイしまにも津波が来ました。多くの人が高いところに逃げましたよ。水が
入った家もあります」

 「わたしのおじいさんはね、フクシマ。だから私は津波のこと悲しい。レディエイションも。
心配です」
  
 「マウイしまに来てくれて、ありがとう。また必ず来てください」

 老女は僕の目をまっすぐにみながら言った。

 距離も時間も離れてしまったおじいさんの祖国を心配している人がここにいる。

 ホノコワイのグランマ。

 ありがとう僕も僕の家族も友人も無事でした。

 でももうあなたのおじい様の祖国は安心して暮らせる国ではなくなりました・・・・・・

 悪魔に魂を売ったからです。

 残念です。

 しばらくマウイでのんびりしたら僕はまた東京に帰ります。

 そしてまたマウイに来たら、必ずパンケーキを食べにきます。

 グランマ、そのときまでどうぞお元気でいてください。

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March 11th, 2011

2022-03-11 | 蜻蛉房だより
 3月11日。

 2011年3月11日から。

 以後の人生はよくある言い方だが、「付録」「おまけ」

 もうそろそろその執行猶予も終わる。

 2011年3月11日、僕の好きだった「ニッポン」は殺された。

 僕の好きだった「ニッポン」を殺したヤツらのことは許さない。

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「食い逃げ」in上海

2022-03-06 | 上海とはずかたり
 無銭飲食、つまり「食い逃げ」の現場にでくわしたことがある。

 上海のとある場末のショッピングモールにある「自称日本料理」の店だった。

 その店はモール内の通路との間に壁のない「食い逃げ好適店」だ。

 店側もそれはわかっているから通常ひとり客は前払いを要求される。

 その日、後刻食い逃げ犯だとわかる若い男は「しばらくしたらもうひとり来る」と店員に交渉
し、通路際のテーブルについた。

 「あ、なんかこいつ怪しいな」と思い、僕はヒドくパサついた焼サバを食べながら見るとはなし
に男を観察していた。

 連れ合いがいるなら、飲み物でも頼んで、相手が来るのを待つのが常道だろう。

 ところがこの男、席につくなり値が張るちょっとしたランチコースを二人前注文したのだ。

 怪しくないか?

 店員も前払いを求めればいいのだが、そこまで強く言うのは面倒くさいのだろうな。

 「2人以上の客なら後払いでいい」というマニュアルだろうし、食い逃げ防止を積極的に遂行する
労働意欲にみあうほど高い給料もらっているわけでもない。

 まあもっともな話だ。

 ランチコースがふたり分運ばれ、くだんの男はすぐに食べ始める。

 「ああ、こいつ十中八九、逃げるな」

 僕はそう思い、不謹慎だがワクワクしながら未来の無銭飲食犯をチラチラと観察していた。

 架空の待ち人はあらわれず、男はあらかたの料理を食べおえる。

 と、その瞬間、予想通り乱暴に椅子を尻で押しのけて、男は立ち上がり従業員用の裏通路の扉めがけて走り出した。

 「あ、やっぱり」

 「脱兎のごとく」とはまさしくこの様子をいうのだろう。

 ウサギのように椅子からはねあがり、店内と通路しきっているロープをピョンと跳び越え、
裏通路へと消えていった。

 従業員たちは一瞬何が起きたのか状況を把握できないようだったが、すぐに近くにいたウエイ
ターが叫びながら男の後を追った。

 だが数分すると戻ってきた。

 計画的な食い逃げ犯だし、捕まえて公安を呼ぶのも面倒臭い。とっくみあいにでもなってケガさ
せられたら割にあわない。

 そんなところだろう。

 それももっともな話だ。

 逃げた男は金に困っていたのだろうか。

 それともこれは彼にとって一種のゲームのようなものなのだろうか。

 場末のショッピングモールの美味でもない「インチキ日式料理店」に対するちょっと
したあてつけとしての無銭飲食だとしたら・・・・・・

 あるいは鬱憤の矛先が反日愛国行動に向いたのか・・・・・・

 前払いのひとり客である不謹慎な日本人の僕はチラっとそんなことを考えて店を出た。

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上海201X-013

2022-03-03 | 上海201X



 2010年代 上海の街角

 いつも番禺路にいた犬。

 「パンチ犬」と呼んでいた。

 目の周りが殴られたように黒いでしょ。
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