昨年から今年の年初にかけてTVドラマの「探偵物語」が再放送されていた。
ポリコレ、コンプラのご時世、地上波ではもはや絶対無理な内容だ。
次回予告のナレーションも松田優作が担当しており、初回放送当時からこの予告ナレのいい加減さが注目を浴びていた。
あらためて今、その予告を観ていると「計算されてるな」とは思うのだが。
さて、その予告編ナレーションで。
「花園神社のウイウイで朝まで乱痴気騒ぎ・・・・・・」というようなクダリがあった。
再放送のたびちょくちょく観ていたのだが、今回初めて気がついた。
「ああ、やっぱりあの『ウイウイ』なんだ」
ちょっとした感慨がわいた。
以前にこのブログで「週に7日新宿にいるような生活をしていた」と書いたことがある。
そのころ。
住所で書けば 新宿5丁目-17-6
昔の名でいうと三光町の狭いマンションの地下にその店はあった。
最初は・・・・・・たぶんそのころレギュラーで出ていたライブハウスの社長に連れていってもらったんだと思う。
「この店はさ、芝居や映画関係者が集まる店で、ジュリーや松田優作や原田芳雄も来るんだよ」
たしかに唐十郎の紅テントは花園神社で公演してたし、まんざらウソでもなさそうだった。
その後はバンドのメンバーとリハのあと、ライブのあと、たまに飲みにいった。
上に書いたようなスターに出くわした記憶はない。
でも店内には「70年代のアングラ」的な、「ATG映画的」な、そんな空気が流れていた。
まだまだヒヨっ子の私の目には「大先輩たちの店」に映った。
そのうち、よく一緒に出演していたバンドのボーカルがその店でアルバイトを始めた。
そしてそれと同時期に私が所属していたバンドに新任のギタリストが加入した。
彼、F君は北陸の出身で高校を出て東京の音楽専門学校に入学したばかりの、当時の私とどっこいどっこいのヒヨっ子ちゃんだった。
メタルフレームのメガネをかけ、野暮ったいワークシャツを着ている純朴な青年・・・・・・に見えた、最初は。
かなりの名門専門学校に通うだけあってギターの腕はマアマア、ライブで即戦力になるくらいではあった。
そのF君が加入した最初のライブの打上げで「ウイウイ」に行ったのだ。
「ここにはいろんな俳優や芸能人が来るらしいよ・・・・・・」
「はあ、さすが東京はすごいですねえ」
まあ、たぶんそんな会話がなされたのだと思う。
おぼえてないけど。
そしてそれから1週間後くらいかな。
渋谷の新設のライブハウスに打合せに行った。
詳しい事情は失念したが、そのときなぜかウイウイでバイトしていた友達バンドのボーカルも同行していた。
うちのバンドからはリーダーと機材関係を担当していた私が参加した。
その帰りかな、渋谷のケニアンっていう喫茶店で3人で一服することになった。
「この前店にさ、なんってったってけ、新しいギターのコ、来たよ」
「ああ、F君」
「うん。そしたらさ、なんか女の子連れてて、『僕はここの常連で~』とか吹きまくってたよ」
「エ?F君が?」
リーダーと私は、顔を見合わせたあと、大笑いしてしまった。
「パリっとジャケット着て、がんばってたなあ彼」
こんどは3人で大笑い。
大笑いしながら、「ああこういう自分を大きく見せようとするヒトっているよな。でもわかりやすすぎるぜF君」と私は内心あきれていた。
その後「虚言癖」とまではいかないが、「専門学校で自分がどれだけ評価されているか」とか「アルバイト先の居酒屋でタチの悪い客を撃退した武勇伝」とか、まあ話半分どころが「10分の1」くらいに聞いといたほうがいい話をペラペラとするF君を興味深く観察したものだった。
悪いヒトじゃないんだけど。
「しったかぶり」や「ホラ」がバレたときに「いたたまれなく」ならないんだろうか、F君は?
私はたいへん不思議に思っていた。
そんな彼の性格もわざわいしてか、あまり他のメンバーもF君とは親しくならず、半年くらいして「スタジオミュージシャンになる」と言ってバンドを脱退していった。
引止めてもらいたかったのかもしれないが、誰も引止めなかった。
そりゃそうか。
その後、彼が一流のミュージシャンになったという話は寡聞にして聞かない。
まったく「ウイウイ」というお店自体のエピソードではないのだが、そんなことを思出したので書いてみた。
店名の「ウイウイ」はフランス語の”Oui Oui”の意で「唯唯」という漢字を当てていたと思う。
“Oui! Oui!”とエクスクラメーションがついていたかもしれない。
そのような有名人ゆかりの店なのだから、もっとネット上に記録が残っていていいと思うのだが、どんな検索エンジンで調べてみてもたいした情報は得られなかった。
もっとも最近は、(特にGoogleがヒドいのだが)検索エンジンにカネを払っているサイト、検索されやすくしてあるサイトだけしか表示しなくなっていて、本当に知りたい情報になどたどりつけない。
15年くらい前はまだいろいろネットで昔の細かいエピソードが調べられたものだけど。
どんどんネットの価値がなくなっていく。
この投稿もたぶん検索エンジンにはひっかからず、沼の底のほうに沈んでしまうのだろうが。
わずかなネット情報だと2000年代の半ばまで店はあったらしい。
そんな名店が花園神社の脇にあったことを記しておく。

ポリコレ、コンプラのご時世、地上波ではもはや絶対無理な内容だ。
次回予告のナレーションも松田優作が担当しており、初回放送当時からこの予告ナレのいい加減さが注目を浴びていた。
あらためて今、その予告を観ていると「計算されてるな」とは思うのだが。
さて、その予告編ナレーションで。
「花園神社のウイウイで朝まで乱痴気騒ぎ・・・・・・」というようなクダリがあった。
再放送のたびちょくちょく観ていたのだが、今回初めて気がついた。
「ああ、やっぱりあの『ウイウイ』なんだ」
ちょっとした感慨がわいた。
以前にこのブログで「週に7日新宿にいるような生活をしていた」と書いたことがある。
そのころ。
住所で書けば 新宿5丁目-17-6
昔の名でいうと三光町の狭いマンションの地下にその店はあった。
最初は・・・・・・たぶんそのころレギュラーで出ていたライブハウスの社長に連れていってもらったんだと思う。
「この店はさ、芝居や映画関係者が集まる店で、ジュリーや松田優作や原田芳雄も来るんだよ」
たしかに唐十郎の紅テントは花園神社で公演してたし、まんざらウソでもなさそうだった。
その後はバンドのメンバーとリハのあと、ライブのあと、たまに飲みにいった。
上に書いたようなスターに出くわした記憶はない。
でも店内には「70年代のアングラ」的な、「ATG映画的」な、そんな空気が流れていた。
まだまだヒヨっ子の私の目には「大先輩たちの店」に映った。
そのうち、よく一緒に出演していたバンドのボーカルがその店でアルバイトを始めた。
そしてそれと同時期に私が所属していたバンドに新任のギタリストが加入した。
彼、F君は北陸の出身で高校を出て東京の音楽専門学校に入学したばかりの、当時の私とどっこいどっこいのヒヨっ子ちゃんだった。
メタルフレームのメガネをかけ、野暮ったいワークシャツを着ている純朴な青年・・・・・・に見えた、最初は。
かなりの名門専門学校に通うだけあってギターの腕はマアマア、ライブで即戦力になるくらいではあった。
そのF君が加入した最初のライブの打上げで「ウイウイ」に行ったのだ。
「ここにはいろんな俳優や芸能人が来るらしいよ・・・・・・」
「はあ、さすが東京はすごいですねえ」
まあ、たぶんそんな会話がなされたのだと思う。
おぼえてないけど。
そしてそれから1週間後くらいかな。
渋谷の新設のライブハウスに打合せに行った。
詳しい事情は失念したが、そのときなぜかウイウイでバイトしていた友達バンドのボーカルも同行していた。
うちのバンドからはリーダーと機材関係を担当していた私が参加した。
その帰りかな、渋谷のケニアンっていう喫茶店で3人で一服することになった。
「この前店にさ、なんってったってけ、新しいギターのコ、来たよ」
「ああ、F君」
「うん。そしたらさ、なんか女の子連れてて、『僕はここの常連で~』とか吹きまくってたよ」
「エ?F君が?」
リーダーと私は、顔を見合わせたあと、大笑いしてしまった。
「パリっとジャケット着て、がんばってたなあ彼」
こんどは3人で大笑い。
大笑いしながら、「ああこういう自分を大きく見せようとするヒトっているよな。でもわかりやすすぎるぜF君」と私は内心あきれていた。
その後「虚言癖」とまではいかないが、「専門学校で自分がどれだけ評価されているか」とか「アルバイト先の居酒屋でタチの悪い客を撃退した武勇伝」とか、まあ話半分どころが「10分の1」くらいに聞いといたほうがいい話をペラペラとするF君を興味深く観察したものだった。
悪いヒトじゃないんだけど。
「しったかぶり」や「ホラ」がバレたときに「いたたまれなく」ならないんだろうか、F君は?
私はたいへん不思議に思っていた。
そんな彼の性格もわざわいしてか、あまり他のメンバーもF君とは親しくならず、半年くらいして「スタジオミュージシャンになる」と言ってバンドを脱退していった。
引止めてもらいたかったのかもしれないが、誰も引止めなかった。
そりゃそうか。
その後、彼が一流のミュージシャンになったという話は寡聞にして聞かない。
まったく「ウイウイ」というお店自体のエピソードではないのだが、そんなことを思出したので書いてみた。
店名の「ウイウイ」はフランス語の”Oui Oui”の意で「唯唯」という漢字を当てていたと思う。
“Oui! Oui!”とエクスクラメーションがついていたかもしれない。
そのような有名人ゆかりの店なのだから、もっとネット上に記録が残っていていいと思うのだが、どんな検索エンジンで調べてみてもたいした情報は得られなかった。
もっとも最近は、(特にGoogleがヒドいのだが)検索エンジンにカネを払っているサイト、検索されやすくしてあるサイトだけしか表示しなくなっていて、本当に知りたい情報になどたどりつけない。
15年くらい前はまだいろいろネットで昔の細かいエピソードが調べられたものだけど。
どんどんネットの価値がなくなっていく。
この投稿もたぶん検索エンジンにはひっかからず、沼の底のほうに沈んでしまうのだろうが。
わずかなネット情報だと2000年代の半ばまで店はあったらしい。
そんな名店が花園神社の脇にあったことを記しておく。
