goo blog サービス終了のお知らせ 

在沪日記

流れゆく人生を残すブログ マウイ オアフ 上海 シンガポール そして日本

新宿 花園神社 「唯唯」「ウイウイ」”Oui Oui”

2024-08-16 | 諸国つれづれ
 昨年から今年の年初にかけてTVドラマの「探偵物語」が再放送されていた。

 ポリコレ、コンプラのご時世、地上波ではもはや絶対無理な内容だ。

 次回予告のナレーションも松田優作が担当しており、初回放送当時からこの予告ナレのいい加減さが注目を浴びていた。

 あらためて今、その予告を観ていると「計算されてるな」とは思うのだが。

 
 さて、その予告編ナレーションで。

「花園神社のウイウイで朝まで乱痴気騒ぎ・・・・・・」というようなクダリがあった。

 再放送のたびちょくちょく観ていたのだが、今回初めて気がついた。

「ああ、やっぱりあの『ウイウイ』なんだ」

 ちょっとした感慨がわいた。


 以前にこのブログで「週に7日新宿にいるような生活をしていた」と書いたことがある。

 そのころ。

 住所で書けば 新宿5丁目-17-6

 昔の名でいうと三光町の狭いマンションの地下にその店はあった。


 最初は・・・・・・たぶんそのころレギュラーで出ていたライブハウスの社長に連れていってもらったんだと思う。

「この店はさ、芝居や映画関係者が集まる店で、ジュリーや松田優作や原田芳雄も来るんだよ」

 たしかに唐十郎の紅テントは花園神社で公演してたし、まんざらウソでもなさそうだった。


 その後はバンドのメンバーとリハのあと、ライブのあと、たまに飲みにいった。

 上に書いたようなスターに出くわした記憶はない。

 でも店内には「70年代のアングラ」的な、「ATG映画的」な、そんな空気が流れていた。

 まだまだヒヨっ子の私の目には「大先輩たちの店」に映った。


 そのうち、よく一緒に出演していたバンドのボーカルがその店でアルバイトを始めた。


 そしてそれと同時期に私が所属していたバンドに新任のギタリストが加入した。

 彼、F君は北陸の出身で高校を出て東京の音楽専門学校に入学したばかりの、当時の私とどっこいどっこいのヒヨっ子ちゃんだった。

 メタルフレームのメガネをかけ、野暮ったいワークシャツを着ている純朴な青年・・・・・・に見えた、最初は。

 かなりの名門専門学校に通うだけあってギターの腕はマアマア、ライブで即戦力になるくらいではあった。

 
 そのF君が加入した最初のライブの打上げで「ウイウイ」に行ったのだ。

「ここにはいろんな俳優や芸能人が来るらしいよ・・・・・・」

「はあ、さすが東京はすごいですねえ」

 まあ、たぶんそんな会話がなされたのだと思う。

 おぼえてないけど。


 そしてそれから1週間後くらいかな。

 渋谷の新設のライブハウスに打合せに行った。

 詳しい事情は失念したが、そのときなぜかウイウイでバイトしていた友達バンドのボーカルも同行していた。

 うちのバンドからはリーダーと機材関係を担当していた私が参加した。

 その帰りかな、渋谷のケニアンっていう喫茶店で3人で一服することになった。

 
「この前店にさ、なんってったってけ、新しいギターのコ、来たよ」

「ああ、F君」

「うん。そしたらさ、なんか女の子連れてて、『僕はここの常連で~』とか吹きまくってたよ」

「エ?F君が?」

 リーダーと私は、顔を見合わせたあと、大笑いしてしまった。

「パリっとジャケット着て、がんばってたなあ彼」

 こんどは3人で大笑い。

 大笑いしながら、「ああこういう自分を大きく見せようとするヒトっているよな。でもわかりやすすぎるぜF君」と私は内心あきれていた。

 その後「虚言癖」とまではいかないが、「専門学校で自分がどれだけ評価されているか」とか「アルバイト先の居酒屋でタチの悪い客を撃退した武勇伝」とか、まあ話半分どころが「10分の1」くらいに聞いといたほうがいい話をペラペラとするF君を興味深く観察したものだった。

 悪いヒトじゃないんだけど。

「しったかぶり」や「ホラ」がバレたときに「いたたまれなく」ならないんだろうか、F君は?

 私はたいへん不思議に思っていた。

 
 そんな彼の性格もわざわいしてか、あまり他のメンバーもF君とは親しくならず、半年くらいして「スタジオミュージシャンになる」と言ってバンドを脱退していった。

 引止めてもらいたかったのかもしれないが、誰も引止めなかった。

 そりゃそうか。

 その後、彼が一流のミュージシャンになったという話は寡聞にして聞かない。


 まったく「ウイウイ」というお店自体のエピソードではないのだが、そんなことを思出したので書いてみた。


 店名の「ウイウイ」はフランス語の”Oui Oui”の意で「唯唯」という漢字を当てていたと思う。

 “Oui! Oui!”とエクスクラメーションがついていたかもしれない。

 そのような有名人ゆかりの店なのだから、もっとネット上に記録が残っていていいと思うのだが、どんな検索エンジンで調べてみてもたいした情報は得られなかった。

 もっとも最近は、(特にGoogleがヒドいのだが)検索エンジンにカネを払っているサイト、検索されやすくしてあるサイトだけしか表示しなくなっていて、本当に知りたい情報になどたどりつけない。

 15年くらい前はまだいろいろネットで昔の細かいエピソードが調べられたものだけど。

 どんどんネットの価値がなくなっていく。

 この投稿もたぶん検索エンジンにはひっかからず、沼の底のほうに沈んでしまうのだろうが。

 わずかなネット情報だと2000年代の半ばまで店はあったらしい。

 そんな名店が花園神社の脇にあったことを記しておく。



テキサスロックンロールスシ&バー

2023-04-19 | 諸国つれづれ
「テキサスロックンロールスシ&バー」

これを単語に分けて、それぞれの単語から思い浮かぶものを想像してみてほしい。

「テキサス」

「ロックンロール」

「スシ」

「バー」

 そして全てをつなげて音読してほしい。

 「テキサスロックンロールスシ&バー」

 この組み合わせは絶対に「ワザと」だ。

 そしてこの店名を思いついた奴は限りない天才だ。

 そうとしか思えない。

 僕はこのシュールな混沌のとりこだ。


 ハワイの情報雑誌で他のレストランと同列に紹介されていて、もうそれが悪い冗談としか思えなかった。

 アメリカン料理「チャックス ステーク ハウス」うん、うんチャックさんがやってんのね。

 イタリアン料理「アランチーノ」そうだよね。ボンジョルノ。

 日本料理「弁慶」うんうん。まあ高級和食だとやや「?」はつくけど居酒屋だったら「弁慶」はありだよね。

 アメリカン料理「テキサスロックンロールスシ&バー」・・・・・・オーイエーロックンロール!アイウォントスシ!レッツ・ゴー・クレイジー!

 悪い冗談でしょ?

 行きましたよ、もちろん。

 ワイキキハイアットの一階か地下だったと思う。


 
 ベースボールキャップをかぶった白人のお兄さんが寿司を握ってくれる。

 僕らはローリングストーンズのライヴ映像と、NFLの録画映像を交互に鑑賞しながらクアーズで「スパイダー・ロール」や「ザ・キャタピラー」なる巻き寿司を堪能した。

 さんざん「ウソ寿司」を食べ終えてお姉さんに「チェック、プリーズ」したら、派手なラメいりTシャツのウエイトパーソン女性は、

 「あなたがたまだ『ディナー』を食べてないじゃない。ステーキかBBQはどう?」とのたまわれた。

 いや、もう腹いっぱいですから。

 これはもう今から20年以上前のお話。



 いまでこそ日本で「カリフォルニア・ロール」やら「レインボー・ロール」やらを食べられるようになった。

 ただ2000年代初頭にはまだそういう寿司が日本では食べられなかった。

 だからハワイに行ったらかならず一回は「ウソ寿司」を楽しんだ。



 もう世界のいろいろな街にウソ寿司屋はあるし、ウソ寿司屋のレベルが上がってしまって「なんじゃこりゃ」っていうブッ飛んだお店はない。



 

 

セイドロウのサーモンフライ定食

2022-09-05 | 諸国つれづれ
 ニュー・メキシコ州中央の荒涼とした乾燥地帯、正確に東西に伸びたUSハ
イウェイがこの人口1168人の街を貫いている。

 スペイン語で「杉の木」を表す言葉が街の名の由来だ。

 だが街のまわりに「杉の木」は一本も見られない。

 土漠と岩と少々のセージブラッシュの低木がただただひろがっているだけだ。


 ステイトハイウェイとUSハイウェイの交差点、唯一の信号機のある交差
点が街の中心地になる。

 こういう街におきまりのガス・ステーションが交差点の南東の隅にある。

 通り過ぎようとすると、街唯一の信号機が必ず赤なのはなぜだろうか。

 いつも停められてしまう。

 4ブロックから5ブロック通り過ぎれば街を完全に通過できる。

 信号機の交差点から USハイウェイを西に進み、3つ目の交差点を南に折れる。

 そこから1ブロック進んだ左手、道路から60フィートほど奥に入ったところに
そのカフェは北向きに建っている。



 波打った白いトタンでおおわれた片流れの屋根がそのままひさしとなって店の
前面に張り出し、大きな日陰を作っている。

 コンクリートで舗装されたテラスに当たる部分にはふた組のテーブルと椅子が
出されているが、あまり使われることははない。

 深いビリジアンに塗られた木製の壁。

 窓と入口はエビ茶色の木製の木枠で縁取られている。

 建物に正対して中央からやや右寄りにある入口。

 白くペイントされた木製のドアには、5インチ四方の4つのガラス窓が埋め込まれ
ている。

 ドアの左の窓から白地に紺の文字で「OPEN」という切り文字が貼られたプラス
チックボードのサインがのぞいている。



 入り口のドアを開けると真鍮でできたドア・チャイムが乾いた音をたてる。

 入ってすぐホール。
 
 フロアには明るいグレイの樹脂製タイルが敷かれている。

 壁材は8インチ幅のスプルース。

 正方形の深茶色い木製天板にスチールの脚のついたテーブルが5つ。

 天板上にはメニューとソルト、ペパー、ケチャップ、マスタード、ホットソース、それに
キッコーマン醤油の瓶が置かれている。

 その周りにはクロームの枠に黒のビニール・クッションが張られたチェアーを配してある。


 入り口から見て左手に低めのカウンターがある。

 木製の天板のふちにアルミニウムのバインディングがほどこされている。

 カウンターにはクロームメッキスチールの頑強な一本脚スツールが5人分、等間隔に並んで
いる。

 スツール上の円形クッションはホールのチェアーと同じ黒いビニール張りだ。



 スツールに腰をおろしながら、左手奥の厨房に「「こんちは」と日本語で声をかける。

 「はーい、いらっしゃい、ちょっと待って」

 日本語のあいさつに反応した日本語の返事。

 女主人が現れる。

 背の高さは5フィートくらいじゃないだろうか。

 初めてこの店に来たときには、こんな小さなニュー・メキシコ州の街で、こんな小柄な日本
人女性が食堂を経営しているなんて驚いた。

 おそらく街で唯一の日本人。

 しかも彼女は「日系人」ではなく、日本で生まれ成人するまで日本で育った「日本人」なの
である。

 ハワイのサトウキビ労働者が着ていたという赤と白のボックスチェックの「パラカ」と呼ばれ
るシャツに何度も洗われた色合いの細身のワークジーンズ。

 足元はタンのワーキングメンズ・ブーツ。

 オフ・ホワイトのコットンのエプロン。

「あーひさしぶり。何か食べる?鮭フライできるよ」

 黒地に白くアルファベットの「O」が縫い取られたベースボール・キャップを被っている。

 キャップは彼女のトレード・マークだ。

「今日のキャップは大阪に住んでる友達からもらったやつ。日本のプロ野球チームの復刻版?
っていうの、昔のデザインらしいよ。あたし全然野球わからないからなんていうチームのか
知らないでかぶってるの」

 大きなピッチャーに入ったアイスド・ティーをプラスティック製の透明なタンブラーに注い
でくれながら、彼女はキャップについて説明してくれる。

 「キャップはディッシュに髪の毛が入らないように、と思ってね。最初はバンダナ巻いてた
んだけど、キャップの方がサッと脱げて便利だし」

「毎日キャップかぶってたら、そのうちお客さんがキャップをプレゼントだよってくれるように
なって。家に50個くらいあるかな。いちばんいいのは地元のリトルリーグのキャップ。あたしチビっ
コだからキッズ用がピッタリなのよ」

 笑いながらそう言って厨房のフライヤーに戻っていく。

 調理場からは”真性な日本のフライ”の匂いが漂ってくる。

 アイスド・ティーは氷なしだが、よく冷えていておいしい。

「お味噌汁いる?」

 しばらくするとボウルに入ったライスとつけあわせのマカロニサラダを出してくれる。

「最初、日本の定食みたいなものを出そうって思ったときにさ、どうしても『日本のパン粉』っ
てやつがこのあたりでは見つからなくてね。しょうがないから、食パン買ってきて自作したんだ
けど。ほら、いまはね『トンカツ』とかアメリカでもポピュラーになってきたから、通販で手に
入るんだよ。やっぱり自作のパン粉よりおいしくできるんだ、売ってるやつのほうが。くやしい
けど」

 調理場とカウンターを往復しながら話しつづける。

 調理場に入ると声が大きくなる。

 カウンター奥の壁にはソーダポップの商品名が入った大きな鏡がはめこまれている。
 
 スナップ写真やメモ書き、ポストカードなどが何枚も鏡の縁にさしてある。

 鏡のとなりには新聞を半分に折ったくらいのサイズの風景写真。

 砂浜から30mほど沖にふたつの円錐状の岩があり、それらはしめ縄でむすばれている。

 荒々しい白い波が岩に当たって砕けている。

 空は白っぽく曇っている。

 手前の砂浜には白い鳥居が見える。

「これは私の生まれた街にある観光名所。街って言ってもただの田舎だけどね。『君の
ホームタウンはどんなところなんだ』と聞かれたら、これがホームタウンの写真だよって
答える。海があって山があってイイとこだけど、一生をそこで過ごせって言われたらちょ
っとキツいかな」

 サーモンフライをサーブしながら写真の説明をしてくれる。

「ほい、ブルドッグ・ソース。そんなところから出てきて、いろんなところグルグルして、
こんなとこで、こんな食堂やるとは、思ってもなかったなぁ」

 料理を出し終えて彼女は故郷の写真を眺めながら、にっこりと微笑んだ。

「でもねそのほうがおもしろいよね。どうなるかわからないほうが。映画でもテレビのドラ
マでも『予定調和』っていうの?こうなるんだろうなぁってわかっちゃうやつは全然おもしろ
いと思わなかった。くだらない。こんなのウソだって。子供の頃からそう思ってたな」

「うん。大切なことは自分ではわからないから、毎日生きてけるんだよ。あ、なんかあたしか
っこいいこと言っちゃった?」

 照れ笑いしてから、ふと彼女は真顔になった。

 店の裏ではトヨタのピックアップ・トラックがニュー・メキシコの強烈な日差しを浴びている。

 彼女の車。

 ホワイトのボディは土埃でなかばベージュに見えるくらい汚れている。

 ジリジリと陽の光にあぶられながらトラックは停まっている。



怒る老婆

2022-08-04 | 諸国つれづれ
 ニコやかな表情の老婆が、豹変した。
 
 母と僕が日本人の親子だとわかると、

「日本仔は香港から出て行け」と老婆は怒鳴った。

 そのときはわからなかったが、僕の心はえぐられたのだと思う。

 僕は香港が好きだった。

 香港の人も好きだった。

 だから悲しかった。

 そして、とても怖かった。

 ニコニコと笑っている香港の人たちも、僕が日本人だと知ったら怒り出すのかもしれない、
罵声を浴びせてくるのかもしれない。

 そう思うととても恐ろしかった。

 そのとき僕は8歳だった。

 そして自分は「○○人は・・・・・・」などと決して言わない人になるんだ、と心に刻んだ。


 

50年vs3億年

2022-05-10 | 諸国つれづれ


 砂岩だけでできた広大な乾燥地帯。

 ホテルのプールにその岩はある。

 このプール自体が、この巨大な岩をながめるために作られたのだという。

 3億年の風化を経て岩は今の形になったのだ。

 プールサイドのカウチで上体をおこして岩とむきあう。

 「3億年、3億年」とこころの中で念じながら岩を見つめる。

 マクエルモ・ヴァレーでできたシャルドネをゆっくり、ゆっくり飲みながら「3億年、3億年」と唱えてみる。

 このワインは5年前にとれたブドウからつくられたという。

 「5年」対「3億年」・・・・・・

  私が生まれて50年

 「50年」対「3億年」・・・・・・

  心のなかで唱えながら岩を見る。

  風が吹いている。

  この風がこの岩を作ったのか。

  「3億年、3億年」

  また風が吹いてプールの水面にウロコのようなさざ波を立てる

  「3億年、3億年」

  5年のワインが50年の脳に入り、私はユラユラしながら3億年と対峙している。


 

小石川年末年始

2022-02-13 | 諸国つれづれ
小石川の歳末から新年の雰囲気が好きだった。

25日すぎからだんだん人の数が少なくなって、静かになっていく。

31日には小石川藪で昼間に年越しそばを食べちゃう。

もちろん御酒もいただく。

店の前で持ち帰りの蕎麦とエビ天を売ってて。

普段は店にはいない高校生くらいの娘さんが手伝いで店に出ていて。

手伝いの娘さん、「『山かけ』って何?」っておかみさんにたずねたりして。

 おかみさんから「あんた蕎麦屋の娘なのに『山かけ』知らないの?」なんて言われてたり
して。

 ういういしいなあ。

 かわいらしいったらありゃしない。

 こんにゃくえんまの除夜の鐘。

 昔は11時すぎにお寺に行って、10人くらい順番を待てばあっさり鐘をつくことができたのに。

 世の中不景気がつづいたせいか、年を追うごとに鐘をつきたいという人の数が増え、整理券が配ら
れるようになっちゃった。

 もう7時ごろから門の外の千川通りまで人がならんじゃって。

 フラっと行って鐘をつくことができなくなってからは、面白くなくなった。

 まあお寺にとっては賽銭も集まるだろうし、いいことなんだろう。

 それでも年越しの瞬間に境内にいることが多かった。

 初詣の列には並ばずに、新年になったら、振る舞い酒が出るので頂戴して。

 すでに家で相当できあがってる、ただの酔っ払いなんだけど。

 3日の昼にでも初詣に行けばそれでよかった。

 街に人が戻ってくるのは5日の金杯をウインズで買うころ。

 そうやって毎年、小石川の僕の正月は終わるのだった。



風とビンタン

2022-01-02 | 諸国つれづれ
 山の中腹にあるホテル。

 テラスでビンタンを飲んでいる。

 ジャワ島南東部。



 目の前には見事な竹林が広がっている。

 そして風が吹く。

 竹林を風が通っていく。

 枝が何十メートルにもわたって東側から西側へと波打っていく。

 細い枝と枝がこすれあう乾いた音。

 風は竹林を過ぎて、サツマイモ畑を過ぎて、濁った川を超えて麓の村まで降りていく。



 風に逆らってラウドスピーカーで流されるコーランが麓の村から聞こえてくる。

 コーランは大きくなったり、小さくなったり。


 音も風の強弱によって波打っている。

 村のモスクに集まった人々は戒律にしたがってビールなんぞ飲まないのだろうな。

 それともビンタンくらいこっそり飲むやつもいるのだろうか

 観光客の僕は赤い星の描かれた薄いビールを飲む。



 また風が渡ってくる。

 竹の葉擦の音も大きくなったり、小さくなったり。

 山の中腹にあるホテル。

 テラスでビンタンを飲んでいる。