白黒一家

ネコ暮らし

私も知らなければいけない

2007-04-05 21:17:54 | 戦国浪漫
上杉謙信の家訓
家訓は16条

 「心に物なき時は心広く体泰なり」
 「心に我が侭なき時は愛敬失わず」
 「心に欲なき時は義理を行う」
 「心に私なき時は疑うことなし」
 「心に驕りなき時は人を教う」
 「心に誤りなき時は人を畏れず」
 「心に邪見なき時は人を育つる」
 「心に貪りなき時は人に諂うことなし」
 「心に怒りなき時は言葉和らかなり」
 「心に堪忍ある時は事を調う」
 「心に曇りなき時は心静かなり」
 「心に勇ある時は悔やむことなし」
 「心賤しからざる時は願好まず」
 「心に孝行ある時は忠節厚し」
 「心に自慢なき時は人の善を知り」
 「心に迷いなき時は人を咎めず」 

新釈 眞田十勇士

2007-03-15 21:54:26 | 戦国浪漫
歴史熱は未だに冷めず・・・
関が原の戦いの文献は読み漁り・・・
色々調べて映像を見たりしているのですが
いかに史実に忠実に描かれているのかというのが
私の高評価をつけるポイントとなる。

関が原だけでは関が原とは言えずその前後の
やり取りなどは何度見ていても腹が立ったりで
何度見ても覚えきれない名前やら色々だ。

さて、今日のタイトルにあるこの映像・・・
アニメなのだがコレがすばらしく良い。
真田一族がやっぱりいい。
真の戦国は真田にあるよ。
このアニメ何が優れているのかというと
ものすごく詳しく描かれてあるのだ。
色んなところから調べ上げてきたエピソードが1つの
アニメの中に全て入っている。
とても詳しいアニメだ。
見ていて飽きないし面白い。
現在まだビデオ化(DVD化)されているのは半分だが
この後、大阪夏の陣(戦国時代最後の戦い)までが
楽しみで仕方がない。

またアニメのオープニングの曲が三味線でかっこいい!
機会があれば是非にごらん下さい。

http://www.sanada10.com/index.htm

九州男児を作った男ーちぇすとーー

2007-02-23 21:26:48 | 戦国浪漫
チェストーの掛け声と共に生きた男。
島津義弘これこそこの人こそが戦国浪漫である。

この人の武勇伝は数限りなく・・・生涯1度も負けていない人である。
みんなが知ってる関が原では西軍についている。
この時、西軍が負けそうになりみんな逃げていく中、
島津義弘が言ったこの言葉が熱い。
「これからが本番だ」
その言葉どおり、前退と呼ばれる方法で的中を突破している。
関が原に参戦するにあたって、島津家は中立を宣言していたので
どちらかにつくのは許される事にあらず。(島津家の中で)
それをわかっていて、義弘は西軍についた。
これは、義のためであり、彼は義の人であるからだ。
たった15人足らずで参戦しようと決めていたが、彼の人柄や
彼への生き方に共感を得るものも多く1000人近い人間が
彼と一緒に死に場所を探していたのである。
武士たるものこうある如く・・・

そんな中、西軍の大敗・・・
島津義弘の「これからが本番だ」という言葉の通り・・・
前に向かって退却するという凄まじい攻撃が生まれる。
コレについてはこれとかこれとか
これなんてわかりやすい。

是非一度読んでいただきたい。
主君の為に壮絶に散っていった人間の姿をみてもらいたい。

私には関が原の捨てがまりよりも感動したエピソードがある。
それは、関が原前夜にさかのぼる。
関が原の前夜は、前夜祭の宴が催される。
その際に、どの武将も綺麗な着物で登場し明日の前祝をするのだ。
各武将、何千もの兵と共に参加するのだが
島津義弘は、この宴にたった15人で参加している。
前にも触れたが、中立の立場を取る島津家は関が原に行くのは
ご法度で在り、島津義弘ももちろんお金は出ていなかったのだ。
お金もない島津義弘は歩いて鹿児島から関が原まで辿り着いた事になる。
そして貧乏ゆえに着物もなく、宿もなかったらしい。
そして鎧兜でこの宴に参加している。
それを各武将達がこぞって馬鹿にして笑いものにされていたそうだ。
しかし、島津義弘はその間も胸を張って頭を下げず前を向いていたそうだ。
島津義弘は武士で在り、宴をするためにきているのではないし
馬鹿にされても自分の信念の限り、
そんな事を恥ずかしい事だとも思わなかったのだ。
笑いものにする中、たった一人だけ島津義弘に頭を下げて礼を尽くした男が居る。
その名を、石田治部少輔三成(いしだじぶしょうゆうみつなり)
そう彼である。
彼は、両手で握手し島津殿がいてくれるだけで何千倍の
味方をつけているようですとお礼を言い島津義弘の為、宿の用意をしている。
一説には、島津義弘石田光成は仲が悪かったとあるが
決してそんな事はなかったであろうと私は思う。

島津義弘は義の為に参戦し、決して笑われても関係なかったのだ。
自分に誇りを持ち、前を向いている姿は感動の嵐である。
そう、それに次の日には鹿児島から実費で義弘を追って
千人もの人間が到着する事にもなるのだから。

九州男児を作ったのは間違いなく、この島津義弘である。
この男とは、武士とはこうあるべきと
見事自分の姿で表現している。
チェストー
という叫び声は高揚したときに発する掛け声。
この言葉を大切にしていきたい。

わかりやすい動画を発見した。
コレをみて熱く叫んで欲しい
チェストーーーーーーー
http://www.youtube.com/watch?v=fZq9GJv5x3Q

「泣かぬなら 泣かせてみせよう ほととぎす」

2007-02-17 22:01:09 | 戦国浪漫
戦国歴史オタクを続けている私は調べていくうち、
様々な心の変化をたどっている。
日本人は、下克上が好きだ。
農民から武士になり天下を取った秀吉を明治から昭和の戦前にかけては、
民衆の手本にしようという試みもあり、好意的に捉えられることが多かった。
秀吉で観る夢をみんな追いかけていた。
私はそんな秀吉が余り好きではなかった。
それは、結局は何もしていないんじゃないかと思っていたからだ。
ツワモノのいた時代に天下を取ったわけじゃない
気がつけばそこに天下があった
そんな間抜けなところがどうしても好きになれなかった。

しかし、このところの歴史おたくぶりでわかった事がいくつもあった。
私が気に入る武将は事如く、関が原で西軍についている。
そう・・・石田治部少輔三成(いしだじぶしょうゆうみつなり)を筆頭に
直江真田幸村も。
つまり、男はみんな西軍にいたのだ。

そんな男達に愛された秀吉は、
そんな男達が放っておけなかった秀吉とは
やはりとても魅力ある人物だったに違いないと思い始めた。

自分が今、どんな人間になりたいかと問われたら、
言わずと知れたこの名文句が全てを語る
「泣かぬなら 泣かせてみせよう ほととぎす」
大将とはすぐには倒れてはいけないものだ。
自分の為に死んでいった者を思えば
また自分が死ねば、殺されるであろう者を思えば
そういう面で、彼は一番長く天下の頂点にいた。
謙信も、信玄も、天下は取れなかった。だけど殺されはしなかった。
病死だ。
家康は、関が原で本当は死んでいた説があるが
生きていても天下を取って数年で倒れている。
信長は、知っての通りだ。
この中で、秀吉が一番長く天下をみていた。

多くの人物に慕われ、そして強かった。
そんな事を知った最近は秀吉が少しずつ好きになっている。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
辞世の句は夢のようだったと記した。
私が死ぬ時、この人生が夢のように儚く散ったといえるだろうか。
むなしい。悲しいと嘆いたこの唄のように
懐かしむような人生を送れるだろうか。
それより夢のまた夢はどれだけ続ければいいものになるのだろう。
泣かないなら、泣かせて見せる位の強さが欲しい。

BGM the police「Every Breath take you 」

教科書に載っていない歴史的人物

2007-02-10 21:37:47 | 戦国浪漫
上杉鷹山という人物を知っているか?

知らない人も多いだろう。
じゃぁ上杉謙信は?
コレは知っている人もかなり居ると思う。

上杉鷹山は上杉家の第9代藩主である。
上杉謙信は、戦国時代、軍神と呼ばれるほどの天才だった。
そんな上杉家も謙信亡き後衰退していくのだが
上杉家の凄いところは、とても熱い心があるというところだ。
コレはもう歴史に詳しい人に聞けば、わかる事だが
謙信亡き後、上杉家はどんどんと領地を狭まれていく。
そうした時に、普通は武士をリストラして
浪人にしてしまうのだが、上杉家だけはいくら貧乏になろうとも
リストラだけはしなかった。
土地は減らされても、人だけは減らなかった。
浪人にはさせたくなかったんだね。
そしてダレも辞めなかった。
上杉家って誉れ高き家柄。
そんな上杉家の第9代藩主が上杉鷹山なのです。

この人、貧乏でどうしようもなかった時に
農民も武士も隔たりなく学問を広め、生きる糧を教えた人。
再建が極めて困難だった米沢藩を見事に
復活させた名君主。
詳しくはこちら
この人の
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
という歌がとてもいい。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」
この上の句だけで紹介される事も多いが
私が好きなのはこの後の歌を入れたもの。
やってみなきゃわからない それが成功しない人は 努力が足りないからだ
というような意味。
コレが凄い。
やるからには強い意志
それが報われないのは 自分が怠けているからだ
何事もこんな風に思って望めばいいんだなーって思った。

コレがどうして歴史の教科書に載らないのだろう。
同じ日の本の国に産まれていてこんなにすばらしい人が
日の目を見ないのがおかしいなー。
こういうことを教えてくれたら人生変わっていくと思うのに。

ちなみにアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディ
第42代ビル・クリントンが、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物
として上杉鷹山を挙げている。