HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

先週の日記

2008年04月13日 | Weblog
先週は珍しく雨が多い一週間でした。そんな日にふと書きとめた一文がありましたので、ちょっとこちらに写しておきます。

でも、写しておきましといいながら、最初にメモをしている段階で誰かが読むかもしれないということを意識しながら書いたものだから、決して個人的な秘めた話を暴露するというようなものではないんですね。

例えば、ドローイングというものが、本来はアイデアスケッチ的な物を指していたのが、いつの間にか、誰かに見せることを前提に作るようになった即目面が出てきている。あるいは見せることが当然になってしまっている、そんな感じです。 では。

「4月10日、早朝から降り続いた雨も、9時過ぎにはすっかり止んで、曇り空だけど不思議なぐらい外は明るく、なんともいえない、心地よい春の風が吹いています。

こういう日には必ず思い出すことがあります。ちょうど中学1年生のときのことですが、男の子も、中学校にあがると少し大人びてきて、一年中長ズボンを穿くようになるのですが、当時、初めて自分で選んだ一本のズボンがありました。

色は淡いグリーンで、フロントにタックを2本とったものでした。僕が中学生の頃は、制服はまだ黒の詰襟で、先輩達は当然のごとく変形の学生服を身にまとい、同級生でも背伸びをする連中は、そんな先輩たちを真似て入学早々こっそりと、少し太くてタックの入ったズボンなどを穿いていたものです。

クラスの中にそういう仲間が出てくると、不思議とみんながそういうものに興味を持ち出し、教室の中でも、着ている物が、どれだけ、いわゆる標準服と違うかということが、詰襟の高さやズボンのすそ幅のこと、タックの本数や上着の裏地の色、ベルトループの付き方や袖口のボタンの数など、細かいディティールのことがトッポイ連中を発信源に、話題や興味の中心になっていました。

そうなると、今度はそのディティールへの関心が、制服から私服へと飛び火するのは時間の問題です。放課後友達と遊んだり、学習塾へ通うときにどんな服を着るかが、子供ながらに気になりだし、ズボンにタックがあるかないか、そしてあるならワンタックかツータックかということが大きな関心ごとだったのです。そんな背景がある中で、自分で初めて買ったズボンは、当然のごとくそんな自分のこだわりが反映されたものだったから、ことのほか大切にしていました。

ある日、雨が降る中をそのズボンに茶色いスエードの靴を合わせて出かけたことがありました。そのとき、何の用で出かけたのかとか、何があったかはまるで覚えていません。ただ、静かな雨の中を一人で歩いていて、いつか雨も止み、そして、突然、その自分が過ごす今この瞬間の時間が、とても不思議なものに思えたのです。

それはほんのつかの間の出来事だったのだけれども、永遠にそれが続くような感覚とでも言えばよいのでしょうか。今、自分はここにいるけれども、本当はここにはいないのかもしれない、目の前の風とともに自分の形を失って、どこまでも流れていくような感覚だったのかもしれません。

だから、今朝のように、明るくて静かな、雨上がりの朝は、プルーストが描く主人公が、菩提樹のお茶にマドレーヌを浸して食べたときのように、自分の中のとても深いところから、すっかり忘れていたと思っていた時のことが、ありありと蘇ってくることもあるのです。

だから、一人の人間が生きるのは、今この瞬間という、有限な個人の一生という時なのですが、その今という有限の時を支えるものは、個人であってさへ膨大な量というべき、思い出すことなどありえない経験の記憶の塊のようなものなのではないでしょうか。

けれども、その埋もれてしまった経験の記憶というものも、人間が十月十日を経て生まれ出るまでに胎内で通り過ぎる、系統発生の歴史の再現に比べれば、砂粒のように小さな時間なのかもしれません。そんな、広大なバックグラウンドを、僕たち人間は持っているのです。」

ズボンから始まった話がとんでもない遠くへ行ってしまったメモでした。






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