坊様が来て読経。
線香の煙がエアコンの風に流されていく。
オヤジが死んで、早いもんで14年。
平成5年の7月に死んじまったから、14年でいいんだよな?
0 5年7月K
1 6年7月K
2 7年K
3 8年O
4 9年O
5 10年K
6 11年K
7 12年K
8 13年K
9 14年K
10 15年D
11 16年F
12 17年F
13 18年F
14 19年7月S
そうか。
丸14年かぁ…。15年目に入ったわけだ。早かったような、長かったような…そっか~。俺が30の時に、オヤジ、死んじまったわけだ。死んじまってから、今に至るまで、無我夢中で生きてきたような気がするなぁ。オヤジがいなくなっちまうとさ、俺のこと、叱ってくれる人なんていなくなっちまって、こんな生き方で良かったのかなぁ…なんて思ったりもするわけで。
でもな、親が先に死んじまうのは特別なことでもなんでもなく、至極、当たり前のことなんだけど、な。そんな当たり前のことなのに、こっちに与える影響は大きいわけで。ちゃうかぁ?だよね?
今でも思い出すのは、臨終のときに、お袋がオヤジの頭を抱きながら、ベッドサイドで、「頑張ったね」「よく頑張ったね」「頑張らなくていいよ」「もう頑張らなくてもいいからね」と何度も言っていた光景。ろくな親ではなかったけれど、お袋はホントにオヤジを愛していたんだと気がつかされた。夫婦ってすごい。夫婦の絆って、すごい。
さらに思い出すのは、オヤジの病名がわかったときの光景だ。ドクターから、延命治療をするかどうか問われたときに、いつも優柔不断だったお袋が、なんら迷うこともなくアッサリ治療方針を決意したとき。「延命は断ります。苦しまないようお願いします。」しっかりした固い意思が伝わってきた。いつも誰かに何かを決めてもらわなきゃ生きていけないような人だと、それまで思っていたのに。夫婦ってすげーなぁ。
でもさ、死ぬ間際になっても、俺の足のさすり方が悪いということで、
「わりゃー、それで足をさすってるつもりか、この馬鹿野郎がっ!」
と怒鳴り散らされたことが今でもトラウマになっている。
俺、最初から最後までだめな息子だったよなぁ。
坊様の読経、透き通るような声でよく響く。
読経が終わり、座りなおし、後ろに座っていた俺に気づき、お袋に向かって
「こんな大きな息子さんがいるんですね」
と言う。
俺がいくつに見えたのだろうか。
なんだかそのセリフにとっても傷ついたんだけど。
ああ、いくつになっても、半人前のガキだってことなのかなぁ。
苦笑。