少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

ピアノの練習

2005-06-22 22:40:15 | その他
NHKの趣味悠々でピアノのレッスンが始まって数週間がたつ。

基礎から学ぶとか言われるとどうもやる気がしないのだが、かっこよく弾くピアノレッスンといううたい文句が気に入ってテキストを買った。

講師の斉藤先生のルックスと服のセンスは、どう見てもいただけないのだが、まあそれはそれとしてレッスンはなかなか楽しい。先週の一回分を見そびれたので、課題曲はちょっとビハインドになってしまったが、それでもそこそこには弾けてうれしくなったりする。

ピアノを弾くことは、考えてみるとモノクロ写真の現像に似ていないこともない。それぞれの所作をきちんとルールに従って体に覚えさせていく。それがきちんと理解され無意識のレベルまで埋め込まれたとき進歩が生まれる。

それにしても両手両足をばらばらに動かすというのは大変なことではある。

サイクル

2005-06-21 22:31:57 | 写真
一時は活字中毒のように本を読んでいたのに、パタッと読みたくなくなった。

浜崎あゆみの曲を朝から晩まで聴いていたのに、それもちょっと飽きてきた。

会社に行く途中のショーウインドーの中のブローチがすごく気になっていたのに、今日見たらなんということはなくなった。

サイクルを感じる。身の回りでおこっている様々なことがシンクロナイズしているようだ。

それは僕のみのまわりのことであり、そして僕自身でもある。大きなサイクルの中に僕は今いる。

写真もマクロで花を撮っていて気がついた。なぜ僕はもっと大きなモノを撮らないのだろうって。

新宿甲州街道を走る車と人とビル。なんか、それもだんだん絵になってきた。色を落としてコントラストで景色を眺める。高速道路のしたの深い闇、かすんだ都会の空、銀色に輝くビルの窓。

無機質なこの景色も僕の周りで変化している。それは僕自身の一部の投影でもあるはずだ。

だんだん小さいところから大きなところへ気持ちがトランスファーしていく。

そんな気持ちで写真を撮ったら何がそこにはうつるのだろう。明日はハッセルを担いで新宿を歩いてみることにしよう。

月面観測

2005-06-20 22:45:01 | 写真
引き続き月面観測。ちょっとユラユラして見えるも、まあまあのシーイングだった。満月までもう少しの月がちょっと黄色っぽく見えた。

月面の端っこの方にある大きめのクレーターEddingtonとそのまわりのクレータを描いた。

D-76劣化?

2005-06-19 19:46:26 | 写真
今日は子供の学校のスクールオープンデー(要するに参観日)だったので、午前中から学校へ出かけた。まあ、子供の様子を見るのが目的ということになっているが、そんなに変わったことをするでもないので、カメラを担いでいって写真を撮ることにした。

ハッセルなぞを担いでいる親がいるわけもなく、おまけにあのシャッター音である。なかなか勇気がいるが、何となく撮る方も撮られる方もだんだん慣れてくるということもある。

これは長男のクラスの一こま。写真そのものは結構いい感じのタイミングを捉えたと思うのだが、ネガがいけません。

非常に薄いネガになってしまった。印画紙焼付けのための露光時間が極端に短くなってしまった。もしかしたら、逆光気味の教室の中で露出を大きく間違えたかと思ったのだが、そうもそうではないらしい。あとで外で撮った写真も同じようにアンダーになっているのだ。

現像時間は、先日決めた標準的なものをきちんとやったつもりだ。多少の違いはあっても、こんなに大きく外れるはずはない。

ここから先はおくそくだが、D76現像液が劣化していたのではないかと思う。以前は1リットルの一番小さい現像液用の粉を買っていたのだが、今回初めて1ガロン用のものを使った。作ったのはもう一ヶ月くらいは前になるかもしれない。

現像というのはいろいろとむずかしいものではある。

最近は水温が設定の22度を超えるようになり、氷を使って温度調節をしなければならない。バスルーム現像室もサウナ状態だ。写真の趣味も夏は体力勝負になってきた。

月面スケッチ

2005-06-18 22:43:52 | 天体観測
久しぶりに晴れたので月を観察した。
有名なアリスタルコスのすぐそばにあるクレータと山脈だ。
シーイングもかなり良く楽しく観察できた。

アリスタルコスのまわりは、いろいろと不思議な様子が報告されている場所だという。煙がでたとか色が変わったとか。真偽の程はよくわからないが、そう思って見ると余計楽しいと言うものだ。

撮影の決断

2005-06-17 22:43:36 | 写真
写真を撮るとき、いろいろなことを考える。フレーミングや光、背景などなどいろいろだ。

そんなとき、シャッターを切るかどうか迷いが出る。半分押したシャッターをはなしたりする。

まあ、また今度でいいやと思ってしまう。

でも、次の日同じ場所を通ると、その時咲き誇っていたアジサイの花がもうしおれているのに気がつく。あのあふれるばかりの花の色はもう失われてしまっていた。

チャンスは一度。全ての時間は一度しかない。そん気持ちで写真を撮りたい。


あじさい

2005-06-15 22:10:14 | 写真
入梅を知ってから知らずか、アジサイがますます色を濃くして咲いているのをよくみかけるようになった。

元々ブルーが好きなので、あの色を見ると写真を撮りたくなる。

さすがに白黒よりはカラーだ。

80mmレンズではどうしても花をいい感じでまとめられない。もうちょっと近寄りたい。

が、拡大レンジではどうも画質が今ひとつになってしまう。ぼやっとしてしまう。

えーい。でももう少し拡大レンズでがんばってみよう。望遠レンズのボケ味も(ちょっと意味が違う?)いい味出すかもしれないし。

まだ、物欲には負けないぞっと。


誰かが怒ったとき

2005-06-13 23:12:39 | 哲学
身の回りの誰かが怒ったとき、それは多分自分に原因がある。でも、自分とは全く関係のないことで怒っているように見えることが殆どだというかもしれない。

全くその通り、周りの人がみんな自分のせいで怒っていると思ったらたまったものではない。

でも、良く見てご覧。身の回りのみんなが怒っていないかい?そう自分がその原因を作っているから身の回りの人がみんな怒っているんだ。それが観察から得られる最も確からしい推論だ。

人は自分の姿を見ることが出来ない。それは物理的に見えないという意味以上の意味を含んでいる。人は自らの行動の意味さえも見ることは出来ないのだ。それを、周りの人々の反応から類推するしかないのだと思う。

自らを見つけるために人は回りに働きかける。写真も同じ。何をとるのか、それをどのように撮るのか、そんな一つ一つの要素に写真家自らが投影されているに違いない。

なぜ僕はマクロ撮影をしたいのか。なぜ、モノクロなのか。なぜ花を撮るのか。そんな事柄の全てに意味があるに違いない。まだ、それは雑音の中に埋まっていて、僕の心はそれを見出せずにいる。

トーン

2005-06-12 17:07:01 | 写真
ちょっと前に作ったトーンのチャート。
スキャンするときに明るさやコントラストが調整されているので、直接この画像を云々することはできないが、雰囲気くらいはわかるでしょうか。
結構ここまで来るのも大変でした。

あじさい

2005-06-12 13:25:53 | 写真
昨日撮ったアジサイの花。少しコントラストが低かったので印画紙を焼く時ののフィルター号数を高めの3号に設定した。乾かすときに、紙がくっついてしまいちょっと最終的には失敗になったが、写真そのものは結構いい感じに仕上がったと思う。もう少し花にピントがくればよかったかな。