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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

中村あゆみさんへ

2015年11月27日 | コメント
最近、中村あゆみさんから2回にわたってコメントをいただきましたので、お答えします。

頓酔?意味がつかめないです。

酒に弱い人が、すぐに酔いつぶれてしまう様を、頓死になぞらえて、私が創った造語です。
軽く聞き流していただければ幸いです。

ビールや芋焼酎は、糖質、アルコール、どちらに入るのですか。
ダイエットしたいけど。
ご飯はたべなくても、いまのところ私にアルコールを抜くことは考えられません。
天の助けは無いのでしょうか?


ビールも芋焼酎もアルコールです。
しかしビールは糖質ですが芋焼酎は糖質ではありません。

つまり、アルコールには糖質が入っているものと、入っていない物があるのです。

私は大酒飲みですが糖質が入っているアルコールは飲みません。
つまり、ビール、日本酒、梅酒、白ワインは飲みません。

私が飲むのは、ウィスキー、焼酎、ブランデー、ジン、ウォッカ、バーボン、赤ワイン、糖質ゼロと表記してあるビールです。
これらならば体重を心配せずに飲み放題ですよ。

ただし、私は、ご飯を一粒も食べません。
めん類は1本も食べません。
パンも一口も食べません。
お菓子や甘いものも全く口にしません。
果物もほとんど食べません。
根菜類も食べません。

私が食べるのは、味噌汁、ケンタッキー・フライド・チキン、から揚げ、肉類全般、魚類全般
卵、チーズ、豆腐などの大豆製品、葉物の野菜 、ナッツ類などです。

4年前になりますが、この食事法で、私は79.8Kgから64.0Kgへの減量に成功しました。
しかも、毎日、腹いっぱい食べて、腹いっぱい飲みながら、9か月で達成したのです。

減量という目標は9か月で達成されたのですが、他にも様々な利点が出てきたので続行して現在に至っております。
列記すれば、
激しい空腹感から解放された。
肝機能の数値がすべて正常になり、どんなに飲んでも翌朝にはシラフに戻っており、アルコール臭もゼロである。
うつや、情緒不安定が改善され、精神状態が安定した。
食後のダルさや眠気がなくなったので、一日中利発に?仕事や遊びができる。
睡眠の質、肌や髪の毛のコンディションが改善された。
などです。

現在の私の身長は173cmです。
体重は65.5Kg位をキープしていますのでBMIは21.9と理想的な数値です。


ぜひ、参考にして下さい。

さだまさし・チャンポン食べたかっ!

2015年11月27日 | 読書


さだまさしが、思春期から20歳で " グレープ " としてデビューするまでを、ほとんど自叙伝として語っていきます。

年齢は私の1学年下ですので、取り上げられる世相のニュースが、まさに私の思い出とシンクロします。
ベトナム戦争、フォークソング、グループサウンズ、加山雄三、ラブミーテンダー、70年安保闘争、浅間山荘事件、
トニー谷、三島由紀夫と楯の会、大阪万博、まぼろしの邪馬台国、横井庄一などです。

さだまさしは、長崎で貧しい家庭の長男として生まれるも、3歳の頃からバイオリンを習わせてもらったそうです。
その後も夏休みの度に東京に行き、有名な鷲見三郎先生の指導を仰いできました。
そして、九州・山口音楽コンクールに出場し、小学校5年生で3位、6年生で2位に入賞します。
大層喜ばれた鷲見先生に、中学生になったら東京に出て来て、自分の元へ通ったらどうだと言われます。
これは異例のことだそうで、経済的な不安はあったものの、なんとかなるだろうという楽観的な考え方で上京を決意します。
しかし、さだまさしは、このポジティブな考え方が、いつも自分を過酷な方へ追い遣ることになったと述懐しています。
ともあれ、こうして中学生でありながらプロのバイオリニストを目指し、1人での下宿生活を、そして青春時代をスタートさせたのです。

この自伝では30人以上にも及ぶ人物との交流のエピソードが綴られていきます。
様々なキャラのオンパレードですが、その中でも圧倒的に魅力的であり、作者に影響を与えたのは、
高校2年のときの担任である安本衛先生でしょう。
この先生をモデルとして小説を創作して欲しいと思うほどユニークで素敵なキャラでした。

とにかく、トーク術に長けるさだまさしの小説ですので面白くない訳がありません。
" 天才だ天才だ天才だ " など3回繰り返されると、つい、その気にさせられるという最近の鉄板ネタがありますが、
そのオリジンとなった親子も紹介されます。

さだまさしは、この本の長い後書きで、登場人物の消息を次々と列記しています。
そして、次のように締めくくります。

こうして振り返れば当時の仲間は、物故者を別にすれば驚くほど「相変わらず」の交誼がほぼ途切れず却って暑苦しいほどに続いている。
出会った時には、まさか半世紀の時を友として過ごそうとは、想像だにしなかったことである。
まさに偶然、我々の仲間に 「さだまさし」というランドマークが出現したことによって、それぞれ我々の連絡先が担保されたわけであるから、これは 「さだまさし」をつくってくださった神様に心から感謝したい。