
一昨日は腰痛のためにゴルフを断念し、電気館にて上記映画を観てきました。サイレント映画時代の大スターが主役の恋愛映画です。
彼に憧れ、女優をめざすヒロインは順調に出世していき、トーキー映画の普及によってその人気がブレイクします。
一方、主人公はトーキー映画を認めず、自分で借金して、サイレント映画を製作しますが、
封切り日がヒロインの新作とバッティングしたこともあって、失敗し、破産します。
以後、、彼は破滅への道を歩み続けるのですが、どのような事態においても、ヒロインは彼に思いを寄せ、ひそかに彼を支援し続けます。
結局は彼女が彼を無理やりに共演者としてトーキー映画に出演させ、タップダンスの音で観客を魅了するというハッピーエンドでした。
ある一点を除けば、古典的でベタなストーリーで、別に、何ということも無い映画なのです。
ところが私は、映画の中盤あたりからヤバイなと思い始め、終盤が近づいた頃には涙をこらえきれないようになってしまったのです。
原因は主人公が飼っている犬です。驚異的に様々な芸を仕込まれていて映画にも共演する利口な犬です。
この犬が飼い主にひたすら忠実に尽くす姿を見ると、涙してしまうのです。このタイミングで涙を流すのは私だけだったでしょう。
私は物心ついてから、犬を飼っていない時期が殆んど有りません。常に犬を、それも複数飼っていました。
このクリニックを開業して間もない16年前の3月に患者さんが2匹の仔犬をプレゼントしてくれました。
柴犬の雑種で、雌犬の姉妹ででした。リーダー犬は”クロ”、もう一匹は”ワン”と名づけられ当院で育ちました。
室内犬ですが、散歩させる時でも、一度もリードを使用したことは有りません。
必ず、ちゃんと私についてくるし、車のドアを開けると、自分達で乗り降りしました。
そのリーダー犬の”クロ”が、一年前に大動脈弁狭窄症で他界しました。
一年が経過しても、ペットロスのトラウマから、未だ、私は解放されていないのです。
愛犬家は死なれる度に深みにはまっていきます。次に飼う犬にはさらなる愛情うを注ぐのです。
しかし、今回は、これまでと違って次の犬を飼うわけにはいきません。私よりも犬の方が長生きをする可能性があるからです。
今、私の傍らには、16歳になって年老いた”ワン”が静かに眠りながら、遠くはないであろう”お迎え”を待っています。
