goo blog サービス終了のお知らせ 

はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

ミスター外ヅラ

2013年01月26日 | 日記
カミサンが入院して以来、ほとんど毎日、お見舞いに行っています。
そこで、いろんな人たちと挨拶せねばなりません。
カミサンは熊本県の看護協会に勤めています。
看護協会は看護婦への研修を開催するのが仕事ですので、カミサンは熊本の大きな病院の婦長さんクラスとは殆どが顔なじみです。
済生会の総婦長さんをはじめ、様々な看護婦が挨拶に訪れます。
職場の上司や同僚も少しずつ押しかけて来ます。
それぞれに、私はキチンと挨拶して、深刻にならないようにユーモアもまじえ、紳士的に振る舞いました。
そういうポーズは、昔から、結構得意でした。

数日してカミサンが言いました。
”みんなが、あなたのことを、いい旦那だねとか、優しい旦那だねとかベタホメして帰って行く。あなたは外面(ソトヅラ)が良すぎる。”と。
私はなるほどと思い、自分で自分にニックネームをつけました。
”ミスター外ヅラ”と。

リーマンショック

2013年01月10日 | 日記
安倍政権で円安株高となって、再びバブルがやってくるのではという強気の予想も出てきているようです。
今月号の文藝春秋で、竹中平蔵がリーマンショック時の面白いエピソードを紹介していたので、それをアップします。

責任をとって退任することになるシティーグループの会長兼CEOだったチャック・プリンスが、”あなたは金融の専門家なのに、
バブルはいつまでも続かないとは思わなかったのですか?”と質問されて、
”いや、わかっていたんだけど、音楽が鳴っている間はダンスを止められなかったんだ。”と答えたそうです。

日本人にはとても期待できない、正直で、なおかつ、問題の本質を鋭く表現した答えだと思いました。

小沢昭一の小沢昭一的こころ

2013年01月07日 | 日記
毎週月曜日から金曜日まで、毎日午後1時25分からRKKラジオで放送され、40年近くも続いた長寿番組でした。
ところが、昨年9月12日に小沢昭一が以前より治療を続けていた前立腺癌の頸椎転移により入院し、番組の収録がストップしてしまいました。
しかし、RKKは以前に好評を博した録音の再放送を続けました。
そして、12月10日に亡くなられた後も追悼番組と再放送を年末まで続けました。
私も最後まで、できるだけ放送に耳を傾けました。

私がいつ頃からこの番組を聴き始めたのか定かではありませんが、少なくとも30代半ばにはすでにファンとなっていました。
平日の1時25分に車を運転している状況では、ほぼ確実に、JAZZを止めてRKKに切り替えていました。
ただ、ユルいファンでしたので、クリニックで仕事中に、わざわざラジオをつけて聞くことは稀でした。
しかし、車中で聴き逃した時には、いつもかなり後悔していました。
また、車が目的地に着いても、番組を最後まで聴いてしまい、それから車を降りていました。

小沢昭一は蒲田育ちのチャキチャキの江戸っ子でした。
江戸っ子というと、たとえば一心太助のような、”粋でいなせなお兄さん”というキャラを連想しますが、
彼の場合は、”粋”と”下世話”が入り混じった独特の下町キャラだったように思えます。
私がラジオを聴くのは、この数十年間、ただただ、この番組だけでした。

そして、年が明けて、永六輔の新番組が始まりました。
永六輔が嫌いなわけでも無いのですが、なんと言えばいいのでしょうか、
長年慣れ親しんだ妻に先立たれた男みたいに、直ぐに後妻を迎えるのが憚られるような気がして、ラジオのスイッチを切ってしまいました。

”一つの時代が終わった。”という平凡な言い回しに、思いのほか、ずっしりとしたダメージを受けてしまいました。

謹賀新年

2013年01月05日 | 日記


明けましておめでとうございます。
私は大晦日から新年の1日、2日と、例年になく飲み過ぎない日々を過ごしました。
原因は昨年の暮れでの妹のアドヴァイスにあります。
妹は、飲み過ぎる原因が、ウィスキーの濃い過ぎるせいにあると指摘し、バーなどによく置いてある計量カップをゲットするべきだと主張したのです。
で、年末に購入して、大晦日から使用し始めました。
まずはダブルで水割りを作ったのですが、薄すぎてウィスキーの味がしません。
私のグラスが大きすぎるせいだろうと考えて、ダブルを2杯注ぐことにしました。
ギリギリでウィスキーの味がしますので、それでいくことを誓いました。
大晦日は6時くらいから飲み始めますので、行く年来る年まで長丁場になりますが、それほど酩酊することもなく就寝しました。
元日も、そのルールを遵守して、長時間の飲酒でも、無事に就寝できました。

事件は2日の夜に起こりました。
一杯目を作る時に、写真の水差しを水割りグラスと間違えてウィスキーを入れてしまったのです。
計量カップに目一杯ギリギリにウィスキーをこぼさないように注ぐことに気を取られて、どじってしまったのです。
仕方なく、一杯目はそれをのみました。
ところが、余りにも薄すぎたので、胃が吸収してくれません。
医学的には、胃袋はアルコールは吸収しますが、水は吸収しないのです。
胃がチャポチャポになって次がはいりません。

今12時です。酔っぱらって帰ってきたので、続きは明日にします。
おやすみなさい。

チキンライフ

2012年12月04日 | 日記
昨日は妹がクリニックに顔を出しました。
院長室でテレビのリモコンを操作していましたが、番組表を出せるようになったことに達成感を覚えているようで、
”これは便利だ!”と繰り返しつぶやいていました。
昼食は薬品会社の勉強会が、十徳やの奥座敷で行われたのですが、婦長の計らいで、妹がチャッカリと出席して来ました。
妹いわく、”アルコール無しでこんなに豪華な昼食を食べるのは初めてだ。”とのことでした。
私も、クリニックと調剤薬局のスタッフ以外の人が勉強会に出席して、美味そうに昼食を食べるのを見るのは初めてでした。

夜は焼き鳥の、”たば鳥”に行ったのですが、マスターに特別にお願いして、毛ガニを持ち込ませていただきました。
通販で取り寄せた物で、当初は居酒屋”二貝”に持ち込むはずだったのですが満員でしたので、急遽変更したのです。
あらかじめ、自宅できれいにほぐした毛ガニの身だけをタッパに詰めて持ち込みました。
たば鳥のサラダは野菜の種類も多くて豪華なのですが、毛ガニをトッピングすることで、さらに完成度が増しました。

私の記録によれば、昨夜のたば鳥利用は、今年になってから77回目です。
毎月7回平均で利用していることになります。
さらに、昼食で、ケンタッキーフライドチキンや唐揚げを食べる事が多いので、エネルギー源としてはチキンに最もお世話になっています。
私の食生活をチキンライフと名付けてみました。

ネグリジェ事件

2012年11月16日 | 日記


当日の朝、いつもの如く自転車にまたがってみたのですが、あまりにもエログロな状態になったので断念し、タクシーを利用しました。
英語の授業に遅刻して入ったのですが、教授はジロッとにらんだだけで、べつにコメントはありませんでした。
同級生は皆、いきさつを知っており、何人かはカメラまで用意していましたので、べつに恥ずかしさは感じませんでした。
問題は休み時間の教室移動です。
すれちがう学生達は何も知りませんので、いろんな反応を示します。
まず、あからさまに笑う連中がいましたが、まあしょうが無いでしょう。
次に、何事かとジロジロと視線を釘付けにしてくる連中がいましたが、これもしょうが無いでしょう。
しかし最も傷ついたのは、見た瞬間にパッと視線をそらす連中でした。
見てはいけない物を見たときのような反応でした。

みんなの色々な視線を浴びながら学食に並んで昼食を摂り、午後はサボッてビリヤードにいきました。
球をセットしてくれたビリヤード場のバアチャンは私をみるなり、”ヘー、最近はそげんとがはやっとるとたいね。”と熊本弁で言い放ちました。
私は胸の中で、”はやるわけ無かろうが!”とつぶやきました。

読売新聞の作戦勝ち

2012年10月19日 | 日記
9月29日に始まった読売新聞の配達は10月14日まで続きました。
その間、熊日新聞との両方を読み比べるという贅沢な日々を過ごしました。
そして10月15日からプッツリと読売新聞の配達が途絶えて、熊日新聞だけを読むという昔の日々に戻りました。
昔の日々に戻っただけなのですが、なんだか喪失感があるのです。
面白くない熊日だけを毎日読むことが腹立たしくなってきたのです。
そして、今朝、熊日に今月いっぱいでの契約の解除を申し入れた後に、読売に来月からの購読を申し込みました。
読売の対応は素早く、5分後には今日の朝刊が届けられました。
さらに今月中はサービスで毎日届けるとのことでした。

女性をくどく有名な手口として、毎日、しつこく電話やメールでくどきまくり、そしてある日を境にプッツリと連絡を絶つという方法があります。
女性に”どうしたんだろう?”と関心をもたせるための手口です。
読売の手練手管に見事に操られてしまったような気がします。

読売新聞の執念

2012年10月01日 | 日記
長年購読していた読売新聞を断って熊日新聞に乗り換えてから一年が経過しました。
この一年間に、時々、忘れられないようにするためか、読売新聞が突然配達されていることがありました。
そして、この三日間は毎日配達されています。
推測するに、熊日に乗り換えた時の契約は、とりあえず一年間であろうから、契約が切れる今月がチャンスと見ているに違いありません。
三日間、両新聞を読み比べてみたのですが、圧倒的に読売の方が面白いのです。
熊日のコラムには、三日に一回くらいの頻度で、無理やり書きあげたような、面白くない記事が掲載されます。
読売のコラムは安定していますし、感心させられることも珍しくはありません。
ニュースの拾い方や、取り扱いにも差があります。
広告も、ローカル色の強い熊日に比べて、全国版の多い読売の方が楽しくなれます。
読売には4コマ漫画があります。(コボちゃん)
熊日にも、それらしき体裁の物はあるのですが、とても漫画と呼べるような代物ではありませんので、読まない習慣がついてしまいました。
当初有難かった映画案内も、ネット検索に取って代わられています。
読売の作戦に引っかかるのは癪にさわるのですが、11月から再び、読売に戻そうかと考え始めました

なんだか低調だった10日間

2012年08月16日 | 日記






8月6日からの一週間はU少年の家庭教師に追われて、仕事の合間にブログをアップすることができませんでした。
その後もズルズルと盆休みのゴルフ漬けに突入し、今日が10日ぶりの更新です。
映画も2本観たのですが(灼熱の魂、最高の人生をあなたと)とてもアップする気にはなれないような駄作でした。
読書は苦労して”貧乏人の経済学”を読み上げたのですが、内容が膨大過ぎて、私にはブログで紹介する能力が有りません。
ゴルフも相変わらずで、昨日は久方ぶりのT君との対戦だったのですが、101対96の惨敗でした。

昨夜は妹が一人息子の冬樹を連れて来熊しましたので、T君を交えて”たば鳥”で飲んだくれました。
24歳になった冬樹はこの春に司法試験を受けました。今は、その結果待ち(発表は9月)で、のんびりとした夏を過ごしています。
冬樹の青春は受験勉強との共存を求められるものでした。中学受験、大学受験、ロースクール受験、司法試験という受験戦争を戦い抜いてきたのです。
まだ彼女はいないそうですが、話題は冬樹の結婚相手としてはどんなタイプが良いのかに移りました。
私は、”寡黙で、すべて敬語を使う女性。敬語を使わせておけば、ひどい夫婦喧嘩は成立しない。”と主張しました。
そして冬樹に、”昔は、男は日に三言、フロ、メシ、ネル、で良かったんだぞ。”とレクチャーしました。
これには妹もT君も大反撃に転じてきました。”今どき、そんな女は居ない。どうせ、すぐにタメグチになる。家庭が暗くなる。”と言うのです。
まあ、自分が果たせなかった夢物語を、冗談半分で主張しただけでしたので、早々に意見を引っ込めました。



豪雨

2012年07月17日 | 日記
昨日のゴルフは11番ホールをプレー中に豪雨と雷に襲われ中止となりました。
T君との決着は次の日曜日迄おあずけとなりましたが、敗戦濃厚でしたので恵みの雨でした。
阿蘇グランヴィリオからの下山は、ワイパーが役に立たないような土砂降りの中、渋滞を避けるために選択した裏道を慎重に運転しましたが
、かなり神経をすり減らしました。
ふもとの大津町に辿り着いても、用水路が溢れて道路との境界が判別できなくなっている箇所がありました。
ところが熊本市内は、それほど濡れてはいませんでした。
数十キロしか離れていない山と平地で、これほど天候が食い違うのも珍しいことでした。

今週から来週にかけてはハードスケジュールが続きます。

まず木曜日は久方ぶりにラウンドワンでの女子プロボウラーへのチャレンジマッチに出場します。
Pリーグで活躍中の竹原三貴プロとのことですが全く知りません。
You-Tubeで検索してみると、今年の春に関西学院を卒業した、神戸六甲ボウル所属の新人さんのようです。
動画でのフォームからは、トップでの溜めが素晴らしく、コントロールの良さそうな印象を受けました。

金曜日は大学医学部水泳部のOBと現役部員が集っての飲み方です。
最近は医学部だけでは無く、薬学部や看護学科もまじえての、”医薬系水泳部”になっていますので部員の数が36人の大所帯となっています。
そこにOB18人と合わせて54人が”銀杏釜飯”の大広間を借り切って乾杯するのです。
二次会の会場は私が押さえたのですが、全員は座れません。
しかし、二次会費は現役は1000円とし、あとはOBで頭割りにしたいので、安くて広い飲み屋が絶対条件なのです。

土曜日は、はせがわクリニックのボウリング大会です。
歯科医のI先生は当日、博多でのボウリングの試合があるそうなのですが、6時の試合開始までには駆けつけるとのことで、その熱心さには頭が下がります。

日曜日は阿蘇グランヴィリオを、T君、U少年、妹と回ります。大決戦です。

明けて火曜日には7月の木曜会が待っています。

空いてる日も妹と飲みに出るのは確実ですので休める日は有りませんが、いつものことですので全く苦にはなりません。

熊本県の被災

2012年07月13日 | 日記
地震や津波や台風とは、ここ数年は無縁であった熊本県が豪雨に襲われました。
熊本市でも中心部を流れる白川が氾濫しましたが、濁流が一気にあふれ出すのでは無く
、次第に冠水していくようなパターンでしたので死者はでませんでした。
熊本県の死者の殆んどは土砂崩れに民家が押し潰されてのものでした。
私は熊本県内を、この数十年間、くまなくドライブして回りましたが、いつも不思議に思うことがあります。
それは、少なくとも熊本県民は裏山があるような場所に家を建てたがるということなのです。
小さな山や丘の麓に沿って数軒の民家が建ち並び、その前には水田が広がるという風景が圧倒的にポピュラーです。
田んぼの真ん中に民家が建っていることはまれです。裏山があると落ち着くのかもしれませんが、土砂崩れのリスクを背負うことにもなります。

土砂崩れ以外では、水害時のお約束みたいにも思える、”田んぼの様子を見に行く”と言い残して行方不明になった老人がでました。
台風の暴風雨が荒れ狂っている時に、クリニックを開けていることもありますが、そんな中で来院される患者さんも珍しくはありません。
急患でも無く、無理をしてまで受診する必要は無い方が殆んどです。
当初は、仕事や学校が休みになって暇だからだろうと思っていましたが、最近では、それだけでは無いと考えるようになりました。
それは、精神的に”ハイ”な状態になるのではないかということです。
非日常な環境に放り込まれた時に、居ても立ってもおられずに、暴風雨を体感しようとするのではないでしょうか。

小学生時代に、”里の秋”という歌を習い、”お背戸に木の実の落ちる夜は”という歌詞がありましたので、
裏山がある風景は熊本県だけでは無く、全国的にポピュラーなのかも知れません。

”里の秋”の歌詞は2番までしかご存じ無い方が殆んどだと思いますので3番を紹介します。創られた時代がよくわかる歌詞です。
  さよならさよなら 椰子の島
  お船に揺られて帰られる
  あーあ 父さんよ御無事でと
  今夜も母さんと祈ります

念のために2番もアップしておきます
  明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
  あーあ父さんの あーの笑顔
  栗の実食べては 思い出す

ザ・ピーナッツ

2012年07月05日 | 日記
先月ザ・ピーナッツの伊藤エミが亡くなりましたが、71歳でしたから、私よりも10歳年上だったのですね。
私は昔からザ・ピーナッツの隠れファンでした。(隠れる必要は無かったようにも思えますが。)
小学生時代には”私と私”という映画を観にいったこともあります。
別々に育てられた双子が偶然に出会って、その出生の秘密を協力し合いながら探っていくというストーリーでした。
怪獣映画”モスラ”での挿入歌も大好きで、映画を観たあとに甘酸っぱいメロディーが胸に残りました。
最近では小林幸子ですが、昔は、ザ・ピーナッツがどんな衣装で登場するのかが、紅白の見所でした。
彼女らが引退して、いきなり紅白の視聴率が低下し始め、大晦日の過ごし方のバリエーションが多様化していったように記憶しています。
引退後、伊藤エミは沢田研二と結婚しましたが、伊藤ユミはプッツリと消えてしまったので、無駄に?心配していた時期もありました。

数年前ですが、マンションの地下駐車場に停めておいた私のトヨタMRSが車上荒らしに遭いました
オープンカーの幌をカッターナイフで切り裂かれて解錠され、カーディガンとサングラスとCDを盗まれたのです。
警察に届けましたが、盗まれた6枚のCDの内容を尋ねられました。
ほとんどがJAZZですのでスラスラと答えられたのですが、最後に小さな声で ”ザ・ピーナッツ、ベストアルバム”と付け加えました。


ペットロス

2012年06月29日 | 日記


昨日ワンが老衰で死亡しました。16歳と4カ月でした。
クリニック開業間もない平成8年の3月に患者さんから2匹の仔犬をいただきました。
生後2カ月くらいのメス犬の姉妹でした。毎朝クリニックに連れて行き、院長室で室内犬として育てました。
毎日最低でも3回は散歩をさせました。朝と寝る前は近場ですが、昼休みや夕方は車に乗せて市内の様々な公園に連れて行きました。
ロングドライブにも必ずお伴させました。阿蘇、天草は数えきれず、中央町の3000段もクリアさせましたし、鞍岳にも登らせました。
クロは賢い犬で私の一挙手一投足を見のがさず、私が財布をポケットに入れただけで外出を悟り、ついていこうとドアに先回りしました。
私がタクシーを待っている時に2階の出窓を見上げると、必ずクロが鼻先でカーテンを押しのけて私を見送っていました。
私が、打ちっぱなしやボウリングや、飲み方から帰宅した時も、90%以上の確率で、出窓のカーテンの隙間には、
じっと私の帰宅を待つクロの姿がありました。
診察室の椅子からはアコーディオンカーテンの隙間から二階への階段が見えるのですが(患者さんからは見えません)、
その踊り場から私をじっと見詰めることも度々でした。
スタッフは私に、”クロが犬でよかったですよね。女だったらストーカーとして怖いですよ。”と言います。
私は、”いや、しゃべらない女なら楽だし怖くない。”と応えました。

驚いたことに、クロが死んでから、初めて、私とワンが、それほど仲よしでは無いという事に気付きました。
ボス犬のクロの陰に隠れた存在であったワンは、常にクロに遠慮する行動をとっていました。
いうなれば、ワンはクロのオマケのような存在だたのです。そのクロが居なくなっても、長年培われてきた習性は変わりません。
ワンと暮らしたこの一年は二重の意味で私にとってはつらいものでした。
次第に、しかし、確実に弱っていくワンを見つめていかねばならぬ事、そして、ワンの存在がクロの不在を強く思い起こさせるという意味で。

昨夜は不覚にも、飲み屋で泣いてしまいました。そして、酔っ払った頭で、また犬を飼おうかとも考えました。
今、この院長室に犬がいません。この30数年で私の部屋に犬がいなかった日は10日もないので、不思議な気持ちです。
しかし、今回は年齢の問題もあるので、少なくとも、49日にあたる8月15日までは犬を飼わないことにしました。

二十一世紀枠って何?

2012年03月19日 | 日記
もうすぐ春の甲子園野球が始まります。
熊本代表である九州学院の初戦の相手は北海道の女満別ですが、”二十一世紀枠”で選ばれた高校だそうです。
地区予選でベスト8(高校数128以上の地区ではベスト16)に残ることが必要条件ですが、
ざっと計算しても数百校が候補に上がるはずです。(約400校 マイナス 私立校)
その中から3校が選ばれるわけですが、その選ばれた高校との対戦では勝ったにも関わらず選ばれない高校が続出しているはずです。
僻地や離島であるハンディを乗り越えて頑張っているとか、偏差値が高いのに健闘しているなど、選考基準は明確ではありません。
ただ一つ言えるのは、これまでに選ばれた29校は、すべてが公立校であり、私立校はノーチャンスであるということくらいです。
高野連のオエラガタの独断によって決定するようです。
それならば、”高野連枠”と呼ぶべきではないでしょうか。
そもそも、公平で有るべきスポーツの場で、地区予選で敗退したにも関わらず、あこがれの甲子園に、
裏口入学のような形で出場させることに、何故マスコミは異を唱えないのでしょうか。

夏の甲子園の出場基準が”地区予選の優勝”とシンプルであるのに対して、春の甲子園は微妙です。
九州大会でベスト4に入っても、まだ安心できないのです。
準決勝で大敗を喫したりすると、準々決勝で優勝校に接戦の末敗れた高校が逆転で選ばれることがあるのです。
これも高野連のオエラガタの独断で決まります。

私は野球とは何の関わりも有りませんが、昔から高野連が嫌いです。
特に、一部の部員の不祥事(喫煙、万引き、喧嘩、飲酒など)で出場を辞退させることには反対です。
連帯責任という考え方は、時代に関わらず、間違ったものであると思います。

10日ぶりのブログ

2012年02月27日 | 日記


10日間もブログを更新しなかったのは初めてです。
どういう事態だったのかと言うと、2月17日に妹が来熊、その晩は”居酒屋二貝”で、次の晩は”居酒屋蔵”でT君もまじえて飲んだくれました。
19日の日曜日には、妹とT君と3人で”城南ゴルフクラブ”でラウンドしました。
結果については、全員の名誉のために、あえてアップしません。
この頃から確定申告の処理に追い詰められてきました。
それなのに月曜日は”たば鳥”に出陣。
火曜日は限界まで追い詰められたので、午後2時から集中して小口現金の入力に精を出しました。
それでも終わりません。結局、火曜日のボウリングを欠席せざるを得ませんでした。
ボウリングは欠席したものの、その後の飲み会は”たば鳥”にしっかりと出席しました。
”たば鳥”には今年12回目の出陣でした。”たば鳥”の今年の営業日を計算してみると43日にしか過ぎませんので異常なハイペースです。

木曜日の午後は、はせがわクリニックと調剤薬局のスタッフ数名で、ボウリング大会に備えての練習に行って来ました。
私も、ニューボールを試してみたのですが、散々な結果でした。
2ゲームでスプリットが6個です。
走って切れることを期待したのですが、ダラダラと曲がるボールに過ぎませんでした。
大会ではとても使い物になりませんので、3ゲーム目からはサハラにチェンジしました。
結果:148,147,206,269,211,199 
TOTAL:1180  AVE:196.6  ストライク率:47% でした。

金曜日はT君と二人でS製薬の接待を受けました。
辛島町、東急インの地下にある ”雑魚屋”を利用しました。
以前に木曜会で一度だけ行ったことがありましたが、とても印象が良かったからです。
エントランスはゴージャスで、まるでクラブのようです。
メニューは実に多彩で、味付けも文句なしです。
特にカワハギの煮つけが美味でした。
カワハギの煮つけは、自分でも調理するメニューですが、やはりプロには勝てないと思いました。
しかし、今、考察してみると甘味料の違いによるものなのかも知れません。
私は砂糖が使えないので、ラカントという血糖値を上げない甘味料で代用しているのです。