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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

低調な一週間

2012年01月30日 | 日記
先週は寒かったせいか、なんだか元気の出ない日々が続きました。
打ちっぱなしにもボウリングにも行かずに、ただ飲んだくれていました。
街に出たのは三日間です。
火曜日は歯科医のI先生がボウリングでパーフェクト(300点)を達成されたお祝いを ”居酒屋二貝”で開きました。
二次会は久し振りに”綺麗な女の子達”がいる店で飲みました。
木曜日は南部医師会の新年会がホテルニュー大谷で開催されました。
乾杯のビールを注いでもらう時に、糖質が嫌なのでコップ半分で止めさせたところ、気を利かせたのか、
コンパニオンがすぐにウーロン茶を持って来てくれました。
アルコールが苦手だと思われたのでしょうね。
私が ”ウーロン茶は要らない。ウィスキーの水割りをダブルで。”と注文すると、混乱した様子でした。
二次会はT君とスナック ”ガウディー”で泥酔、記憶を亡くしましたが、ゴルフの約束だけは、かろうじて覚えていました。
金曜日は、少なくとも週に一回は行くと決めている、焼き鳥の ”たば鳥”で晩酌みたいな飲み方をしました。
そこだけで帰宅して、本当の晩酌に突入し、結局1時半まで飲み続けました。
今週はとにかく、毎日の打ちっぱなしをノルマとして頑張ります。
ボウリングにも一回は行くつもりです。

三社参り

2012年01月03日 | 日記


一月二日に初詣に行ってきました。

一番目のお稲荷さんでは、ゴルフの上達を、
二番目の若宮神社では仕事が順調に進むことを、
三番目の足手荒神さんでは健康を祈願しました。

私は毎年、各神社に一つだけしか祈願しません。
各神社ごとの責任の所在を、明確にするためです。

去年、ゴルフは上達しなかったので、お稲荷さんでは賽銭を減らしました。
若宮神社では去年並み。
足手荒神さんでは線香を省略しました。大円筋の断裂を回避できなかったからです。

おみくじは毎年、若宮神社でのみ購入します。
そして、自宅に持ち帰り、一年間保存します。
一年後に、おみくじの予言?を検証するためです。
昨年は大吉でした。予言も明らかなハズレは有りませんでした。
今年は小吉でした。

手元にある2枚のおみくじを比較してみると、不思議なことに、大吉よりも小吉の方が内容が良いのです。
たとえば、大吉では、
待ち人:さわりあり 来らず
失せ物:出がたし 下にあり
商い :買うのは損 控えよ
ですが、小吉では、
待ち人:おそいが来る
失せ物:出る 高い所の間
商い :売り買い共に利益あり です。
大吉はそれがピークで、以後、やや落ち目になっていくということでしょうか。
しかし、神社の責任や、おみくじの検証を追及する私の性格は、バチアタリの大凶かもしれませんね。

赤い靴はいてた女の子

2011年11月22日 | 日記


先ほどRKKラジオを聴いていると、野口雨情作詞の”赤い靴”の由来について放送されていました。
面白かったので、赤い靴ウィキペディアを参考にしながら紹介します。

まず、日本の色々な場所に、赤い靴の女の子の像があることの謎から番組はスタートしました。
列記すると、横浜山下公園(写真)、静岡県日本平、東京都麻布十番、北海道留寿都村、北海道小樽市、北海道函館市、青森県鯵々沢町です。

赤い靴をはいた女の子のモデルは、静岡県で1902年7月15日に生まれた”岩崎きみ”だそうです。
きみの母親である”岩崎かよ”は未婚の母でした。
その後、かよは、きみを連れて北海道に渡り鈴木志郎と結婚します。
二人は当時の社会主義運動の一環として平民農場へ入植しました。
しかし、開拓生活の厳しさから、二人は、3歳になったきみを外国人宣教師夫婦に託します。
帰国することになった宣教師夫婦は、きみを連れて行くことになりました。
ところが、その時、きみは結核に罹っており、乗船許可が下りなかったのです。
結局、きみは麻布十番の孤児院に入れられ、そのまま、そこで9歳の時に死亡しました。

しかし、かよは死ぬまでその事実を知ることも無く、きみがアメリカで幸せに暮らしているものと思っていたそうです。

1907年頃、鈴木志郎は札幌新聞社に勤めており、そこで野口雨情と知り合いになり、きみのいきさつを雨情に話しました。
かよも、きみの話を雨情にしたようです。
雨情はその話を基に1921年に赤い靴を発表しました。

ところで、以上のことが明らかになったのはそんなに昔のことではありません。
1973年のことですが、鈴木志郎とかよの間に生まれた三女が、”私の姉は赤い靴の女の子のモデルです。”と新聞社に投稿したことに端を発します。
それに注目した、当時の北海道テレビ記者の菊池寛が5年がかりで、”ドキュメンタリー、赤い靴はいていた女の子”を製作し、
1978年に発表して、やっとブレイクしたようです。

私が小学生の頃は、”ひとさらいの歌”という人もいました。
私自身は、”赤い靴をはいたお人形さんを、ガイジンが買っていった歌”だと説明されていました。

クリニックの背景

2011年11月15日 | 日記


クリニック裏には広大な空き地が広がっています。
例年ですと、遠くに見える山は、紅葉が始まっているのですが、今年は変化が見られません。
数年前のように、紅葉することも無く枯れてしまうのかも知れません。



右隣りは ”十徳や”さんです。駐車場はクリニックと共同です。
店の二階は、十徳やグループ全体の本部になっています。



左の遠くには、その地区には不自然な高層のマンションが見えます。
春日スカイマンションと書いてありますが、誰もそうは読みません。
皆 ”森高マンション”と呼びます。
タレントの森高千里が建てたからです。
隣には、森高千里の実家があります。